昭和村阿岨城跡 ― 2020/06/21 15:27
群馬県昭和村に阿岨城、森下城、長井坂城など戦国の城址が残っています。
阿岨城の概要は昭和村教育委員会による案内文により紹介します。
阿岨城の概要は昭和村教育委員会による案内文により紹介します。
昭和村指定史跡
阿岨城跡 指定 昭和五十四年三月二十二日
信越地方と関東を結ぶ要衝の地である上野(群馬県)は、戦国時代には北からの上杉氏、南からの北条氏、西からの武田氏と三つ巴の争覇の地であった。利根沼田は、上杉方の越後と関東を結ぶ拠点的通路であった。
阿岨城は、沼田城を守護する沼田城団の一つとして、天正年間に築城された中世の城郭である。
天正元年(1573)、沼田万亀斎は幕岩城から蔵内(沼田)城へ移ったが、万亀斎の愛妾・ゆのみの兄の金子美濃守にこの城が与えられた。天正十年(1582)、北条氏邦が長井坂城、阿岨(曾)城、鎌田(森下)城を次々に攻略した。加沢記によると、阿岨城では北条の兵三千騎の夜討ちに遭い、金子美濃守は騎馬もろとも谷を滑り落ち、蔵内城へ逃れたという。
阿岨城跡は、沼田城下を一望できる橡久保原の崖端に位置し、現在、二重の掘跡を残すのみである。しかし、加沢記の記述等から推測すれば、当時の城郭はもっと大規模であったと想像できる。
平成十二年三月二十九日
昭和村教育委員会
眼下は急峻な断崖
ここから片品川の対岸の沼田城下が一望できたと思われる
ここから片品川の対岸の沼田城下が一望できたと思われる
石垣もなく掘跡だけが残る
6月19日は大雨で現地を見るのが大変でした
この城から沼田の町がどのように見えるのかを楽しみにしていましたがこの雨では残念ながら見られませんでした。
金子美濃守が加沢記であのように悪く書かれているのか個人的な興味があります。
群馬県 利根郡 昭和村 (2020年6月19日)
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