つゆの花々(中之条ガーデンズ) ― 2020/07/06 16:33
なかのん新コロナ感染防止を訴える ― 2020/04/23 15:28
てくてく日光白根山五色沼が見えるところまで ― 2019/11/02 10:39
群馬県民の日日光白根山ロープウェイを使って日光白根山の頂上まではとても無理であろうということで目標を五色沼が見えるところまでと決めて登りました。
2019年10月28日 天候 快晴
8時25分 ロープウェイ山頂駅出発
始めはロックガーデンの道を進みます
木漏れ日の光線とおいしい空気に気分爽快
2019年10月28日 天候 快晴
8時25分 ロープウェイ山頂駅出発
始めはロックガーデンの道を進みます
木漏れ日の光線とおいしい空気に気分爽快
ニ荒山神社
不動岩
不動岩を過ぎロックガーデン④の分岐点から本格的な登坂出現
大日如来
坂を登り上げると大日如来の祠があり手を合わせる
9時10分 七色平分岐
弥陀ケ池コース方面と白根山方面との分岐点
七色平避難小屋
分岐点を左折し七色平方面に進むと避難小屋がある
9時25分 七色平北分岐
七色平の木道を進むと弥陀ケ池ルート登山口の分岐
白樺の幹の白柵が美しい
ここからが我々にとって本日最大の難所の急登
連れも私も体力を消耗 途中5分の休憩を入れる
コースタイム30分のところ55分も費やした
途中休憩(5分)
10時20分 鞍部
ようやく鞍部に登り上がった
座禅山や白根山頂への分岐点がある
ここから直進して弥陀ケ池へくだる
10時35分 弥陀ケ池
二度目の弥陀ケ池 初回は菅沼登山口から登り
悪天候のためシラネアオイを見てここで引き返した
10時55分 五色沼が見えた
弥陀ケ池から五色沼への道を登ると
ようやく視界に五色沼が見えた
未登頂の山塊を見上げる
連れはここまでで体力的に限界 我々二人にとって五色沼を
見えるところまで到達できただけで目標を達成 満足!!
休憩・昼食(25分)
11時20分 休憩場所折り返し出発
11時30分 弥陀ケ池
若い二人が元気な声をかけてくれました
元気な声で挨拶されると老身に活力が蘇ります ありがとう
彼らは菅沼登山口へくだります
彼らは菅沼登山口へくだります
11時40分 鞍部
12時20分 七色平北分岐
12時30分 七色平分岐
不動岩
立派な岩壁なので写真を載せます
13時10分 ロープウェイ山頂駅到着
天空の足湯は残念ながら今シーズンのサービスは終了していた
でもここからの絶景(浅間山、四阿山、草津白根山、武尊山、
苗場山、谷川岳、巻機山、尾瀬至仏山、四郎岳、尾瀬燧ケ岳)
を堪能しました
でもここからの絶景(浅間山、四阿山、草津白根山、武尊山、
苗場山、谷川岳、巻機山、尾瀬至仏山、四郎岳、尾瀬燧ケ岳)
を堪能しました
レコード
ロープウェイ山頂駅~弥陀ケ池~五色沼展望できる場所折り返し
往路 2時間30分
復路 1時間50分
休憩 25分
合 4時間45分
年齢 男72歳 女69歳
復路 1時間50分
休憩 25分
合 4時間45分
年齢 男72歳 女69歳
満足度 甲
天空の足湯に入れなかったので「道の駅尾瀬かたしな」の足湯につかりました
天空の足湯に入れなかったので「道の駅尾瀬かたしな」の足湯につかりました
もう無理はできない 山頂を極めることはもはや最適な目標ではない
群馬 利根郡 (2019年10月28日)
群馬県民の日「尾瀬燧ケ岳と丸沼」 ― 2019/10/31 11:09
NAKANOJYO BIENNALE 2019 ― 2019/09/25 14:14
NAKANOJO BIENNALE2019 (2019.8.24~9.23)
7回目を迎えた中之条ビエンナレ2019
たくさんのアーティストがここの暮らしの中に溶け込み時間をかけてここで生れた作品
今年も多くのひとを引きつけてやみませんでした
私が回った会場の作品の一部をここに紹介いたします
現在の青図ー中之条2019.(浅見 俊哉)
7回目を迎えた中之条ビエンナレ2019
たくさんのアーティストがここの暮らしの中に溶け込み時間をかけてここで生れた作品
今年も多くのひとを引きつけてやみませんでした
私が回った会場の作品の一部をここに紹介いたします
現在の青図ー中之条2019.(浅見 俊哉)
いったい新しい地図を予想できるのか(金子 未弥)
千の手、無量の振る舞いもれなくすくう、円相(TETTA(杉本聡子)
み~ん~なの足湯 (近藤 愛子)
風の龍:第二形態 (半谷 学)
六合の奏(かなで・)・風鈴プロジェクト
音色と共に甦る記憶(中村Mather美香)
After the dream.2019(白矢 幸司)
農の魂 Farming soul (ヒグマ 春夫)
泉水樹 IZUMIZUKI (三宅 光春)
存在の力 記憶 (西島 雄志)
親都神社 仮説の庭 (三梨 伸)
To Know (本郷 芳哉)
空蝉 Utsusemi (長澤 伸穂)
見えないけど、それはある (山口 諒)
会場 旧沢田小学校
近藤公園
つむじ
道の駅 霊山たけやま
六合エリア 赤岩地区
旧五反田学校
親都神社
旧ヒロザカリ酒造
二年後の開催を楽しみにしております
群馬県 吾妻 中之条 (2019年9月25日)
近藤公園
つむじ
道の駅 霊山たけやま
六合エリア 赤岩地区
旧五反田学校
親都神社
旧ヒロザカリ酒造
二年後の開催を楽しみにしております
群馬県 吾妻 中之条 (2019年9月25日)
てくてく中之条町蟻川岳853メートル ― 2019/07/12 16:39
毎日うっとうしい日がつづいているなか、今日は昼時に晴れるとの予報が出たので、急遽近場の蟻川岳に登ることにした。駐車場まで車で約20分ほど私共の他に登山者はいなかった。
10時18分 駐車場出発 登山開始
登山口
10時18分 駐車場出発 登山開始
登山口
最初は杉林のなかを登る
すぐに電気柵が山と里を分ける
電気柵の紐を解いて入口を開けて山に踏み入る
柵の中の景色はけものの世界に入り込んだように一変する
杉林は竹林に侵略されている
若竹を何物かが掘り起こした跡が不気味に残る
10時39分 一つ目の岩宮に到着
巨岩が前方を塞ぎ岩を背にして岩宮が鎮座する
右壁に天保三壬辰年と彫られている
1832年に祀られたものか
右壁に天保三壬辰年と彫られている
1832年に祀られたものか
急登の岩道を足を滑らせないようによじ登る
尾根道になる
11時11分 相棒尾根道の急登でギブアップ
小休止、むすびを食べて力を補充する
11時24分 二つ目の石宮に到着
山の神様に手を合わせ頂上を目指す
やせ尾根はなだらかになったが藪が深くなり朝露を浴び苦戦
左壁に嘉永三庚戊と刻まれている
1852年に蟻川の村民によって祀られたものだろう
やせ尾根はなだらかになったが藪が深くなり朝露を浴び苦戦
左壁に嘉永三庚戊と刻まれている
1852年に蟻川の村民によって祀られたものだろう
11時30分 頂上到着(標高832メートル)
真新しい立派な山頂標識が立つ
霧が晴れず山頂からの展望はまったく開けない
山頂標識の先に道が続いていた
霧と濡れた岩が私を先に進むことを断念させた
この決定が誤りであったことに後程気が付いた
11時35分 下山開始
二つ目の石宮を通過
12時10分 一つ目の石宮まで下る
霧の中松の木の下に記念碑を発見
12時10分 一つ目の石宮まで下る
霧の中松の木の下に記念碑を発見
蟻川岳の植林事業を記した記念碑
碑文は群馬県立中之条農業学校に大正7年から17年間勤めた恩師石井廣虎氏の薫陶と植林(15町総計七〇七六五本)事業を称えたもので昭和11年6月に群馬県立中之条農業学校大18回以降卒業生有志より建立されたことが刻まれている
12時29分 電気柵通過して里へ戻る
V字形のところが出入口
上の部分の紐を解いてV字を開いて出入する
出入したら紐を結んでV字を閉じる
12時34分 駐車場到着
ごくろうさん
今回悔いののこる登山となってしまった。それは急遽登山を決めたことで下調べが甘かったため、山頂標識の先にあっただろう三角点と三つ目の石宮を見落としてしまったことだ。
中之条町の旧蟻川村は明治18年綿貫哲雄を輩出した。明治36年群馬師範学校に入学、明治40年東京高等師範学校に入学した。大河ドラマ「いだてん」の金栗四三と同じ徒歩部に所属、4年生のとき徒歩遠距離競争で優勝、その時金栗四三は3位だったそうです。その後東京帝国大学哲学科を卒業、嘉納治五郎長女範子と結婚、東京大学、中央大学、東京高等師範学校などの教授を長年務めた。
「花依清香愛人以真実不孤」
「花依清香愛人以真実不孤」
現在「中之条町歴史と民族の博物館Musee(ミュゼ)」で綿貫哲雄の企画展(令和元年7月12日~9月1日)を行っております。
ふるさとの山奥にこんな賢人を輩出したなんて気づくことがありませんでした。「幸福は僅かなものに満足し、人を愛し人より愛されることにある」との遺訓は小人の小生にはぴったり当てはまる言葉です。
群馬県 吾妻郡 (2019年7月10日)
ふるさと初夏②ケロチャンアジサイの森に隠れる ― 2019/06/29 08:56
2019ふるさと初夏①ケロチャン無事参上 ― 2019/06/23 11:40
保渡田八幡塚古墳(ほどたはちまんつかこふん) ― 2018/11/09 16:52
上野三碑(こうずけさんぴ) ― 2018/11/06 08:55
年老いて足元を見て歩くことが多くなった
そして足元(自分の居所)のことが等閑になってしまっていると気付かされた
645年 大化の改新
663年 白村江の戦い
672年 壬申の乱
681年 山上碑(やまがみのひ)が建てられる(辛己歳十月三日)
僧になった息子が母を思い建てた石碑
僧:放光寺僧 長利僧(ながとしのほうし)
母:健守命の孫の黒売刀自(くろめとじ)
そして足元(自分の居所)のことが等閑になってしまっていると気付かされた
645年 大化の改新
663年 白村江の戦い
672年 壬申の乱
681年 山上碑(やまがみのひ)が建てられる(辛己歳十月三日)
僧になった息子が母を思い建てた石碑
僧:放光寺僧 長利僧(ながとしのほうし)
母:健守命の孫の黒売刀自(くろめとじ)
701年 大宝律令ができる
710年 都を平城京に移す
720年頃 多胡碑(たごひ)が建てられる
多胡郡が成立した事情を伝える石碑
羊が多胡郡を治めさせる
弁官:佐中弁正五位下多治比真人
太政官:二品穂積親王
左大臣:正二位石上尊
右大臣:正二位藤原尊
726年 金井沢碑が建てられる(神亀三年丙寅二月二九日)
仏教の教えにより結びついた一族の繁栄を願って建てた石碑
一族:三家子☐(みやけのこ☐、他田君目頬刀自(おさだのめづらとじ)
(物部君)、(三家)加那刀自(かなとじ)
物部君午足(うまたり)、(同君)馬爪刀自(ひづめとじ)
(同君)乙馬爪刀自(おとひづめとじ)
三家毛人(みやけのえにし)、(同君)知万呂(ちまろ)
磯部君身麻呂(いそべのきみみまろ)
仏教の教えにより結びついた一族の繁栄を願って建てた石碑
一族:三家子☐(みやけのこ☐、他田君目頬刀自(おさだのめづらとじ)
(物部君)、(三家)加那刀自(かなとじ)
物部君午足(うまたり)、(同君)馬爪刀自(ひづめとじ)
(同君)乙馬爪刀自(おとひづめとじ)
三家毛人(みやけのえにし)、(同君)知万呂(ちまろ)
磯部君身麻呂(いそべのきみみまろ)
752年 東大寺大仏開眼
794年 平安遷都
群馬県 高崎市山名町、吉井町 (2018年10月27日)
県民の日前日に現地へ行きました
いずれも無料駐車場、トイレがあります
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