中之条町の古墳その4 ― 2026/03/19 16:01
中之条町の古墳その3 ― 2026/03/05 11:10
中之条町の古墳その2 ― 2026/03/05 10:46
中之条町の古墳その1 ― 2026/03/04 10:06
中の峯古墳(旧子持村) ― 2023/07/31 03:07
榛名山二ツ岳の爆発により軽石で埋没した円墳で六世紀中頃築かれたと考えられています。
昭和54年3月に軽石採取に伴い偶然に発見されました。
基部直径9m、頂部径7m、高さ谷側で1.95m、山側で0.7m
外側に幅1.5mのテラスと周堀がめぐらせ、墳丘には葺石が施されていたそうです。
谷側に横穴式の石室が開口しています。
石室は自然石乱石積袖無型横穴式で全長5m埋葬部長3m、幅0.86m高さ1.3mあります。
開口部から撮影しました。確かに埋葬部に袖はありません。
石室の埋葬部からは人骨、勾玉、管玉や太刀、鉄鏃などが発掘されています。
渋川市教育委員会の案内板です。
このほか子持村の石碑も建てられていました。
この記事は上記渋川教育委員会の案内板に基づきまとめました。
令和5年7月27日撮影
群馬県 渋川市 北牧 令和5年7月31日
総社石窟群 王山古墳 ― 2023/02/23 15:14
総社石窟群
総社古墳群を一覧すると次のとおりである
遠見山古墳 前方後円墳 五世紀後半
王山古墳 前方後円墳 横穴式石室 六世紀初頭
総社二子山古墳 前方後円墳 横穴式石室(2か所) 六世紀後半
愛宕山古墳 方墳 横穴式石室 七世紀前半
宝塔山古墳 方墳 横穴式石室 七世紀中葉
蛇穴山古墳 方墳 横穴式石室 七世紀後半
築造年代によって形状が区分けされる
五世紀後半~六世紀後半までは前方後円墳
古墳時代末期の七世紀になると方墳へ移行
横穴式石室の採用は王山古墳が東日本でもっとも古いものの一つである
今回の古墳探索で遠見山古墳を除き5つの古墳にふれあうことができた。
王山古墳
墳丘長75.6m前方後円墳で後円部に横穴式石室を持つ
形状
前方後円墳 後円部径50m、後方部幅63.1m
復原図
葺石
石室
後円部の基壇に全長16mの両袖型の横穴式石室が発掘されている
石室は現地では見ることとはできない。
両袖型の石室の形や赤く塗られていたという玄室を見てみたかった
令和5年2月4日 撮影
群馬県 前橋市 総社町 (令和5年2月23日)
総社古墳群 二子山古墳 ― 2023/02/22 15:29
総社古墳群 二子山古墳
6世紀後半に築造された前方後円墳で墳丘長約90m、横穴式の石室が前方部、後円部の2か所に造られている
形状 前方後円墳
墳丘は二段築成で斜面に葺石が葺かれていた
前方部ふもとからの写真
墳丘頂
前方部から後円部に向けて撮影
復原図
墳丘の周りに堀が巡らされていたという
前方部石室 横穴式石室
石室は南方向に向かって開かれている
残念ながら入口が狭く石室内部には入れなかった
内部(入口から撮影)
大ぶりな自然石を積み上げて造られている
羨道~玄室
玄室
玄室奥の様子
後円部石室
後円部石室は前方部より人回り大きいというが崩落しているようだ。造りは加工した石材が使われているという
現場に入ると何故か元気になる
令和5年2月4日 撮影
群馬県 前橋市 総社町 (令和5年2月22日)
総社古墳群 愛宕山古墳 ― 2023/02/21 13:06
総社古墳群 宝塔山古墳 ― 2023/02/17 14:32
総社古墳群 宝塔山古墳
この古墳は次の蛇穴山古墳と隣接して造築されている
形状
形状は隣接する次の蛇穴山古墳と同様の方墳で7世紀中半に造られたと考えられている
全景
推定復原図
墳丘は全長66mの方墳で三段築成で斜面は葺石が葺かれていたと考えられるている。
石室
石室は南側に向けて開かれ、羨道、前室、玄室の構造である
入口の石組
羨道
切石がきちっと積み上げた羨道
羨道と前室と前室と玄室の境に門柱のような造りがある
玄室
門柱のような仕切の奥に玄室があり家形石棺が置かれている
石棺の脚部は掘り込まれている(格狭間こうざま)のが珍しい
なお、石棺の左下に残る穴は手水鉢として利用した時に開けられた穴であると聞く
墳頂の墓所
墳丘の頂上には総社藩主秋元家の墓所がある
慶長6年(1601)秋元長朝が総社へ1万石で入封、この古墳に隣接する光厳寺は菩提所として慶長12年(1607)長朝により建立された
恥ずかしいながら群馬住人でありながら今回の古墳の散策で総社藩が存在したことを初めて知るに至った
令和5年2月4日撮影
群馬県 前橋市 総社町 (令和5年2月17日)
総社古墳群 蛇穴山古墳 ― 2023/02/15 13:47
前橋市総社町に残る総社古墳群を訪ねました。
蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)
形状
七世紀後半築造の方墳
一辺が44メートルの方墳でその墳丘は三段以上で表面は葺石が施されていた。また、その周囲は二重の堀に囲まれた周堤が巡らされていた。
周堤や堀は地面に埋もれているためか現場では確認できなかった。
石室
石室は南側に向かって開く。石組が見事なのに感心する。
羨道がないことが特徴だ。長い羨道がなく巨石で囲まれた玄室となる。
石室の両側壁、奥壁、天井石は一つの巨石が使われ表面に漆喰が施された跡が残っている。
玄室奥には大きな切り石が置かれている。この上に館が置かれていたのかもしれない。
石室の築造を見ると七世紀になると石材工作の技術がかなり発達していたことを見ることができた。
令和5年2月4日撮影
群馬県 前橋市 総社町 (令和5年2月15日)














































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