メキシコの空⑦グアダルーペの聖母 ― 2016/03/31 15:28
16世紀スペインの侵攻と植民地化に遭遇したこの地はキリスト教がもたされ根を下ろし広まった 現在メキシコ国民の90%のはカトリック教徒であると言われている
この国のマリア像は褐色の肌を持つ聖母様である
聖母へのマヤ人の信仰心は我家の仏壇に鎮座する観音への信仰心と同様であるように錯覚する
マヤ人の家で祀られたキリスト教の聖壇
この国のマリア像は褐色の肌を持つ聖母様である
聖母へのマヤ人の信仰心は我家の仏壇に鎮座する観音への信仰心と同様であるように錯覚する
マヤ人の家で祀られたキリスト教の聖壇
カテドラル・メトロポリターナで聖者ピエトロとパブロが迎える「許しの扉」から聖堂内に入場して正面の「許しの祭壇」に対面し後ろを振り返り見上げるとグアダルーペの聖母の絵画が掲げてある
許しの祭壇に祈る人々を後ろから見おろす聖母の視線
観音菩薩像の光背のような光の放射が印象的だ
ユカタン半島の「黄色の街」イサマルの修道院で同じ聖母像を見ることができた
イサマルはユカタン半島におけるキリスト教の聖地として信者が訪れる巡礼の町である
ここの聖母像は戴冠していたがグアダルーペの聖母における戴冠の意味はどのようなものであるのか
戴冠したグアダルーペの聖母
最後はユカタン半島の生きた聖母たちである
イサマルにて
カンクンにて
グアダルーペの聖母はメキシコ人の原始宗教から脱皮を意味する象徴的な奇跡の出現であるのではなかろうか
メキシコ画州国 グアダルーペの聖母 (2016年2月)
メキシコの空⑥ドクロ ― 2016/03/28 15:53
死を意識する
それが身近にだんだんなりつつある歳になった そんな私でも 髭を剃るとき歯磨きをして指で歯ぐきを点検するときなど鏡に写る自分の顔を見つめて自分のどくろを想像することは皆無である 顔⇒ドクロ⇒死を意識することが身近にはないのだ
しかし メキシコではドクロはどうであろう
街の市場や観光地の出店のほとんどでドクロの民芸品が並べられている またハロウィンの翌日から死者の日という家族で故人の霊をお迎えし偲ぶという日本でいえばお盆のようなお祭りがある 街にはドクロのコスプレを楽しむひとがあふれるとか
ドクロには死を意味するだけでなく生きることに活力を与えるなにかが古代から培われたと思わざるを得ない
①ドクロ
神々に捧げられた生贄たちの首(しるし)
ドクロ (アステカ)
それが身近にだんだんなりつつある歳になった そんな私でも 髭を剃るとき歯磨きをして指で歯ぐきを点検するときなど鏡に写る自分の顔を見つめて自分のどくろを想像することは皆無である 顔⇒ドクロ⇒死を意識することが身近にはないのだ
しかし メキシコではドクロはどうであろう
街の市場や観光地の出店のほとんどでドクロの民芸品が並べられている またハロウィンの翌日から死者の日という家族で故人の霊をお迎えし偲ぶという日本でいえばお盆のようなお祭りがある 街にはドクロのコスプレを楽しむひとがあふれるとか
ドクロには死を意味するだけでなく生きることに活力を与えるなにかが古代から培われたと思わざるを得ない
①ドクロ
神々に捧げられた生贄たちの首(しるし)
ドクロ (アステカ)
ドクロの台 (アステカ)
骸骨の壁(ツオンパントリ)
新チチエン・イツァ (後期マヤ)
②いけにえ儀式の現場
①神の前で生贄の心臓を供えたチャックモール
トルテカ
アステカ
後期マヤ 新チチェン・イツァ
③生贄を捧げられた神々
①太陽神を現すというドクロ
太陽の円盤 (テオティワカン)
①太陽神を現すというドクロ
太陽の円盤 (テオティワカン)
②夜の神ジャガーと昼の神ワシ
ジャガー(オセロトル・クアウイシカリ)(アステカ)
ワシ(クアウトリ) (アステカ)
捧げられた心臓を食べるジャガーとワシ
ジャガーとワシの台座 (新チチェン・イツァ)
③地母神 コアトリクエ (アステカ)
全身が蛇の地母神 骸骨のベルトを締め生贄の心臓から流れ落ちる血潮
④これも地母神? アステカ
④競技の勝利者も生贄に (新チチェン・イツァ)
広い球戯施設があり
球技は宗教儀式だった
その勝者は首を跳ねられた神に捧げられた
球戯場の側壁に残るレリーフ
首から飛び散る血潮は蛇に変身する
ドクロは怖いものという認識は子供の頃見た見た三日月童子や月光仮面などの映画に登場したドクロは死の恐怖と悪の象徴を植えつけた
アステカ社会で生贄となった人は死を恐れず生まれ変わりを信じて命を捧げたのであろうかあろうか??
膨大な心臓をエグリとられる生贄や首をはねられる球技メンバーは戦争の俘虜があてられたという
ドクロが死と回生を象徴するとの思いは生贄になる人の感情から発したものではなさそうだ
メキシコ合衆国 ドクロと生贄 (2016年2月)
メキシコの空⑤農耕神ケツァルコアトル ― 2016/03/15 15:08
アステカ神話の農耕神ケツァルコアトルはマヤではククルカンと呼ばれ
蛇の頭と鳥の羽との組み合わせた神である
蛇の頭
蛇の頭と鳥の羽との組み合わせた神である
蛇の頭
鳥の羽
(雨をもたらすケツァール鳥の尾羽)
両者を組み合わせケツァルコアトルの姿が出来上がる
テオティワカンのケツァルコアトル
(羽はどこか??首を巻くたてがみのような形が羽にあたるのか?)
(それは水しぶきなのか??)
①テオティワカンのケツァルコアトル
時間がなく実物は見られなかったテオティワカン神殿のケツァルコアトル
(人類博物館のレプリカ)
隣の丸い目の像は雨と豊穣の神トラロック
②チチェン・イツァ遺跡のククルカン
旧チチェン・イツァで大司教の墓の階段のククルカン
新チチェン・イツァではカステージョのククルカン
その蛇頭の部分
そのほか球戯場の四方に配置されたククルカン
その胴体には羽のような模様がある(これが羽毛の部分か?)
大司教の墓とカスージョのククルカンの羽の模様はどこにどのようにあったのか見ただけでは分からない
テオティワカンのケツァルコアトルは神様という感じがするがマヤのククルカンは建物の長い部分の造作(飾り)として付けたような感じがする
③カカシュトラ遺跡の壁画に描かれたケツァルコアトル
納得がきくケツァルコアトルの姿は人類学博物館で展示されたカカシュトラ遺跡の壁画で確認できた
メキシコ合衆国 ケツァルコアトルとククルカンの姿 (2016年2月)
メキシコの空④雨の神チャーク ― 2016/03/12 22:18
マヤ遺跡の建造物には夥しいチャークの像が掲げられている
その夥しい数から如何に雨がマヤにとって重要であったかが窺える
雨の神チャークはこのような姿であっるそうだ
その夥しい数から如何に雨がマヤにとって重要であったかが窺える
雨の神チャークはこのような姿であっるそうだ
だが建物にあるチャークはこのようなものだ(国立人類博物館)
①ウシマル遺跡のチャーク
占い師のピラミッドのチャークは正面階段に連なっている
また頂上の神殿もチャークに見たてている
尼僧院の壁のチャーク(北に位置する建物)
同(東側の建物)
同(西側の建物)家の屋根の上にもチャークが
大ピラミッド頂上の神殿のチャーク
②カバー遺跡のチャーク
仮面の神殿コズ・ポープの壁一面にチャーク像が並ぶ
その数は全体で260体(神聖暦ツオルキンの周期と同じ))あるという
③チチェン・イツァ遺跡のチャーク
旧チチェン・イツァの地区にある尼僧院と教会にあるチャーク像はトルテカの影響を受ける前の純粋なマヤンデザインであるそうだ
風が吹くと雲を呼び大地に雨をもたらす ホラ貝は風、○は水、□は大地など図形で意味を象徴している これらを組み合わせてチャークが形どられているのだろうか
メキシコ合衆国 マヤ遺跡 (2016年2月)
メキシコの空③ピラミッド(チチェン・イツァ) ― 2016/03/12 09:08
白い街と言われるメリダから黄色い街のイサマルを経てマヤの遺跡チチェン・イツァへ
チチェン・イツァはマヤ文化の最高傑作と言われ美しくきれいだ
チチェン・イツァは旧と新地区に区分され有名なピレミッドのカスティージョは新チチェン・イツァの地区の中心に鎮座する
地元ガイドより説明があったマヤ文化の特徴についてまとめてみた
①山と川のない土地に興り栄える
生活には適さない土地なのに栄えた
②数字に優れていた
ゼロの概念が使われていた
点と線と貝殻で数字を表わす
20進法を用い神の横顔を数字に割り当てた
意味ある数字は
9(悪)・13(良い)・18(1年は18カ月)・20(1カ月は20日)・
52(農業・神暦の還暦)・260(神暦)・365(農暦)など
③天文学が発達
太陽・月・金星の動きから365日農業の暦や260日宗教の神暦をあみだす
1カ月は20日×18カ月+5日(暗黒の日:7月10日~14日)=365日
365日の農業の暦と260日の神暦の両循環は52年周期で一致をみる
これは日本でいえば60年周期の還暦のようなもの
ウシマル遺跡の魔法使いのピラミッドはこのように増築されたと言われている
チチェン・イツァはマヤ文化の最高傑作と言われ美しくきれいだ
チチェン・イツァは旧と新地区に区分され有名なピレミッドのカスティージョは新チチェン・イツァの地区の中心に鎮座する
地元ガイドより説明があったマヤ文化の特徴についてまとめてみた
①山と川のない土地に興り栄える
生活には適さない土地なのに栄えた
②数字に優れていた
ゼロの概念が使われていた
点と線と貝殻で数字を表わす
20進法を用い神の横顔を数字に割り当てた
意味ある数字は
9(悪)・13(良い)・18(1年は18カ月)・20(1カ月は20日)・
52(農業・神暦の還暦)・260(神暦)・365(農暦)など
③天文学が発達
太陽・月・金星の動きから365日農業の暦や260日宗教の神暦をあみだす
1カ月は20日×18カ月+5日(暗黒の日:7月10日~14日)=365日
365日の農業の暦と260日の神暦の両循環は52年周期で一致をみる
これは日本でいえば60年周期の還暦のようなもの
ウシマル遺跡の魔法使いのピラミッドはこのように増築されたと言われている
どのようなタイミングで増改築工事を行ったのか?
52年の還暦もその理由の一つになっていたと想像してもおかしくないなと思う
暦のことをもう少し書くとする
マヤ暦の起点は紀元前3114年8月13日である
マヤ暦はこの起点日からの経過日数を表わす
その周期は13バクトゥン187万2000日である
周期の終わりが2012年12月や2015年9月などとの説が話題になった
いずれにしても最近新たな187万2千日の周期に入っているようだ
農作業の起点として乾期雨期で二分する土地では春分と秋分の日が重要である
52年の還暦もその理由の一つになっていたと想像してもおかしくないなと思う
暦のことをもう少し書くとする
マヤ暦の起点は紀元前3114年8月13日である
マヤ暦はこの起点日からの経過日数を表わす
その周期は13バクトゥン187万2000日である
周期の終わりが2012年12月や2015年9月などとの説が話題になった
いずれにしても最近新たな187万2千日の周期に入っているようだ
農作業の起点として乾期雨期で二分する土地では春分と秋分の日が重要である
チチェン・イツァのピラミッドは「ククルカンの神殿」と呼ばれるカスティージョだ
一辺が56メートル高さ24メートルのピラミッドで階段は四方向にある そして何故か北と東側の階段にククルカンが配されている
ククルカンは羽毛の生えた蛇を表わし農耕神である テオティワカン遺跡のケツァルコアトルの神殿にレリーフされたククルカンの像が見受けられるそうだ マヤ文化も独自なものではなく遠く離れたメキシコ高原などとつながっていることを物語る証である
テオティワカンではこの農耕神ククルカンのことをケツァルコアトルと呼ぶ
雨をもたらすという大きく輝いた尾を持つケツァール鳥はケツァルコアトルの使いである
テオティワカンではこの農耕神ククルカンのことをケツァルコアトルと呼ぶ
雨をもたらすという大きく輝いた尾を持つケツァール鳥はケツァルコアトルの使いである
ピラミッド(カスティージョ)に隠れる数字と暦の関係
①四方の階段の数と神殿に登る1段で365段を数え太陽暦の365日と一致する
②春分と秋分の日に北階段の西面斜壁に羽のような影ができて蛇頭につながる現象が生じる
実際は日照と日没の位置を頂上神殿の東と西の窓で確認することで春分と秋分を認識したのかもしれない
写真で示す作業員がいる北西角の斜面の段々の影が北階段の西側斜壁に影を落とすためであることが納得できる
西方向からこの角の段々斜面をとおして北の階段の斜壁を見るとこの現象をシュミレーションすることができる
とにかくこの美しい正四角錐のピラミッドがたくさんの観光客を吸い寄せている
写真で示す作業員がいる北西角の斜面の段々の影が北階段の西側斜壁に影を落とすためであることが納得できる
西方向からこの角の段々斜面をとおして北の階段の斜壁を見るとこの現象をシュミレーションすることができる
とにかくこの美しい正四角錐のピラミッドがたくさんの観光客を吸い寄せている
しかし四方向に階段を設けたのは何故なのか? ウシマルでは二方向でなかったか
ピラミッドの造作とマヤの数字と天体と暦そして農業の諸神の出現など私の壊れつつある脳細胞を刺激活性化してくれる
メキシコ合衆国 チチェン・イツァ (2016年2月25日)
ピラミッドの造作とマヤの数字と天体と暦そして農業の諸神の出現など私の壊れつつある脳細胞を刺激活性化してくれる
メキシコ合衆国 チチェン・イツァ (2016年2月25日)
メキシコの空②ピラミッド(ウシマル) ― 2016/03/09 22:34
ユカタン州の州都メリダはスペイン占領前はテイホと呼ばれていた
このテイホから車で1時間半ほどのジャングルにウシマル遺跡がある
ウシマルはマヤ後古典期(AC900~1500年)の古代都市であった
①占い師のピラミッド
遺跡入り口の真正面にあるピラミッドが占い師のピラミッドだ
118段の急な階段が東西両方向に設けられていて高さは35メートルある
西側の階段の両側には雨神のチャークの顔が下から上まで連なっていてその上にチャークに見たてた神殿が乗っている いうまでもなくこのピラミッドは西側が正面である
このテイホから車で1時間半ほどのジャングルにウシマル遺跡がある
ウシマルはマヤ後古典期(AC900~1500年)の古代都市であった
①占い師のピラミッド
遺跡入り口の真正面にあるピラミッドが占い師のピラミッドだ
118段の急な階段が東西両方向に設けられていて高さは35メートルある
西側の階段の両側には雨神のチャークの顔が下から上まで連なっていてその上にチャークに見たてた神殿が乗っている いうまでもなくこのピラミッドは西側が正面である
裏の東側より見ると錐形の角が丸く造られていて楕円錐形をしていることがよく解る また見た目この方向から見た姿の方が正面方向より雄大に見えた
積み重ねられた石のむき出しの模様は「とうもろこし」を想像させた
積み重ねられた石のむき出しの模様は「とうもろこし」を想像させた
階段が正面のほか裏側の方向にもある理由は何なのだろうか 裏は降りる専用の階段であったのか はたまた神事によっては東側から登ることがあったのか??
②大ピラミッド
占い師のピラミッドから尼僧院を見て球戯場跡を南に進むと高さ32メートルの大ピラミッドがある ここも占い師のピラミッドのように頂上に雨神チャークの神殿が鎮座している
②大ピラミッド
占い師のピラミッドから尼僧院を見て球戯場跡を南に進むと高さ32メートルの大ピラミッドがある ここも占い師のピラミッドのように頂上に雨神チャークの神殿が鎮座している
このピラミッドは階段の幅が広いのが印象的だ なぜこんなに広くする必要があったのか?段数は64段を数えた
この方向は北方向であり占い師のピラミッドとは正面の方向が異なる ジャングルで覆われた残り3方向の姿は確認できないがもしかすると反対側(南側)にも階段があるのかも知れない
神殿の右側の角の壁にチャーク像が重ねられているが その右に太陽神の化身にあたるコンゴウインコの特徴あるレリーフを見つけることができた
この方向は北方向であり占い師のピラミッドとは正面の方向が異なる ジャングルで覆われた残り3方向の姿は確認できないがもしかすると反対側(南側)にも階段があるのかも知れない
神殿の右側の角の壁にチャーク像が重ねられているが その右に太陽神の化身にあたるコンゴウインコの特徴あるレリーフを見つけることができた
このレリーフがあらわす鳥の形はどこかで見たような錯覚を記憶の海に呼び覚ました
ピラミッドを登って頂上の神殿まで確認できたのは唯一ウシマルの大ピラミッドだけでした
メキシコ合衆国 ウシマル遺跡 (2016年2月24日)
ピラミッドを登って頂上の神殿まで確認できたのは唯一ウシマルの大ピラミッドだけでした
メキシコ合衆国 ウシマル遺跡 (2016年2月24日)
メキシコの空①ピラミッド(テオティワカン) ― 2016/03/08 09:13
BC100~AC600年メキシコ高原に興ったテオティワカン文明、その広大な敷地の遺跡に二つの大きなピラミッドがある。これらは古代社会の祭儀と生贄の儀式の舞台であったという
①月のピラミッド
遺跡の北にあるのが月のピラミッド、底辺が168×149メートル高さ45メートルある
①月のピラミッド
遺跡の北にあるのが月のピラミッド、底辺が168×149メートル高さ45メートルある
南側に急な階段があり一番目のテラスまで登ることができる
ちなみに階段を登りながら48段を数えた
ちなみに階段を登りながら48段を数えた
一番目のテラスでなにやら儀式を行う女性のグループあり
月をたたえる踊りであるのか??
月をたたえる踊りであるのか??
これ以上登ることはできない頂上になにが祀られていたのか??
②太陽のピラミッド
月のピラミッドの広場から南側を眺望すると左手に太陽のピラミッドが見える
底辺が224メートル四方、高さは64メートルあるという月のピラミッドより大きい
テラスは5段ほどあり頂上まで39+67+51+20+48段と合計約200段の階段があった
このピラミッドの階段もとても急である 何故急なのかという答えの一説に古代人は荷物を運ぶとき背中にカゴを背負ってカゴの紐を額にかけていた その方法で物を運び上げるのにこの急な角度がちょうどよいというのだ
頂上は石がごろごろ積まれていて何があったのか不明なり
この遺跡の最高点からの眺望はすばらしい(頂上にて月のピラミッドを望む)
頂上は石がごろごろ積まれていて何があったのか不明なり
この遺跡の最高点からの眺望はすばらしい(頂上にて月のピラミッドを望む)
頂上ではなにやら女性のグループがおまじないのポーズをとっていた
太陽のパワーを身体に取り込む儀式なのか
女性はなんでも取り込んでしまう 強く恐ろしいものか?
発掘によればこれらのピラミッドは増築が繰り返されだんだん規模が大きくなり現在の姿になっているという
ある周期で増設が行われていたようでありその周期の意味合いは日本でいえば伊勢神宮のような式年遷宮と同じような意味合いがあるのかもしれないと思った
AC600年テオティワカンの人々は広大な遺跡を残し忽然と姿を消してしまったという これがまだ解明されていない不思議なのである
メキシコ合衆国 テオティワカン遺跡 (2016年2月23日)
ある周期で増設が行われていたようでありその周期の意味合いは日本でいえば伊勢神宮のような式年遷宮と同じような意味合いがあるのかもしれないと思った
AC600年テオティワカンの人々は広大な遺跡を残し忽然と姿を消してしまったという これがまだ解明されていない不思議なのである
メキシコ合衆国 テオティワカン遺跡 (2016年2月23日)
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