久米島のおばけ坂 ― 2020/01/04 14:10
2020年謹賀新年 ― 2020/01/01 00:01
餘部鉄橋空の駅(令和元年5月13日) ― 2019/05/24 10:10
山陰の自然は厳しい
明治45年(1912)餘部鉄橋が完成したことで山陰本線は全線で開通した
明治45年(1912)餘部鉄橋が完成したことで山陰本線は全線で開通した
その後餘部鉄橋は約100年間の風雪を耐えぬいた
鉄の橋梁を蝕んだ生々しい傷痕が痛々しい
平成22年(2010年)餘部鉄橋は防風壁を備えたコンクリート製の橋梁に架け替えられた
コンクリートの橋梁は日本海からの強風を孕むように曲がっている
かっての線路は空に向かって切り取られている
明治45年この鉄橋ができ列車が走ってからも餘部には駅がなかった。念願の駅が出来たのは昭和32年のことで、45年もの長い間、土地の人はこの橋を渡りトンネルをくぐっての鎧駅まで歩いたそうだ。
山陰の厳しい自然や土地の人々の苦労の記憶がこの切り取られた先の空を漂っている
かっての線路に沿って画面を引いていく
これが余部「空の駅」だ
鉄の橋脚は空の駅の支え役として3本が残された
そして平成27年11月にエレベーターが設置された
鉄の橋脚は3番目までは完全な形をとどめているが
4番目、5番目は忘れられていく人々の空を失われたアームが支えている
私は遠い土地に住む人間で山陰線の列車に乗ったこともなく、渡ったこともない。しかし映画やドラマに映る幾度も見た映像がこころに残っている。その映像のこころに残る印象は吹きすさぶ風雪に耐える鉄の橋梁とそれと重ね合わせのひとの人生の厳しさであった。
餘部駅12時43分発鳥取行きの列車から一人の乗客がホームに降りた。その人は空の駅のエレベーターに進むことなく空の駅手前の曲がりくねった坂道を下って行った。そのとき私はその乗客はきっとこの土地の人だと確信する気持ちが沸騰していた。
厳しいものに耐えていくそのこころを「空の駅」が私に語りかけているように思えた。
兵庫県 加美町 余部 (2019年5月13日)
エゾエンゴサクとオロンコ岩(平成31年4月22日) ― 2019/05/03 09:30
ウトロの夕陽台に登りました
日没まではまだまだ時間がありオホーツクの海と眼下のウトロ港を眺めるだけとなりました
港を見下ろすと特徴的な岩が目にとまりました
亀岩
ゴジラ岩 オロンコ岩 三角岩
日没まではまだまだ時間がありオホーツクの海と眼下のウトロ港を眺めるだけとなりました
港を見下ろすと特徴的な岩が目にとまりました
亀岩
ゴジラ岩 オロンコ岩 三角岩
特に目を引いたのが真ん中のオロンコ岩です
良く見ると岩の上はポールが立ち周りを歩道が廻っているようだ
登れそうな岩だと感じたのでガイドに「登りたいが」と尋ねたら・・・
「階段は段差があり登るのはきついので危険です」と私の希望を突き放すように答えた。古希の御爺さんでは登って怪我でもしたら大変との気遣いがあったのかもしれません。しかし、翌朝時間があったら登って見ようとの思いが灯りました。
翌朝4時過ぎに目を覚ましたらすでに外は明るくなっていました。本日の出発は9時30分、朝ぶろに入っても十分時間港を散歩する時間が取れるので身支度を整えて宿を出ました。玄関では番頭さんが作業していたいたのでオロンコ岩への道筋と岩登りの難易度を尋ねたところ難易度は「たいへんでした。」との彼の体験から受けた感想を話してくれました。予め階段の状況を調べたわけではないので「とにもかくも登れるところまで」登ってみようと番頭さんが教えてくれた近道を辿って人影のない港をオロンコ岩に向けて歩きました。カモメはすでに目を覚まして清々しく空に舞っていました。
オロンコ岩の麓には専用の駐車場があり観光地として整備してあり安全であると感じました。階段はコンクリートで固められ鉄柵も身体を支えても丈夫でありました。
コンクリートの階段は173段ありましたが、段差はあまり気になりませんでした。急な所は鉄柵を手で掴んで登れば古希の私でも問題ありませんでした。スリランカのシギリアロックよりはたやすく登れました。
コンクリートの階段を登り切ると木道を進むと頂上です。
ポールの右下には三角点がありました。
真正面に朝日が昇った羅臼岳が
眼下右手にウトロの街並み
正面左は白と赤の灯台が立つウトロ港の出入口です
ちょうど漁船が出て行きます(漁船はボートを曳いていました)
もひとつ左に目を向けると三角岩が見えます
三角岩の広場には森繁久弥の知床旅情の歌碑と松浦武四郎の顕彰碑があります
四方の景色を眺めたり海面を飛び交うカモメやウミウを見つめたりしばらく時間を過ごしてふと足元をみると青紫の花が目に止まりました
背丈は短く花房の色も水色だったり赤紫だったり可憐な印象を受けました
木道近辺では他より暖かさがあるのかのびのびと咲いていました
そのとき花の名前はわかりませんでした
可憐な花という印象を胸におさめ下山を開始しました
まずは木道の階段を下ります
左手の岩が亀岩です
急な下り階段は鉄柵に手で掴みながら下り無事に下岩できました。宿に戻り朝風呂に入り冷えた身体を温めました。(オロンコ岩に登ったことはツアーの添乗員さんやバスのガイドさんには内緒にしておきました。)
家の戻りWEBで彼の花を調べてみると、どうも「エゾエンゴサク」という花のようです。
スプリング・エフェメラル:春のはかないもの、春の妖精 とか
花ことば:妖精たちの秘密の舞踏会 との
解説に行き着きました
正にあの朝私はオロンコ岩の舞台に登り春の妖精の舞踏会にめぐりあえて幸福感にしたることができたのでありました(ちょっとした発見でも発見がある旅は心を潤して気持ちを若返らせてくれる)
北海道 知床 ウトロ (2019年4月22日)
羅臼町望郷台から見た国後島(平成31年4月20日) ― 2019/04/26 16:38
羅臼町の高台に望郷台がある
ロシアに奪われた国後島へ帰るとの望郷の念がうねっている
ロシアに奪われた国後島へ帰るとの望郷の念がうねっている
羅臼から引かれたラインに沿って右から
トマリ山
シマノボリ岳(望郷台で記す名称)
他の地図で見ると羅臼山とあるが?
左の高い方がシマノボリ岳、低いのがラウス山と記す記事もあるが?
右は爺々岳、左はルルイ岳であるか?
方向的にはそのようであるが山容からは霞んでいて確かめられない
以前訪れた納沙布岬や野付半島などからは霧が立ち込め直接北方領土を見ることは出来なかった。こんなに近くに対面に広がって見える豊かな国後を見て決して希望を捨ててはならないという思いを心に焼きつけた。
昨年4月に野付半島や納沙布岬に行ったけれど霧で見えなかった
野付半島ネイチャーセンターからみえたはずの国後島
納沙布岬から見えたはずの北方領土
日本 北海道 羅臼町 (2019年4月20日)
知床連山(羅臼岳~硫黄岳)(平成31年4月21日) ― 2019/04/24 12:19
宮古島 ― 2019/01/03 21:08
黒板塀と郵便ポスト ― 2018/10/22 22:12
秋田内陸縦貫鉄道(2018年秋) ― 2018/10/20 19:38
松葉駅~阿仁合駅
東北が好きだ
旅するとなぜか落ちつく東北が好きだ
僕のこころとアダプターなしで繋がる東北が好きだ
日本 秋田県 (2018年9月27日)
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