川俣の平家塚 ― 2015/06/24 11:34
2015年6月19日
弥陀ケ池の山行の疲れを癒すため山深い川俣温泉に泊った
しずかな湯里、川俣の湯の泉質は抜群であった
川向こうに史跡があるということで雨の中行ってきました
鬼怒川を渡る
写真は翌20日の朝のもの 当日は雨天で傘をさして渡りました
弥陀ケ池の山行の疲れを癒すため山深い川俣温泉に泊った
しずかな湯里、川俣の湯の泉質は抜群であった
川向こうに史跡があるということで雨の中行ってきました
鬼怒川を渡る
写真は翌20日の朝のもの 当日は雨天で傘をさして渡りました
流れに沿って雨露に濡れた草道を下ると
小さな沢が行く手を遮った
鬼怒川とこの沢の合流点に円墳のような塚を発見した
手前の朽ちた案内板に塚の由来の説明があった
名所 平家塚
寿永の昔 壇の浦で敗れた平家
の落人達は山陰道奥の初路をこ
の地に逃れ長い歳月を費してか
公達は愛馬を失い牛に跨りて来
りしと言う
牛と雖も遂に疲労の末川底に沈
み「牛淵」の地名をのこし敗残
の将兵悉く寄りて「大評定」を
行いしと
その結果これより上流は登れぬ
と決し自ら武装を解除し寶物
黄金千まい[大判]
くわ千まい[刀剣類]
うるし千まい[よろいかぶと類]
を一括し木炭を作り之れを覆い
花崗岩を側壁にして土を盛り塚
を作りたりと
この塚の上から暗夜に時々御神
燈が上がり村人は
見れば「目が腐る」
さわれば「手が腐る」
登れば「足が腐る」
と言い傳えられ誰もが側に寄る
ことを恐れて居りしと語り継が
れて来ている
昭和甲寅歳 秋月
栗山村 観光課
栗山村 観光協会
像の背のような覆土の中に本当に黄金や刀槍、鎧などが埋まっているのだろうか
村人が発掘したかどうかは定かではない
雨の中平家塚は忘れされれたようにひっそりと鎮座しておった
名所 平家塚
寿永の昔 壇の浦で敗れた平家
の落人達は山陰道奥の初路をこ
の地に逃れ長い歳月を費してか
公達は愛馬を失い牛に跨りて来
りしと言う
牛と雖も遂に疲労の末川底に沈
み「牛淵」の地名をのこし敗残
の将兵悉く寄りて「大評定」を
行いしと
その結果これより上流は登れぬ
と決し自ら武装を解除し寶物
黄金千まい[大判]
くわ千まい[刀剣類]
うるし千まい[よろいかぶと類]
を一括し木炭を作り之れを覆い
花崗岩を側壁にして土を盛り塚
を作りたりと
この塚の上から暗夜に時々御神
燈が上がり村人は
見れば「目が腐る」
さわれば「手が腐る」
登れば「足が腐る」
と言い傳えられ誰もが側に寄る
ことを恐れて居りしと語り継が
れて来ている
昭和甲寅歳 秋月
栗山村 観光課
栗山村 観光協会
像の背のような覆土の中に本当に黄金や刀槍、鎧などが埋まっているのだろうか
村人が発掘したかどうかは定かではない
雨の中平家塚は忘れされれたようにひっそりと鎮座しておった
栃木県 栗山村 川俣 (2015年6月19日)
私のイラン⑨ササン朝ペルシャのイメージ ― 2015/01/11 20:24
断崖に刻まれたレリーフでササン朝ペルシャの痕跡を見た
それは王の権威と力を誇示するものだった
王権の叙任式
王権の象徴リボンのついた環をアフラ・マズダー神から受け取る彫像
騎乗のもの
それは王の権威と力を誇示するものだった
王権の叙任式
王権の象徴リボンのついた環をアフラ・マズダー神から受け取る彫像
騎乗のもの
(ナクシュ・ラジャブ)
同じく騎乗のもの(半分はナシ)
同じく騎乗のもの(半分はナシ)
(ナクシュ・ラジャブ)
同じく騎乗のもの(アルダシール1世騎馬叙任式)
同じく騎乗のもの(アルダシール1世騎馬叙任式)
(ナクシュ・ロスタム)
立って受けるもの
立って受けるもの
(ナクシュ・ラジャブ)
王の力を誇示するもの
騎馬戦闘図(ホルムズド2世騎馬戦闘図)
騎馬戦闘図(ホルムズド2世騎馬戦闘図)
(ナクシュ・ロスタム)
同じく騎馬戦闘図
同じく騎馬戦闘図
(ナクシュ・ロスタム)
戦勝図(シャープール1世戦勝図)
ローマとの戦いの勝利を誇示
シャープール1世の前にひざまずくローマ皇帝
戦勝図(シャープール1世戦勝図)
ローマとの戦いの勝利を誇示
シャープール1世の前にひざまずくローマ皇帝
(ナクシュ・ロスタム)
その他
家族と高官(バフラム2世の家族と高官)
その他
家族と高官(バフラム2世の家族と高官)
(ナクシュ・ロスタム)
アケメネス朝の王のイメージは王座担ぎのレリーフのように同盟国との和の関係を
重視しているように見えるが
ササン朝の王は断崖浮彫からイメージすると権力や力による統治を第一に考えたと
言えないだろうか
イラン・イスラム共和国 (2014年10月)
アケメネス朝の王のイメージは王座担ぎのレリーフのように同盟国との和の関係を
重視しているように見えるが
ササン朝の王は断崖浮彫からイメージすると権力や力による統治を第一に考えたと
言えないだろうか
イラン・イスラム共和国 (2014年10月)
私のイラン⑧ヤズド沈黙の塔 ― 2015/01/07 09:34
沈黙の塔は風葬を行っていた施設である
ゾロアスター教では火・水・大地を汚すことを嫌った
死者を風葬したのはその意に適っているのだ
ヤズドに到着するころ太陽はすでに落ちていた
沈黙の塔は二基あった
ゾロアスター教では火・水・大地を汚すことを嫌った
死者を風葬したのはその意に適っているのだ
ヤズドに到着するころ太陽はすでに落ちていた
沈黙の塔は二基あった
右手の奥の塔に登るのだ
近づくとパンフレットで見かけた同じ景色となった
頂上へは瓦礫の坂道が伸びる
ガイドから説明を聞いてから登り始める
急な道を苦もなく頂上入口に到着
街に灯が目立ってくる時間だ
隣の塔を見るとその方が高く立派そうだ
現在イランでは風葬は禁止されている
頂上には一羽の鳥も飛んでいない
円形の頂上
石畳の床があり真ん中にぽっかりと穴が口をあけている
遺体は石畳の上に並べて置かれ時間をかけて風葬に服す
最後に残った骨は穴の中へ落とされたと言う
街の灯りが煌めいてくる時間になった
まだ登ってくる観光客がいる
群青色に空は暮わたり辺りはすっかり暗くなった
この見慣れない建物は水道施設である
今まで行った国では砂漠をバスで移動中トイレに行きたくなったら
車を停めて男女左右に分かれて青空トイレをしたが
イランツアー中は青空トイレは一度もしなかった
メンバーは大地を汚すことなかれとのゾロアスター教の教えを
忠実に守ったのだ
イラン・イスラム共和国 ヤズド (2014年10月19日)
私のイラン①栄光のアケメネス朝ペルシャ ― 2014/11/18 09:27
未知の世界へ踏み込むような気持ちでイランへ飛んだ
アケメネス朝ペルシャの遺跡に触れたり都市ごとのモスクを見ることなど短い時間であるがなんとかイランイスラム共和国の感じを掴みたい考えていた
アケメネス朝ペルシャの遺跡はテヘランの考古学博物館、ペルセポリス、パサルガダエ、ナクシュ・ロスタム、ヤズドで触れることができた
シラーズからヤズドへ向う街道の途中のパサルガダエにはアケメネス朝創成期の遺跡がある
アケメネス朝の故郷パサルガダエの風景
アケメネス朝ペルシャの遺跡に触れたり都市ごとのモスクを見ることなど短い時間であるがなんとかイランイスラム共和国の感じを掴みたい考えていた
アケメネス朝ペルシャの遺跡はテヘランの考古学博物館、ペルセポリス、パサルガダエ、ナクシュ・ロスタム、ヤズドで触れることができた
シラーズからヤズドへ向う街道の途中のパサルガダエにはアケメネス朝創成期の遺跡がある
アケメネス朝の故郷パサルガダエの風景
オリエントを支配するアケメネス朝を築きあげたのはキュロス2世(大王)だ
パサルガダエにはその遺跡が残る
キュロス大王の宮殿
水路の跡
堀は浅く水量は少なかったようだ
有翼精霊のレリーフ
どのような神が祀ったのか
キュロス大王墓
もっとも興味深いのはキュロス大王の墓である
この墓の形と他のものとを比較する楽しみが増えた
ペルセポリス
アケメネス朝ペルシャの主要都市はバビロン(王の冬宮)、エクバタナ(王の夏宮)
スーサ(行政府所在地)とペルセポリス(新年の祭典(ノールーズ))である
ペルセポリスはダリウス大王が建設を開始したものだ
ペルセポリスの遠景
祭典の舞台は配下の国家を圧倒するものでなければならない
ダリウス大王の像(イラン考古学博物館)
ペルセポリスの建設を開始したダリウス大王の像(エジブト製造)
多分に東洋的な衣装に驚く
アケメネス朝ペルシャの勢力範囲が土台に記してある
アバダーナ(謁見の間)
36本の柱が支えた謁見の間では各国の使節団を迎えて新年の儀式を執り行った
ダリウス大王謁見の図(イラン考古学博物館)
アバダーナではこのように使節団と謁見したのであろうか
ダリウス大王が謁見する姿がレリーフとして残されている
ダリウス大王の椅子の後ろ同じレベルに立つ王はクセルクセス1世?
アパダーナ階段のレリーフ
アパダーナは30段ほどの土台の上に建っている
階段の土台の壁には民族衣装を身に付け特産物を貢物として献上に訪れた使節の様子が
描かれている
使節団の数は23カ国にもおよぶ
メディア人から始まり最後は23番目のエチオピア人である
壷と馬車を献ずるアルメニア人
3段あるうち2段目の最初に(最初から8番目)アルメニアの使節が描かれた
ダリウス大王の宮殿(タチャラ)
儀式のため滞在する王の宮殿もある
クセルクセス1世の宮殿(ハディシュ)
クセルクセス門
クセルクス1世が築いたクセルクセス門は各国の使節団を迎えたことだろう
ナクシュ・ロスタム
ペルセポリスから北東6キロの断崖ナクシュ・ロスタムに王たちの墓所がある
この墓所はクセルクセス1世、ダリウス大王、アルタクセルクセス1世、ダリウス2世
とされている
このうち銘文で確認されている墓はクセルクス1世の墓のみと説明があった
クセルクセス1世墓
十字架の形をした全体像、2段の王座担ぎ
王座の上では中央にアフラ・マズダを配した王の礼拝
4本の柱のホマ柱頭の部分は柱と梁との組み合わせが見て取れる
ゾロアスター教
王墓や神殿などに刻まれたアフラ・マズダはアケメネス朝ペルシャの時には
ゾロアスター教が王朝の精神面で支えてとなっていたと思われる
アフラ・マズダ神(ヤズド)
ゾロアスター教は拝火教ではない
新年祭ノールーズの習慣と仏教のそれは似ていると言う
ヤズドの神殿では今も聖なる火が燃え続けている
未完成の門
ダリウス3世の時アレクサンダー大王との戦いに破れアケメネス朝は滅亡した
この時建設中の門は未完成のままペルセポリスに残されている
キュロス大王が築いた古代王国アケメネス朝ペルシャ
イランの人々が人気ナンバーワンのあげる意味が納得できた
イランイスラム共和国 アケメネス朝ペルシャ遺跡 (2014年10月)
クメール遺跡のアンコールワット朝夕景観 ― 2013/11/07 16:40
日の出のアンコールワット
アンコールワットの建物を背にして日が昇る
アンコールワットの建物を背にして日が昇る
聖地の水連が花開く
待ち望んでいた朝日が観衆の前で昇った
アンコールワットに昇った太陽
昼間のアンコールワット
昼間のアンコールは翡翠の色だ
アンコールワットの夕景
アンコールワットの正面に日が沈む
ひとびとは夕焼けに染まりシルエットとなって帰っていく
環濠の水面に夕空が映る
夕焼けのアンコールは遺跡との別れにふさわしい
参道に残る足跡
私がここで数日間動き回った痕跡はこの足跡のように遺跡に残せないが
痕跡は私の記憶に編み込まれその断片がグログにはみ出して
かろうじて残せるだけだ
カンボジア シェムリアップ アンコールワット (2012年10月)
クメール遺跡のひとびと ― 2013/10/30 16:47
クメール遺跡のヒンドゥーの物語 ― 2013/10/25 18:04
クメール遺跡の観音菩薩 ― 2013/10/23 14:48
クメール遺跡の乳海攪拌 ― 2013/10/21 09:38
アンコールワット
アスラ王が竜王の頭をかかえる
竜王をアスラとデーヴァが左右に分かれて曳きあう
アスラ王が竜王の頭をかかえる
竜王をアスラとデーヴァが左右に分かれて曳きあう
大亀の上のマンダラ山が心棒だ
アスラとデーヴァが曳きあう竜王は
マンダラ山を回転させ大亀は大海をかきまわす
すると海中から天女が飛び出し神女ラクシュミーが誕生
ヴィシュヌ神は不老不死の薬アムリタを手に入れる
ベンメリア
廃墟に乳海攪拌と思われるレリーフを偶然発見
以下はただ単にナーガをアスラとデーヴァがかかえているだけかも知れないが
私には乳海攪拌として勝手に考えた
プリヤ・カン
(左側)
(右側)
アンコール・トム(南門)
(右側)
(左側)
カンボジア シェムリアップ アンコール遺跡 (2012年10月)
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