敦煌 莫高窟その12020/02/04 11:15

2007年9月20日、初回見物できた石窟はわずかに10窟にすぎませんでした。
12年後もっと石窟内部を見物するため再び訪れました。
今回は3日半をかけて開放窟の全て約40窟余りの内部を見物することができたこと、研究院の先生の講義と保持活動の実際の話を聴けて大変満足できました。

窟内は写真撮影禁止、仏像や壁画の画像はありません。
まずは石窟外部の写真をその1に掲載しました。

     バーチャルセンターで専用バスに乗り換えて莫高窟へ向います。
     先ず車窓から敦煌の東方向に聳える三危山が目にとまります。
莫高窟 三危山

     大泉河岸辺の駐車場で専用バスから降りる。
 
     目の前に
     鳴砂山の断崖を削る大泉河と北区石窟群
莫高窟 大泉河
      

      まずは大泉河を渡ります。
      朝の冷え込みで流れは一部凍っていました。
      莫高新橋
莫高窟 莫高新橋

    

      小牌坊の入場口まで南区の石窟群を右手に見ながら歩きます。
莫高窟 石窟群

南区石窟群
     小牌坊のまえで説明員と合流して入場しました。
     北方面の石窟
莫高窟 石窟群北方面

     
     蔵経洞の先に12年前に来て印象に残った小さな門が見えました。
     北方面の先端
 
      
莫高窟 石窟群 北門
 

     南方面の石窟群
莫高窟 石窟群南方面
    
     

     南大仏の先が南方面の先端となります。
      
     南方面の先端
莫高窟 石窟群 南


建築物
      北方面三層楼
      一層に第16窟と第17窟(蔵経洞)があります。
莫高窟 蔵経洞


      北大仏が鎮座する第96窟、莫高窟のランドマークです。
      南方面九層楼
莫高窟 九層楼


      南大仏が鎮座する第130窟
      明かり取りの窓があります。 
      南方面南大仏
莫高窟 第130窟南大仏


      小牌楼
      莫高窟を象徴する建造物のひとつ
      右隣に入場ゲートがあります。
莫高窟 小牌坊

      大牌楼
      過って大牌坊をくぐって見学者が入退場していくルートでしたが、今は
      莫高大橋が入場のルートになったため帰りにくぐるだけにになった。
      12年前より鮮やかさが失われている感じがしました
      11月という季節がそうさせたのかも知れません
莫高窟 石窟群外 大牌楼

      大牌坊をくぐると大泉河の先に塔と急峻な頂きが見えました。
      塔林は12年前は無かったと思います。     
      塔林と三危山
莫高窟 石窟群 外  塔林

      
      研究院の食堂で3日ほどお昼ご飯を頂きました。
      とてもおいしくいただけました。
      敦煌研究院保衛所
莫高窟 敦煌研究院保衛所

広場
      
      この広場でぶちの猫ちゃん出あいました
      九層楼広場
莫高窟 石窟群外 九層楼広場


      日本著名書家日中友好協会会長敦煌研究
      院名誉研究員平山郁夫先生熱心敦煌文物
      事業並不断為敦煌研究院培養文物保護和
      学術研究人材為発展敦煌研究事業一九八
      九年十月又向我院☐贈両億日☐作為学術
      基金為☐対平山郁夫先生的有効情誼表示
      敬意持建此幢以資記念
      敦煌研究院一九九四年八月立徐祖蕃書丹
      九層楼広場に立つ石碑
莫高窟 石窟群 外 九層楼広場石碑

     大牌坊広場
     大牌坊広場には12年前と同様に書籍や絵画を売る売店があります。

足元
     飛天を描いたマンホール蓋
      
莫高窟 石窟群 足元 プレート

     九層楼と飛天を描いたマンホール蓋
莫高窟 石窟群 プレート
 

 

     九層楼の平面図のプレート
莫高窟 九層楼プレート


      石窟の遺産を保護するため一日当たりの見学者の人数が限られています。
      予め事前に予約していないと入場できません。
      チケットには氏名、パスポート番号が印刷されています。

      入場チケット
莫高窟 チケット


その2では石窟の中をまとめて掲載します。

    中国 甘粛省 敦煌市 莫高窟 (2019年11月22日~25日)

瓜県 荒野の大地の子2020/01/15 14:35

瓜県の南部 ゴビタンのガレバがあり羊や駱駝が遊ぶタマリスクやラクダソウが生える原っぱがつづく
降水量は少なく乾燥した土地であるが祁連山脈の雪解け水の地下水が豊富であるという
そんな荒野の道端で見つけた「大地の子」と呼ばれるうつ伏して眠る子供の像です
瓜県 大地の子

楡林窟を見た帰りの車窓より(鎖陽城鎮から破城子の城跡を過ぎた道端)

        中国 甘粛省 瓜県   (2019年11月25日)

敦煌 西千仏洞2020/01/10 23:18

敦煌 西千仏洞
敦煌市街より西方35キロ、西方に涅槃仏の形をした山容が見えてくる
昔々西に赴く人々や、また西からやって来た人々であれば立ち止ってこの姿に手を合わせたに違いない
敦煌 西方 涅槃の山

真っ直ぐ進むと陽関、北に進むと漢代の玉門関、そんな場所にシルクロードを行き交う人々の安寧を祈るためこの石窟が開削されたようである

日が西に傾く頃にここに到着
党河の北岸170メートルの幅に19の石窟が残る
このように砂利を積み重ねたようなもろい土砂の崖なのによく穴を穿って石窟を作ったものだと思う
敦煌 西千仏洞 地質

石窟入口
敦煌 西千仏洞

石窟は階段を上った高さに並ぶ
敦煌 西千仏洞

敦煌 西千仏洞

党河の流れと断崖が見える
敦煌 西千仏洞

石窟内部の説明は現地説明員が中国語で、日本語通訳は現地ツアーガイドの許さん

窟内を観賞できたのは第4-5窟、第9窟、第11窟、第18窟の5窟のみでした

第4-5窟  (入口が同じ)
敦煌 西千仏洞第5窟
       開削:第4窟隋時代、第5窟盛唐時代
       第4窟 南に向かって開いた伏斗形天井前室有する方窟
           前室北壁の主室へ通じる門口上部:説法図(盛唐時代)       
           前室天井:豊満な飛天が舞う
           主室奥壁二重龕内:仏坐塑像(民国)背後に虎の壁画
           主室天井:回鶻の牡丹(団花)模様
       第5窟 入口が第4窟東側に開いた方形窟(人字披頂)
           東壁:龕を開く
           南壁:仏立像(盛唐時代)左右に蓮華座に化生の菩薩を描く

第9窟
敦煌 西千仏洞 第9窟
        開削:西魏時代
        塔頂窟、人字披の天井を持つ
        方柱南面:龕中1仏2弟子の塑像(清重修)
             龕上部仏三尊と飛天
             方柱西面北周の千仏、その中に説法図
        東壁:説法図 隋時代の未完の壁画
        西壁:上部に北周の千仏
        北壁:涅槃変、涅槃仏
        南壁:左側白地に描かれた説法図
           壁画に如意元年(692年)と題記が残る
           (唐が武周と国号を改めた時代)
敦煌 西千仏洞 第9窟 仏説法図

        
 
第11窟
敦煌 西千仏洞第11窟
        開削:北周時代
        横長の長方形、船底形天井
        奥壁龕:民国修復の仏坐像 龕頂部 北周の飛天
        西壁:上部に千仏図、その中に説法図、下部に女子供養者
        東壁:上部に千仏図、その中に説法図、下部に男子供養者

第18窟
敦煌 西千仏洞第18窟
        開削:中唐・吐蕃占領時代
        伏斗形天井の方形窟
        龕内:七尊仏の八角の台座のみ残る
         壁画は法華経の普門品変相、観音の三十三現身、八十救難
        西壁:観無量寿経変(唐代の建物、観音菩薩、勢至菩薩)
        東壁:薬師経変
        窟門の西側:不空羂索観音 一面六臂の姿
         上方の両手に三叉戟を持ち、胸の前で両手を拈じる
         垂下する左手に羂索を右手に宝瓶を持つ
        

西千仏洞を見た中で一番素晴らしかったと感じたのは第18窟の壁画でした


        中国 甘粛省 敦煌市  (2019年11月24日)



瓜州 楡林窟2020/01/09 21:35

2019年11月25日(月)快晴
楡林窟の石窟10窟を見る

楡林窟は甘粛省瓜州県の南山山谷中の楡林河東西両岸に開鑿された仏教石窟であります

外景

     東崖は上下二層に分かれる
楡林窟  東崖

        上層に20窟
楡林窟 東岸

楡林窟 東岸

        下層に10窟
楡林窟  東崖

     西崖は一層のみ11窟
楡林窟  西崖

        仏塔が入口に立つ第38窟
楡林窟 西崖 38窟

楡林窟 西岸


開鑿時代は唐代~清代であるという
見学できたのは東崖のみで合計10窟に入ることができました
現地説明員は若い女性で日本語がとても堪能でした


見学窟一覧
第5窟、第2窟、第25窟、第26窟、第21窟、第17窟、第16窟、第14窟
第13窟、第12窟

記憶に残る塑像、壁画など

涅槃仏像(第5窟)
 とても穏やかな美しい顔立ち
楡林第5窟 涅槃仏


三世佛像(第17窟)
 中心柱の三方の龕に鎮座した過去、現在、未来の三世佛像の造形と頭光、背光に描かれた
 模様と緑の色彩
楡林第17窟 中心柱南向龕 仏頭

曹議金と曹議金夫人の供養像(第16窟)
楡林第16窟 曹議金供養像

 ほぼ実寸大の供養像、香炉を持ち立つ曹議金の供養像、帽子や装束、宝刀や弓矢を持ち控
 える侍従たち。同じく香炉を持ち立つ夫人の供養像、桃型の冠や装束、頬に貼る花鈿、鏡
 や扇を持つ侍女たち。
弥勒経変図(第25窟)
 人間社会を描いた部分、農民一種七収図、老人入墓図、婚嫁図など
楡林第25窟 収穫図

 (第25窟)
観無量寿経変(第25窟)
 浄土世界の壮麗な宮殿、楼閣
 伎楽 人頭鳥身の共命鳥
 具体的な修行方法を描いた十六観図

水月観音(第2窟)
 シャボン玉のような透明な大輪の身光のなかで岩上に悠然自在に座る観音様
 一体は足元の水辺を見つめ、一体は欠けた月を仰ぎ見る
楡林第2窟 水月観音

 各各下に並んだ供養人、一方は七人の男、一方は四人の女

弥勒菩薩と普賢菩薩(第25窟)
 青獅子の背に座る文殊菩薩、六牙の白象の背に座る普賢菩薩
楡林第25窟 普賢菩薩と南方天王

薬王像など九体の塑像(第12窟)
 仏床上に並ぶ薬王を中心とした道教の塑像
 壁画は仏教画のままで塑像だけ道教に変えて使われたようだ

莫高窟よりは小ぶりな石窟でしたが見るべきものはすべてそろっていたような気がしました
特に第17窟の仏塑像と第25窟、第16窟の壁画が素晴らしかった
(現地説明)
  説明員 CHENさん
(参考図書)
  楡林窟芸術(江蘇鳳凰美術出版社)


         中国 甘粛省 瓜州県    (2019年11月25日) 


敦煌市 反弾琵琶像2019/12/21 16:36

敦煌市のシンボル反弾琵琶像を一周
敦煌市 反弾琵琶像


敦煌市 反弾琵琶像

敦煌市 反弾琵琶像

敦煌市  反弾琵琶像

敦煌市  反弾琵琶像

敦煌市  反弾琵琶像

敦煌市  反弾琵琶像

敦煌市  反弾琵琶像

敦煌市  反弾琵琶像

敦煌市  反弾琵琶像

敦煌市  反弾琵琶像


         中国 甘粛省 敦煌市 (2019年11月23日)


瓜州 鎖陽城遺跡 塔尓寺2019/12/12 11:20

甘粛省 瓜州県(旧名安西県)に残る鎖陽城遺跡と塔尓寺跡です
楡林窟に行く道中に訪れました

鎖陽城遺跡
瓜州 鎖陽城遺跡

        西南の展望台より北方面
瓜州 鎖陽城遺跡

        展望台より東方面
        高さ10メートルを超す城壁
瓜州 鎖陽城遺跡

        展望台より東北方面
        内城は東西に区切られている
瓜州 鎖陽城遺跡


        展望台より東方向 塔尓寺の姿を認める
瓜州 鎖陽城遺跡



塔尓寺跡
        巨大な仏塔と北側に複数の小仏塔が残っている
瓜州 鎖陽城遺跡 塔ル寺

        小仏塔は崩れ中の形が確認できる
瓜州 鎖陽城遺跡 塔ル寺

        崩れた小仏塔
瓜州 鎖陽城遺跡 塔ル寺

        大仏塔の南側は風や砂嵐の影響が少なかったためか
        塔の造りの姿をよく留めている
瓜州 鎖陽城遺跡 塔ル寺


              
瓜州 鎖陽城遺跡の案内図
瓜州 鎖陽城 案内図

    (注)塔ル寺の塔は仏塔(ストゥーパ)と思いそのように表現しました
         中国 甘粛省 瓜州県 (2019年11月25日)

敦煌 鳴砂山2019/12/05 21:46

夕景鳴砂山
敦煌 鳴砂山


西千仏洞見物の帰りの車窓より

            中国 甘粛省 敦煌 (2019年11月)

高青邱 梅花九首 其一 其二2018/04/13 20:16

空家となった妻の家を取り壊す際に出てきた六曲一隻の屏風をもらいました
高啓梅花の詩屏風

何が書いてあるの解読が難しかった  でも最終列の「明高青邱梅花之詩」から
明代、蘇州出身、高啓の詩、梅花九首 其一 其二であることが分かりました

梅花九首 其一
        瓊姿只合在揺台
        誰向江南処処栽
        雪満山中高士臥
        月明林下美人来
        寒依疏影粛粛竹
        春掩残香漠漠苔
        自去何郎無好詠
        東風愁寂幾回開
     其二 
        縞袂相逢半是仙
        平生水竹有深縁
        将疎尚密微経雨
        似暗還明遠在烟
        薄瞑山家松樹下
        嫰寒江店杏花前
        秦人若解当時種
        不引漁廊入洞天

誰の書かは不明です
江戸ではなく明治以降の書ではないかと思われます
修復して冬季に屏風として寝室で使おうと考えます

    群馬県 吾妻郡   (2018年4月13日)


西夏王国の幻影を訪ねる②額済納旗「カラホト」2016/07/28 21:38

NHKシルクロードのカラホトを見てから行きたいと願っていた
そのあこがれし「カラホト(黒水城)」へ2014年6月22日午前11時到着することができた

NHKの取材陣はエチナからラクダをしたてカラホトをめざしたが、我々は四人乗りの四輪駆動車(トヨタと三菱)を用いた

外国人観光客の入域が制限されているからなのか人影がまったくない
入場入口も無人で入場は素通りだった
エチナ旗 カラホト

入場してカラホトの西の城壁を捉えた感動の瞬間
エチナ旗 カラホト

西北角の保塞上にシンボルの仏塔が見え
        大小5基並んだラマ教の仏塔並ぶ
エチナ旗 カラホト

その保塞の外側の下に供養塔が並んだ塔林遺跡がある
エチナ旗 カラホト 塔林遺跡
NHKの取材ではこのなかの一つの供養塔からコマのような型押しの仏がこぼれ出ていると報告されていたが、コマようなものはどこにでも発見することができなかった
        泥擦擦と説明書きがある(エチナ博物館所蔵)
エチナ カラホト 供え仏


西南に続く城壁は馬面と馬面の間が最も砂に埋もれその先の角の外側に小さなモスクが見える
エチナ旗 カラホト 西の城塞
シルクロードの要衝であったカラホトにモスクがあっても不思議ではない
エチナ旗 カラホト モスク


長さ370メートルの西の城壁の真ん中に西門が口を開く いよいよここから入城する
エチナ旗  カラホト 西門

西門をカギ形に曲がって城内へ入っていく
エチナ旗  カラホト 西門内

城の中も城壁に向って砂が吹き溜まっている(西北方面)
エチナ旗  カラホト 城内西南方面

反対側も同じだ(西南方面)
エチナ旗  カラホト 西南方面

カラホトは西夏の時代に築城されたが、元代に拡張され現在の規模になった
西夏の城は東北(右下)の角の部分である
        (エチナ博物館展示)
エチナ旗 カラホト(模型)

まずはカラホトのシンボルの仏塔に向う
この仏塔は元の時代に建てられたものである
        チベット式の仏塔を見上げる
エチナ旗  カラホト 仏塔

城内の北側ではあちこちに多種多様な陶器の破片が散らばっている
エチナ旗 カラホト 陶器の破片

陶器は墳墓に陪葬されるほどの貴重な品物であるがこれが無造作に打ち捨てられているのだ
貴重な壷を持ちだすことなく人々が消えたのは何故か?明の攻撃が急であったのか??
        (エチナ博物館展示)
エチナ旗 カラホト 陶器の壺

城内には官署街、諸王住居、寺院、商業街、手工業街、住宅などが配置されていた
エチナ旗  カラホト 城内の遺跡

西夏の遺跡として明らかなものは仏塔跡だ
        (西夏仏塔)
エチナ旗 カラホト 西夏仏塔

城内を直進すると砂を被った東門がある
西門より砂の堆積が厚い
エチナ旗 カラホト 東門

東門より南方向に建物の残骸が並ぶ キャラバンサライの跡であろうか?
エチナ旗 カラホト 城内陶器の破片

門を抜け場外に出ると外側は砂の堆積が少なく厚みのある頑丈な門の造りに圧倒された
エチナ旗 カラホト 東門

カラホトで発掘された絵画としては仏頂尊勝曼荼羅、金剛亥母曼荼羅、阿弥陀来迎図などの宗教絵画が知られているが、それらは皆ロシアのエルミタージュ博物館に所蔵されている
        (銀川 寧夏博物館)
西夏 曼荼羅


2時間ほどカラホトを歩き回った 堆積した砂に足を取られても靴の中に砂が入ることはなかった 
エチナ旗 カラホト

    中国 内モンゴル自治区 エチナ旗 カラホト (2016年6月22日)

西夏王国の幻影を訪ねる①西夏王陵2016/07/09 14:42

2016年6月、西夏王国の幻影を訪ねて旅に出ました
チベット系タングート族が興した西夏王国の都は寧夏回族自治区の銀川である
銀川は黄河の恵みを受けて予想より緑の多い豊かな土地であった
西夏王国は元朝に睨まれ国史が編纂されることがなく約200年の歴史は明らかではない 幻影を訪ねるとは正に的を得た表現であるのかも知れない

まずは銀川郊外の平原に展開する西夏王の墓を訪ねた

建設当初の王陵はこのような建物が建てられて配置されていた
西夏王陵の過っての姿
いちばん手前が外城で両側に闕台や碑亭を配置
その次が月城で石獣が並び参拝者を出迎える
月城先の南門をくぐると各台と土塀で囲まれた内城に入る
内城には献殿、墓道、陵塔が配置される

では実際に王陵に足を運ぶ
小雨が落ちていたがかえって空気中の埃を落とし風景が蘇っていた
   三号陵正面
西夏王陵3号陵

外城⇒月城⇒内城へと進む

内城の奥に陵塔が鎮座する
墳墓は土饅頭形であるものが多く見られるが西夏墓はこれに楼閣をかぶせた痕跡が残されている
西夏王陵3号陵 陵台

電気自動車に乗って1号陵2号陵へ
   1号陵の闕台の右に1号陵の陵塔と2号陵の陵塔が並んで見える
西夏王陵1号陵2号陵

王陵は8基あるというが具体的にどの陵がどの王のものなのか確認されたものは少ないらしい。これも国史が編纂されなかったためなのではなかろうか

もう一つの疑問は陵塔の位置が内城の中心から左にずれている点である 左右対象の設定する空間を敢えて外したその意味は何であるのだろうか??




      中国 寧夏回族自治区 銀川 (2016年6月20日)