椿にヒヨドリ2020/03/26 17:06

今年の春も椿の花弁を啄みにヒヨドリが登場

どうも椿の花弁がかなり好きなようです
梅の花も啄んでいるようですが、福寿草や水仙は嫌いなようで食べている気配はありません

令和2年3月
椿の花弁を啄ばむヒヨドリ



 これは昨年の写真です(平成31年3月)
椿の花弁を啄むヒヨドリ(平成31年)

         群馬県 吾妻郡 我家の庭  (2020年3月25日)


お庭の訪問者ジョウビタキ(2020年3月)2020/03/12 22:21

ヒヨドリに占有されてしまった私の庭
主の留守を見はからってに小鳥が飛来する
そんなささいな風景が老人のこころに生気を与えてくれるのだ
ジョウビタキ
         (ツツジの枝に隠れてひと休みするジョウビタキ)

3月11日早朝ウグイスの初鳴きが響いた
          群馬県 吾妻郡  (2020年3月1日)

春なのに2020/02/24 16:20

早朝ラジオから「春なのに」流れる台所手を止めてこころメロディーを迎える

     令和天皇初めての誕生日の朝


敦煌 莫高窟その22020/02/08 15:02

莫高窟
莫高窟 チケット

莫高窟 チケット

見学年月日一覧
      2007年 9月20日  半日           10窟  
      2019年11月22日  一日    14窟
      2019年11月23日  一日    16窟
      2019年11月24日  一日弱   12窟
      2019年11月26日  半日      4窟

見学した石窟を開鑿開始年代別

  北涼(420年~)   275窟
  北魏(439年~)   246窟、254窟、257窟、259窟
  西魏(535年~)   249窟
  北周(557年~)   296窟、428窟
  隋 (581年~)   292窟、311窟、314窟、390窟、397窟
           407窟、419窟、420窟、427窟
  初唐(618年~)    57窟、 71窟、 96窟、220窟、321窟、
           322窟、323窟、329窟、332窟、334窟、335窟、
           340窟
  盛唐(712年~)    23窟、 44窟、 45窟、 79窟、130窟
           148窟、172窟、217窟、328窟、331窟、384窟
           386窟
  中唐(781年~)   158窟
  晩唐(848年~)    16窟、 17窟、 94窟、156窟
  五代(907年~)    61窟
  宋 (960年~)    55窟
  西夏(1038年~)   409窟
  元 (1271年~)    -
           
見学して気にとめたことを絵に描きました。

北涼第275窟 窟形長方形窟
     最も初期の洞窟
     正面仏座 三角形の背もたれ  弥勒菩薩が交脚倚坐する
     左右壁面に3つの龕(闕形龕2、円拱龕1)      
莫高窟 第275窟の石窟形式
          
  
  本尊 
    弥勒菩薩交脚倚坐像
    両側に獅がうずくまる
    本尊は塑像であるが脇侍菩薩は壁面に描かれている
 
   (弥勒菩薩交脚倚坐像横顔)
    
 
莫高第275窟弥勒菩薩の横顔
         
         正面の顔と想像もつかない美しい横顔、長い髪 
 

   南壁・北壁 闕形龕各二龕 交脚菩薩像を置く
         円拱龕各一龕 半跏思惟像を置く     

  北壁中層部 本生図を描く
     東から 月光王本生
         シビ(尸毘)王本生
         快目王本生
         ビリンジェリ(毘楞竭梨)王本生 
          (ビリンジェリ王本生中の飛天)
莫高第275窟 飛天
         
     ビリンジェリ王がバラモンによって釘を打たれる場面の頭上で舞う飛天


北魏第257窟 窟形塔廟窟 窟頂 前部人字披頂 後部平天井
  中心塔柱
    東面一龕内 弥勒倚坐説法像
    南面上層闕形龕 半跏菩薩塑像
    (半跏菩薩(弥勒菩薩))
莫高第257窟 半跏弥勒菩薩

    
  壁画 最上段 天空バルコニーに伎楽天
     中段  千仏 中央に説法図
    下部腰壁 本生・因縁の説話図

  本生説話
     北側腰壁 スマティ諸仏因縁
     
     南側腰壁 沙弥守戒自殺因縁 
     西側腰壁 九色鹿本生
    (九色鹿本生)
莫高第257窟 本生図 九色鹿本生
         鹿王が騎乗の国王に物語の一部始終を語る最後の場面

北魏第259窟 人字窟頂方形窟
  西壁半塔柱形正面龕 二仏並坐像(釈迦仏と多宝仏)を置く
            雲崗初期の仏像と同じ様式
   (二仏並坐像)
莫高第259窟 二仏並坐像(釈迦仏と多宝仏)

  北壁下層龕 敦煌のモナリザと称されている微笑みを浮かべる仏塑像
        大きな弧を描く眉、両唇端を反り気味にして笑みを含んだ顔
        西域の面影
    (禅定仏)
莫高第259窟 敦煌のモナリザ(禅定仏)

西魏第249窟 伏斗形方形窟
  最古の伏斗形方窟
  西壁 西壁に一龕を開き倚坐仏を置く
莫高第249窟 伏斗式石窟
        
        

  伏斗天井
   四披に仏教的内容とともに中国古来の神話伝説多くの神々を描く

   西面披画 阿修羅、雷公、烏獲(風神)、雨師、飛天、朱雀
   北面披画 東王公、龍車に乗る神像、龍に乗る方士、禺強、迦楼羅、開明
        下方人間界、山岳中猪・牛・黄羊、馬上の猟人
   南面披画 西王母、鳳車に乗る神像、鳳凰に乗る方士と飛天、禺強、開明
        下界の山中に野牛、黄牛、獏のような動物
   東面披画 力士が支える魔尼宝珠、両側に飛天、朱雀、倒立する胡人と烏獲
        亀と蛇が一体となった玄武、開明
        

   西面坡画中
    (阿修羅王)
莫高第249窟 阿修羅王

   北面坡画
     (狩猟図)
莫高第249窟 神々 風神と開明

 
   南面坡画の開明と西面坡画の風神 
     (開明と風神)
莫高第249窟 風神と開明

   四壁の上部
    楽器を演奏する天宮伎楽が並んで描かれている
    法螺、縦笛、箜篌、腰鼓、曲頸、琵琶、横笛、篳篥まど
     (法螺貝を吹く伎楽天)
西魏第249窟 伎楽天


北周第428窟 窟形中心塔柱 窟頂の後部は平天井、前部は人字披
  敦煌早期の最大の洞窟 供養人が多く描かれている
  中心柱
   四方に龕を開け 龕内に彩塑仏坐像と二比丘を龕外に二脇侍菩薩を置く
  (中心塔廟窟)      
莫高第428窟 中心柱形式
        
        
        

  本生説話
   東壁
    窟門北側 スダーナ太子本生
    窟門南側 サッタ太子本生
    捨身飼虎は三段に描かれたサッタ太子本生の二段目の中頃に描かれている
    (サッタ太子本生 捨身飼虎)
莫高第428窟  サッタ太子本生
   この窟は供養人が多く描かれていることも特徴のひとつである

  裸体飛天
   平天井
    平天井の蓮華を中心にした三角隅持ち送り式の四角の枡で敷き詰められている こ
    の枡の四隅に蓮華又はずんぐりとした飛天が描かれている その飛天のなかで僅か
    であるが西域の影響を受けた均整のとれた裸の飛天が舞っている
   (裸体飛天)
莫高第428窟 裸体飛天

北周第296窟 窟形殿堂窟 窟頂伏斗形
  この窟は「壁にある図書館」と呼ばれている
   前室 天王 文殊菩薩、普賢菩薩
   主室 西壁大龕 一倚坐仏二弟子  龕外二菩薩
   天井と腰壁に本縁説話を描く
   南壁 五百強盗成仏図
   北壁 スジャーティ(須闍提)本生
   窟頂西披面 善事太子本生
     北披面 福田経変
  当時の生活の情景を知ることができる 
 


北魏第254窟 窟形長方形 後方に中心方柱を置く塔廟窟
  方柱 東面大龕 仏交脚塑像
     南・北・西の三面 上段 闕形龕 交脚菩薩か又は禅定仏
              下段 円拱龕 定印の坐仏
  西壁 方柱後部 白衣仏を描く
  南壁 降摩変 サッタ太子本生
  北壁 難陀出家因縁 シビ王本生本生説話
  (シビ王本生 割肉貿鴿)
莫高第254窟 シビ王本生
         (2007年9月)

隋第407窟 伏斗形方形窟
  窟頂 藻井 隋代になると初期の三角隅持ち送り式は姿を消し華蓋の形式になる 
  第407窟の藻井は大輪の蓮華の中に三匹の兎がそれぞれ耳を共有して左回りに駆けて
  いる とてもおもしろい奇抜な図である その周囲には菩薩形、比丘形、童子形の飛
  天が兎と同じ方向に天衣や衣裳を風に長く靡かせながら雲を伴い飛翔している  
     (三兎飛天菩薩形飛天)
隋第407窟 窟頂 藻井 三兎飛天

隋第314窟 伏斗形方形窟
  天井 蓮華四佛
  西壁龕 一仏二弟子四菩薩の七尊仏形式 塑像は壁と繋がっている 飛天
  北壁 樹下説法図 爪が描かれ爪にマニュキュアをしている
  南壁 樹下説法図 菩薩がブーツを履いている

隋第397窟 前室つき伏斗形方形窟 
  西壁 龕内 一仏二弟子四菩薩 
     龕頂 右側の托胎霊夢(乗象入胎)と左側の出家踰城がセットで描かれる
        飄帯飄動形式の飛天
     (托胎霊夢(乗象入胎))
隋第397窟 龕頂 乗象入胎
  窟頂 藻井 蓮花井の中心に三匹の兎が耳を三耳に重ね三角形を描き旋回している
  各壁 千仏 袈裟の紅、緑、藍、城、黄など諸色を規則的に配列

隋第419窟 窟形長方形 窟頂の後部平天井、前部人字披
  西壁龕に隋代の代表的な彩色塑像を置く 本尊は須弥壇に結跏趺坐し菩薩は水瓶を持ち
  阿難は蓮華の蕾を持ち迦葉はブーツを履いている 龕楣の装飾として片足で立ち、また
  一方の足で頭を支えるおもしろい龍が両側に付けられている
  (五尊立像)一仏二弟子二菩薩
莫高第419窟 三尊像と力士像
  窟頂 平天井に弥勒上生経変
     人字披 東側上方二段にスーダナ太子本生 下段にサッタ太子本生
         西側上方二段に法華経変図 下段に東側から続くサッタ太子本生

隋第420窟 伏斗形方形窟
  西域商隊図が描かれている窟
  南西北の三壁に各一龕を開く
   西壁龕 一仏二弟子二脇侍菩薩
   南北壁各龕 趺坐仏と二脇侍菩薩 三壁の三尊で三世仏を示す
  西壁正龕左右上部 維摩詰経変 右に維摩詰 左に文殊菩薩 鳥獣も説法を聴き入る
  窟頂の四披絵 法華経変 西と北は序品 東は観世音菩薩普門品 南に譬喩品
         東の上段は西域商隊図が描かれ、中下段北半分に観音の三十三現身
    
隋第427窟 前室をもつ人字披窟頂の塔廟窟
  
  前室 前室はこの時期に出現 敦煌の石窟は最初造営した時に木造の窟擔があったが、
  そのほとんどは残っていない ここ第427窟は木造窟擔が残る貴重な窟である 棟木
  には乾徳八年の墨書銘がある 前窟には隋塑像の最も初期の四天王と力士が立っている
  主室 中央の方柱に龕を開けず一立仏二脇侍菩薩の三尊像を配置、これに南・北壁の各
  三尊像と合わせて三世仏を構成する 窟頂、方柱、四壁に描かれた千仏は四色の配列で
  色のリズムが織りなす荘厳な空間を演出している
  (前室力士立象と主室三尊立像)
     
隋第427窟 彩色塑像 三尊像と力士像
         

隋第292窟 人字披窟頂の塔廟窟(前述の第427窟と同じ形式)
      天井 前部人字披頂(切妻形) 後部平天井
  中心柱東向面と前部人字披下南壁北壁
    各塑大形の一仏二菩薩像を置く、三体の仏像で三世仏を構成する
    菩薩は連珠文のスカートを穿く
  中心柱南西北向三面各浅龕を開く 各塑一禅定仏、二弟子を置く
  主室四壁上部 飛天が軽快に窟を廻る姿は飄逸秀美である  その姿は奏楽、散花、礼
         拝と千姿百態である
 

 
初唐第57窟(美人窟)伏斗形方形窟
  西壁 腹式龕内 一仏二弟子四菩薩 塑像 
     龕外上層 右に乗象入胎図 左に夜半踰城図
  北壁 仏説法図 観音菩薩と大勢至菩薩を脇待とする一仏二弟子二菩薩
  南壁 樹下説法図
   結跏趺坐する坐仏を中心に脇侍の二菩薩二弟子、八菩薩が囲繞する
   美人画で有名な菩薩は坐仏の向って左側であるが下図は注目を浴びていない右側の顔
   や体が黒く変色した脇侍である
   (樹下説法図)
莫高第57窟 仏画 説法図

初唐第71窟 伏斗形方形窟
  1920年11月~1921年8月)白系ロシアコサック兵400名収容、塑像の金箔剥がし、落
  書き、壁の煤けたりの被害を被る
   窟頂四披画 千仏
   西壁開一龕 一趺坐仏二弟子二菩薩
   南壁 弥勒経変
   北壁 阿弥陀浄土変

初唐第96窟(九層楼北大仏)
 
  弥勒倚座大仏
  断崖をくりぬいて石芯を彫り残しその上に粘土で形を整えた石胎泥塑
  則天武后の延載二年(695)に造営
  高さは33メートル
  
    (弥勒倚座大仏)
莫高第96窟 弥勒坐仏


初唐第220窟  伏斗形方形窟
  経変図の流行
  南壁 阿弥陀経変図
             中央の阿弥陀仏が結ぶ転法輪印は屈鉄線でくっきり描かれている
莫高第220窟 阿弥陀経変
 

  東壁 門口 両側 維摩詰経変 南側 維摩詰 北側 文殊菩薩
        北側 文殊菩薩の下方で大勢の臣下を連れて法を聴く帝王
     (帝王図)
莫高第220窟 維摩詰経変 帝王図

初唐第321窟 伏斗形方形窟
    唐武周時創建
  西壁大龕 塑像七体(結跏趺坐一仏二弟子二菩薩二力士)
  南壁 宝雨経変 玉、宝が雨のように降る
  北壁 阿弥陀経変
  東壁 門口左 十一面観音 6本の腕は人々を救済する印を結び十方に慈悲の眼差しを
               配る
      同右 釈迦遊行図     
  天井 阿弥陀来迎図 ラピスラズリの青色の空

初唐第322窟 伏斗形方形窟(前室棄損)
  西壁腹式龕 一趺坐像二比丘(阿難、迦葉)二菩薩(観音、勢至)二天王
        菩薩は辯髪を高髻に結い天王は胡人の形で他民族の風情
   龕内壁画 仏伝故事 乗象入胎と夜半踰城
   葡萄唐草文 多産と豊饒の象徴

初唐第323窟 伏斗形方形窟
  前室左右に耳洞(第324窟、第325窟)
  主室が第323窟
  北壁 張騫出使西域図
     前漢の武帝が張騫を大夏へ赴かせた場面が描かれている

初唐第329窟 伏斗形方形窟
  窟頂  大輪の蓮華に四体の飛天が舞う蓮華飛天の藻井が美しい
  西壁龕内 塑像七尊像 龕頂 乗象入胎と出家踰城
  南壁 阿弥陀仏浄土変
  北壁 弥勒浄土経変 弥勒仏の三会の説法や剃髪図 

初唐第332窟 人字披窟頂中心柱窟
  唐代においては中心柱窟は珍しい
  方柱には龕を開けず壁画を描く
   南面 盧遮那仏 西面 薬師仏 北面 釈迦霊鷲山説法図
  中心柱正面、南壁、北壁 各塑像の一立仏二脇侍菩薩を置き三世仏を現す
  西壁龕中 塑像の涅槃仏を置く

初唐題335窟 伏斗形方形窟
  西壁龕内 塑像の一仏二弟子四菩薩を置く七尊像形式
       本尊光背上部に労度叉闘聖変を描く
  南壁 阿弥陀経変
  北壁 維摩詰経変(聖暦年間(698~700)の発願銘あり)
  東壁門口上部 説法図(垂拱二年(686)五月十七日の発願銘あり)

盛唐第172窟 伏斗形方形窟
  完成の域に達した阿弥陀浄土図
  南壁 観無量寿経変
莫高第172窟 観無量寿経変

  (観無量寿経変中右天空の飛天)
莫高第172窟 観無量寿経変 飛天


盛唐第217窟 伏斗形方形窟
  南壁 法華経変 化城喩品
  導師は神通力を用いて一城を化作して衆生の疲れをいやして元気を回復させる場面
  (法華経変 化城喩品)
莫高第217窟 法華経変 化城喩品

  北壁 観無量寿経変
  左右外縁に未生怨と十六観を描く、両縁のない場合は阿弥陀経変として区別する場合が
  ある

盛唐第23窟 伏斗形方形窟(前室棄損)
  法華窟とよばれる
  壁面各部に法華経変を描く
  西壁龕内 内塑一仏二弟子四菩薩

盛唐第328窟 伏斗形方形窟
  蓮華文を型どった磚の床は宝池を表わす 窟全体を浄土に見立てている
  西壁龕内 説法相の結跏趺坐する一仏二比丘二菩薩二供養菩薩の塑像(南側の一体は失
    われている) 二比丘の背後に八体の比丘が描かれていて十大弟子を表わす
    菩薩と供養菩薩の白色の肌は人肌の美しさを感じさせる また蓮華座に遊戯坐する
    供養菩薩に美しさに緊張感を感じた

盛唐第79窟
  西壁大龕内 一仏二弟子四菩薩(遊戯坐)背後に一双の六曲屏風
        遊戯坐の菩薩は官能的に造られている
     龕外 二力士
  南北壁 千仏

 
盛唐第45窟 前室をもつ伏斗形方形窟
  盛唐様式を代表する彩色塑像七尊像を西壁龕内に配置する
  この時期七尊形式が成立する
  西壁龕内 一仏二弟子二菩薩二力士
  (七尊立像)  
莫高第45窟 彩色塑像 七尊像
        七尊形式が成立、雅びな趣き
  (雅な趣の菩薩像)インドの三曲法の取入れ
莫高45窟 西壁龕内 菩薩
        
         この窟内で10分間の座禅を行った

盛唐第384窟 前室伏斗頂方形室、主室伏斗方形窟
  主室 西壁龕内  一趺坐仏二弟子二脇侍菩薩二供養菩薩
     南北龕内 各一趺坐仏二菩薩 西南北で三世仏を示す

 
盛唐第130窟(南大仏) (窟平面は長方形、天井は伏斗形)
  開元年間(713~741)造営
  高さ26メートルの石胎泥塑の弥勒菩薩倚座像
  顔と胸の前壁に明かり窓が開けられている
  (弥勒菩薩倚座像)
莫高第130窟 南大仏弥勒倚坐像
         (2007年9月)

盛唐第148窟 涅槃窟(柩を模るアーチ型天井)
  涅槃のテーマが流行
  大都隴西李府君修功徳記碑があり李大寶が唐の大暦十一年(776)造営した
  本尊長さ14.8メートルの涅槃仏 その後方に弟子、夫人、各国王子、菩薩、羅漢などの
  塑像が83体並ぶ
  壁画 東壁 北側 薬師経変 南側 観無量寿経変
     西・南・北壁 涅槃経変
  (涅槃窟)
莫高第148窟 涅槃窟
        

中唐第158窟 涅槃窟(奥行き約7メートル、幅約17メートル)
(吐蕃支配期)
  甬道に大蕃管内三学法師持鉢僧宜と供養僧の題記あり
  長さ15.1メートルの涅槃仏 南・北壁に塑像の立仏と倚座が造られ涅槃仏とともに三世
  仏を構成する
  (本尊涅槃仏像)
莫高第158窟 涅槃仏
         

  本尊後方の壁画
  (各王子挙哀図)
莫高第158窟 涅槃経変 各国王子挙哀図

晩唐第156窟 前室 主室 伏斗形方形窟
  張議潮出行図がある晩唐の石窟
  前室 北壁に莫高窟記の墨書銘あり
  主室 西壁帳形龕内 倚坐仏一体
     南壁下部 張議潮出行図 榜題に曰
      「河西節度使檢校司空兼 御史大夫張議潮統軍☐ 除吐蕃収復河西一道行図」
     北壁下部 宋国夫人出行図 榜題に曰
                 「司空夫人宋氏行季馬車」「宋国河内郡夫人出行図」
     南壁上部 阿弥陀浄土経変、金剛経変など
     北壁上部 薬師浄土経変、報恩経変など
      (これら経変図のどこかに反弾琵琶が描かれていたと思うのであるが)
  窟上部 コサック兵が住み着いた生活の跡煤が残る

晩唐第16窟 背障式窟
  南区の北端に位置する三層楼は1906年王道士により造営された その一層にある第
  16窟は大型の伏斗形窟頂をもつ中心須弥壇式石窟
  壇上に塑像9体が置かれ須弥壇の側面に神将、力士、獅子が描かれている
  前廊北壁に西夏様式の供養菩薩が並ぶ
  (第16窟の甬堂と主室)
莫高第16窟 中心仏壇窟

晩唐第17窟 御影堂
  光緒26年(1900)第16窟の前廊北壁に穿たれた小窟を発見、5万点もの経典、文
  書、画巻きが発見された  このためその後この窟は蔵経洞と呼ばれている
  この窟の西壁に「大番釈門教授和尚洪辯修功徳碑」の石刻文がはめこまれており唐大中
  五年(851)の紀年がある  洪辯は張氏の沙州帰軍の時代河西の都僧統として仏教教
  団を率い第365窟、第16窟など大窟を造営した 洪辯が死亡したのは唐咸通三年
  (862)のことである
  現在第17窟内に洪辯の塑像が置かれていているが、三層楼二層にある第365窟薬師
  七仏堂の北隣りの小窟第362窟に置かれていたものを1965年にここに移したもの
  である 第17窟は洪辯の御影堂として造営されたものであり、移したというよりは元
  に復したとの表現が正しいのではなかろうか
  御影堂に経典や文書などを詰め込み、洪辯像を運び出し前廊北壁の入口を封印したのは
  何時なのかまたどのような理由によるものなのか  西夏の時代重修した時に密閉し供
  養菩薩像を描いたということなのであろうか 第17窟には洪辯像が置かれ背後に樹下
  人物像(優婆夷と団扇を持つ比丘尼)が描かれている
  (洪辯像と優婆夷)
莫高第17窟 洪辯と優婆夷

五代第61窟 伏斗形窟頂、須弥壇を設けた背屏式窟
  946年~980年にわたり帰義軍節度使の任にあった曹元忠とその夫人翟(てき)氏
  が施主として造営した
  (伏斗形窟頂、須弥壇を設けた背屏式窟)
   
     
莫高第61窟 背屏式中心仏壇窟

  この窟は文殊菩薩の塑像が置かれていたと考えられるが文殊菩薩騎獅像の獅子の尾が
  背屏正面中央に残っているのみである
  背屏背後の西壁には文殊菩薩の住地とされる五台山図が大きく描かれている
  供養像
  東壁門口右側に八体の女子供養者が描かれている
  門口から一番目は曹議金の夫人
      二番目が曹元忠の姉 甘州回鶻に嫁す
                (姉甘州聖天可汗天公主一心供養)
      三番目も曹元忠の姉 嫁して于闐王の皇后
      四番目は曹議金夫人(故慈母)元忠の母
             (一~二回鶻の装束、三~四は漢族装束)
  (三番目の女供養像(頭部)
莫高第61窟 回鶻女供養者像
 

  (参考)
   五代楡林窟第16窟 供養像
    (曹議金供養像)
楡林第16窟 曹議金供養像

      散花飛天
莫高第61窟 散花飛天


宋第55窟 大型の背屏式の窟、伏斗形窟頂 
  藻井 曹氏の権力を示すがごとく二尾の龍が巻く
  天井の四隅 四天王が描かれている
  馬蹄形の仏壇上 東・西・南に倚坐する弥勒菩薩と菩薩、天王、金剛力士  
  壇上左下で弥勒菩薩の台座を肩で支える金剛力士
  (金剛力士像)
莫高第55窟 力士像


西夏第409窟 (元隋窟:西夏改修)
  東壁門口右側 回鶻王供養像
  団龍模様の円領窄袖の袍、手に柄香炉、腰にちょう韘とよばれる帯飾りを提げる
  背後に子供のような従者が傘蓋をさしかけている
  (回鶻王供養像)
莫高第409窟 回鶻王供養像
   

  東壁門口左側 回鶻可汗妃供養図
  頭に鳳鳥文の刺繍のある桃形の冠を載せ、髪には種々の簪を挿し耳環をつける
  装束は回鶻の円領窄袖の袍である

窟形式が時代によりどのように変化していったか
塑像で表わされる尊像が時代によりどのように変化していったか
描かれた壁画の内容が時代によりどのような理由により変化していったか
その時代時代のひとびとの生活がどのようなものであったのか
敦煌の支配者がどのように移り変わりその支配者たちはどのような思惑で石窟を開いたのか、或いは修繕したのか
敦煌は誰を救ってきたのだろうか
敦煌は21世紀を生きる自分のこころのなかに何を化生させようとしているのだろうか


(現地説明者)
2007年9月
 説明者 YANGさん
2019年11月
 年特別講義とディジタル化作業中の217窟の説明をして頂いた研究院のNIU先生
 一日目の説明員のMENGさん
 二日目~最終日まで 説明員のZHUさん

(参考図書)
世界文化遺産 敦煌石窟(中国旅游出版社)
敦煌壁画臨本選集(上海人民美術出版社)
敦煌飛天線描一百例(浙江古籍出版社)
敦煌 石窟知識辞典(甘粛人民美術出版社)
敦煌三大石窟(講談社選書メチエ)

      中国 甘粛省 敦煌市 莫高窟(2007年9月、2019年11月)

敦煌 莫高窟その12020/02/04 11:15

2007年9月20日、初回見物できた石窟はわずかに10窟にすぎませんでした。
12年後もっと石窟内部を見物するため再び訪れました。
今回は3日半をかけて開放窟の全て約40窟余りの内部を見物することができたこと、研究院の先生の講義と保持活動の実際の話を聴けて大変満足できました。

窟内は写真撮影禁止、仏像や壁画の画像はありません。
まずは石窟外部の写真をその1に掲載しました。

     バーチャルセンターで専用バスに乗り換えて莫高窟へ向います。
     先ず車窓から敦煌の東方向に聳える三危山が目にとまります。
莫高窟 三危山

     大泉河岸辺の駐車場で専用バスから降りる。
 
     目の前に
     鳴砂山の断崖を削る大泉河と北区石窟群
莫高窟 大泉河
      

      まずは大泉河を渡ります。
      朝の冷え込みで流れは一部凍っていました。
      莫高新橋
莫高窟 莫高新橋

    

      小牌坊の入場口まで南区の石窟群を右手に見ながら歩きます。
莫高窟 石窟群

南区石窟群
     小牌坊のまえで説明員と合流して入場しました。
     北方面の石窟
莫高窟 石窟群北方面

     
     蔵経洞の先に12年前に来て印象に残った小さな門が見えました。
     北方面の先端
 
      
莫高窟 石窟群 北門
 

     南方面の石窟群
莫高窟 石窟群南方面
    
     

     南大仏の先が南方面の先端となります。
      
     南方面の先端
莫高窟 石窟群 南


建築物
      北方面三層楼
      一層に第16窟と第17窟(蔵経洞)があります。
莫高窟 蔵経洞


      北大仏が鎮座する第96窟、莫高窟のランドマークです。
      南方面九層楼
莫高窟 九層楼


      南大仏が鎮座する第130窟
      明かり取りの窓があります。 
      南方面南大仏
莫高窟 第130窟南大仏


      小牌楼
      莫高窟を象徴する建造物のひとつ
      右隣に入場ゲートがあります。
莫高窟 小牌坊

      大牌楼
      過って大牌坊をくぐって見学者が入退場していくルートでしたが、今は
      莫高大橋が入場のルートになったため帰りにくぐるだけにになった。
      12年前より鮮やかさが失われている感じがしました
      11月という季節がそうさせたのかも知れません
莫高窟 石窟群外 大牌楼

      大牌坊をくぐると大泉河の先に塔と急峻な頂きが見えました。
      塔林は12年前は無かったと思います。     
      塔林と三危山
莫高窟 石窟群 外  塔林

      
      研究院の食堂で3日ほどお昼ご飯を頂きました。
      とてもおいしくいただけました。
      敦煌研究院保衛所
莫高窟 敦煌研究院保衛所

広場
      
      この広場でぶちの猫ちゃん出あいました
      九層楼広場
莫高窟 石窟群外 九層楼広場


      日本著名書家日中友好協会会長敦煌研究
      院名誉研究員平山郁夫先生熱心敦煌文物
      事業並不断為敦煌研究院培養文物保護和
      学術研究人材為発展敦煌研究事業一九八
      九年十月又向我院☐贈両億日☐作為学術
      基金為☐対平山郁夫先生的有効情誼表示
      敬意持建此幢以資記念
      敦煌研究院一九九四年八月立徐祖蕃書丹
      九層楼広場に立つ石碑
莫高窟 石窟群 外 九層楼広場石碑

     大牌坊広場
     大牌坊広場には12年前と同様に書籍や絵画を売る売店があります。

足元
     飛天を描いたマンホール蓋
      
莫高窟 石窟群 足元 プレート

     九層楼と飛天を描いたマンホール蓋
莫高窟 石窟群 プレート
 

 

     九層楼の平面図のプレート
莫高窟 九層楼プレート


      石窟の遺産を保護するため一日当たりの見学者の人数が限られています。
      予め事前に予約していないと入場できません。
      チケットには氏名、パスポート番号が印刷されています。

      入場チケット
莫高窟 チケット


その2では石窟の中をまとめて掲載します。

    中国 甘粛省 敦煌市 莫高窟 (2019年11月22日~25日)

瓜県 荒野の大地の子2020/01/15 14:35

瓜県の南部 ゴビタンのガレバがあり羊や駱駝が遊ぶタマリスクやラクダソウが生える原っぱがつづく
降水量は少なく乾燥した土地であるが祁連山脈の雪解け水の地下水が豊富であるという
そんな荒野の道端で見つけた「大地の子」と呼ばれるうつ伏して眠る子供の像です
瓜県 大地の子

楡林窟を見た帰りの車窓より(鎖陽城鎮から破城子の城跡を過ぎた道端)

        中国 甘粛省 瓜県   (2019年11月25日)

久米島 五枝の松 土帝君2020/01/14 22:08

久米島の名前からして久米島では過って稲作が営まれていたそうだ
観光地の五枝の松は大きなため池の畔にあり稲作と関係があるらしい
稲の豊作を祈願するためにこの琉球松は植えられたものなのであろうか

五枝の松の姿は根元から枝が分岐して地をはうように広がっている
手入れは害虫駆除の散布をするだけで剪定などは行わないとのことであるが
豊穣を感じさせる雄大な姿を保っている
久米島 五枝の松


しかし外からだと見えにくいけど分岐枝の中心に石の祠がある
尋ねると「農業の神様」だとトライバー兼ガイドのOさんの返事
五枝の松は農業の神を祀るにあたり琉球松を植樹したのが始まりのようだ
松は強海風を遮り祠を守るように働き神木としての役割を得て観光的な主役と成長した
久米島 五枝の松 土帝君


Oさんガイドさんが「農業の神様」と説明したが「土帝君(トーティークン)」という中国から持ち込まれた豊穣の神様で、島の人々が稲作の豊作を祈願するため祀ったもののようだ
祠のなかを見ると石板が置かれているだけで土帝君を現す文字や神像は掘られていないようだ
花瓶に花が生けられていて人々の信仰は今でも生きている
久米島 五枝の松 土帝君

祠の庇に「勒□□」と文字が刻まれていて「土帝君」とは記されていない
□□部分は私には読めないが弥勒信仰との関係もあるようである
弥勒信仰といっても豊穣の神として祀るミルク神である
豊年祭りなどで登場するミルク神は仮面を被った女性の姿(韓国の官奴仮面劇に登場するソメカクシのような豊満な仮面と色彩が同じような衣装)であるそうだ
  (ところで文字は「譲位勒」と読むのか?ヘルプ)
久米島 五枝の松 土帝君

久米島の稲作は国の減反政策により止めてしまったようで水田は稀にしか見られない
稲作地はサトウキビ、ドラゴンフルーツ、ビニイモ、ラッキョウなどの畑に変えられていったが、ため池の水辺に祀った豊穣の神様の役割は無くなっていない

       沖縄県 久米島町 五枝の松 (2019年12月14日)


久米島 君南風殿内(チンベードゥンチ)2020/01/13 16:32

君南風(チンベー)がウマチー(6月25日)の祭祀を行うときに座ったトートー石は具志川城址で書いたが、この建物は殿内(どぅんち)と呼ぶチンベーが祭祀を行う社殿である

琉球王朝は各島へ女性神職(ノロ(巫女))を派遣して神事を執り行わせていたそうだ
琉球王朝にとってこの島が航海上要衝の島であったためか、久米島のノロはその中でも位が高かったようである

神社風の社殿
久米島 君南風の神殿

神社のような飾りつけ
久米島 君南風の神殿

殿内は1937年神社風に建てられ、1977年現在の新社殿が完成したそうである
1937年以前、琉球王朝時代の君南風殿内がどのようなものであったのか旅行中における手掛りはなかった

余談であるが、久米島ではハブを退治すると1匹2,000円、烏を退治すると1羽1,000円お金がお上から頂けるそうである

        沖縄県 久米島町  君南風殿内  (2019年12月14日)

久米島 具志川城跡2020/01/12 11:12

沖縄方面の城は?
沖縄の歴史はよくわからない
久米島は黒潮あらう中国本土航海の要衝ということで城を築く必要があったのだろうか

久米島には4つもの城址が残されている
15世紀初頭に伊敷索(いなのは)一族という武装集団が島を支配したとき築城したという
その一つがこの具志川城である

具志川城は島の北に位置し過って海に囲まれていたというが今は南側は陸続きである

城門は南側の南側にある
久米島 具志川城跡

積石の城壁に囲まれた場内は4つの郭に区切られている
久米島 具志川城跡

三の郭に位置する城壁
久米島には具志堅三兄弟という石垣職人がおったという
久米島 具志川城跡

この海を渡ってどのような人々がやってきたのだろうか
この城の生活はどのようなものであっただろうか
1507年琉球王朝の尚真王によって伊敷索は討伐されたと聞くがこの島でどのような争いがあったのか
久米島 具志川城跡

この城ではどんな物語が文書として残されていたのだろうか
どんな古文書があるのか見てみたい
久米島 具志川城跡

14世紀頃、神と交信できる数人の根神(女:ニーガン)とニ三十人の根人(男)が村落をつくっていたという
君南風(チンベー)と呼ばれる根神の最高神(祭司)である
城の南側の斜面に祭祀のときにこのチンベーが座る石坐(トートー石)がある
久米島 具志川城跡トートー石

いったいここではどんな歴史が展開していたのだろうか興味を起させる城址でありました


         沖縄県 久米島町 具志川城跡  (2019年12月14日)

敦煌 西千仏洞2020/01/10 23:18

敦煌 西千仏洞
敦煌市街より西方35キロ、西方に涅槃仏の形をした山容が見えてくる
昔々西に赴く人々や、また西からやって来た人々であれば立ち止ってこの姿に手を合わせたに違いない
敦煌 西方 涅槃の山

真っ直ぐ進むと陽関、北に進むと漢代の玉門関、そんな場所にシルクロードを行き交う人々の安寧を祈るためこの石窟が開削されたようである

日が西に傾く頃にここに到着
党河の北岸170メートルの幅に19の石窟が残る
このように砂利を積み重ねたようなもろい土砂の崖なのによく穴を穿って石窟を作ったものだと思う
敦煌 西千仏洞 地質

石窟入口
敦煌 西千仏洞

石窟は階段を上った高さに並ぶ
敦煌 西千仏洞

敦煌 西千仏洞

党河の流れと断崖が見える
敦煌 西千仏洞

石窟内部の説明は現地説明員が中国語で、日本語通訳は現地ツアーガイドの許さん

窟内を観賞できたのは第4-5窟、第9窟、第11窟、第18窟の5窟のみでした

第4-5窟  (入口が同じ)
敦煌 西千仏洞第5窟
       開削:第4窟隋時代、第5窟盛唐時代
       第4窟 南に向かって開いた伏斗形天井前室有する方窟
           前室北壁の主室へ通じる門口上部:説法図(盛唐時代)       
           前室天井:豊満な飛天が舞う
           主室奥壁二重龕内:仏坐塑像(民国)背後に虎の壁画
           主室天井:回鶻の牡丹(団花)模様
       第5窟 入口が第4窟東側に開いた方形窟(人字披頂)
           東壁:龕を開く
           南壁:仏立像(盛唐時代)左右に蓮華座に化生の菩薩を描く

第9窟
敦煌 西千仏洞 第9窟
        開削:西魏時代
        塔頂窟、人字披の天井を持つ
        方柱南面:龕中1仏2弟子の塑像(清重修)
             龕上部仏三尊と飛天
             方柱西面北周の千仏、その中に説法図
        東壁:説法図 隋時代の未完の壁画
        西壁:上部に北周の千仏
        北壁:涅槃変、涅槃仏
        南壁:左側白地に描かれた説法図
           壁画に如意元年(692年)と題記が残る
           (唐が武周と国号を改めた時代)
敦煌 西千仏洞 第9窟 仏説法図

        
 
第11窟
敦煌 西千仏洞第11窟
        開削:北周時代
        横長の長方形、船底形天井
        奥壁龕:民国修復の仏坐像 龕頂部 北周の飛天
        西壁:上部に千仏図、その中に説法図、下部に女子供養者
        東壁:上部に千仏図、その中に説法図、下部に男子供養者

第18窟
敦煌 西千仏洞第18窟
        開削:中唐・吐蕃占領時代
        伏斗形天井の方形窟
        龕内:七尊仏の八角の台座のみ残る
         壁画は法華経の普門品変相、観音の三十三現身、八十救難
        西壁:観無量寿経変(唐代の建物、観音菩薩、勢至菩薩)
        東壁:薬師経変
        窟門の西側:不空羂索観音 一面六臂の姿
         上方の両手に三叉戟を持ち、胸の前で両手を拈じる
         垂下する左手に羂索を右手に宝瓶を持つ
        

西千仏洞を見た中で一番素晴らしかったと感じたのは第18窟の壁画でした


        中国 甘粛省 敦煌市  (2019年11月24日)