城址を訪ねる⑤長野原城2016/05/29 11:10

吾妻にある城を「加沢記」の表現で見てみよう
○○城との表現は岩櫃城がある
○○の城とあるのは手子丸の城、尻高の城、中山の城、武山の城、折田の城、仙蔵の城など
○○の要害とあるのは武山、折田、仙蔵、山田、長野原、長野原、鎌原など
武山、折田、仙蔵は~の城と~の要害と二通りの表現が用いられている
長野原町にある長野原城は加沢記では長野原の要害と記されている


十二坂を登る
長野原城址(十二坂)

十二坂を登りきって長野原城址との立札の矢印に従って小道を進む
小道の分岐点を左に登る

まず虎口(出入り口)がある
長野原城址(虎口)

土塁や空堀で防御を固め
長野原城址(土塁と空掘

さらに大堀切で城郭を南北に隔てる
長野原城址(大堀切)

その先に本丸がある
長野原城址(本丸)

本丸の先端に櫓台状の小区画があり城址碑が立つ
そこでは北東~南東方面に尾根が走りその南北両面は断崖である
長野原城址(本丸)

本丸の北西側に段築状に曲輪が重なる
長野原城址(曲輪)

南東方向尾根に沿って出丸や物見に下る道がある
長野原城址(ヤセ尾根)

秋葉山出丸跡には武者溜りと秋葉神社跡の石碑がある
長野原城址(秋葉山出丸)

さらに下ると三角点
長野原城址(二等三角点)

尾根道の終点は物見台?
ここは箱岩という岩の頂上になるのかどうか??
これ以上は危険で行けそうもない
長野原城址(物見台?)

長野原城はどんな城であったか?
加沢記の長野原合戦のでは長野原の要害として斎藤越前勢と戦った真田幸隆の舎弟常田新六郎が羽尾に討たれるまでの顛末が語られている
長野原城址(本丸)

長野原の要害のイメージ
長野原城址(配置イメージ)

北条氏が滅び吾妻を真田氏が領有するところとなって、吾妻の城は岩櫃城を残して全て破却廃城となった
      群馬県 吾妻郡 長野原町  (2016年5月12日)

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