新疆ウイグル(7) クマーラジ-パ ― 2012/04/03 23:36
クマーラジーパ
クチャの郊外にあるキジル石窟の門前に建てられた一体のブロンズ像
は仏典翻訳した偉業で名高いクマーラジーパ(鳩摩羅什)であることはシルクロードに興味のある方ならば誰でも知っているはずである。
クマーラジーパはインド人僧と亀慈国王の妹を母に生まれ、カシミールやカシュガルでインド仏教を学び、亀慈に帰り大乗仏教を宣揚し名を高めた。
西暦401年、後秦の姚興により長安に迎えられ、般若、法華、維摩など35部294巻の訳業を残した。
中国で名所の前に立つ像を数多く見たが、このクマーラジーパの像より気に入ったものは心当たりがない。この像からはオアシスにようやく辿り着いた旅行者が飢えたこころを甦らせるものが漂ってくるような気持がした。
中国 新疆ウイグル(2011年10月)
新疆ウイグル(8) アイ(阿艾)石窟 ― 2012/04/11 06:05
クチャ県城から東北60キロクチャ川流域に紅色をした巨大な峡谷がある。観光ガイドでは天山神秘大渓谷と紹介されているが、地元ではキジリア(紅山)大峡谷と呼んだようである。
この紅谷の奥に空中に浮かぶ巨大な御殿を思わせる天山瓊閣(天山のまばゆい御殿)と呼ばれる見事な断崖がある。
その中腹に小屋が建てられているのが見えた。これは偶然に出会った高さ30メートルの断崖に穿たれたアイ(阿艾)石窟である。
石窟を見学しようとしても石窟に登る階段も案内小屋も閉ざされ石窟に入るすべもなかった。
聞くところによると、アイ石窟は1999年発見された7~8世紀の仏教窟である。漢文の題記があることから漢人が寄進したしたものと考えられている。
石窟は長さ4.6メートル、幅3.4メートルで天井はドーム状で中央に方形の基壇が設けられているようだ。
後壁には一幅の観無量寿経変が一面に描かれ、左壁には大きな坐仏、薬師瑠璃光仏、文殊菩薩、盧舎那仏、薬師瑠璃光仏などが並びその上に千仏などが描かれているそうである。
断崖の下に設けられた仏壇の中央の仏像は前述した坐像、後ろの壁画の写真は左が盧舎那仏、右が薬師瑠璃光仏と思われる。
昔この紅山峡谷はクチャのお大臣さまが財宝を隠したところであったと聞いた。そんなことで極楽往生を願う漢人のお金持ちがこの渓谷に目を着けて石窟寺を寄進するとともに財宝を隠して置かれたのではないかとは私のまったくの想像である。
中国 新疆ウイグル(2011年10月)
新疆ウイグル(9)カラクリ湖 ― 2012/04/14 17:05
新疆ウイグル(10)新疆の毛沢東 ― 2012/04/15 16:57
新疆ウイグル(11)ラグメン ― 2012/04/21 23:44
新疆ウイグル(12) 陵墓 ― 2012/04/24 17:10
香妃の墓=アクバル・ホジャ・マザール)
カシュガルにバラの花の庭園と緑のタイルが映えるいかにも王が愛する妃のために建てたと思わせる「香妃の墓」と呼ばれる陵墓がある。
正規の名はアクバル・ホジャ・マザールで16世紀イスラム白帽派の指導者の一族5代72人が眠る墓所であるが、1874年に大改修が行われ現在の華麗な姿になったという。香妃はこの地から清の乾隆帝に嫁いだ。家を出た者が死後実家の墓に葬られることがないのが道理であると思われるが、墓所を華麗な姿に改造し一族の墓に埋葬した清の皇帝の思惑は如何であったものだろうか。と考えた。
(モスクに置かれた棺)
モスクの隅に棺が無造作に転がっていた。死体は清められ白い布で3回くるみ白い袋に入れこの棺に安置されモスクに運ばれ葬儀が行われる。但しモスクで葬儀をするのは男性だけで女性はモスクに運ばれることはない。(女性は自宅で行われると聞く)
(陵墓に隣接する墓群)
墓は土葬で北枕にして埋葬されるようだ。墓は単人墓と家族墓があるが、偉人を祀る陵墓の周囲に墓群が開かれることが多いようである。
陵墓のドームの下で香妃の棺は右の奥に置かれていた。妃はいつも砂棗の匂いを漂わせていたそうである。
中国 新疆ウイグル (2011年10月)
新疆ウイグル(13) エイティガール寺院の身清め池 ― 2012/04/26 11:39
カシュガルに新疆ウイグル地区の中心的な存在であるイスラム寺院「エイティガール寺院」がある。大門をくぐり正面にそびえる礼拝所へ歩いて行くと右手に大小二つの泉がある。中国語で身清め池と案内があり身を清める池であることが分かる。
(落ち葉が浮かぶ身清め池)
秋の静かな昼さがり実際に池の水で身を清めている信者の姿は見えなかった。近くに公衆トイレがあり、中に入るとタイルの壁に水道の蛇口が一列に並び蛇口に合わせ箱の椅子が並べられていた。信者はここで箱の椅子に腰かけて水道の水で身を清めるようである。
仏教の寺院では蓮池、宝池、阿弥陀池などと呼ばれる池が、神社では神池と呼ぶ池が拝殿の前に設けられている。宗教により池の役割は異なるが泉が重要な施設であることは共通している。
中国 新疆ウイグル (2011年10月)
新疆ウイグル(14) クズルガハ石窟 ― 2012/04/27 09:25
クズルガハ石窟はクチャ市街から北西4キロと亀茲石窟の中で一番近い所にある遺跡である。54窟が発見されており規模は大きいとは言えない。開削時期は紀元6~8世紀で窟に描かれた供養者像や亀茲文題記などからここは亀茲国王室の寺院であったと考えられている。
○第11窟は中心柱窟で主室窟頂に太陽神、ガルダ、風神などが描かれた天象図が残る。車に乗った太陽神はギリシャの影響を示すと言われる。菱形の中に描かれた本生図も残っている。
○第14窟は中心柱窟入口の上の弥勒交脚菩薩像、後室の壁に描かれた仏陀火葬図が見える。
○第16窟は大像窟で高さ6メートルあり天井は台形である。大仏のあった壁に光背の影跡が見える。
○第30窟は中心柱窟で後室頂部に8体の飛天が描かれたている。それぞれ楽器を奏で舞っている。飛天は天女でなく筋肉質の男性像であるようだ。後室に涅槃台のみ残る。
○第32窟は方形窟で天井は三角隅持ち送り式(ラテルネンデッケ)天井である。月にウサギが描かれている絵があるが珍しい。
○第27窟、28窟は僧坊窟で30人の僧を収容できたという。ベッド、窓、釜戸跡、蔵書棚などが見える。
この石窟で興味を引いたのは天象図と壁面に広がった菱形の枠の中に描かれた本生図である。また後室に描かれた火葬図(炎だけであったが)を見たのはここが初めてであった。なお色で言えば緑である。
中国 新疆ウイグル (2011年10月)
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