敦煌 莫高窟その22020/02/08 15:02

莫高窟
莫高窟 チケット

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見学年月日一覧
      2007年 9月20日  半日           10窟  
      2019年11月22日  一日    14窟
      2019年11月23日  一日    16窟
      2019年11月24日  一日弱   12窟
      2019年11月26日  半日      4窟

見学した石窟を開鑿開始年代別

  北涼(420年~)   275窟
  北魏(439年~)   246窟、254窟、257窟、259窟
  西魏(535年~)   249窟
  北周(557年~)   296窟、428窟
  隋 (581年~)   292窟、311窟、314窟、390窟、397窟
           407窟、419窟、420窟、427窟
  初唐(618年~)    57窟、 71窟、 96窟、220窟、321窟、
           322窟、323窟、329窟、332窟、334窟、335窟、
           340窟
  盛唐(712年~)    23窟、 44窟、 45窟、 79窟、130窟
           148窟、172窟、217窟、328窟、331窟、384窟
           386窟
  中唐(781年~)   158窟
  晩唐(848年~)    16窟、 17窟、 94窟、156窟
  五代(907年~)    61窟
  宋 (960年~)    55窟
  西夏(1038年~)   409窟
  元 (1271年~)    -
           
見学して気にとめたことを絵に描きました。

北涼第275窟 窟形長方形窟
     最も初期の洞窟
     正面仏座 三角形の背もたれ  弥勒菩薩が交脚倚坐する
     左右壁面に3つの龕(闕形龕2、円拱龕1)      
莫高窟 第275窟の石窟形式
          
  
  本尊 
    弥勒菩薩交脚倚坐像
    両側に獅がうずくまる
    本尊は塑像であるが脇侍菩薩は壁面に描かれている
 
   (弥勒菩薩交脚倚坐像横顔)
    
 
莫高第275窟弥勒菩薩の横顔
         
         正面の顔と想像もつかない美しい横顔、長い髪 
 

   南壁・北壁 闕形龕各二龕 交脚菩薩像を置く
         円拱龕各一龕 半跏思惟像を置く     

  北壁中層部 本生図を描く
     東から 月光王本生
         シビ(尸毘)王本生
         快目王本生
         ビリンジェリ(毘楞竭梨)王本生 
          (ビリンジェリ王本生中の飛天)
莫高第275窟 飛天
         
     ビリンジェリ王がバラモンによって釘を打たれる場面の頭上で舞う飛天


北魏第257窟 窟形塔廟窟 窟頂 前部人字披頂 後部平天井
  中心塔柱
    東面一龕内 弥勒倚坐説法像
    南面上層闕形龕 半跏菩薩塑像
    (半跏菩薩(弥勒菩薩))
莫高第257窟 半跏弥勒菩薩

    
  壁画 最上段 天空バルコニーに伎楽天
     中段  千仏 中央に説法図
    下部腰壁 本生・因縁の説話図

  本生説話
     北側腰壁 スマティ諸仏因縁
     
     南側腰壁 沙弥守戒自殺因縁 
     西側腰壁 九色鹿本生
    (九色鹿本生)
莫高第257窟 本生図 九色鹿本生
         鹿王が騎乗の国王に物語の一部始終を語る最後の場面

北魏第259窟 人字窟頂方形窟
  西壁半塔柱形正面龕 二仏並坐像(釈迦仏と多宝仏)を置く
            雲崗初期の仏像と同じ様式
   (二仏並坐像)
莫高第259窟 二仏並坐像(釈迦仏と多宝仏)

  北壁下層龕 敦煌のモナリザと称されている微笑みを浮かべる仏塑像
        大きな弧を描く眉、両唇端を反り気味にして笑みを含んだ顔
        西域の面影
    (禅定仏)
莫高第259窟 敦煌のモナリザ(禅定仏)

西魏第249窟 伏斗形方形窟
  最古の伏斗形方窟
  西壁 西壁に一龕を開き倚坐仏を置く
莫高第249窟 伏斗式石窟
        
        

  伏斗天井
   四披に仏教的内容とともに中国古来の神話伝説多くの神々を描く

   西面披画 阿修羅、雷公、烏獲(風神)、雨師、飛天、朱雀
   北面披画 東王公、龍車に乗る神像、龍に乗る方士、禺強、迦楼羅、開明
        下方人間界、山岳中猪・牛・黄羊、馬上の猟人
   南面披画 西王母、鳳車に乗る神像、鳳凰に乗る方士と飛天、禺強、開明
        下界の山中に野牛、黄牛、獏のような動物
   東面披画 力士が支える魔尼宝珠、両側に飛天、朱雀、倒立する胡人と烏獲
        亀と蛇が一体となった玄武、開明
        

   西面坡画中
    (阿修羅王)
莫高第249窟 阿修羅王

   北面坡画
     (狩猟図)
莫高第249窟 神々 風神と開明

 
   南面坡画の開明と西面坡画の風神 
     (開明と風神)
莫高第249窟 風神と開明

   四壁の上部
    楽器を演奏する天宮伎楽が並んで描かれている
    法螺、縦笛、箜篌、腰鼓、曲頸、琵琶、横笛、篳篥まど
     (法螺貝を吹く伎楽天)
西魏第249窟 伎楽天


北周第428窟 窟形中心塔柱 窟頂の後部は平天井、前部は人字披
  敦煌早期の最大の洞窟 供養人が多く描かれている
  中心柱
   四方に龕を開け 龕内に彩塑仏坐像と二比丘を龕外に二脇侍菩薩を置く
  (中心塔廟窟)      
莫高第428窟 中心柱形式
        
        
        

  本生説話
   東壁
    窟門北側 スダーナ太子本生
    窟門南側 サッタ太子本生
    捨身飼虎は三段に描かれたサッタ太子本生の二段目の中頃に描かれている
    (サッタ太子本生 捨身飼虎)
莫高第428窟  サッタ太子本生
   この窟は供養人が多く描かれていることも特徴のひとつである

  裸体飛天
   平天井
    平天井の蓮華を中心にした三角隅持ち送り式の四角の枡で敷き詰められている こ
    の枡の四隅に蓮華又はずんぐりとした飛天が描かれている その飛天のなかで僅か
    であるが西域の影響を受けた均整のとれた裸の飛天が舞っている
   (裸体飛天)
莫高第428窟 裸体飛天

北周第296窟 窟形殿堂窟 窟頂伏斗形
  この窟は「壁にある図書館」と呼ばれている
   前室 天王 文殊菩薩、普賢菩薩
   主室 西壁大龕 一倚坐仏二弟子  龕外二菩薩
   天井と腰壁に本縁説話を描く
   南壁 五百強盗成仏図
   北壁 スジャーティ(須闍提)本生
   窟頂西披面 善事太子本生
     北披面 福田経変
  当時の生活の情景を知ることができる 
 


北魏第254窟 窟形長方形 後方に中心方柱を置く塔廟窟
  方柱 東面大龕 仏交脚塑像
     南・北・西の三面 上段 闕形龕 交脚菩薩か又は禅定仏
              下段 円拱龕 定印の坐仏
  西壁 方柱後部 白衣仏を描く
  南壁 降摩変 サッタ太子本生
  北壁 難陀出家因縁 シビ王本生本生説話
  (シビ王本生 割肉貿鴿)
莫高第254窟 シビ王本生
         (2007年9月)

隋第407窟 伏斗形方形窟
  窟頂 藻井 隋代になると初期の三角隅持ち送り式は姿を消し華蓋の形式になる 
  第407窟の藻井は大輪の蓮華の中に三匹の兎がそれぞれ耳を共有して左回りに駆けて
  いる とてもおもしろい奇抜な図である その周囲には菩薩形、比丘形、童子形の飛
  天が兎と同じ方向に天衣や衣裳を風に長く靡かせながら雲を伴い飛翔している  
     (三兎飛天菩薩形飛天)
隋第407窟 窟頂 藻井 三兎飛天

隋第314窟 伏斗形方形窟
  天井 蓮華四佛
  西壁龕 一仏二弟子四菩薩の七尊仏形式 塑像は壁と繋がっている 飛天
  北壁 樹下説法図 爪が描かれ爪にマニュキュアをしている
  南壁 樹下説法図 菩薩がブーツを履いている

隋第397窟 前室つき伏斗形方形窟 
  西壁 龕内 一仏二弟子四菩薩 
     龕頂 右側の托胎霊夢(乗象入胎)と左側の出家踰城がセットで描かれる
        飄帯飄動形式の飛天
     (托胎霊夢(乗象入胎))
隋第397窟 龕頂 乗象入胎
  窟頂 藻井 蓮花井の中心に三匹の兎が耳を三耳に重ね三角形を描き旋回している
  各壁 千仏 袈裟の紅、緑、藍、城、黄など諸色を規則的に配列

隋第419窟 窟形長方形 窟頂の後部平天井、前部人字披
  西壁龕に隋代の代表的な彩色塑像を置く 本尊は須弥壇に結跏趺坐し菩薩は水瓶を持ち
  阿難は蓮華の蕾を持ち迦葉はブーツを履いている 龕楣の装飾として片足で立ち、また
  一方の足で頭を支えるおもしろい龍が両側に付けられている
  (五尊立像)一仏二弟子二菩薩
莫高第419窟 三尊像と力士像
  窟頂 平天井に弥勒上生経変
     人字披 東側上方二段にスーダナ太子本生 下段にサッタ太子本生
         西側上方二段に法華経変図 下段に東側から続くサッタ太子本生

隋第420窟 伏斗形方形窟
  西域商隊図が描かれている窟
  南西北の三壁に各一龕を開く
   西壁龕 一仏二弟子二脇侍菩薩
   南北壁各龕 趺坐仏と二脇侍菩薩 三壁の三尊で三世仏を示す
  西壁正龕左右上部 維摩詰経変 右に維摩詰 左に文殊菩薩 鳥獣も説法を聴き入る
  窟頂の四披絵 法華経変 西と北は序品 東は観世音菩薩普門品 南に譬喩品
         東の上段は西域商隊図が描かれ、中下段北半分に観音の三十三現身
    
隋第427窟 前室をもつ人字披窟頂の塔廟窟
  
  前室 前室はこの時期に出現 敦煌の石窟は最初造営した時に木造の窟擔があったが、
  そのほとんどは残っていない ここ第427窟は木造窟擔が残る貴重な窟である 棟木
  には乾徳八年の墨書銘がある 前窟には隋塑像の最も初期の四天王と力士が立っている
  主室 中央の方柱に龕を開けず一立仏二脇侍菩薩の三尊像を配置、これに南・北壁の各
  三尊像と合わせて三世仏を構成する 窟頂、方柱、四壁に描かれた千仏は四色の配列で
  色のリズムが織りなす荘厳な空間を演出している
  (前室力士立象と主室三尊立像)
     
隋第427窟 彩色塑像 三尊像と力士像
         

隋第292窟 人字披窟頂の塔廟窟(前述の第427窟と同じ形式)
      天井 前部人字披頂(切妻形) 後部平天井
  中心柱東向面と前部人字披下南壁北壁
    各塑大形の一仏二菩薩像を置く、三体の仏像で三世仏を構成する
    菩薩は連珠文のスカートを穿く
  中心柱南西北向三面各浅龕を開く 各塑一禅定仏、二弟子を置く
  主室四壁上部 飛天が軽快に窟を廻る姿は飄逸秀美である  その姿は奏楽、散花、礼
         拝と千姿百態である
 

 
初唐第57窟(美人窟)伏斗形方形窟
  西壁 腹式龕内 一仏二弟子四菩薩 塑像 
     龕外上層 右に乗象入胎図 左に夜半踰城図
  北壁 仏説法図 観音菩薩と大勢至菩薩を脇待とする一仏二弟子二菩薩
  南壁 樹下説法図
   結跏趺坐する坐仏を中心に脇侍の二菩薩二弟子、八菩薩が囲繞する
   美人画で有名な菩薩は坐仏の向って左側であるが下図は注目を浴びていない右側の顔
   や体が黒く変色した脇侍である
   (樹下説法図)
莫高第57窟 仏画 説法図

初唐第71窟 伏斗形方形窟
  1920年11月~1921年8月)白系ロシアコサック兵400名収容、塑像の金箔剥がし、落
  書き、壁の煤けたりの被害を被る
   窟頂四披画 千仏
   西壁開一龕 一趺坐仏二弟子二菩薩
   南壁 弥勒経変
   北壁 阿弥陀浄土変

初唐第96窟(九層楼北大仏)
 
  弥勒倚座大仏
  断崖をくりぬいて石芯を彫り残しその上に粘土で形を整えた石胎泥塑
  則天武后の延載二年(695)に造営
  高さは33メートル
  
    (弥勒倚座大仏)
莫高第96窟 弥勒坐仏


初唐第220窟  伏斗形方形窟
  経変図の流行
  南壁 阿弥陀経変図
             中央の阿弥陀仏が結ぶ転法輪印は屈鉄線でくっきり描かれている
莫高第220窟 阿弥陀経変
 

  東壁 門口 両側 維摩詰経変 南側 維摩詰 北側 文殊菩薩
        北側 文殊菩薩の下方で大勢の臣下を連れて法を聴く帝王
     (帝王図)
莫高第220窟 維摩詰経変 帝王図

初唐第321窟 伏斗形方形窟
    唐武周時創建
  西壁大龕 塑像七体(結跏趺坐一仏二弟子二菩薩二力士)
  南壁 宝雨経変 玉、宝が雨のように降る
  北壁 阿弥陀経変
  東壁 門口左 十一面観音 6本の腕は人々を救済する印を結び十方に慈悲の眼差しを
               配る
      同右 釈迦遊行図     
  天井 阿弥陀来迎図 ラピスラズリの青色の空

初唐第322窟 伏斗形方形窟(前室棄損)
  西壁腹式龕 一趺坐像二比丘(阿難、迦葉)二菩薩(観音、勢至)二天王
        菩薩は辯髪を高髻に結い天王は胡人の形で他民族の風情
   龕内壁画 仏伝故事 乗象入胎と夜半踰城
   葡萄唐草文 多産と豊饒の象徴

初唐第323窟 伏斗形方形窟
  前室左右に耳洞(第324窟、第325窟)
  主室が第323窟
  北壁 張騫出使西域図
     前漢の武帝が張騫を大夏へ赴かせた場面が描かれている

初唐第329窟 伏斗形方形窟
  窟頂  大輪の蓮華に四体の飛天が舞う蓮華飛天の藻井が美しい
  西壁龕内 塑像七尊像 龕頂 乗象入胎と出家踰城
  南壁 阿弥陀仏浄土変
  北壁 弥勒浄土経変 弥勒仏の三会の説法や剃髪図 

初唐第332窟 人字披窟頂中心柱窟
  唐代においては中心柱窟は珍しい
  方柱には龕を開けず壁画を描く
   南面 盧遮那仏 西面 薬師仏 北面 釈迦霊鷲山説法図
  中心柱正面、南壁、北壁 各塑像の一立仏二脇侍菩薩を置き三世仏を現す
  西壁龕中 塑像の涅槃仏を置く

初唐題335窟 伏斗形方形窟
  西壁龕内 塑像の一仏二弟子四菩薩を置く七尊像形式
       本尊光背上部に労度叉闘聖変を描く
  南壁 阿弥陀経変
  北壁 維摩詰経変(聖暦年間(698~700)の発願銘あり)
  東壁門口上部 説法図(垂拱二年(686)五月十七日の発願銘あり)

盛唐第172窟 伏斗形方形窟
  完成の域に達した阿弥陀浄土図
  南壁 観無量寿経変
莫高第172窟 観無量寿経変

  (観無量寿経変中右天空の飛天)
莫高第172窟 観無量寿経変 飛天


盛唐第217窟 伏斗形方形窟
  南壁 法華経変 化城喩品
  導師は神通力を用いて一城を化作して衆生の疲れをいやして元気を回復させる場面
  (法華経変 化城喩品)
莫高第217窟 法華経変 化城喩品

  北壁 観無量寿経変
  左右外縁に未生怨と十六観を描く、両縁のない場合は阿弥陀経変として区別する場合が
  ある

盛唐第23窟 伏斗形方形窟(前室棄損)
  法華窟とよばれる
  壁面各部に法華経変を描く
  西壁龕内 内塑一仏二弟子四菩薩

盛唐第328窟 伏斗形方形窟
  蓮華文を型どった磚の床は宝池を表わす 窟全体を浄土に見立てている
  西壁龕内 説法相の結跏趺坐する一仏二比丘二菩薩二供養菩薩の塑像(南側の一体は失
    われている) 二比丘の背後に八体の比丘が描かれていて十大弟子を表わす
    菩薩と供養菩薩の白色の肌は人肌の美しさを感じさせる また蓮華座に遊戯坐する
    供養菩薩に美しさに緊張感を感じた

盛唐第79窟
  西壁大龕内 一仏二弟子四菩薩(遊戯坐)背後に一双の六曲屏風
        遊戯坐の菩薩は官能的に造られている
     龕外 二力士
  南北壁 千仏

 
盛唐第45窟 前室をもつ伏斗形方形窟
  盛唐様式を代表する彩色塑像七尊像を西壁龕内に配置する
  この時期七尊形式が成立する
  西壁龕内 一仏二弟子二菩薩二力士
  (七尊立像)  
莫高第45窟 彩色塑像 七尊像
        七尊形式が成立、雅びな趣き
  (雅な趣の菩薩像)インドの三曲法の取入れ
莫高45窟 西壁龕内 菩薩
        
         この窟内で10分間の座禅を行った

盛唐第384窟 前室伏斗頂方形室、主室伏斗方形窟
  主室 西壁龕内  一趺坐仏二弟子二脇侍菩薩二供養菩薩
     南北龕内 各一趺坐仏二菩薩 西南北で三世仏を示す

 
盛唐第130窟(南大仏) (窟平面は長方形、天井は伏斗形)
  開元年間(713~741)造営
  高さ26メートルの石胎泥塑の弥勒菩薩倚座像
  顔と胸の前壁に明かり窓が開けられている
  (弥勒菩薩倚座像)
莫高第130窟 南大仏弥勒倚坐像
         (2007年9月)

盛唐第148窟 涅槃窟(柩を模るアーチ型天井)
  涅槃のテーマが流行
  大都隴西李府君修功徳記碑があり李大寶が唐の大暦十一年(776)造営した
  本尊長さ14.8メートルの涅槃仏 その後方に弟子、夫人、各国王子、菩薩、羅漢などの
  塑像が83体並ぶ
  壁画 東壁 北側 薬師経変 南側 観無量寿経変
     西・南・北壁 涅槃経変
  (涅槃窟)
莫高第148窟 涅槃窟
        

中唐第158窟 涅槃窟(奥行き約7メートル、幅約17メートル)
(吐蕃支配期)
  甬道に大蕃管内三学法師持鉢僧宜と供養僧の題記あり
  長さ15.1メートルの涅槃仏 南・北壁に塑像の立仏と倚座が造られ涅槃仏とともに三世
  仏を構成する
  (本尊涅槃仏像)
莫高第158窟 涅槃仏
         

  本尊後方の壁画
  (各王子挙哀図)
莫高第158窟 涅槃経変 各国王子挙哀図

晩唐第156窟 前室 主室 伏斗形方形窟
  張議潮出行図がある晩唐の石窟
  前室 北壁に莫高窟記の墨書銘あり
  主室 西壁帳形龕内 倚坐仏一体
     南壁下部 張議潮出行図 榜題に曰
      「河西節度使檢校司空兼 御史大夫張議潮統軍☐ 除吐蕃収復河西一道行図」
     北壁下部 宋国夫人出行図 榜題に曰
                 「司空夫人宋氏行季馬車」「宋国河内郡夫人出行図」
     南壁上部 阿弥陀浄土経変、金剛経変など
     北壁上部 薬師浄土経変、報恩経変など
      (これら経変図のどこかに反弾琵琶が描かれていたと思うのであるが)
  窟上部 コサック兵が住み着いた生活の跡煤が残る

晩唐第16窟 背障式窟
  南区の北端に位置する三層楼は1906年王道士により造営された その一層にある第
  16窟は大型の伏斗形窟頂をもつ中心須弥壇式石窟
  壇上に塑像9体が置かれ須弥壇の側面に神将、力士、獅子が描かれている
  前廊北壁に西夏様式の供養菩薩が並ぶ
  (第16窟の甬堂と主室)
莫高第16窟 中心仏壇窟

晩唐第17窟 御影堂
  光緒26年(1900)第16窟の前廊北壁に穿たれた小窟を発見、5万点もの経典、文
  書、画巻きが発見された  このためその後この窟は蔵経洞と呼ばれている
  この窟の西壁に「大番釈門教授和尚洪辯修功徳碑」の石刻文がはめこまれており唐大中
  五年(851)の紀年がある  洪辯は張氏の沙州帰軍の時代河西の都僧統として仏教教
  団を率い第365窟、第16窟など大窟を造営した 洪辯が死亡したのは唐咸通三年
  (862)のことである
  現在第17窟内に洪辯の塑像が置かれていているが、三層楼二層にある第365窟薬師
  七仏堂の北隣りの小窟第362窟に置かれていたものを1965年にここに移したもの
  である 第17窟は洪辯の御影堂として造営されたものであり、移したというよりは元
  に復したとの表現が正しいのではなかろうか
  御影堂に経典や文書などを詰め込み、洪辯像を運び出し前廊北壁の入口を封印したのは
  何時なのかまたどのような理由によるものなのか  西夏の時代重修した時に密閉し供
  養菩薩像を描いたということなのであろうか 第17窟には洪辯像が置かれ背後に樹下
  人物像(優婆夷と団扇を持つ比丘尼)が描かれている
  (洪辯像と優婆夷)
莫高第17窟 洪辯と優婆夷

五代第61窟 伏斗形窟頂、須弥壇を設けた背屏式窟
  946年~980年にわたり帰義軍節度使の任にあった曹元忠とその夫人翟(てき)氏
  が施主として造営した
  (伏斗形窟頂、須弥壇を設けた背屏式窟)
   
     
莫高第61窟 背屏式中心仏壇窟

  この窟は文殊菩薩の塑像が置かれていたと考えられるが文殊菩薩騎獅像の獅子の尾が
  背屏正面中央に残っているのみである
  背屏背後の西壁には文殊菩薩の住地とされる五台山図が大きく描かれている
  供養像
  東壁門口右側に八体の女子供養者が描かれている
  門口から一番目は曹議金の夫人
      二番目が曹元忠の姉 甘州回鶻に嫁す
                (姉甘州聖天可汗天公主一心供養)
      三番目も曹元忠の姉 嫁して于闐王の皇后
      四番目は曹議金夫人(故慈母)元忠の母
             (一~二回鶻の装束、三~四は漢族装束)
  (三番目の女供養像(頭部)
莫高第61窟 回鶻女供養者像
 

  (参考)
   五代楡林窟第16窟 供養像
    (曹議金供養像)
楡林第16窟 曹議金供養像

      散花飛天
莫高第61窟 散花飛天


宋第55窟 大型の背屏式の窟、伏斗形窟頂 
  藻井 曹氏の権力を示すがごとく二尾の龍が巻く
  天井の四隅 四天王が描かれている
  馬蹄形の仏壇上 東・西・南に倚坐する弥勒菩薩と菩薩、天王、金剛力士  
  壇上左下で弥勒菩薩の台座を肩で支える金剛力士
  (金剛力士像)
莫高第55窟 力士像


西夏第409窟 (元隋窟:西夏改修)
  東壁門口右側 回鶻王供養像
  団龍模様の円領窄袖の袍、手に柄香炉、腰にちょう韘とよばれる帯飾りを提げる
  背後に子供のような従者が傘蓋をさしかけている
  (回鶻王供養像)
莫高第409窟 回鶻王供養像
   

  東壁門口左側 回鶻可汗妃供養図
  頭に鳳鳥文の刺繍のある桃形の冠を載せ、髪には種々の簪を挿し耳環をつける
  装束は回鶻の円領窄袖の袍である

窟形式が時代によりどのように変化していったか
塑像で表わされる尊像が時代によりどのように変化していったか
描かれた壁画の内容が時代によりどのような理由により変化していったか
その時代時代のひとびとの生活がどのようなものであったのか
敦煌の支配者がどのように移り変わりその支配者たちはどのような思惑で石窟を開いたのか、或いは修繕したのか
敦煌は誰を救ってきたのだろうか
敦煌は21世紀を生きる自分のこころのなかに何を化生させようとしているのだろうか


(現地説明者)
2007年9月
 説明者 YANGさん
2019年11月
 年特別講義とディジタル化作業中の217窟の説明をして頂いた研究院のNIU先生
 一日目の説明員のMENGさん
 二日目~最終日まで 説明員のZHUさん

(参考図書)
世界文化遺産 敦煌石窟(中国旅游出版社)
敦煌壁画臨本選集(上海人民美術出版社)
敦煌飛天線描一百例(浙江古籍出版社)
敦煌 石窟知識辞典(甘粛人民美術出版社)
敦煌三大石窟(講談社選書メチエ)

      中国 甘粛省 敦煌市 莫高窟(2007年9月、2019年11月)

敦煌 西千仏洞2020/01/10 23:18

敦煌 西千仏洞
敦煌市街より西方35キロ、西方に涅槃仏の形をした山容が見えてくる
昔々西に赴く人々や、また西からやって来た人々であれば立ち止ってこの姿に手を合わせたに違いない
敦煌 西方 涅槃の山

真っ直ぐ進むと陽関、北に進むと漢代の玉門関、そんな場所にシルクロードを行き交う人々の安寧を祈るためこの石窟が開削されたようである

日が西に傾く頃にここに到着
党河の北岸170メートルの幅に19の石窟が残る
このように砂利を積み重ねたようなもろい土砂の崖なのによく穴を穿って石窟を作ったものだと思う
敦煌 西千仏洞 地質

石窟入口
敦煌 西千仏洞

石窟は階段を上った高さに並ぶ
敦煌 西千仏洞

敦煌 西千仏洞

党河の流れと断崖が見える
敦煌 西千仏洞

石窟内部の説明は現地説明員が中国語で、日本語通訳は現地ツアーガイドの許さん

窟内を観賞できたのは第4-5窟、第9窟、第11窟、第18窟の5窟のみでした

第4-5窟  (入口が同じ)
敦煌 西千仏洞第5窟
       開削:第4窟隋時代、第5窟盛唐時代
       第4窟 南に向かって開いた伏斗形天井前室有する方窟
           前室北壁の主室へ通じる門口上部:説法図(盛唐時代)       
           前室天井:豊満な飛天が舞う
           主室奥壁二重龕内:仏坐塑像(民国)背後に虎の壁画
           主室天井:回鶻の牡丹(団花)模様
       第5窟 入口が第4窟東側に開いた方形窟(人字披頂)
           東壁:龕を開く
           南壁:仏立像(盛唐時代)左右に蓮華座に化生の菩薩を描く

第9窟
敦煌 西千仏洞 第9窟
        開削:西魏時代
        塔頂窟、人字披の天井を持つ
        方柱南面:龕中1仏2弟子の塑像(清重修)
             龕上部仏三尊と飛天
             方柱西面北周の千仏、その中に説法図
        東壁:説法図 隋時代の未完の壁画
        西壁:上部に北周の千仏
        北壁:涅槃変、涅槃仏
        南壁:左側白地に描かれた説法図
           壁画に如意元年(692年)と題記が残る
           (唐が武周と国号を改めた時代)
敦煌 西千仏洞 第9窟 仏説法図

        
 
第11窟
敦煌 西千仏洞第11窟
        開削:北周時代
        横長の長方形、船底形天井
        奥壁龕:民国修復の仏坐像 龕頂部 北周の飛天
        西壁:上部に千仏図、その中に説法図、下部に女子供養者
        東壁:上部に千仏図、その中に説法図、下部に男子供養者

第18窟
敦煌 西千仏洞第18窟
        開削:中唐・吐蕃占領時代
        伏斗形天井の方形窟
        龕内:七尊仏の八角の台座のみ残る
         壁画は法華経の普門品変相、観音の三十三現身、八十救難
        西壁:観無量寿経変(唐代の建物、観音菩薩、勢至菩薩)
        東壁:薬師経変
        窟門の西側:不空羂索観音 一面六臂の姿
         上方の両手に三叉戟を持ち、胸の前で両手を拈じる
         垂下する左手に羂索を右手に宝瓶を持つ
        

西千仏洞を見た中で一番素晴らしかったと感じたのは第18窟の壁画でした


        中国 甘粛省 敦煌市  (2019年11月24日)



瓜州 楡林窟2020/01/09 21:35

2019年11月25日(月)快晴
楡林窟の石窟10窟を見る

楡林窟は甘粛省瓜州県の南山山谷中の楡林河東西両岸に開鑿された仏教石窟であります

外景

     東崖は上下二層に分かれる
楡林窟  東崖

        上層に20窟
楡林窟 東岸

楡林窟 東岸

        下層に10窟
楡林窟  東崖

     西崖は一層のみ11窟
楡林窟  西崖

        仏塔が入口に立つ第38窟
楡林窟 西崖 38窟

楡林窟 西岸


開鑿時代は唐代~清代であるという
見学できたのは東崖のみで合計10窟に入ることができました
現地説明員は若い女性で日本語がとても堪能でした


見学窟一覧
第5窟、第2窟、第25窟、第26窟、第21窟、第17窟、第16窟、第14窟
第13窟、第12窟

記憶に残る塑像、壁画など

涅槃仏像(第5窟)
 とても穏やかな美しい顔立ち
楡林第5窟 涅槃仏


三世佛像(第17窟)
 中心柱の三方の龕に鎮座した過去、現在、未来の三世佛像の造形と頭光、背光に描かれた
 模様と緑の色彩
楡林第17窟 中心柱南向龕 仏頭

曹議金と曹議金夫人の供養像(第16窟)
楡林第16窟 曹議金供養像

 ほぼ実寸大の供養像、香炉を持ち立つ曹議金の供養像、帽子や装束、宝刀や弓矢を持ち控
 える侍従たち。同じく香炉を持ち立つ夫人の供養像、桃型の冠や装束、頬に貼る花鈿、鏡
 や扇を持つ侍女たち。
弥勒経変図(第25窟)
 人間社会を描いた部分、農民一種七収図、老人入墓図、婚嫁図など
楡林第25窟 収穫図

 (第25窟)
観無量寿経変(第25窟)
 浄土世界の壮麗な宮殿、楼閣
 伎楽 人頭鳥身の共命鳥
 具体的な修行方法を描いた十六観図

水月観音(第2窟)
 シャボン玉のような透明な大輪の身光のなかで岩上に悠然自在に座る観音様
 一体は足元の水辺を見つめ、一体は欠けた月を仰ぎ見る
楡林第2窟 水月観音

 各各下に並んだ供養人、一方は七人の男、一方は四人の女

弥勒菩薩と普賢菩薩(第25窟)
 青獅子の背に座る文殊菩薩、六牙の白象の背に座る普賢菩薩
楡林第25窟 普賢菩薩と南方天王

薬王像など九体の塑像(第12窟)
 仏床上に並ぶ薬王を中心とした道教の塑像
 壁画は仏教画のままで塑像だけ道教に変えて使われたようだ

莫高窟よりは小ぶりな石窟でしたが見るべきものはすべてそろっていたような気がしました
特に第17窟の仏塑像と第25窟、第16窟の壁画が素晴らしかった
(現地説明)
  説明員 CHENさん
(参考図書)
  楡林窟芸術(江蘇鳳凰美術出版社)


         中国 甘粛省 瓜州県    (2019年11月25日) 


赤道の国へ(インドネシア)バリ島ゴア・ガジャ遺跡2013/06/01 10:55

バリ島ウブドの街の東方にあるゴア・ガジャ遺跡
ヒンドゥー教僧院の遺跡で石窟がある

         まず常夏の森林のなかで目にとまったのが沐浴場だ
ゴアガジャ遺跡 

沐浴場
        三体の女神が神水を注ぐ沐浴池は左右対象に配置されている
        その中心に通路があり奥に台座が残るが像は失われている
ゴアガジャ 沐浴場

石窟の入口
         沐浴池を右に見て進むと石窟の入口が黒い口をあけている
         守門神が守る闇の門は子供に飢えた魔女がおどろしい
         眼をして牙をむいて口を開け食おうとしているようだ
ゴアガジャ 石窟入口
           (バリの魔女ランダだと言う)

         洞穴を進むと洞の真ん中に突きあたる
洞の左側
         左側奥の壁の龕には
ゴアガジャ 石窟左側
 

         ガネーシャが祀られている
ゴアガジャ ガネーシャ像


洞の右側
         そして右側奥の壁の龕には
ゴアガジャ石窟 堂内右側
         
         

         ヒンドゥーの三大神ブラフマ・シヴァ・ヴィシュヌを
         あらわすリンガが横一列に並んで祀られている
ゴアガジャ 石窟 右側大三神

         ヨニの上にリンガ三体が並んでいるのを見たのは初めてだ

壁の龕
         そのほか壁の両側に龕が15穴掘られている
         修行僧が瞑想したものなのであろう
ゴアガジャ 石窟 修行龕

     

     インドネシア バリ島 ウブド ゴア・ガジャ遺跡  (2013年5月13日)

エレファンタ島のドヴァラパーラ2012/12/14 22:34

エレファンタ島石窟のドヴァラパーラ
エレファンタ島のドヴァラパーラ

リンガーを祀る祠堂の四方で聖域を守る門番ドヴァラパーラ
クメール遺跡の像よりは立体的で表情が観音様のように穏やかである

    インド共和国  エレファンタ島  (2011年11月)

中国の挑発は元寇のような恐れを思わせる
韓国も北朝鮮も挑発を止めない
現状で国の安全と威信を確保できるのか
彼らの挑発は日本は現状ではだめだと挑発しているのに等しい

                   (2012年12月14日)

三面半身像2012/09/29 23:27


         北側の中央の祠に護衛神ドヴァラパータに守られた
         三面半身像がある
三面半身像
エレファンタ島マヘシャムルティ
         人気の像の前は観光客で混雑する

左側 破壊神のシヴァ
中央 創造神のブラフマー
右側 維持神のヴィシュヌ
インドエレファンタ島マヘシャムルティ

         この像はインド彫刻の傑作と言われている
         想像する能力もなくまた破壊する勇気もない
         自分は宇宙を輪廻転生する漂流者なのだ


   インド エレファンタ島          (2011年11月20日)

シヴァ神とパルヴァティの結婚2012/09/21 06:07


エレファンタ島シヴァとパルヴァティ

東のヴェランダから石段を登り石窟寺院に入ると
正面にリンガを祀る祠堂がある
祠堂の前を右に折れ北側の石壁に
シヴァ神とパルヴァティの結婚のシーンが彫られている
パルヴァティがシヴァ神の右側に立つということは
結婚式前の二人を現わしているのだそうである
二人の表情・ポーズが優しさを壁面全体に醸し出し
見る人の心を穏やかに洗い清めている

     インド エレファンタ島   (2011年11月)

両性をもつ神アルダナリスヴァラ2012/09/17 23:19


男女合体像の神
(男性と女性の両性を持つ神、アルダナリスヴァラ)

ここはエレファンタ島の石窟です
この像は牛のナンディに寄りかかっているシヴァ神です
手に持った鏡、豊かな胸と丸い腰などから一見女性像だと思うけれど
よくみると左側は豊かな胸も腰の丸身もなく男性像なのです。
実はこの神様は男性と女性の合体像なんです
万物の根源はひとつという観念を表現したものだそうです

  インド エレファンタ島         (2011年11月20日)

大足宝頂山石窟2012/09/04 01:53

大足宝頂山石窟

円覚洞
円覚洞 

                        (毗盧舎那仏)

円覚洞菩薩像

                         (円覚菩薩像)

護法神龕

護法神


六道輪回図

六道輪回図

                      (生死輪回・十二因縁)

華厳三聖龕

華厳三聖龕

                         (華厳三聖)

舎利宝塔

舎利宝塔


千手観音龕

千手千眼観音

                                 (工事中)

釈迦仏涅槃図

涅槃


九龍浴太子

九龍浴太子


孔雀明王経変図

孔雀明王経変図


父母恩重経変相

父母恩重経

                       (上層七仏半身像)

父母恩重経乳哺養育恩

                         (乳哺養育恩)

雷音図

雷音図

                                                            (雷公電母神像)

大方便佛報恩経変相

割肉供母造像

                       (割肉供父母造像)

観無量寿沸経変相

観経変図


地獄変相

地獄変相

                        (地蔵菩薩像)

地獄変相

                       (養鶏女・鉄輪地獄)

柳本尊行化図

柳本尊行化図

                       (主像柳本尊像)

十大明王

大穢跡金剛

                         (大穢跡金剛)

牧牛図

牧牛図

 

            中国 重慶市 大足   (2012714日)



新疆ウイグル(17) キジル石窟2012/05/03 09:42

亀茲石窟のなかで中心的な石窟がキジル石窟です。キジルとはウイグル語のクズル赤いという言葉に由来する。確認されている石窟の数は235窟とも言われるが実際はもっと多かったと考えられている。

 

(キジル石窟)一番大きな窟は第47窟の大仏窟です。

 

クチャ キジル石窟

 <今までこのようなキジル石窟の写真は現地に行くまで見たことがなかった>

 

38窟は
中心柱窟で主室は天井に天相図・海中図、菱形枠に描かれた本生図、側壁に
28体の演奏演舞している男女伎楽天(この窟が音楽洞と呼ばれる由縁)、前壁(入口上部)に交脚の弥勒説法図が描かれている。後室の正壁には弟子や供養者に囲まれた釈迦の涅槃像の壁画がある。

 

34窟は
中心柱窟で主室の天井に天相図が描かれている。後室は涅槃台が残り仏舎利や経典をしまった穴が残る。

 

32窟は
中心柱窟で指のような形でかたどった菱形格子に描かれた因縁図などが残る。手の指の形は須弥山を現わしたものである。

 

8窟は
中心窟で主室は天井に天相図(蛇を口に加えたガルダ、鉄腕アトムの髪形をした風神)、入り口右上に五絃琵琶を奏でる伎楽天、
4人×4か所=16人の剣を持った供養者(亀茲王侯貴族)の像が並んでいる(この窟が十六帯剣者窟と呼ばれる由縁)。後室は涅槃台のみ残っているが、ここには舎利争奪の壁画があったようだ。

 

10窟は
方形窟の僧坊窟である。キジル石窟の発掘に貢献した黒龍江省朝鮮族の韓楽然先生の写真、資料などが展示されている。

 

27窟は
中心柱窟で多龕窟と呼ばれる。主室の天井は碁盤の目の格子天井、前壁に弥勒説法図、正面には天蓋の絵が残り釈迦像が安置されていた。また壁に
60もの小仏龕が残っている。後室には鮮明ではないが火葬図、舎利争奪などが描かれている。

 

このキジル石窟で印象に残ったのは

①第38窟の天相図と海中の図(白鳥が舞う太陽神と月神は特に印象的だ)及び伎楽天

②第8窟の十六帯剣者と5絃琵琶を鳴らし舞う飛天

③菱形格子に描かれた本生図や因縁図

④弥勒説法図

少々残念であったのはここで亀茲人をイメージできる壁画が少なかったことである。敦煌莫高窟に描かれた回鶻王供養図のようなものが見られれば亀茲人のイメージが掴めたと思われる。

 

今回行ったクズルガハ石窟も、キジル石窟も見た石窟は亀茲国時代のものであった。亀茲国は西暦645年唐により滅ぼされ姿を消した。その後石窟の形は唐風色(例えばアエ石窟のような)へと変化していくのである。

 

            中国 新疆ウイグル (201110月)