チベット(6)蔵王墓2013/04/12 21:35

増長した僧たちに不満を抱く者たちは
仏教を信奉するティソン・デツェン王を謀殺し
廃仏を唱えるランダルマを王に立てた
    ランダルマは敵対者を駆逐し   
    経典を焚き僧を排除するなど
    徹底的に仏教を駆除した
 強硬な廃仏策は仏教徒や民衆の憎しみを駆い
 846年ランダルマは敬虔な仏教僧により刺殺された
          その後吐蕃王朝はチベットの地に
          統一王朝を結ぶことなく
          約200年の歴史に幕を下ろした
チベット 王墓
                    (ソンツェン・ガンポ墓)
          吐蕃の王はラサに遷都しても王朝発祥の地を慈しみ
          チョンジュエに王墓を築いた

    チベット  山南地区  チョンジュェ   (2010年10月)

チベット(5)チベット仏教の礎 サムイエ寺2013/03/29 01:08

山南地区ツェタンの街から見てヤルツァンポ河側北岸に鎮座するサムイエ寺は799年に建立された仏法僧を備えた最初の僧院です
国教に仏教を選び仏法を広めたティソン・デツェン王(755~797年)
ティソン王がネパールから招聘され僧院の建立を進言した高僧シャーン・タラクシタ
土着神を鎮めるためシヤーン・タラクシタによってインドから招聘されたパドマサンバヴァ
の3名は師君三尊として敬われている

(険しい道程)
サムイエ寺はツェタンの街からヤルツァンポ河を挟んで北岸の扎囊県桑耶鎮にある
街から河を渡る橋があれば都合がよいのであるが生憎くこれがない
またフェリーもない
ヤルツァンポ河に沿って省道101号線を下ってヤルツァンポ大橋を渡るしか方法がない
しかしこの立派な橋は運悪く通行禁止であった
チベット ヤルツァンポ河
         (往路通行禁止、復路はバスを下車して歩いて渡った)

従ってさらに隣の県まで下ってようやくヤルツァンポ河を渡って折り返して対岸の県道をツェタンの対岸方向へ戻るように走った
対岸の県道は舗装もなく悪路でパスは揺れがひどくて速度を上げられないけれども十分すぎるほど砂埃を巻き上げた
チベット サムイエ寺 県道

おまけに道路わき集落から餌場に出勤する羊の群れに行く手をふさがれバスは停車して群れが通り過ぎるをのを待つしかない
チベット サムイエ寺 羊飼い
                     (餌場へ誘導される羊たち)

この付近のヤルツァンポ河の両岸は砂漠が広がっているのには驚いた
まさか羊や山羊が草を食いつくして砂漠化したものでもあるまい
青い空とヤルヴァンポの流れ、雪を頂く峰々と砂漠原とあまり遭遇することのない風景の組み合わせだ
風が吹くと砂が舞いあがり砂塵は対岸の山々の姿を覆った
チベット サムイエ寺 砂漠
        (ヤルツァンポ河両岸は砂漠:何が砂漠化を進めるのか)

(サムイエ寺)
ツェタンのホテルを出発して約3時間、ようやく目的地サムイエ寺に到着した
サムイエ寺は漢字で扎囊県桑耶鎮にある
正面の建物が山門で口を東に向けて開き
白く塗られ塀は輪を作って僧院を囲んでいる
チベット サムイエ寺 山門
                  (山門の前で出店が開いていた)

(本堂)
山門をくぐり進むと僧院のシンボルの柱と本堂が見えてくる
チベットサムイェー寺
                            (本堂)
本堂は左右対象の三階建の建物だ
一階がチベット様式、二階が中国様式、三階がインド様式の三様式で建てられている
入口は3条の幕が下げられ左際に赤い石碑が立っていた
チベット サムイエ寺  本殿
                   (三様式で建てられた本堂)

(興佛盟誓碑)
碑の名前は「興佛盟誓碑」といい寺の創建時に建てられたという
仏法の教えに背いてはいけない
寺院に必要なる資材などの供養は惜しんで減少させたり欠乏させてはいけない
末代までもツェンポ(王)父子(ティソン・デツェンとその父ティデ・ツクツェン)の盟誓に従い変更してはいけない
などが刻まれている
チベット・サムイエ寺
                        (本堂前の碑文)

本堂の一階は中庭を回廊が廻り壁には壁画が描かれ回廊の中央にはマニ車が並んでいる
チベット サムイエ寺 本殿一階
                       (本殿1階の回廊)

(本堂1階の壁画)
この寺の壁画は有名である
チベット サムイエ寺 本殿壁画
                         (如来坐像)
チベット サムイエ寺  本殿壁画
                  (極楽浄土で寛ぐ王族の姿?)
チベット サムイエ寺  本殿壁画
   
                     (釈迦の入滅の場面か?)

このほか画題としてはサムイエ寺の史記やパドマサンバヴアの伝記などもあるそうだ    

(4色の仏塔)
本堂を中心にして四方に4座4色(白、赤、黒、緑)の仏塔が立っている
それぞれ両眼が描かれ四方を見渡している
チベット サムイエ寺 白の仏塔
                      (左手前の白い仏塔)
チベット サムイエ寺 緑の仏塔
                       (右手前の緑の仏塔)

(タンカ虹のベール)
山全体を覆ったタンカは鷲が虹色の羽を広げているようである
仏法の御利益を平易に万人に知らしめている
チベット サムイエ寺
               (タンカが頂きに虹のベールを掛ける)

(仏教発展の礎)
この僧院でサンスクリット仏典の翻訳や僧侶の教育がなされチベット仏教の飛躍的発展の礎となった

         チベット 山南地区 サムィエ寺  (2010年10月)


チベット(4)唐蕃会盟碑2013/03/23 20:10

ジョカン寺の前に建っている碑文の話である
吐蕃と唐が攻防するなかで両国が会盟した回数は10回にもなるそうだ
この石碑はその最終10回目のもので821年~822年に相方で会盟した結果を
碑文に刻み823年にジョカン寺の前に建てたものである
ラサのジョカン寺(大昭寺)

西は大蕃、東は巨唐と記し吐蕃を唐に比肩した対等国として表現するとともに両国の関係を舅甥関係に擬して両国の親善の強さを強調している
唐蕃会盟碑
会盟の内容は国境の劃定と国境侵犯の禁止などで国境地点には境界碑を建てた

吐蕃は西安を落としても中原に進出して王朝を拡大することはなかった
モンゴルや満洲から興った征服王朝の元や清とはその点が異なっている
その疑問は別にして
相手の力が弱いとみれば力で征服(解決)してしまう唐が会盟(外交)で話しをつけたのは
大唐をしても吐蕃の力が侮れなかったからにほからなない



     チベット ラサ  唐蕃会盟碑  (2010年10月)

チベット(3)勃興の説話2013/03/21 15:35

チベットの上に羅殺女という魔物が寝そべっていた
それは勃興する吐蕃王朝にとって凶相であった
羅殺女仰臥図
                       (羅殺女仰臥図)
羅殺女の心臓のあたりがラサで当時は沼地や湖の地であった
ソンツェン王と王妃は湖沼を埋め寺を建立した
羅殺女仰臥図

また、両手、両足、両肩に寺院を建立することで魔物を封じこめた
沼を山羊に背負わせた土で埋めたことを起源として
ひとびとは新たな都をラサ(山羊の地)と名付けたのだそうだ

ラサの中心にジョカン寺が完成したのが646年のことである
ラサのジョカン寺(大昭寺)
              (唐蕃会盟碑とジョカン寺(大昭寺))

大寺院の建立により吐蕃の都ラサは仏教の聖地としてさらに繁栄を極めた


      チベット ラサ ジョカン寺   (2010年10月)

チベット(2)ラサへ2013/03/20 22:27

山南地方に興った吐蕃王朝は7世紀中頃
ソンツェン・ガンポ王によってラサへ遷都した
10月のラサ
                         (10月のラサ)
ソンツェン王の時代から以後2世紀に渡り吐蕃王朝は繁栄を極めた
その原動力のひとつにサンスクリット語からチベット文字が作成されたことと
インドからの仏教導入がある
この頃吐蕃という新興国家は唐をしても侮れない勢力になっていた

ソンツェン王と文成公主像
                 (ソンツェン王と文成公主)

          チベット ラサ    (2010年10月)

チベット(1)ヤルルンの谷2013/03/17 16:21

チベットの最初の王朝は山南地区に興った
ヤルルンの谷に興ったのでヤルルン王朝とも呼ばれているが
やがて吐蕃王朝へと発展していく
ヤルルンの谷
            (ヤルルンの谷:ユムブ・ラガンからの眺め)
初代王はニャティ・ツェンポと言い彼が氏族社会のトップに立てたのは土着の宗教
ポンが関与していると考えられている
ニャティ・ツェンポ王が建てたという伝説の宮殿が山上に残っている
ユムブ・ラガン
                   (ユムブ・ラガン)
瓦礫の坂道を登って辿り着くと宮殿は仏塔を携えたタルチョがはためく寺院だった
大殿一階には三世仏、ソンツェン・ガンポ王とティソン・デツェン王、文成公主、
ティソン王女の像が祀られている。

       チベット 山南地区  ツェタン  (2010年10月)


チベットへ(23)ラサ駅到着2013/02/23 09:43

21時36分列車は13時間30分の運行を終え終着駅ラサのホームへ滑り込んだ
ラサ駅到着ホーム
足元が異様に明るい 白はチベットの代表的な色である
ようやくチベットの都ラサへ来たのだと歩みに力が入った
ラサ駅前
私は駅前の暗がりの広場に一歩踏み出し立ち止った
この闇は未知のチベットを写し込むまえの私のこころの暗室のようであった


         チベットヘ  ラサ    (2010年10月)

チベットへ(22)ニンチェンタングラ峰2013/02/22 16:11

列車はダムシュン(当雄)という駅を通り過ぎた時は
午後7時をまわり薄暗くなりかけた西空にナイフの刃先のような頂きが見えてきた
それは標高7111メートルのニンチェンタングラ峰である
ニンチェンタングラ峰
双眼鏡でその刃先を覗くとそれは鋭敏なナイフの刃先ではなくて
女性の胸のようなまあるい形をしていた
ニンチェンタングラ峰
             ニンチェンタングラ(念青唐古拉)峰

あたりは次第に闇に包まれていった
列車は終着駅ラサまであと2時間半というところまで到着していた


       チベットヘ  青海チベット鉄道  (2010年10月)

チベットへ(21)ナクチュ駅停車2013/02/20 15:10

ゴルムド駅出発してから10時間もずっと走り続けた列車は
午後6時にようやくナクチュ駅に停車して一息ついた
ナクチュ(那曲)駅ホーム
                       ナクチェ駅ホーム
乗客もホームに降りてのびのびして新鮮な外気を深呼吸


      チベットヘ   青海チベット鉄道  (2010年10月)

チベットへ(20)神の湖ツォナ湖2013/02/19 15:54

アムドを過ぎるとやがて美しい大きな湖が出迎える
湖はツォナ湖と呼ばれている
ツォナ湖
                      ツォナ湖に流れ込む川
この湖は淡水湖でチベット族の神聖な湖である
ツォナ湖とツォナ湖駅
                       錯那(ツォナ)駅
色を言葉では表せない湖水の色が目を染める
列車は湖の畔りを20分ほどかけて通過して行った


       チベットヘ  青海チベット鉄道  (2010年10月)