ウトロ ゴジラ岩(平成31年4月21日)2019/05/02 20:45

ウトロ港には亀岩、ゴジラ岩、オロンコ岩、三角岩という四つの奇岩があります

これはそのひとつゴジラ岩です
ウトロ ゴジラ岩

駱駝のようにもみえました
身近にこんな岩があるとたのしいですね!!

        北海道 知床 ウトロ  (2019年4月21日)
            

エゾエンゴサクとオロンコ岩(平成31年4月22日)2019/05/03 09:30

ウトロの夕陽台に登りました
日没まではまだまだ時間がありオホーツクの海と眼下のウトロ港を眺めるだけとなりました
港を見下ろすと特徴的な岩が目にとまりました
         亀岩
            ゴジラ岩  オロンコ岩   三角岩
ウトロ港

 
特に目を引いたのが真ん中のオロンコ岩です 
良く見ると岩の上はポールが立ち周りを歩道が廻っているようだ
登れそうな岩だと感じたのでガイドに「登りたいが」と尋ねたら・・・
ウトロ港 オロンコ岩

「階段は段差があり登るのはきついので危険です」と私の希望を突き放すように答えた。古希の御爺さんでは登って怪我でもしたら大変との気遣いがあったのかもしれません。しかし、翌朝時間があったら登って見ようとの思いが灯りました。

翌朝4時過ぎに目を覚ましたらすでに外は明るくなっていました。本日の出発は9時30分、朝ぶろに入っても十分時間港を散歩する時間が取れるので身支度を整えて宿を出ました。玄関では番頭さんが作業していたいたのでオロンコ岩への道筋と岩登りの難易度を尋ねたところ難易度は「たいへんでした。」との彼の体験から受けた感想を話してくれました。予め階段の状況を調べたわけではないので「とにもかくも登れるところまで」登ってみようと番頭さんが教えてくれた近道を辿って人影のない港をオロンコ岩に向けて歩きました。カモメはすでに目を覚まして清々しく空に舞っていました。
オロンコ岩の麓には専用の駐車場があり観光地として整備してあり安全であると感じました。階段はコンクリートで固められ鉄柵も身体を支えても丈夫でありました。
オロンコ岩 登り口

コンクリートの階段は173段ありましたが、段差はあまり気になりませんでした。急な所は鉄柵を手で掴んで登れば古希の私でも問題ありませんでした。スリランカのシギリアロックよりはたやすく登れました。
コンクリートの階段を登り切ると木道を進むと頂上です。
ポールの右下には三角点がありました。
ウトロ オロンコ岩 頂上

真正面に朝日が昇った羅臼岳が
オロンコ岩 頂上

眼下右手にウトロの街並み
オロンコ岩から眼下のウトロの街

正面左は白と赤の灯台が立つウトロ港の出入口です
ちょうど漁船が出て行きます(漁船はボートを曳いていました)
ウトロを出航する漁船

もひとつ左に目を向けると三角岩が見えます
三角岩の広場には森繁久弥の知床旅情の歌碑と松浦武四郎の顕彰碑があります
ウトロ 三角岩

四方の景色を眺めたり海面を飛び交うカモメやウミウを見つめたりしばらく時間を過ごしてふと足元をみると青紫の花が目に止まりました
オロンコ岩のエゾエンゴサク

背丈は短く花房の色も水色だったり赤紫だったり可憐な印象を受けました

木道近辺では他より暖かさがあるのかのびのびと咲いていました
オロンコ岩 エゾエンゴサク

そのとき花の名前はわかりませんでした
オロンコ岩に咲く花

可憐な花という印象を胸におさめ下山を開始しました

まずは木道の階段を下ります
左手の岩が亀岩です
うとろ オロンコ岩 

急な下り階段は鉄柵に手で掴みながら下り無事に下岩できました。宿に戻り朝風呂に入り冷えた身体を温めました。(オロンコ岩に登ったことはツアーの添乗員さんやバスのガイドさんには内緒にしておきました。)

家の戻りWEBで彼の花を調べてみると、どうも「エゾエンゴサク」という花のようです。
スプリング・エフェメラル:春のはかないもの、春の妖精  とか
花ことば:妖精たちの秘密の舞踏会 との
解説に行き着きました

正にあの朝私はオロンコ岩の舞台に登り春の妖精の舞踏会にめぐりあえて幸福感にしたることができたのでありました(ちょっとした発見でも発見がある旅は心を潤して気持ちを若返らせてくれる)

         北海道 知床 ウトロ  (2019年4月22日)

ハシブトガラと三角岩(平成31年4月22日)2019/05/04 09:13

オロンコ岩から見下ろした三角岩は三角錐の頑強な岩塊に見えるが
ウトロ 三角岩

近づいて見ると岩を積み上げた崩れやすい岩塊である
このため安全のためすっぽりと金網のベールが被されている
ウトロ 三角岩
防波堤の先端まで散歩してから三角岩の麓を歩いて戻って来ると、頭上で鳥が鳴き始め私を追いかけるように鳴き続けた
その鳴き声は私が近づいたため警報を発しているものだろうと感じた
鳴き声の主を探すとそれは金網をつたい私の様子を見ている小鳥であった
シジュウカラかなと思ったがそれよりはやや身体が大きく頭は黒いが全体は白い
シジューカラではないな では、はて何ものか??
ウトロ三角岩のハシブトガラ

なぜ小鳥は金網の外をつたい私の行動を警戒していたのか? と直感的に想像回路がONになった
想像をめぐらすと警戒して鳴くということは近くに子育てをしている巣があるということではないか? 巣は確認できないが多分金網の中の岩陰にあるのだろう
賢くも小鳥はカモメ、カラス、トビなどから雛を守るため金網のベールを利用しいるのだと想像回路を閉じ私はカモメが飛び交うウトロの波止場をすたすたを歩いていった

家に帰ってからWEBで小鳥の姿を探したらどうもあの小鳥はハシブトガラであるらしいことが分かった

          北海道 知床 ウトロ (2019年4月22日)


カシワと知床五湖(平成31年4月21日)2019/05/06 17:04

高架木道の端に枯れてくしゃくしゃになった葉を纏った木が立っていた
それは一本のカシワであった
カシワはもっと暖かい地方の木であると思っていた
だから知床の厳しい冬を越すのは大変なことだったろうと思った
知床五湖(平成31年4月21日)
                          (知床一湖)
ネーチャーガイドはパイオニアツリー(先駆樹種)とそのカシワを称えた
春に新葉がそろうまで古葉は枯れてくしゃくしゃになって冬の強風にも飛ばされることなく枝にしがみつき幹を寒さから守り新芽が育つのを助けるなんてすごいヤツだと私もこのカシワを称えた

しかし後でカシワは意外と寒さに強いことが分かってきた
北海道にも開拓期にはカシワの大木が数多くあったようである
また枯葉が落葉しないことで風よけ効果が認められ防風林に使われているようである

過ってここ知床一湖にも入植者が入った時期があり一湖に鯉、鮒などが放たれたそうである
周辺の樹木は開拓者により伐採されこの時カシワの大木も伐採されたかも知れない
高架木道の端で立っていたカシワは伐採を免れた生き残りであるのか
あるいは、防風林として植えられたカシワの生き残りであるのか
チチマザサやクマザサで覆われた高架木道を乗せた残雪の平原は何も語ろうとしない
いずれにしても葉が枯れても落葉しないカシワの生態が自他ともに厳しい知床の冬を乗り切るための知恵として十分に生かされていると言うことはできるだろう


          北海道 知床 知床五湖(2019年4月21日)

道東のフキノトウ2019/05/08 15:42

昨年と今年同じ4月に道東へ旅して共通なおどろきに
フキノトウ(蕗の薹)の群生風景がある

私の土地ではフキノトウが芽を出せばさっそく摘んで春の味覚として食するのであるが道東では地元の人が採って食べている様子はなくあたりめったら出まくっている風景はとても珍しく思える

         ウトロ港のフキノトウ
ウトロのフキノトウ
         
  


         オシンコシンの滝のフキノトウ
オシンコシンの滝のフキノトウ


去年の4月は阿寒湖畔、東根室駅周辺で
今年の4月はウトロ港、オシンコシンの滝、夕陽台のほか車窓からはいたるところで

苦い味なので鹿や野ウサギが食べないので残るのかな?
鹿が苦いワラビを食べないからワラビが群生しているところができるとかのネイチャーガイドの説明であるがフキノトウもこれしきなのであろうか?

道東の大地にフキノトウがやたらめったら出ている風景を見ると大地に再生する生命の神々しさを感じる

去年も今年も少し家に持ち帰って天ぷらにして食べました おいしかったァ・・


         北海道 知床 ウトロ   (2019年4月)


良寛禅師の像(平成31年4月)2019/05/09 15:46

生誕の地出雲崎  道の駅越後出雲崎天領の里内
良寛禅師の像(生誕の地出雲崎)
                            生涯慵立身
生誕の地出雲崎  良寛堂
良寛禅師の像(生誕の地良寛堂)
                            騰々任天真
良寛禅師の像(生誕の地)
                            嚢中三升米
良寛禅師の像(生誕の地良寛堂)
                            爐邉一束薪

燕市国上 国上寺境内
         良寛禅師像
良寛禅師の像(国上寺境内)
                            誰問迷悟跡

燕市国上 五合庵内
良寛禅師像(五合庵)


燕市国上 乙子神社草庵内
良寛禅師の像(乙子神社内)
                            何知名利塵
燕市国上 朝日山公園内
         良寛さんと毬
良寛禅師と毬(国上 朝日山公園)
                            夜雨草庵裏
燕市国上 道の駅国上
良寛禅師の像(道の駅国上)
                            雙脚等間伸
          新潟県 出雲崎町 燕市   (2019年4月)

良寛禅師草庵(平成31年4月)2019/05/10 20:04

五合庵
良寛禅師草庵(五合庵)

      索々五合庵    索々たり五合庵
      室如懸磬然    室は懸磬のごとく然り。
      戸外杉千株    戸外には 杉 千株
      壁上偶数篇    壁上には 偈 数篇
      釜中時有塵    釜中 ときに塵あり
      甑裡更無烟    甑裡 さらに烟なし
      唯有東村叟    ただ 東村叟ありて
      頻叩月下門    しきりに叩く月下の門。

乙子草庵
良寛禅師草案(乙子神社草庵)

      寄曲盲人       曲りの盲人に寄す
     国上下兮乙子森    国上の下 乙子の森
     中有草庵寄残年    中に草庵ありて 残年を寄す。
     朱門黄閣懶久住    朱門黄閣 久しく住むに懶く
     清風明月似有縁    清風明月 縁あるに似たり。
     偶逢児童打毬子    たまたま児童に逢うて 毬子を打ち
     更乗逸興頻成篇    さらに逸興に乗じ しきりに篇を成す。
     他日秀才相問取    他日 秀才 問取せん
     安住旧時痴兀禅    いづくにかある 旧時の痴兀禅と。

良寛禅師草庵(乙子神社ない)

     生涯懶立身     生涯 身を立つるに懶く
     騰々任天真     騰々 天真に任す。
     嚢中三升米     嚢中に 三升の米
     爐邉一束薪     爐邉に 一束の薪。
     誰問迷悟跡     たれか問わん 迷悟の跡
     何知名利塵     なんぞ知らん 名利の塵。
     夜雨草庵裡     夜雨 草庵のうち
     雙脚等閒伸     雙脚 等閒に伸ぶ。
      沙門 良寛書

     安散都久比 無閑比能遠可耳     朝づく日 向かひの岡に
     左遠志可堂里 閑美奈川幾      小牡鹿立(て)り 神無月
     之久礼能安女爾 奴礼都ゝ堂天里   時雨の雨に 濡れつつ立てり

良寛禅師浮御堂
良寛禅師浮御堂

         堂内石地蔵尊
良寛禅師(良寛堂)

   以耳之部尓加王羅    いにしへにかわら
   奴毛乃波安利楚美    ぬものはありそみ
   東武閑意尓美遊流    とむかひにみゆる
   散東之志万難利     さとのしまなり

私のこころにとまった良寛禅師の詩
(人間ともあろうものが、なんでお互いに相手を殺しあっているのだ。)
   鳶巣喬木顛       鳶は 喬木の顛に巣くい
   黄雀聚其株       黄雀は その株に聚まる。
   鳶使雀啄鷇       鳶は 雀をして鷇を啄ましめ
   雀憑鳶護烏       雀は 鳶に憑って烏より護る。
   此物猶尚爾       この物 なおなお しかり
   両箇互遞扶       両箇 互遞に扶く。
   如何其為人       いかんぞ それ人となりて
   彼此作相誅       彼此 相誅することを作す。


               うらを見せおもてを見せてちるもみち‘

        新潟県 燕市 出雲崎町 (2019年4月)


弥彦山のキクザキイチリンソウ(平成31年4月)2019/05/11 15:01

平成31年4月8日弥彦山の頂で咲いていたイチリンソウ
 むらさき色
キクザキイチリンソウ(弥彦山)

キクザキイチリンソウ(弥彦山)

 しろ色
キクザキイチリンソウ(弥彦山)

キクザキイチリンソウ(弥彦山)


 群生
キクザキイチリンソウ(弥彦山)

その名はキクザキイチリンソウ(キクザキイチゲ)でよかろうか・・・

         新潟県 弥彦村  (2019年4月8日)

餘部「空の駅」駅長かめだそら(令和元年5月13日)2019/05/19 09:23

餘部駅は無人駅ですが、空の駅には亀の駅長さんがおります
餘部「空の駅」

名前は「かめだそら」です
餘部「空の駅」駅長そらちゃん

「そらちゃん」は朝昼夕と3回住まいを出て散歩に出かけます
餘部「空の駅」駅長そらちゃん

時刻は13時過ぎ、お目見えした「そらちゃん」は広場のクローバーが生えている場所まで一目散に歩いて行き、クローバーをむしゃむしゃと夢中になって食べ始めました

そらちゃんの仕事は「さんぽ」、お目見えして餘部を訪れたお客さんをお迎えします
餘部「空の駅」駅長そらちゃん

そらちゃんはクローバーの葉が口の中でいっぱいになるまでバリッバリッと葉を噛み切って、口の中がいっぱいになると頭を上に向けてゴクリと飲み込みます カワイッス!!
そらちゃんの好物は「リンゴ、バナナ、イチゴ、小松菜」とあるけれどクローバーも好きなようでした


           兵庫県 餘部   (2019年5月13日)


餘部鉄橋空の駅(令和元年5月13日)2019/05/24 10:10

山陰の自然は厳しい
明治45年(1912)餘部鉄橋が完成したことで山陰本線は全線で開通した
その後餘部鉄橋は約100年間の風雪を耐えぬいた
餘部

鉄の橋梁を蝕んだ生々しい傷痕が痛々しい
餘部鉄橋

餘部鉄橋 橋脚

平成22年(2010年)餘部鉄橋は防風壁を備えたコンクリート製の橋梁に架け替えられた
コンクリートの橋梁は日本海からの強風を孕むように曲がっている
餘部コンクリート橋

かっての線路は空に向かって切り取られている
明治45年この鉄橋ができ列車が走ってからも餘部には駅がなかった。念願の駅が出来たのは昭和32年のことで、45年もの長い間、土地の人はこの橋を渡りトンネルをくぐっての鎧駅まで歩いたそうだ。
山陰の厳しい自然や土地の人々の苦労の記憶がこの切り取られた先の空を漂っている
餘部鉄橋空の駅

かっての線路に沿って画面を引いていく
餘部鉄橋空の駅

これが余部「空の駅」だ
餘部鉄橋空の駅

鉄の橋脚は空の駅の支え役として3本が残された
そして平成27年11月にエレベーターが設置された
餘部鉄橋空の駅

鉄の橋脚は3番目までは完全な形をとどめているが
餘部鉄橋空の駅

4番目、5番目は忘れられていく人々の空を失われたアームが支えている
餘部鉄橋空の駅

私は遠い土地に住む人間で山陰線の列車に乗ったこともなく、渡ったこともない。しかし映画やドラマに映る幾度も見た映像がこころに残っている。その映像のこころに残る印象は吹きすさぶ風雪に耐える鉄の橋梁とそれと重ね合わせのひとの人生の厳しさであった。
餘部鉄橋空の駅

餘部駅12時43分発鳥取行きの列車から一人の乗客がホームに降りた。その人は空の駅のエレベーターに進むことなく空の駅手前の曲がりくねった坂道を下って行った。そのとき私はその乗客はきっとこの土地の人だと確信する気持ちが沸騰していた。
厳しいものに耐えていくそのこころを「空の駅」が私に語りかけているように思えた。

          兵庫県 加美町 余部  (2019年5月13日)