マニラ ホセ・リサールの記念碑(平成31年3月7日) ― 2019/04/03 11:20
マニラ マニラ大聖堂(平成31年3月7日) ― 2019/04/05 16:41
マニラ サン・オーガスチン教会(平成31年3月7日) ― 2019/04/06 08:24
サン・オーガスチン教会
スペインがフィリピンにもたらしたもののひとつにキリスト教がある
フィリピンのカトリックの信者は人口の83%を占めると言われている
スペインがフィリピンにもたらしたもののひとつにキリスト教がある
フィリピンのカトリックの信者は人口の83%を占めると言われている
フィリピンはマレー系、中国系、スペイン系、少数民族など多民族国家
キリスト教の教会の門に玉を抱えた獅子が置かれているのを見たのは初めてであるが、それはここでは不思議ではないのである
夕方正門が開かれ6時前にはマニラの人々が集まった
私も夕食まで時間があったので教会に入り後ろの席に座って繰り広げられるミサの式典を見物した
ヨーロッパで経験した教会の雰囲気よりずっと自分に近い親しみを感じた
ミサの最後に二人の巫女?が席を廻り竿の先に紐でつるした袋を僕の頭上に垂らしたのでい躊躇することなく賽銭のつもりで小銭を袋に入れた。フィリピンでは宗教税はどれくらいかとガイドに尋ねたら税はない全て寄付だと回答であった
日本のこんなに近い国でカトリック大国があるとは認識を新たにした
フィリピン マニラ (2019年3月7日)
フィリピンの印象(一)(平成31年3月) ― 2019/04/14 16:33
車は
日本車が多くボディーは洗車が行き届いてとてもきれいだった
軽自動車のような小型車は走っていないのだ
日本車が多くボディーは洗車が行き届いてとてもきれいだった
軽自動車のような小型車は走っていないのだ
就労のため国外へ渡航するフィリピン人労働者は年間184万人で主な渡航先としてはサウジアラビア、アラブ首長国連邦、シンガポール、カタール、クェートであるいう。因みに海外からの送金は256億ドル GDPの8.6%を占めるという。民間人の自家用車の普及はこの海外での働きが大きく寄与していると考えても的はずれではないと思う。
日本車が多いのは「安物買いの銭失い」の精神があるからとうれしい現地ガイドの説明である。
しかし、マニラの道路は時間帯によっては車が氾濫して交通マヒがおこる
渋滞の中からより早く車を進めるにはドライバーの独特な運転技術が求められるようだ

とても私の運転技(ワザ)ではたちうち出来そうもない
公共交通として目を引いたものは「ジプニー」といういかついバスと

「トライシクル」という風通しのよいサイド客車付きのオートバイである。

気候に合った快適な乗り物は庶民の足として十分に活躍しているのが頼もしい。
都市交通システムはまだまだ課題が大であると思われるが、高度な交通システムを見せられるよりはフィリピンでしかないフィリピンならではの交通が見えた方がより旅の楽しみが味わえる。
フィリピン マニラ (2019年3月)
マニラ サンチャゴ要塞(平成31年3月7日) ― 2019/04/18 13:55
Fort SANTIAGO
1571年スペインによって造られた最初の要塞は丸太や土で囲んだ城塞であったという
1571年スペインによって造られた最初の要塞は丸太や土で囲んだ城塞であったという
One of the oldest fortifications in Manila,Built in 1571,on the site of native ettlement of Raja Aoliman.First fort was a palisaded structure of logs and earth.Destoroyed in the Limahong attack in 1574.Stone fort built between 1589 and 1592.Damaged in the 1645 earthquake.Repaired and strengthened from 1658 to 1663.Became the headquarters of the British occupation army from 1762 to 1764.Repaired and renovated in 1778.

日本軍政時代ここには憲兵隊本部が置かれていた。
Formaer headquaters of the Philippine Division of the U.S.Army,Occupied by the Japanese military in 1942 where hundreds of civilans and guerillas were imprisoned,tortured and executed. Destroyed in the Battle of Manila in 1945.
THE DUNGEONS(地下牢)
最初は地下の弾薬庫として利用したが、湿気が多い気候で近くにパッシグ川が流れているため新しく別に弾薬庫を築いた。その後は刑務所の独房として使われた。
Pasig River
Used as depot of the U.S. Transportation Corps before turnover to the Philippine Covernment in 1946. Declared Shrine of Freedom in 1950.Restoration and maintenance of the fort began in 1951 under the National Park Development Commitleenegement was turned over to the Intramuros Administration in 1992.
フィリピン マニラ (2019年3月7日)
知床連山(羅臼岳~硫黄岳)(平成31年4月21日) ― 2019/04/24 12:19
ウトロの日没(平成31年4月20日) ― 2019/04/24 17:04
羅臼町望郷台から見た国後島(平成31年4月20日) ― 2019/04/26 16:38
羅臼町の高台に望郷台がある
ロシアに奪われた国後島へ帰るとの望郷の念がうねっている
ロシアに奪われた国後島へ帰るとの望郷の念がうねっている
羅臼から引かれたラインに沿って右から
トマリ山
シマノボリ岳(望郷台で記す名称)
他の地図で見ると羅臼山とあるが?
左の高い方がシマノボリ岳、低いのがラウス山と記す記事もあるが?
右は爺々岳、左はルルイ岳であるか?
方向的にはそのようであるが山容からは霞んでいて確かめられない
以前訪れた納沙布岬や野付半島などからは霧が立ち込め直接北方領土を見ることは出来なかった。こんなに近くに対面に広がって見える豊かな国後を見て決して希望を捨ててはならないという思いを心に焼きつけた。
昨年4月に野付半島や納沙布岬に行ったけれど霧で見えなかった
野付半島ネイチャーセンターからみえたはずの国後島
納沙布岬から見えたはずの北方領土
日本 北海道 羅臼町 (2019年4月20日)
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