新疆ウイグル ウイグルのこころ2012/03/11 17:20

カシュガルの踊り子

ホテルで民族舞踊を見た。
民族音楽に合せて軽快に踊る二組の男女
男性の白い衣裳はアラーへの永遠の誓い、
女性の黒と赤の衣裳は
マグマのようなウイグルの血のたぎりを思わせる。

 

新疆ウイグル カシュガル

 

日常漢族は新疆ウイグル自治区のことをウイグルを省略して
新疆とか新という表現を使うらしい。
昨年訪れたカシュガルの街も経済発展が進んでいる。
街並みが変わるように
ここに住むウイグル族のこころも
やがて漢化してしまうのだろうか。



(月のように美しい娘)
バラの花を見ない鳥は春の美しさを知らない
月のように美しい娘よ あなたの腰は柳のように細い
あなたの紅をつけた笑顔はリンゴのよう
月のように美しき娘よ あなたは恋人を待っている
その心は炎のように燃えている
バラの花を見ない鳥は春の美しさを知らない
あなたは夜空に輝く月のよう
胸に光る宝石は雲間に輝く星のよう


                  中国 新疆ウイグル (2011年10月)


203高地2011/12/11 20:31

203高地より旅順港を望む
000年1月203高地より旅順港を望む。テレビ「坂の上の雲」に触発されて

アジャンタ第26窟(その1)2011/12/03 23:17

アジャンタ第26窟の涅槃像
涅槃
2011年11月22日ようやくインドの涅槃像まで辿り着いた。

胡楊の葉っぱ2011/11/02 15:21

胡楊の葉っぱ
胡楊は砂漠のようなところでも育つ頑丈で樹齢の長い木である。この木の葉っぱは同じ木であっても形状が違うというのだ。先週新疆のタクラマカン砂漠の縦断に出かけたので果してどうなのかと調べてみたところ写真のように確かに形状の異なる四種類の葉っぱがついていました。不思議だね!!

八間山登山2011/10/17 00:39

八間山展望 元白根、白根山、横手山
標高1513メートルの長野県との県境に野反湖がある。四季折々の高山植物が咲くこの湖は過っては野反池と呼ばれる池であった。野反湖の東側の峰標高1934.5メートルの八間山は初級者向けの登山コースである。富士見峠から頂上まで昨日から朝まで降り続いた雨でぬかるんだ登山道を2時間かけて登った。峰を吹き抜ける清々しい風、トルコ石のような色の眼下の湖面、四方八方に重なり連なる峰々、すべてのものが気分を爽快にする。写真は左から元白根、白根山、横手山である。

飯豊温泉-飯豊連峰の残雪模様2011/10/12 23:21

飯豊温泉-飯豊連峰の残雪模様
飯豊(いいで)の名前の由来は湯出(ゆいで)が訛ったとも、山容が豊かに飯を盛った形に似ているからとも言われている。私個人としては山容の後者を採りたい。2006年6月、飯豊温泉を訪れた。渓流の音を聞きながら主峰飯豊山を見上げていると、女房が山肌に畑作業をしているドブ(私)がいると語った。なるほどその気になって残雪と山肌が織り成す模様を見るといろいろと想像をかきたてるからおもしろい。色眼鏡の狼、ラドン、口髭のうさぎ、横になった羊、ハトの群れ、羽ばたく大鷲など思うまま模様に名前をつけて遊んだ。

ウィーンの中央墓地2011/10/05 15:15

ウィーンの中央墓地
音楽家の墓参のためトラムに乗って中央墓地まで行った。中央墓地は2つの駅があることを知らなかったので音楽家の墓地まで遠い一番目の駅で下車してしまった。空には春の嵐が今にも来そうな黒い雲が広がっていた。一人寂しい門をくぐった。目の前に並木道がずっと続いていた。そこは正に第三の男のマーチィンスとアンナが別れ去る最後のシーンの並木道だった。音楽家の墓まではまだ遠い。にわかに風が並木を揺らし頭上から雨粒が落ちてきた。音楽家の墓地はまだ遠い。私はゴーと呻くような並木道を急いだ。私の脳裏から第三の男のメロディーが消えた。そしてモーツアルトでもベートーベンでもないチャイコフスキーが脳裏に去来した。

ウィーンの一枚のポスター2011/09/22 10:14

ウィーン ハリー
ウィーンでまず思い当たったことは映画「第三の男」だ。たまたま入った公衆トイレに張ってあった一枚のハリーのポスターを見ておもわずシャッターを切った。その時からずっと第三の男のメロディーが耳から離れなかった。

ブダペストのカフェ2011/09/21 22:20

ブダペストのカフェ
気に入ったツアーを探してひとり参加するそれが私の旅だ。

玉原湿原のバッタ2011/09/21 21:48

玉原湿原のバッタ
もう一度玉原高原に戻ります。前回足元からバッタが飛び愉快と書きました。この項の主は写真のサイズの大きなものと小指の先ほどの小さなものがいました。大きいのも小さいのもバッタという表現でよかったのかどうか。不安に思います。いずれにしてもにぎやかで愉快でありました。