キャロルからの手紙(その2)2015/09/14 22:12

1962年11月7日付けの2通目手紙がキャロルから届いた
1通目の私の返事でキャロルの学校に関して私が質問したようだ
手紙の内容は学校名やキャンパスの構成が書かれ
学校会報やカリキュラムを同封して学校生活の一端を語ったものだった
会報はフィラデルフィア オーケストラのジュニア 生徒 コンサートの紹介だった
ヴィオラを弾くキャロルのことだからヴィオラのパートで参加したのに相違ない
プログラムはドボルザークやヴィバルディ、ベートーベンなどで
13歳なのによく演奏に参加できるなあなんて感心したものだった

キャロルから君はどんなフェスティバルの参加するのか?とか
ハローウィンには出かけるのかとの質問があった
私の返事はどのようであったのか記憶にないが
ブラスバンド部でドラムやチューバを演奏して演奏大会や野球の応援などを話したのではなかろうかと思う
ハローウィンについてはお釈迦様の誕生日にお寺に行って甘茶をもらいに行くのだなんて
返事しなかったであろう

現在キャロルが住んでいた住所や学校名に見えるシナミンソンという地の様子を
様子をグーグルで知ることができる とても便利だ
キャロルともメールやテレビで時を待たず連絡ができたであろう
まるで教室で語りあうクラスメイトであるかのように
1962年11月
あの当時のキャロルから届く手紙は何光年も離れた宇宙から届く電子メールだった

つづく


キャロルからの手紙(その1)2015/09/10 16:19

キャロルから初めて手紙が届いたのは1962年10月22日
僕が中学3年生の秋だった
中学雑誌の文通欄にあったキャロルへ文通を申し込んで返事が返って来たのだった
住所はニュージャージーのリバートン市チェスナッツヒル
当時はインターネットもなくまったく想像すらできない地球の裏側の地の果てから届いたような気持ちを抱いたのではないかと思われる
エアーメールの封筒に25セントのリンカーンの切手が貼ってあった

キャロルは13歳の女の子、半年で14歳だと言う
学校のオーケストラでビオラを担当しているとのこと
写真を同封したのであなたの写真が欲しいと書いてあった
写真のなかで彼女は大きなブルーのマイカーを背にもたれて写っていた
当時ぼくの家のマイカーは荷台の付いた自転車だった

ぼくがどんな返事を書いたかは記憶にない
ビオラに対抗して多分ギターが少し弾けるなどと返事を書き
坊主頭で学生服を着た写真を同封したのではないかと思う
つづく

入社式2012/09/19 05:09

高崎市にある音楽センターは今も健在である
群馬高崎音楽センター

この直線的な造り姿が気に入ったことは今でも変わらない
群馬高崎音楽センター

46年前ここで入社式が行われた
団塊の世代であって仲間が多かった
群馬高崎音楽センター
                  (階段の造りも特色のひとつ)
その後ここで音楽を鑑賞することもなく時が過ぎ去った
同期の消息も途絶え今では会うこともないが
ここに佇み仲間を思い浮かべながら皆のご多幸を願った

               群馬 高崎市    (2011年11月)

座禅草2012/06/09 03:28

草津町に座禅草公園がある
花の時期を過ぎた6月は訪れるひとも少ない
木道を辿って木立の園内を進むと
中央に集会場のような建物がある
中に入ると板壁に貼られた俳句が目にとまった
そのなかに偶然懐かしい名前を発見して驚いた
それは私が小学校5~6年生の時の担任の
××××子先生であった
先生は前橋の出身で都会の気風を田舎生徒の
私に吹き込んでくれた
その後数年が経ち結婚されてこちらに来られた
年賀状のやりとりも途絶えクラス会も開かれず
50年もの時が過ぎた・・・・

(先生の作品)
自然の美 枯野を飾る 座禅草

こちらで達者でおられているようすなので
ほのぼのと安堵した気持になった
先生の健康長寿幸福をお祈りしたい

          群馬県 草津町   (2012年6月6日)

クリスマス2011/12/24 16:26

テレビはなくラジオの時代で照明も電燈で今より暗かった。その朝目覚めると子供たちの枕元に駄菓子が入った紙袋が置いてあった。これが我が家のサンタからのプレゼントだった。今よりずっと粗末なクリスマスであったが家族の暖かな思い出として心に浮かんで来た。思い出となること、それはサンタからの大切なプレゼントの一つだったのだと思います。