ミヤンマーと仏教⑤金色に輝くブッダ ― 2014/05/01 05:00
ミヤンマーのブッダ像は金色に輝き続けていく
ヤンゴン
シュエダゴン・パゴダ
ヤンゴン
シュエダゴン・パゴダ

(パゴダの先端に奉納されているというブッダ)
バガン
シュエジーゴン・パゴダ
バガン
シュエジーゴン・パゴダ

(金箔が重ね貼られ皮膚が爛れているようなブッダ)
ティーロー・ミンロー寺院
ティーロー・ミンロー寺院
(坐像:離れた正面からだと瞳は瞼に隠れ見えない)
(立像:マントのような裳が独特だ)
アーナンダー寺院
アーナンダー寺院
(創建時のブッダ立像:笑みを浮かべている)
マンダレー
マハムニ寺院
マンダレー
マハムニ寺院
(熱心な信者は熱心に金箔を貼っている)
シュエナンドー寺院
シュエナンドー寺院
(木造の寺院 瞑想中のブッダ)
サンダムニ・パゴダ
サンダムニ・パゴダ
(こことマハムニ寺院の坐像は冠を被っている)
金色の仏像は創建当時から同じ耀きを保っていると思われる
布施することでその耀きを維持し後世に伝えていっているのである
日本の仏像も創建時はこのように耀いていたのであろう
しかし日本はその耀きを残すことはしなかった
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
金色の仏像は創建当時から同じ耀きを保っていると思われる
布施することでその耀きを維持し後世に伝えていっているのである
日本の仏像も創建時はこのように耀いていたのであろう
しかし日本はその耀きを残すことはしなかった
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教⑥涅槃仏 ― 2014/05/02 21:12
ミヤンマーの涅槃仏
ミヤンマーで3体の涅槃仏に会えた
ヤンゴン
チャウタッジー・パゴダ
ミヤンマーで3体の涅槃仏に会えた
ヤンゴン
チャウタッジー・パゴダ
(1966年に再建された全長70メートルの涅槃仏)
(再建前の涅槃仏(写真))
(こんな容姿で再建された)
バガン
アーナンダー寺院(回廊)
バガン
アーナンダー寺院(回廊)
(回廊の龕に置かれた黄金の涅槃仏)
シュェサンドー・パゴダ(シンビンターリャウン)
シュェサンドー・パゴダ(シンビンターリャウン)
(夕日鑑賞ができるシュエサンドー・パゴダの
敷地内にあるレンガの長屋に納められた涅槃仏)
敷地内にあるレンガの長屋に納められた涅槃仏)
(長さは18メートルある)
チャウタッジー・パゴダの涅槃仏はこれから涅槃をむかえるというよりは
来世からなまめかしく生き返えっってくるというような感じだ
(不老不死をあらわすものなのかなぁ?)
どうしてこのような像になるのか想像も出来ない
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
チャウタッジー・パゴダの涅槃仏はこれから涅槃をむかえるというよりは
来世からなまめかしく生き返えっってくるというような感じだ
(不老不死をあらわすものなのかなぁ?)
どうしてこのような像になるのか想像も出来ない
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教⑦仏伝と本生物語(ジャータカ) ― 2014/05/07 11:40
バガンのアーナンダー寺院とマンダレーのシュエサンドー寺院で伝説を表現した彫像に
会うことができた
仏 伝
アーナンダー寺院の廻廊の龕にい仏伝図の彫刻が置かれている
私が最も気に入ったのはこの下の釈迦誕生の像だ
釈迦の誕生(バガン アーナンダー寺院)
会うことができた
仏 伝
アーナンダー寺院の廻廊の龕にい仏伝図の彫刻が置かれている
私が最も気に入ったのはこの下の釈迦誕生の像だ
釈迦の誕生(バガン アーナンダー寺院)
出城(バガン シュエジーゴン・パゴダ)
苦行(バガン アーナンダー寺院)
? (バガン アーナンダー寺院)
本生物語(ジャータカ)
マンダレーのシュエナンドー僧院は木造(チーク材)の建物である
仏殿の柱の根元の飾りとしてジャータカが彫られているのを発見した
SUVANNASAMA(スヴァンナサーマ) JATAKA
TEMIYA JATAKA
NARAD JATAKA

CANDARUMARA JATAKA
このほか本生物語は
バガンのアーナンダー僧院の基壇側面やシュエジーゴン・パゴダの高台に彫られた
板が嵌め込まれていると聞いている
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教⑧仏塔 ― 2014/05/10 00:10
パゴダの仏塔に注目した
ヤンゴン
シュエダゴン・パゴダ
ミヤンマー仏教の総本山
朝日を受けて耀やきを増し先端が煌めいている仏塔
ヤンゴン
シュエダゴン・パゴダ
ミヤンマー仏教の総本山
朝日を受けて耀やきを増し先端が煌めいている仏塔
仏塔の高さは99メートルもある
傘蓋の部分にはダイヤやルビーなど無数の宝石が納められ耀く
その一つがこの巨大なダイヤモンドだ

チャイティーヨー
ゴールデンロック
トラックバスに揺られ山頂に到着
この3月23日が日曜日であるためか、それとも仏の祭日の祭日に当たるのか
大勢のひとびとが詰め掛けて山頂はにぎやかだ

岩と仏塔が一体化した巨岩パゴダだ
岩に金箔を張り付けているのは男だけだ
ミヤンマーでは施設のなかに女人禁制となっている領域がある
今にも転げ落ちそうな岩は釈尊の聖髪によりバランスが保たれていると
信じられている
バガン
シュエジーゴン・パゴダ
台座の四隅に仏像が納められた小仏塔が建つ
台座のふもとのこの水たまりに仏塔が映るそうである

みごと水面に映った仏塔をカメラが捉えた
仏に願いが届けられたかな?
シュエサンドー・パゴダ
唯一基壇を登ることができるので夕日鑑賞の名所になっている
バガン王朝初期の仏塔だ
金箔が剥がれた表面は経過した年期の長さを感じさせる
いくつもの巨大な仏塔を見てくるとミヤンマーにおける仏教の根の深さを直に感じる
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教⑨ほとけの世界 ― 2014/05/13 14:36
西方には浄土があるという
ひとびとの熱心な信仰は金箔を積み重ねて黄金の仏像へと変身させた
1901年⇒1935年⇒
1984年⇒2010年
過って勇敢な将軍がおった
今男たちは要求を胸に秘め集会に向かう

女は境界外で我が子を携え仏を敬う

ここでは他国の慰霊碑を許容している
カフェの少年は異国の珍客に眼を輝かせ
マーケットでは女がさばいた魚が売られていた
昼に女は荷を担ぎ橋を渡り
遠くで川を渡るひとがいる
湖の船頭は客を追いかけ船を対岸に回し
ひとびとは牛馬車競争に熱中し時間が経つのを忘れていた
やがて太陽はエーヤワディ川の向こうに傾く
街かどに長閑な時が訪れ
夜が更けてパゴダは金色に輝きを深める
ベッドで瞼を閉じるとひとびとの笑顔が浮かんでくる
子供のころいつもニコニコしているから「にこにこちゃん」と
字名を付けられた男の子がいた
65歳を過ぎたその子に過ってのニコニコの面影は残っていない
ミヤンマーではそんな忘れ去られた笑顔がたくさんあった
誰にでも笑顔であること
それが仏が描く世界であると言ってよいのだろう
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
イギリス小紀行①ポントカサステ水道橋とマガモ ― 2014/05/23 13:20
グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国
UNITED KINGDOMがこの国の正式な呼称なんですね
参加したツアーはこの国をイギリスと呼ぶ
この国では輸送の手段として運河が現役で利用されている
運河のある風景がこの国の景色にぴったりはまっている
細長いボートが狭い運河を航行している
これはポントカサステ水道橋の観光船
UNITED KINGDOMがこの国の正式な呼称なんですね
参加したツアーはこの国をイギリスと呼ぶ
この国では輸送の手段として運河が現役で利用されている
運河のある風景がこの国の景色にぴったりはまっている
細長いボートが狭い運河を航行している
これはポントカサステ水道橋の観光船

水路の行く手をような谷が谷が遮っても
ディー川の流れる谷はカササギが鳴き山桜?が咲く
1805年ここポントカサステでは運河専用の水道橋を完成させた
橋梁は長さ307メートルあり19本の石造りの橋脚が支え

幅は3.4メートル 水路の深さ1.6メートルである
狭い歩道では対向者とすれ違うのが水路と谷の両方が迫り怖い
ボートが通らない水路ではマガモものんびり水上散歩
ここで見た鳥はマガモとカササギでした
イギルス ポントカサステ (2014年4月23日)
26ふるさと春⑦町のイメージキャラクターの愛称決まる ― 2014/05/25 15:45
てくてく王城山1,123メートル ― 2014/05/28 20:00
長野原町林に鎮座する霊山「王城山(おうじょうやま)」を登りました
頂上には王城山神社奥宮があります
頂上には王城山神社奥宮があります
登山道は王城山神社スタートと道の駅「八ツ場ふるさと館」スタートのふたつあるが途中で合流して頂上へ続きます
道の駅「八ツ場ふるさと館」にある案内板
6時56分 道の駅「八ツ場ふるさと館」を出発
7時10分 押手沢(おしてさわ)に沿って登る

水道工事中の押手沢

7時47分 合流点通過
8時03分 傘木(からかさぎ)(五合目)
唐傘の形をした赤松の巨木

王城山登山口
ここから登山道になる
一休みして登りました
8時20分 炮碌岩(六合目)
炮碌岩を過ぎたところの岩壁

8時24分 船窪(七合目)
8時47分 中棚尾根(八合目)
ここで右頂上(古城)コースと左奥宮コースに分かれる
左奥宮コースへ進む
8時53分 お籠り岩(九合目)
伝説日本武尊が東征の折に滞在した場所と言われる岩壁

8時55分 山頂尾根(十合目)
休憩の東屋があり下ったところに「御手洗の池」という
ヤマトタケルが手を洗ったと伝えのある泉がある

8時57分 王城山神社奥宮
ヤマツツジの色が鮮やか(奥宮)

9時05分 山頂尾根(十合目)
山頂尾根までもどり山頂に続く階段を登る

9時11分 王城山山頂(標高1123メートル) 到着
祠が三つ並んでいる
王城山の立札の下に三等三角点がある
北緯 36度33分28.7719秒
東経 138度40分09.713秒
9時18分 山頂出発 下山開始
9時29分 中棚尾根(八合目)
9時44分 船窪(七合目)
9時48分 炮碌岩(六合目)
9時59分 傘木(五合目)
10時09分 合流点
右の王城山神社方面へ下山する

10時23分 二反沢(三合目)
10時28分 石尊下(二合目)
10時45分 宮原口
10時47分 王城山神社(里宮)
8月26日がお祭りとのこと
境内に杉の巨木神杉や奉納相撲の土俵がある
また石段の上に並んだ道祖神もおもしろい

11時13分 林の御塚

11時30分 道の駅「八ツ場ふるさと館」 到着
王城山はミコシロヤマとも言い日本武尊が東征の折に登ったとの伝説がある
戦国時代この山頂に砦があったことから地元ではこの山を古城と呼ぶ
群馬県 長野原町 (2014年5月26日)
イギリス小紀行②ウィンダミア湖と白鳥たち ― 2014/05/30 13:50
前回運河を書いたが細長いポートはナローボートというのだそうだ
運河を開発したの約200年まえで総延長は6400キロメートルにわたるという
馬車より200倍の石炭を運ぶ運河は産業革命の一役を担った
そして現在はイギリス景観に溶け込み運河はイギリスの自然と一体になった
ところで今回は湖水地方という観光地のはなし
参加したツアーは観光地を満喫するほどの時間がなく自由散策が主体なのでの
事前の調査や自分なりの行動計画が必須であるが今回それらが十分とは言えなかった
ウィンダミア湖のバウネスで自由散策ださてどうするか
古い教会の特徴のある塔が見えたので坂道を登ってそちらへ向う
運河を開発したの約200年まえで総延長は6400キロメートルにわたるという
馬車より200倍の石炭を運ぶ運河は産業革命の一役を担った
そして現在はイギリス景観に溶け込み運河はイギリスの自然と一体になった
ところで今回は湖水地方という観光地のはなし
参加したツアーは観光地を満喫するほどの時間がなく自由散策が主体なのでの
事前の調査や自分なりの行動計画が必須であるが今回それらが十分とは言えなかった
ウィンダミア湖のバウネスで自由散策ださてどうするか
古い教会の特徴のある塔が見えたので坂道を登ってそちらへ向う
セントマーチン教会
ケルトの教会であるのか、カトリックが親ケルト的であると聞くが

ケルト十字
庭に立派なケルト十字が建っていた 模様が複雑だ
このような十字架を見たのは初めてだ
現地で採れるライムストーンの利用
坂道を右に折れて登っていくと特徴ある石を使った建物に気付く
これは現地で産出されるライムストーンを石垣や家の壁などに使ったものだ
石 垣
家の壁
地元の岩や土などをレンガなどに加工して建築資材として使っている町や村に
数多く出会ったがいずれも建物がその地方の色調と調和して素晴らしい景観と
なってすばらしいと常々感じていた
湖水の水鳥たち
湖面に白鳥や鴨などが悠々と泳ぐ
岸にはコブ白鳥もおりました
湖畔に集い憩いのひと時を過ごすひとびと
レークサイド行きの観光船に乗船
ウィンダミア湖の風景を見ながら湖水地方をプチ体験
レークサイド駅の蒸気機関車
レークサイドの埠頭に遊覧船が接岸
40分間の短い遊覧が終わる
レークサイド駅から蒸気機関車が発車
レークサイド&ヘイパースウェイド蒸気鉄道の蒸気機関車
プリンセス号

機関車は5両の客車を引っ張ってゆっくり動きだした

ウィンダミア湖で過ごした時間も機関車の煙のように
消えていった

ここで出会った鳥は普通のハクチョウ、コブハクチョウ、カモ、シロハトなど
イギリス 湖水地方 ウィンダミア湖 (2014年4月24日)
イギリス小紀行③リヴァプールの王様とロック歌手の肖像 ― 2014/05/31 22:32
今回はリヴァプール自由散策2時間のはなしです
夕刻アルバート・ドックところに下車2時間の散策となったが事前調査なし観光地図もなしの最悪のひとり歩きとなった
アルバート・ドック
夕刻アルバート・ドックところに下車2時間の散策となったが事前調査なし観光地図もなしの最悪のひとり歩きとなった
アルバート・ドック
ロック歌手ビリー・フューリーの肖像
エリヴィス・プレスリーの像がこんなところにあるのかと疑問に思った
その像がジェラシーなど歌ったロック歌手ビリー・フューリーであることは
帰国後知るに至った
ピアーヘッド
ポートリヴァプールビル
リヴァプールで最も美しい建物のひとつ
エドワード7世像
ヴィクトリア女王の息子エドワード7世の騎馬像
マシュー・ストリートを探して
ジェームス通り~ロード通り~チャーチ通り~ボルド通りと探して歩く
ヴィクトリア女王の立像
ヴィクトリア女王の逝去を悼んで1906年に建てられたという
ヴィクトリアは1861年夫アルバートの死後、喪服を着用していたというが
この装束は喪服なのであろうか
ボルド・ストリート
突き当りのセント・ルークスチャーチ・ガーデンまで行ったが
目当てのマシュー・ストリートは見つからなかった
ボルド通りを歩く若いミュージシャン
チャーチ通りとタールトン通りが交わる角で数人の若いミュージシャンが
街頭演奏をしていた
並んで歩いている彼らはどこに行って演奏するのだろうか
予定の2時間をあっと言う間に消費してしまった
事前準備なしの無謀散策に反省反省
イギリス リヴァプール (2014年4月23日)
最近のコメント