中之条町の古墳その42026/03/19 16:01

石ノ塔古墳
 五世紀末か

外部形式
 墳丘は残っていない
 形式、大きさ不明
石ノ塔古墳 墳丘なし不明

石室
 竪穴式石室
 長さ1.8m、幅0.84m
石ノ塔古墳 石室1
 鉄平石状の平石でできている
石ノ塔古墳 石室2
 中之条町歴史と民俗の博物館(Musee)掲示 石室の写真
石ノ塔古墳 ミュゼ展示の石室写真

出土品
 直刀2、刀子2、鉄鎌1、鉄斧1、人骨
石ノ塔古墳 掲示板
 所在 中之条町大字中之条町

令和8年3月19日撮影


中之条町の古墳その32026/03/05 11:10

名久田川8号古墳
外部形式 円墳
名久田川8号古墳
開口部確認できず
名久田8号古墳 外部形式
説明板なし
以上令和8年3月2日撮影

以下中之条町歴史と民俗の博物館ミュゼの展示写真と1983年発掘調査のあらまし(中之条町教育委員会書)によりあらまし紹介する
外部形式 円墳 径11m
名久田8号古墳 ミュゼ展示写真
石室 南に開口
両袖型横穴式石室
 奥行4.8m(玄室2.4m、羨道2.4m)
 羨道入口幅1.2m
 玄室奥壁幅1.8m、高さ1.8m
 羨道と玄室の境、羨道の入口に仕切りの石あり
副葬品
 武器、馬具、装身具、銙帯金具
出土遺物などから8世紀のはじめ頃まで使われた

令和8年3月2日撮影


中之条町の古墳その22026/03/05 10:46

小塚古墳
外部形式 円墳
小塚古墳 形式
石室
東南に開口
小塚古墳 開口部
袖無型横穴式石室
奥行4.5m、高さ1.1m、入口0.9m
羨道 石積み 乱石積み
小塚古墳 石室羨道
玄室
袖無型
小塚古墳 玄室
天井石
4枚の大石で覆われる
小塚古墳石室 天井石
所在
中之条町大字横尾にあり 名久田川の左岸に立地
小塚古墳説明板
令和8年3月2日撮影


中之条町の古墳その12026/03/04 10:06

樋塚古墳
外部形式
円墳 径約15m、高さ約2.7m 二段構造
樋塚古墳外部形式
石室
西北に開口
樋塚古墳石室開口部
袖無型横穴式石室
奥行約5.5m、奥壁の幅約1.2m、高さ1.6m
天井石は5枚、自然石50㎝位の石を乱石積
石室の玄室と羨道を分けるまぐさ石を認む
樋塚古墳 羨道石室内部
所在
中之条町大字平地区、名久田川右岸の国道145号線沿いにある。
6世紀前半の古墳と考えられている。
樋塚古墳掲示板

令和8年3月2日撮影

中の峯古墳(旧子持村)2023/07/31 03:07

榛名山二ツ岳の爆発により軽石で埋没した円墳で六世紀中頃築かれたと考えられています。
昭和54年3月に軽石採取に伴い偶然に発見されました。

基部直径9m、頂部径7m、高さ谷側で1.95m、山側で0.7m
外側に幅1.5mのテラスと周堀がめぐらせ、墳丘には葺石が施されていたそうです。
中の峯古墳全景

谷側に横穴式の石室が開口しています。
中の峯古墳 谷側石室開口部

石室は自然石乱石積袖無型横穴式で全長5m埋葬部長3m、幅0.86m高さ1.3mあります。
開口部から撮影しました。確かに埋葬部に袖はありません。
中の峯古墳石室内部

石室の埋葬部からは人骨、勾玉、管玉や太刀、鉄鏃などが発掘されています。
渋川市教育委員会の案内板です。
このほか子持村の石碑も建てられていました。
中の峯古墳説明板

この記事は上記渋川教育委員会の案内板に基づきまとめました。


令和5年7月27日撮影

       群馬県 渋川市 北牧          令和5年7月31日

総社石窟群 王山古墳2023/02/23 15:14

総社石窟群
 総社古墳群を一覧すると次のとおりである
 
遠見山古墳 前方後円墳       五世紀後半
王山古墳  前方後円墳 横穴式石室 六世紀初頭
総社二子山古墳 前方後円墳 横穴式石室(2か所) 六世紀後半
愛宕山古墳 方墳 横穴式石室 七世紀前半
宝塔山古墳 方墳 横穴式石室 七世紀中葉
蛇穴山古墳 方墳 横穴式石室 七世紀後半

築造年代によって形状が区分けされる
 五世紀後半~六世紀後半までは前方後円墳
 古墳時代末期の七世紀になると方墳へ移行
横穴式石室の採用は王山古墳が東日本でもっとも古いものの一つである

今回の古墳探索で遠見山古墳を除き5つの古墳にふれあうことができた。

王山古墳
墳丘長75.6m前方後円墳で後円部に横穴式石室を持つ
形状
 前方後円墳 後円部径50m、後方部幅63.1m
王山古墳

復原図
王山古墳

葺石
墳丘の葺石

石室
後円部の基壇に全長16mの両袖型の横穴式石室が発掘されている
石室は現地では見ることとはできない。
両袖型の石室の形や赤く塗られていたという玄室を見てみたかった

令和5年2月4日 撮影

        群馬県 前橋市 総社町   (令和5年2月23日)

総社古墳群 二子山古墳2023/02/22 15:29

総社古墳群 二子山古墳
 6世紀後半に築造された前方後円墳で墳丘長約90m、横穴式の石室が前方部、後円部の2か所に造られている

形状 前方後円墳
 墳丘は二段築成で斜面に葺石が葺かれていた
 前方部ふもとからの写真
総社二子山古墳

 墳丘頂
 前方部から後円部に向けて撮影
二子山古墳 墳丘頂


 復原図
 墳丘の周りに堀が巡らされていたという
総社二子山古墳 復原図
 
前方部石室 横穴式石室
 石室は南方向に向かって開かれている
 残念ながら入口が狭く石室内部には入れなかった
二子山古墳 石室

 内部(入口から撮影)
  大ぶりな自然石を積み上げて造られている
  羨道~玄室 
二子山古墳 石室内羨道

 玄室
  玄室奥の様子
二子山古墳 石室玄室

後円部石室
 後円部石室は前方部より人回り大きいというが崩落しているようだ。造りは加工した石材が使われているという

現場に入ると何故か元気になる
二子山古墳

令和5年2月4日 撮影

     群馬県 前橋市 総社町       (令和5年2月22日)

総社古墳群 愛宕山古墳2023/02/21 13:06

総社古墳群 愛宕山古墳
 七世紀前半に築造された方墳である
形状
 形状は方墳で墳丘全長56m、墳丘高8.5mと推定される
 墳丘は三段以上の築成で葺石が施された
愛宕山古墳 全景

石室
 南側に開校した石室入口 
愛宕山古墳 石室入口
玄室
 入口から石室内へ入ると巨石を積み上げた玄室があり、その奥には家形石棺が置かれている
愛宕山古墳 玄室

七世紀になると前方後円墳が姿を消し方墳に形を変えた
石室に入って見学できるのが嬉しい古墳である

令和5年2月4日撮影

          群馬県 前橋市 総社町  (令和5年2月21日)

総社古墳群 宝塔山古墳2023/02/17 14:32

総社古墳群 宝塔山古墳
この古墳は次の蛇穴山古墳と隣接して造築されている

形状
形状は隣接する次の蛇穴山古墳と同様の方墳で7世紀中半に造られたと考えられている
全景
宝塔山古墳全景
推定復原図
 墳丘は全長66mの方墳で三段築成で斜面は葺石が葺かれていたと考えられるている。
宝塔山古墳 想定図

石室
 石室は南側に向けて開かれ、羨道、前室、玄室の構造である
 入口の石組
宝塔山古墳 石室入口
 羨道
  切石がきちっと積み上げた羨道
  羨道と前室と前室と玄室の境に門柱のような造りがある
宝塔山古墳羨道の切り石壁
 玄室
  門柱のような仕切の奥に玄室があり家形石棺が置かれている
  石棺の脚部は掘り込まれている(格狭間こうざま)のが珍しい
  なお、石棺の左下に残る穴は手水鉢として利用した時に開けられた穴であると聞く
宝塔山古墳 玄室と石棺

墳頂の墓所
 墳丘の頂上には総社藩主秋元家の墓所がある
 慶長6年(1601)秋元長朝が総社へ1万石で入封、この古墳に隣接する光厳寺は菩提所として慶長12年(1607)長朝により建立された
宝塔山古墳 総社藩主の墓所

恥ずかしいながら群馬住人でありながら今回の古墳の散策で総社藩が存在したことを初めて知るに至った

令和5年2月4日撮影

      群馬県 前橋市 総社町   (令和5年2月17日)

総社古墳群 蛇穴山古墳2023/02/15 13:47

前橋市総社町に残る総社古墳群を訪ねました。
蛇穴山古墳(じゃけつざんこふん)
形状
七世紀後半築造の方墳
蛇穴山古墳全景
一辺が44メートルの方墳でその墳丘は三段以上で表面は葺石が施されていた。また、その周囲は二重の堀に囲まれた周堤が巡らされていた。
周堤や堀は地面に埋もれているためか現場では確認できなかった。
蛇穴山古墳の形

石室
石室は南側に向かって開く。石組が見事なのに感心する。
蛇穴山古墳石室入口
羨道がないことが特徴だ。長い羨道がなく巨石で囲まれた玄室となる。
石室の両側壁、奥壁、天井石は一つの巨石が使われ表面に漆喰が施された跡が残っている。
蛇穴山古墳玄室
玄室奥には大きな切り石が置かれている。この上に館が置かれていたのかもしれない。
蛇穴山古墳玄室奥

石室の築造を見ると七世紀になると石材工作の技術がかなり発達していたことを見ることができた。

令和5年2月4日撮影
 
      群馬県 前橋市 総社町      (令和5年2月15日)