ミヤンマーと仏教⑨ほとけの世界 ― 2014/05/13 14:36
西方には浄土があるという
ひとびとの熱心な信仰は金箔を積み重ねて黄金の仏像へと変身させた
1901年⇒1935年⇒
1984年⇒2010年
過って勇敢な将軍がおった
今男たちは要求を胸に秘め集会に向かう
女は境界外で我が子を携え仏を敬う
ここでは他国の慰霊碑を許容している
カフェの少年は異国の珍客に眼を輝かせ
マーケットでは女がさばいた魚が売られていた
昼に女は荷を担ぎ橋を渡り
遠くで川を渡るひとがいる
湖の船頭は客を追いかけ船を対岸に回し
ひとびとは牛馬車競争に熱中し時間が経つのを忘れていた
やがて太陽はエーヤワディ川の向こうに傾く
街かどに長閑な時が訪れ
夜が更けてパゴダは金色に輝きを深める
ベッドで瞼を閉じるとひとびとの笑顔が浮かんでくる
子供のころいつもニコニコしているから「にこにこちゃん」と
字名を付けられた男の子がいた
65歳を過ぎたその子に過ってのニコニコの面影は残っていない
ミヤンマーではそんな忘れ去られた笑顔がたくさんあった
誰にでも笑顔であること
それが仏が描く世界であると言ってよいのだろう
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教⑧仏塔 ― 2014/05/10 00:10
パゴダの仏塔に注目した
ヤンゴン
シュエダゴン・パゴダ
ミヤンマー仏教の総本山
朝日を受けて耀やきを増し先端が煌めいている仏塔
ヤンゴン
シュエダゴン・パゴダ
ミヤンマー仏教の総本山
朝日を受けて耀やきを増し先端が煌めいている仏塔
仏塔の高さは99メートルもある
傘蓋の部分にはダイヤやルビーなど無数の宝石が納められ耀く
その一つがこの巨大なダイヤモンドだ
チャイティーヨー
ゴールデンロック
トラックバスに揺られ山頂に到着
この3月23日が日曜日であるためか、それとも仏の祭日の祭日に当たるのか
大勢のひとびとが詰め掛けて山頂はにぎやかだ
岩と仏塔が一体化した巨岩パゴダだ
岩に金箔を張り付けているのは男だけだ
ミヤンマーでは施設のなかに女人禁制となっている領域がある
今にも転げ落ちそうな岩は釈尊の聖髪によりバランスが保たれていると
信じられている
バガン
シュエジーゴン・パゴダ
台座の四隅に仏像が納められた小仏塔が建つ
台座のふもとのこの水たまりに仏塔が映るそうである
みごと水面に映った仏塔をカメラが捉えた
仏に願いが届けられたかな?
シュエサンドー・パゴダ
唯一基壇を登ることができるので夕日鑑賞の名所になっている
バガン王朝初期の仏塔だ
金箔が剥がれた表面は経過した年期の長さを感じさせる
いくつもの巨大な仏塔を見てくるとミヤンマーにおける仏教の根の深さを直に感じる
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教⑦仏伝と本生物語(ジャータカ) ― 2014/05/07 11:40
バガンのアーナンダー寺院とマンダレーのシュエサンドー寺院で伝説を表現した彫像に
会うことができた
仏 伝
アーナンダー寺院の廻廊の龕にい仏伝図の彫刻が置かれている
私が最も気に入ったのはこの下の釈迦誕生の像だ
釈迦の誕生(バガン アーナンダー寺院)
会うことができた
仏 伝
アーナンダー寺院の廻廊の龕にい仏伝図の彫刻が置かれている
私が最も気に入ったのはこの下の釈迦誕生の像だ
釈迦の誕生(バガン アーナンダー寺院)
出城(バガン シュエジーゴン・パゴダ)
苦行(バガン アーナンダー寺院)
? (バガン アーナンダー寺院)
本生物語(ジャータカ)
マンダレーのシュエナンドー僧院は木造(チーク材)の建物である
仏殿の柱の根元の飾りとしてジャータカが彫られているのを発見した
SUVANNASAMA(スヴァンナサーマ) JATAKA
TEMIYA JATAKA
NARAD JATAKA
CANDARUMARA JATAKA
このほか本生物語は
バガンのアーナンダー僧院の基壇側面やシュエジーゴン・パゴダの高台に彫られた
板が嵌め込まれていると聞いている
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教⑥涅槃仏 ― 2014/05/02 21:12
ミヤンマーの涅槃仏
ミヤンマーで3体の涅槃仏に会えた
ヤンゴン
チャウタッジー・パゴダ
ミヤンマーで3体の涅槃仏に会えた
ヤンゴン
チャウタッジー・パゴダ
(1966年に再建された全長70メートルの涅槃仏)
(再建前の涅槃仏(写真))
(こんな容姿で再建された)
バガン
アーナンダー寺院(回廊)
バガン
アーナンダー寺院(回廊)
(回廊の龕に置かれた黄金の涅槃仏)
シュェサンドー・パゴダ(シンビンターリャウン)
シュェサンドー・パゴダ(シンビンターリャウン)
(夕日鑑賞ができるシュエサンドー・パゴダの
敷地内にあるレンガの長屋に納められた涅槃仏)
敷地内にあるレンガの長屋に納められた涅槃仏)
(長さは18メートルある)
チャウタッジー・パゴダの涅槃仏はこれから涅槃をむかえるというよりは
来世からなまめかしく生き返えっってくるというような感じだ
(不老不死をあらわすものなのかなぁ?)
どうしてこのような像になるのか想像も出来ない
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
チャウタッジー・パゴダの涅槃仏はこれから涅槃をむかえるというよりは
来世からなまめかしく生き返えっってくるというような感じだ
(不老不死をあらわすものなのかなぁ?)
どうしてこのような像になるのか想像も出来ない
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教⑤金色に輝くブッダ ― 2014/05/01 05:00
ミヤンマーのブッダ像は金色に輝き続けていく
ヤンゴン
シュエダゴン・パゴダ
ヤンゴン
シュエダゴン・パゴダ
(パゴダの先端に奉納されているというブッダ)
バガン
シュエジーゴン・パゴダ
バガン
シュエジーゴン・パゴダ
(金箔が重ね貼られ皮膚が爛れているようなブッダ)
ティーロー・ミンロー寺院
ティーロー・ミンロー寺院
(坐像:離れた正面からだと瞳は瞼に隠れ見えない)
(立像:マントのような裳が独特だ)
アーナンダー寺院
アーナンダー寺院
(創建時のブッダ立像:笑みを浮かべている)
マンダレー
マハムニ寺院
マンダレー
マハムニ寺院
(熱心な信者は熱心に金箔を貼っている)
シュエナンドー寺院
シュエナンドー寺院
(木造の寺院 瞑想中のブッダ)
サンダムニ・パゴダ
サンダムニ・パゴダ
(こことマハムニ寺院の坐像は冠を被っている)
金色の仏像は創建当時から同じ耀きを保っていると思われる
布施することでその耀きを維持し後世に伝えていっているのである
日本の仏像も創建時はこのように耀いていたのであろう
しかし日本はその耀きを残すことはしなかった
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
金色の仏像は創建当時から同じ耀きを保っていると思われる
布施することでその耀きを維持し後世に伝えていっているのである
日本の仏像も創建時はこのように耀いていたのであろう
しかし日本はその耀きを残すことはしなかった
ミヤンマー連邦共和国 (2014年3月)
ミヤンマーと仏教④誕生曜日の動物たち ― 2014/04/21 11:21
私たちは誕生の年月が尊重されるが
ミヤンマーでは生まれた曜日が非常に尊重される
曜日ごとに干支のような動物が当てられている
それではヤンゴンのシュエダゴォン・パゴダの回りに配置された動物たちを見てみよう
日曜日が誕生日のひと
ガルーダ(とり) 私の誕生日は割り出すと日曜日でした
ミヤンマーでは生まれた曜日が非常に尊重される
曜日ごとに干支のような動物が当てられている
それではヤンゴンのシュエダゴォン・パゴダの回りに配置された動物たちを見てみよう
日曜日が誕生日のひと
ガルーダ(とり) 私の誕生日は割り出すと日曜日でした
月曜日が誕生日のひと
トラ
火曜日が誕生日のひと
ライオン ライオンの姿は写っていません
水曜日が誕生日のひと(午前生まれ)
牙のある象
水曜日が誕生日のひと(午後生まれ)
牙のない象
木曜日が誕生日のひと
ねずみ
金曜日が誕生日のひと
モグラ
土曜日が誕生日のひと
ナーガ(へび) 花が掛けられている
誕生日の動物を目当てに前に来てその檀上に置かれた白いお釈迦様に金鉢の水をかけて
お参りする
水をかけてやるのはお釈迦様が主体で動物には気が回ったらかけているいるようだ
水曜日だけ午前午後に分けて象を当て七曜日を八の数にしているのもおもしろい
ミヤンマーでは誕生曜日は占いに使われたり方角を示したり
名前の文字まで曜日にちなんで当てられるという
ミヤンマー ヤンゴン シュエダゴォン。パゴダ (2014年3月22日)
ミヤンマーと仏教③托鉢 ― 2014/04/19 10:10
出家した若者がどのような修行生活をしているのかはつぶさに見えなかった
見えたのは鉢を首から提げ街へ托鉢に出かけた姿である
街のひとびとは毎日僧に食事を施すことに躊躇することはない
(我家で仏壇に毎日お茶をお供えする気持ちと同じものだと思う)
食べ物を僧へ施すことで仏へ功徳を積み恩恵を授かるということなのだ
見えたのは鉢を首から提げ街へ托鉢に出かけた姿である
街のひとびとは毎日僧に食事を施すことに躊躇することはない
(我家で仏壇に毎日お茶をお供えする気持ちと同じものだと思う)
食べ物を僧へ施すことで仏へ功徳を積み恩恵を授かるということなのだ
(午前9時アマラプラの街角)
僧院では午前10時過ぎに鉢を提げた修行僧たちが行列をなす
寄進者から寄進された飯を頂くために並んでいる
修行僧たちの利発そうな表情に関心した
僧院では午前10時過ぎに鉢を提げた修行僧たちが行列をなす
寄進者から寄進された飯を頂くために並んでいる
修行僧たちの利発そうな表情に関心した
(マハーガンダーヨン僧院)
しかし優秀な若者のパワーがこんなにも宗教に吸収されてしまっているのは惜しい
チベットでも感じたような同じ気持ちになった
余った飯は犬やネコなどへも分け与えられるそうだ
しかしミヤンマーで見た犬はどれもやせ細っていた
ミヤンマー アマラプラ (2014年3月25日)
しかし優秀な若者のパワーがこんなにも宗教に吸収されてしまっているのは惜しい
チベットでも感じたような同じ気持ちになった
余った飯は犬やネコなどへも分け与えられるそうだ
しかしミヤンマーで見た犬はどれもやせ細っていた
ミヤンマー アマラプラ (2014年3月25日)
最近のコメント