吾妻郡カルタ 平和の「へ」2024/01/09 15:21

中之条かるた 平穏祈る、神楽と獅子の舞
吾妻町かるた 平和の里の 水仙まつり
高山かるた  平和見守る 道祖神

ロシアへ dance2 (Henri Matisse)
ダンス2
エルミタージュ美術館(2015年9月)
アメリカ
IMAGINE
Imagine there's no countries
it isn't hard to do
nothing to kill or die for
no religion too
Imagine life in peace..
.
イマジン
ニューヨークセントラルパーク ストロベリー・フィールド
(2013年11月) 
いつになっても丸い輪を築けない人類の愚かさ醜さに
「うんざり」



ピョンチャン冬季オリンピック開幕2018/02/05 20:12

いよいよピョンチャンオリンピック開幕
ピヨンチャンオリンピック

日本選手の活躍を期待したい
朝鮮平和統一のきっかけになればと政治の働きもあからさまだ
大会が混乱なくオリンピックらしい大会で終了されることを祈る
ピョンチャンオリンピック

オリンピック後に平和統一への道が開けるのか朝鮮の情勢に注目していきたい

       日本群馬より韓国ピョンチャンへ  (2018年2月)

赤道の国へ(インドネシア)バリー島2013/08/30 20:00


インドネシア ピープル
                  (望郷)
父が生きていれば今年がちょうど生誕100年目にあたる
海を知らない海なし県の群馬人のその父が妻子を残し汽船に乗って
ジャワ島まで辿り着いたのはもう70年も前のことだ
ジャワ島のスラバヤという港で終戦をむかえた父は
1年以上バリー島バタンバイやジャワ島スラバヤで連合軍の労役に服した
66年後戦後生まれの息子の私はその島の土を踏んだ
紺碧の空と白波が押し寄せる海岸、ヤシの木立や田園風景、村々の営みなど
ここに来てそれらを見るだけでよかった
父の一途な望郷の念その結晶が自分となったことを感じるだけでよかった

    インドネシア バリ島   (2013年5月)



昭和18年9月20日~昭和22年1月29日の履歴書2013/05/01 00:25

父は平成15年5月に90歳で他界した
その父が生まれたのは大正2年(1913年)5月だ
2013年5月は生誕100年にあたる

仏壇の引き出しから戦争当時の履歴書が出てきた

昭和18年9月20日 臨時召集により独立工兵25連隊に応召
昭和18年9月30日 下関港出帆
昭和18年10月3日 鮮満国境(図門)通過
昭和18年10月5日 満洲国山江省佳木斯(ジャムス)到着同
           同日独立工兵24連隊に編入
昭和18年12月14日 南方派遣のため鮮満国境(図門)通過
昭和18年12月17日 釜山港出帆
昭和18年12月25日 船舶工兵第14連隊に編成開始
昭和19年1月6日  比島レイテ島オルモック着
昭和19年1月10日 編成完結
昭和19年3月9日  比島レイテ島オルモック出発
昭和19年3月31日 豪北アンボン島アンボン着
昭和19年9月20日 転進のためアンボン島トレフ出発
昭和19年9月21日 セラム島ピル着
昭和19年10月4日 アメーバ赤痢・マラリヤに依り南方方面第15陸軍病院入院
昭和19年11月7日 治癒退院
昭和20年5月19日 転進のためピル出発
昭和20年5月25日 爪哇(ジャワ)島スラバヤ着
昭和20年9月6日  爪哇(ジャワ)島プロボリンゴ出発 台湾歩兵第1連隊
昭和20年9月13日 バリー島バタンバイ着
昭和20年12月1日 同日より同地付近の警備
昭和21年3月1日  バタンバイにおいて連合軍の労役に服す
昭和21年5月26日 ベノア出発
昭和21年5月29日 爪哇(ジャワ)島スラバヤ港着 同日より連合軍の労役に服す
昭和22年1月19日 スラバヤ港出航
昭和22年1月29日 広島県宇品港上陸

出征前に次女が生まれたが長女は出征中に病没した

父は戦争のことはあまり話さなかった
船に乗ったが水泳が得意でなかったので樽を浮き輪がわりにしたことや
南方のバリ島へ行っていたと話したのは記憶している

爪哇島やバリー島のあるインドネシアにはまだ行ったことがない
生誕100年の5月、爪哇島とバリ島へ行ってみようと思う

                           (2013年5月1日)

摂理2012/06/12 22:19

えんどう

(蔓で自分の首を絞め付けているように見えるえんどう)

 

冬の厳しさを耐えたえんどうは暖かくなるとぐんぐん成長して花を咲かせ蜂を引きつけたくさんの実をつける。

今年も蔓で自分を絞めているように見える実を見つけた。毎年どうして自分の首を絞めるようなことをするのかと疑念が浮かぶ。
考えすぎであろうと思うが行き過ぎるものを抑える自然の摂理を感じてしまう。

ウイーングラーベン通りペスト記念塔

  (ウイーンのグラーベン通りペスト記念塔)

そして頭に浮かんだのはウイーンのベスト記念塔でした。




新疆ウイグル(18) 売る2012/05/05 16:17

①朝の街頭ミルク売り(昌吉市内)

昌吉のミルク売り

 

②飛行場のお土産売り場(ウルムチ) 

飛行場の土産売り場(ウルムチ)


③果物など街頭販売(ウパール村)

果物の街頭販売(ウパール村)

④ナンの製造販売(塔河鎮)

ナンの製造販売(塔河鎮)

⑤ナンの街頭販売(ウパール村)
             

ナンの街頭販売(ウパール村)

⑥シルク工場の製品販売(ホータン) 

シルク工場の製品売り場(ホータン)

⑦民族楽器の販売(カシュガル)

楽器店(カシュガル)


⑧職人街の製造販売(ヤルカンド)
 

職人街の製造販売(ヤルカンド)

⑨帽子の製造販売(カシュガル)

帽子の製造販売(カシュガル)

                 中国 新疆ウイグル (2011年10月)

新疆ウイグル(16)黒いハットとブーツ2012/05/02 16:11

(ホータンのポプラ並木)

ホータンのポプラ並木

黒い革のハットを被りブーツを履いたウイグルの男が目に留まる。真夏でも黒い暑そうなハットを被るそうである。理由を訊くと暑さ除けになるためと聞く。ほんとうかなぁ・・

 

            中国 新疆ウイグル (201110月)




貴婦人と呼ばれるシラカンバ2012/05/01 09:50

小田代が原は三度目であった。この時期連休とはいえここを訪れるひとは少ない。このころの芽吹きが始まる頃のぼーっとした色の景色や枝をむき出しにした樹林の静寂さが好きだ。

 

小田代ガ原の貴婦人

このシラカンバは「あのシラカンバの木」はとは言わない。ただ「貴婦人」と呼ぶ。この写真では冬を耐え抜いた婦人の力強さが感じられる。しかし飾りのない貴婦人の写真は載せないでとしかられそうである。

小田代ガ原平成24年4月30日

 

ここに湖ができることがあるなって想像すらしなかった。この次は湖の出現時に再来したい。

 

           日光小田代が原 平成24年4月30日




かえるシリーズ 日光戦場ヶ原のかえる2012/04/30 21:18

平成24年4月30日、戦場ヶ原では雪が融けて消え山々はふわっとした芽吹きの色でおおわれていました。木々の春の活動が進むなか雪解けで湿っぽい戦場ヶ原ではヤマアカガエルが繁殖の時期を迎えていました。

(メスの獲得に失敗して水に浮かぶヤマアカガエル) 

ヤマアカガエル(オス)


(メスを捉えるのに成功したオスガエル)

ヤマアカガエル繁殖期

 
メスを押しつぶして産卵を促しているようにも見える。

 (笹やぶに入ってもオスは降りない) 

ヤマアカガエル繁殖期


 オスはこの状態でメスの産卵を待つのだろう。          

            日光戦場ヶ原 平成24年4月30日




新疆ウイグル(15)南新疆鉄道(カシュガル~ホータンへ延長)2012/04/28 20:32

南新疆鉄道は南疆線という。日本から観光で南新疆鉄道を利用する場合カシュガルからトルファンまで寝台に乗車する場合が多い。現在はからカシュガルからホータンまで鉄路は延長されている。

(ホータン近郊を走る南新疆鉄道電車客車) 

南新疆鉄道ホータンへ延長


やがて南新疆線は新疆ウイグルをぐるっと一周し敦煌の敦煌線と接続してしまうかもしれないな。

            

                          中国 新疆ウイグル (
201110月)