昭和18年9月20日~昭和22年1月29日の履歴書 ― 2013/05/01 00:25
父は平成15年5月に90歳で他界した
その父が生まれたのは大正2年(1913年)5月だ
2013年5月は生誕100年にあたる
仏壇の引き出しから戦争当時の履歴書が出てきた
昭和18年9月20日 臨時召集により独立工兵25連隊に応召
昭和18年9月30日 下関港出帆
昭和18年10月3日 鮮満国境(図門)通過
昭和18年10月5日 満洲国山江省佳木斯(ジャムス)到着同
同日独立工兵24連隊に編入
昭和18年12月14日 南方派遣のため鮮満国境(図門)通過
昭和18年12月17日 釜山港出帆
昭和18年12月25日 船舶工兵第14連隊に編成開始
昭和19年1月6日 比島レイテ島オルモック着
その父が生まれたのは大正2年(1913年)5月だ
2013年5月は生誕100年にあたる
仏壇の引き出しから戦争当時の履歴書が出てきた
昭和18年9月20日 臨時召集により独立工兵25連隊に応召
昭和18年9月30日 下関港出帆
昭和18年10月3日 鮮満国境(図門)通過
昭和18年10月5日 満洲国山江省佳木斯(ジャムス)到着同
同日独立工兵24連隊に編入
昭和18年12月14日 南方派遣のため鮮満国境(図門)通過
昭和18年12月17日 釜山港出帆
昭和18年12月25日 船舶工兵第14連隊に編成開始
昭和19年1月6日 比島レイテ島オルモック着
昭和19年1月10日 編成完結
昭和19年3月9日 比島レイテ島オルモック出発
昭和19年3月31日 豪北アンボン島アンボン着
昭和19年9月20日 転進のためアンボン島トレフ出発
昭和19年9月21日 セラム島ピル着
昭和19年3月9日 比島レイテ島オルモック出発
昭和19年3月31日 豪北アンボン島アンボン着
昭和19年9月20日 転進のためアンボン島トレフ出発
昭和19年9月21日 セラム島ピル着
昭和19年10月4日 アメーバ赤痢・マラリヤに依り南方方面第15陸軍病院入院
昭和19年11月7日 治癒退院
昭和20年5月19日 転進のためピル出発
昭和20年5月25日 爪哇(ジャワ)島スラバヤ着
昭和20年9月6日 爪哇(ジャワ)島プロボリンゴ出発 台湾歩兵第1連隊
昭和20年9月13日 バリー島バタンバイ着
昭和20年12月1日 同日より同地付近の警備
昭和21年3月1日 バタンバイにおいて連合軍の労役に服す
昭和21年5月26日 ベノア出発
昭和21年5月29日 爪哇(ジャワ)島スラバヤ港着 同日より連合軍の労役に服す
昭和22年1月19日 スラバヤ港出航
昭和22年1月29日 広島県宇品港上陸
出征前に次女が生まれたが長女は出征中に病没した
父は戦争のことはあまり話さなかった
船に乗ったが水泳が得意でなかったので樽を浮き輪がわりにしたことや
南方のバリ島へ行っていたと話したのは記憶している
爪哇島やバリー島のあるインドネシアにはまだ行ったことがない
生誕100年の5月、爪哇島とバリ島へ行ってみようと思う
(2013年5月1日)
昭和19年11月7日 治癒退院
昭和20年5月19日 転進のためピル出発
昭和20年5月25日 爪哇(ジャワ)島スラバヤ着
昭和20年9月6日 爪哇(ジャワ)島プロボリンゴ出発 台湾歩兵第1連隊
昭和20年9月13日 バリー島バタンバイ着
昭和20年12月1日 同日より同地付近の警備
昭和21年3月1日 バタンバイにおいて連合軍の労役に服す
昭和21年5月26日 ベノア出発
昭和21年5月29日 爪哇(ジャワ)島スラバヤ港着 同日より連合軍の労役に服す
昭和22年1月19日 スラバヤ港出航
昭和22年1月29日 広島県宇品港上陸
出征前に次女が生まれたが長女は出征中に病没した
父は戦争のことはあまり話さなかった
船に乗ったが水泳が得意でなかったので樽を浮き輪がわりにしたことや
南方のバリ島へ行っていたと話したのは記憶している
爪哇島やバリー島のあるインドネシアにはまだ行ったことがない
生誕100年の5月、爪哇島とバリ島へ行ってみようと思う
(2013年5月1日)
25ふるさと初夏②「子供の日」 ― 2013/05/05 15:45
25ふるさと初夏③「とんぼジョーロ」 ― 2013/05/06 20:05
赤道の国へ(インドネシア) ― 2013/05/17 20:50
初めて赤道を越えインドネシアのジャワ島とバリ島へ行って来ました
そこで気付かされたことは日の出と日の入りの時刻の月変化が日本と違うことでした
朝5時になっても窓の外は暗いし、夕刻6時には日が沈んでしまいました
常夏の赤道直下のこの国ではこの時期、日本よりもっと早く日が昇り
もっと遅く日が沈むのではと思っていた自分の認識が誤りでした
そこでジャカルタの日の出日の入りの時間を調べたところ
日の出 日の入り
3月20日 5時56分 18時04分
6月20日 6時00分 17時47分
9月20日 5時42分 17時49分
と月によって日の出日の入りの時刻に差がほとんどありません
現地の添乗員に日の出日の入りの時間を聞きましたが
明確な答えはありませんでした
いつもに同じぐらいの時刻に日の出日の入りする国のひとに
野暮な質問をしてしまったと思いました
インドネシア ジャワ・バリ (2013年5月11日)
赤道の国へ(インドネシア)ボロブドール遺跡 ― 2013/05/20 17:08
とても1時間ぐらいでは満足が得られない観光地だ
旧基壇から第一回廊~第二~第三~第四回廊と回廊主壁、欄楯に彫られたジャータカ、アヴァダーナ、仏伝、善財王子歴参図など物語や回廊主壁上の龕に納められた阿しゅく仏(東面)、宝生仏(南面)、阿弥陀仏(北面)、不空成就仏(北面)、金剛界如来・釈迦牟尼仏(第四回廊主壁上の龕)の石仏坐像を見ながら螺旋状に昇りストゥーパや毘盧遮那仏が安置されている円壇まで辿り着くまで如何ほどの時間が必要であろうか!?
おそらく半日時間があっても足らないと思う
自分が手にできる観光ツアーではボロブドールはどんなところでどんな大きさでどんな風が吹きどんな感じが得られたかいうところまでが限界なのであろう
事前に的をしぼって現地に行っても観光ツアーではそれにすら辿りつけないことが多い
インドネシア ジャワ島 ボロブドール遺跡 (2013年5月11日)
ふるさと点描(六合世立のしだれ栗) ― 2013/05/26 23:04
てくてく大桑村阿寺渓谷 ― 2013/05/27 22:20
阿寺渓谷
阿寺渓谷は木曽の大桑村にある
大桑道の駅で明るくなるのを待って今回のてくてくの目的地へ
野尻宿がある
阿寺渓谷は木曽の大桑村にある
大桑道の駅で明るくなるのを待って今回のてくてくの目的地へ
野尻宿がある
6時06分 阿寺渓谷入口駐車場出発
木曽川に合流する渓谷の出口が荒々しく最もダイナミックな場所だ
6時27分 千畳岩
渓谷の門のような断崖を過ぎる 見上げると日の光がまぶしい
6時29分 森林鉄道跡
河原に転がる大石に甌穴が見られる
6時40分 雨現の滝
雨が降ると出現するとの滝が見上げると遠くに見える
今は藤の花が盛んな時期だ
紫の藤の花は気品があるが
紫の簾の奥に蔓を絡みつけ絞めつけて相手を弱らせる
そんな魔性を隠している
ひのきの林が美しい
6時54分 狸ケ淵
川幅が狭まる上流になると淵が出現する
6時59分 亀石
淵に入ろうとする甲羅に渦巻き模様のある亀
7時01分 犬帰り淵
この渓谷で最も素晴らしいビューポイントだ
水の色に見とれてしまう
7時15分 樽ケ沢の滝
樽ケ沢が滝となって阿寺川と合流する
滝は橋の下なので見落とさないように注意
7時17分 中間地点駐車場
広場に駐車場、休憩舎、トイレ、島木赤彦の歌碑などがある
7時25分 遊歩道
渓流にかかる吊橋を渡って遊歩道へ
7時50分 中八丁吊橋
遊歩道の終点の吊橋、ここでUターンして中間地点駐車場へ
7時55分 七段の滝
8時10分 中間地点駐車場 出発
8時12分 犬帰り淵
8時14分 亀石
8時19分 狸ケ淵
8時21分 ひのき美林
明治の時代に植林したひのきの林
8時29分 雨現の滝
8時35分 森林鉄道跡
8時37分 千畳岩
8時53分 阿寺渓谷入口駐車場到着
早朝すごくリラックスできた3時間でした
長野県 大桑村 阿寺渓谷 (2013年5月22日)
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