北軽井沢魚止めの滝2023年5月23日 ― 2023/05/24 16:05
世立のしだれ栗と大仙の滝 ― 2022/08/28 10:24
上越国境の白砂山を起点として白砂川は重なり合う山々をぬって六合の里を流れ下っている。
世立は流れに沿って点在する集落のひとつで、日当たりの良い山の中腹にある集落である。
世立しだれ栗
しだれと聴くとしだれ柳やしだれ桜を思い浮かべるが栗で「しだれ」は珍しいと思いませんか?それも立派な大木です。
天然記念物に指定されているこの栗の木は私のように老木に違いないと思っていたが、
ちょうど実をつけるこの頃、この老木の枝に栗の実がいっぱい垂れ下がっている風景は驚きである。私も頑張らねば・・・
世立大仙の滝
世立にはもうひとつ名物があります。それは世立八滝です。一番立派な滝はこの大仙の滝で今の時期「涼」です。この展望台より下へ滝壺まで降りることができます。紅葉もいいかもね・・・
野反湖のキャンプやハイキングの帰り、温泉を楽しんだ帰りに是非立ち寄って見て下さい。
令和4年8月26日(migi-tang)撮影
群馬県 吾妻郡 中之条町 六で合 世立
四万温泉水晶山900メートル登山 ― 2021/11/08 11:10
令和3年11月6日早朝、四万温泉街を見下ろす標高900メートルの水晶山を登る
登山ルートは山口地区からとゆずりは公園からの二つのコースがあるが現在ゆずりは方面からのコースは閉鎖されている
旧第三小学校の坂道を登ってさらに小路を登っていくと
駐車スペースのある水晶山登山口に到着する
掲示板に「来た道を折り返して下山して下さい」と注意書きありあり
杉林の中落葉を踏みしめて進む
くま除けの鐘が整備されているがハンマーは失われている
さらに進むと急登となり木道階段を登る
フェンスの木道階段を登り切って直進してコースを逸脱してしまった
下山時に分かったことだが正規のルートはここで右折だった
登山道が落葉で埋まっていたことと、右の奥に立てられた道標を見落としたのが原因だった(下山時に撮影)
直進して登った沢は積み重なった落葉と沢の湧き水と浮石で足場が悪く進むのに難儀、老身に堪えた
唯一足場の悪い苦しい沢登りのなか紅葉美だけが励ましとなった
ようやく沢を登り切りると運よく道標を発見、正規のルートに復帰できた
(ここまでコースを間違えたことに気付かなかった)
ここから主稜線までの道程はわずかであった
主稜線の右方面は山頂へ続き、左方面は閉鎖されているゆずりは公園へ下る
階段を登ると山頂へ到着
石宮があり山神を祀る
山頂からの四万温泉街の眺め
下山は間違えて登った沢(写真左下)でなく右の正規のルートを下った
(難儀した沢の右斜面上にこんな登りやすいルートがあったのだった)
登りのとき気に留めなかった風景を後ろ向きにパチリ
クマにもヒルにも出合わず無事下山できました。
登り 7時15分~8時15分 1時間
下り 8時30分~9時20分 50分
注意力の弱くなった年寄りでもトラブルのない登山を楽しめるようフェンスの木道階段を登ったところの正面に右矢印の道標が必要と感じた。それにしてもこの写真の姿本当に俺なのか?本当の姿だよ・・・旧第三小学校の急坂を歩いて登っていたら親切な運転手さんから声かけられて車に乗せてもらったじゃあないか・・・認めるしかないなァ・・・
撮影日 令和3年11月6日
群馬県 四万温泉 (令和3年11月8日)
吾妻八景嵩(たけやま)山の観音様 ― 2021/07/02 14:48
吾妻八景の嵩山(たけやま)は和理大明神を祀るこの地方の信仰の山である。
この山には百観音様が祀られている。
嵩山(たけやま)の阪東の観音様
この山には百観音様が祀られている。
嵩山(たけやま)の阪東の観音様
永禄年間にこの地方の領主斎藤越前守が武田方の真田幸隆に攻められ没落、その後その子城虎丸がたて籠もって戦って滅んだ嵩山城落城の悲劇の山である。
江戸の元禄期に阪東・西国・秩父の百観音が霊山嵩山の信仰と嵩山落城の犠牲者を弔って建立されたと伝えられている。
今回は6月10日に登山道で見かけた阪東の観音像をまとめた。
阪東1番
江戸の元禄期に阪東・西国・秩父の百観音が霊山嵩山の信仰と嵩山落城の犠牲者を弔って建立されたと伝えられている。
今回は6月10日に登山道で見かけた阪東の観音像をまとめた。
阪東1番
安政2年再建されたという十一面観音
一の木戸にある
阪東三番
与兵衛が安置したことから与兵衛観音と呼ばれている
安み石から少し登ったところにある
阪東五番~七番
小天狗岩下に安置された観音様
坂東五番
阪東六番
阪東七番
阪東八番~十番
天狗広場下の岩下に安置
阪東八番
阪東九番
阪東十番
阪東廿一番~廿五番
仰ぎ岩の下の一升水に並んで安置
阪東廿一番
台座に施主の名前が並ぶ
阪東廿ニ蕃
蟻川村太平衛と刻字あり
阪東廿三番
阪東廿三番
台座に施主の名と町名を刻字
阪東廿四番
阪東廿五番
阪東廿六番
本丸跡の手前の岩上に安置
西国・秩父の観音様
本丸跡(実城の平)に並べられている
西国六番 西国九番 西国十番
西国六番 西国九番 西国十番
台座には信州の人の名前が刻字されたものもあり信仰の広がりが感じられる
観音石像は平成16年から3年がかりで地元の人たちが中心となって修復工事を実施した。
撮影:令和3年5月30日
群馬県 吾妻郡 (令和3年7月2日)
中之条町嵩山(たかやま)登山 ― 2021/06/12 14:38
嵩山は吾妻八景のひとつで山頂の標高は789メートルである。
小天狗からの展望、戦国の山城嵩山城址、坂東33観音を訪ねて早朝登山を行いました。
小学生の頃、嵩山のお祭りの5月5日、岩櫃山の11月3日は家から徒歩で登りに出かけました。大人になってもニ三度は登ったと思います。私のこころのふるさとのひとつです。
道の駅霊山たけやまの駐車場に車を駐車
嵩山を仰ぎ見ると男岩と屏風岩の巨岩が聳える 天気は上々だ!!
小天狗からの展望、戦国の山城嵩山城址、坂東33観音を訪ねて早朝登山を行いました。
小学生の頃、嵩山のお祭りの5月5日、岩櫃山の11月3日は家から徒歩で登りに出かけました。大人になってもニ三度は登ったと思います。私のこころのふるさとのひとつです。
道の駅霊山たけやまの駐車場に車を駐車
嵩山を仰ぎ見ると男岩と屏風岩の巨岩が聳える 天気は上々だ!!
7時5分 表登山道入口出発
白木の鳥居をくぐって登山開始
大石は嵩山城の表門があった一の戸
大石の奥に坂東一番の観音があり坂東33観音巡りの起点である
7時25分 五合目通過
子供の頃は背丈の低かった木々も今は高く成長し陽射しを遮る
見晴台分岐
以前は無かった見晴台へ進む
7時35分 見晴台の東屋に到着
見晴台からの展望
中之条町が一望できる
榛名山方面の展望は霞んで山容が良く見えなかった
7時44分 休石到着
登山道の曲がり角にある大石
昔は遮るものもなく大石が山斜面にむき出しになっていて
ここからの休みながら展望を楽しんだものだった
近くに三番観音様あり
休石を過ぎると右手大岩の下に八番九番十番の観音様あり
この観音様を過ぎるともうすぐ二の丸跡(天狗の広場)です
8時00分 二の丸跡(天狗の広場)到着
二の丸跡とあるが堀や土塁などの形跡は見うけられない
Migiは小天狗へ向かいXはここで休憩
8時20分 小天狗到着
大鳥神社の石祠が南向きにある
岩登りは怖い 足がガクガクする
岩登りは怖い 足がガクガクする
小天狗からの展望
岩櫃山、原町方面の展望
西方面の不動岩を見下ろす
小天狗の岩下の巡りに四番五番六番七番の四体の観音様あり
小天狗の先の不動岩の麓を折り返し天狗の広場へ戻る
8時55分 天狗の広場に戻る
Xと合流 地元のハイカーたちと立ち話
本丸跡に向け出発
本丸跡に向け出発
三社神社通過
胎内くぐりへ下る東屋通過
中天狗への分岐点通過
中天狗への分岐点通過
小袖の渡し通過
ニ十六蕃観音様通過
9時25分 本丸跡(無情の平)到着
9時25分 本丸跡(無情の平)到着
永禄8年11月の嶽山合戦の激戦地
元禄15年よりこの戦いの犠牲者の供養と嵩山信仰のために観音を建立
(坂東、西国、秩父の合 嵩山百番観音)
ここは西国・秩父観音71体(観音70体、阿弥陀如来1体)を安置
元禄15年よりこの戦いの犠牲者の供養と嵩山信仰のために観音を建立
(坂東、西国、秩父の合 嵩山百番観音)
ここは西国・秩父観音71体(観音70体、阿弥陀如来1体)を安置
東登山道降口
今回は大天狗を極めず下山開始
9時50分 仰ぎ岩と一升水
この岩の下にニ十一蕃、二十二番、二十三番、二十四番、二十五番あり
(落石のため道が閉鎖されている)仰ぎ岩下の一升水
二十二番横に清水が溜まる岩穴がある
10時00分 胎内くぐり分岐通過通過
以前太っていて通過できなかったいわくつきの岩は今回キャンセル
東京スカイツリーと同じ高さ標高634メートル地点通過
10時30分 東登山道入口到着
道の駅霊山たかやまで野菜の買い物、そば処けやきで昼食をとって帰りました。
撮影;令和3年6月10日
今回見送った大天狗、胎内くぐりとその周辺の観音様は次回訪れようと思います。
群馬県 吾妻郡 (令和3年6月12日)
群馬県 吾妻郡 (令和3年6月12日)
大室後二子古墳と小二子古墳 ― 2021/06/04 10:14
6世紀に築かれたと言われる大室古墳群にある主な前方後円墳は前二子古墳、中二子古墳、後二子古墳です。
横穴式の石室を持つ古墳で石室に入れるのは前二子と後二子のニ墳である。
後二子古墳
後二子古墳は6世紀後期に築かれた全長85メートルの前方後円墳です。
特徴としては墳丘規模が小さく低いということです。
横穴式の石室を持つ古墳で石室に入れるのは前二子と後二子のニ墳である。
後二子古墳
後二子古墳は6世紀後期に築かれた全長85メートルの前方後円墳です。
特徴としては墳丘規模が小さく低いということです。
低い墳丘の南面に石室の入り口が開けられました。
墳丘高さが低く石室が掘り下げられていることから、それに続く墓道も地面を掘って作られていました。その両側から儀式に使われた土器が出土しました。
墓道から石室の中に入ると羨道と玄室に続いていく。
玄室は間仕切り石で二つに区切られていて奥は遺骸と装身具や太刀が置かれていた。
小二子古墳
後二子古墳の隣にある小二子古墳は後二子古墳と同時期に造られた全長38メートルの規模の小さい前方後円墳で、後二子古墳とかかわりのある人物の墓と考えられている。
この小古墳からはたくさんの埴輪が出土した。
墳丘の上に人物、馬、家、太刀などの形象埴輪や円筒埴輪が並べられている。
撮影;令和3年4月30日
大室古墳群 了
次は時期をみて太田市の天神山古墳と女体山古墳を訪ねる予定にしています。
群馬県 大室古墳群 (令和3年6月4日)
大室中二子古墳 ― 2021/05/27 08:08
6世紀に築かれたと言われる大室古墳群にある主な前方後円墳は前二子古墳、中二子古墳、後二子古墳です。
横穴式の石室を持つ古墳で石室に入れるのは前二子と後二子のニ墳である。
中二子古墳
中二子古墳は6世紀中期に築かれた全長111メートルの大室群古墳では最も大きい前方後円墳です。(二重の堀を含めると全長170メートルになる)
横穴式の石室を持つ古墳で石室に入れるのは前二子と後二子のニ墳である。
中二子古墳
中二子古墳は6世紀中期に築かれた全長111メートルの大室群古墳では最も大きい前方後円墳です。(二重の堀を含めると全長170メートルになる)
周堀が内堀と外堀と二重になっていて墳丘と堀に挟まれた中堤は葺石が敷き詰められていたとのことです
中堤に盾持人形埴輪と円筒埴輪が復元され並べてあります
盾持人形埴輪
円筒埴輪は人の顔を表現した珍しい埴輪が発掘されました
墳丘
埋葬施設は未発掘ですが前二子と同様の横穴式石室と考えられているようです。
石室が発掘されれば往時を推察する貴重な副葬品が発見できるのではないかと期待します。
(撮影;令和3年4月30日)
群馬県 大室古墳群中二子古墳 (令和3年5月27日)
群馬県 大室古墳群中二子古墳 (令和3年5月27日)
榛名山二ツ岳 ― 2021/05/15 13:26
令和3年5月12日 天気;晴れ
我家から山頂のテレビ塔が確認できる榛名山の二ツ岳(雄岳・雌岳)登山のため早朝出発
我家から山頂のテレビ塔が確認できる榛名山の二ツ岳(雄岳・雌岳)登山のため早朝出発
榛名湖は目覚めたばかりであった
二ツ岳登山計画
ヤセオネ峠から林道を進みオンマ谷駐車場へ
(登山ルート)
オンマ谷駐車場⇒登山口⇒八合目⇒雄岳山頂⇒八合目⇒雌岳山頂⇒七合目避難小屋⇒屏風岩⇒管理棟/オンマ谷分岐⇒オンマ谷⇒まゆみの原⇒オンマ谷風穴⇒オンマ谷駐車場
オンマ谷駐車場⇒登山口⇒八合目⇒雄岳山頂⇒八合目⇒雌岳山頂⇒七合目避難小屋⇒屏風岩⇒管理棟/オンマ谷分岐⇒オンマ谷⇒まゆみの原⇒オンマ谷風穴⇒オンマ谷駐車場
6時38分 オンマ谷駐車場出発 雄岳、雌岳方面へ
登山口
自然石を積んだ石段
頭上ヤマツツジが咲く
途中 孫岳への分岐を通過
7時12分 八合目 (Xはここで待機)
Migiのみ雄岳山頂へ
7時30分 雄岳(1343メートル)山頂到着
日焼けした年配の登山者の横顔
雄岳のランドマーク テレビ塔
雄岳山頂からの眺望
榛名富士、榛名湖方面
榛名富士、榛名湖方面
相馬山
水沢山と雌岳、前橋方面
7時55分 雄岳出発
8時12分 八合目(待機中Xと合流)雄岳と雌岳の鞍部へ下る
8時23分 雄岳と雌岳の鞍部
8時25分 避難小屋手前雌岳へ登山開始
雌岳の木の階段
8時40分 雌岳山頂(1306メートル)
雌岳山頂からの眺望
水沢山、前橋方面
これが最後の山頂とXが呟いた
8時50分 雌岳出発
9時15分 避難小屋(弁当休憩)
9時25分 オンマ谷、つつじヶ丘方面へ下る
右手に屏風岩
9時55分 つつじヶ丘、管理棟/オンマ谷への分岐点
10時24分 オンマ谷
小鳥の囀りを聴きながら谷を進む
小鳥の囀りを聴きながら谷を進む
オンマ谷の由来
10時44分 まゆみの原
まゆみの木が林立する原
10時55分 オンマ谷風穴
11時00分 オンマ谷駐車場到着
溶岩が風化した砕けた岩が積み重なった岩石の積み木のような山で山全体が風穴でありいつも風が通りぬけているように感じた
頂上からの展望は雌岳のほうが素敵だ
所々小鳥のさえずりを楽しめる 特にオンマ谷はにぎやかだ
撮影:令和3年5月12日
群馬 榛名山 (令和3年5月17日)
群馬 榛名山 (令和3年5月17日)
我家から見た二ツ岳(写真追加)
水沢山 二ツ岳 相馬山
二ツ岳
二ツ岳
(令和3年5月18日追加)
大室前二子古墳 ― 2021/05/10 15:45
6世紀に築かれたと言われる大室古墳群にある主な前方後円墳は前二子古墳、中二子古墳、後二子古墳です。
横穴式の石室を持つ古墳で石室に入れるのは前二子と後二子のニ墳である。
前二子古墳
前二子古墳は6世紀初頭に築かれた全長94メートルの前方後円墳です
横穴式の石室を持つ古墳で石室に入れるのは前二子と後二子のニ墳である。
前二子古墳
前二子古墳は6世紀初頭に築かれた全長94メートルの前方後円墳です
さっそく石室に入ります その前に石室の構造はこの様です
入口の丈の低い羨門を腰を屈めて入ると奥に玄室の門が見えます
羨道を中に進みます 玄門がよく見えて来ます
玄門より先の玄室には入れません 天井の横石はまぐさ石と呼ぶそうです
玄室はまぐさ石と扉石の隙間から覗くしかありません
玄室に副葬品の馬具や土器の製作品が並びます
手前が土器類、奥が馬具類 土器類のうち私が注目したのは・・・
この須恵器と小像付筒形器台です このような筒形器台は今まで見たことがありません
小像は亀、鳥、蛙を追う蛇の三種が残っている
羨道を戻ります 羨道は入口に向って狭くなっている
同行したXは丈の低い羨門の天井の石に頭を打ち付けてしまいました
副葬品等を見るたびに古代のひとびとの暮らしやその地域の大陸とのつながりというところを連想する。これが古墳、博物館巡りを行う所以である
撮影 令和3年4月30日
群馬県 前橋市(旧荒砥村) 令和3年5月10日
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