トルコの10日間(2)ダーダネルス海峡を渡る ― 2013/07/01 23:25
トルコへ行く目的の一つにダーダネルス海峡を渡りたいと考えていたからだ
自分の意識に西洋と対面するにあたり障壁がありこの年齢になっても依然西洋は未知の世界に佇んでいる
その未知なる西洋へ分け入るためにはこの障壁を壊す儀式が必要と考えていた
ダーダネルス海峡を渡ることすなわち西洋への障壁を突き抜けることなのである
ダーダネルス海峡はエーゲ海とマルマラ海を結ぶ羊の腸のように狭い海峡だ
一見しただけで古今この海峡は軍事委的重要なポイントであることが想定できる
自分の意識に西洋と対面するにあたり障壁がありこの年齢になっても依然西洋は未知の世界に佇んでいる
その未知なる西洋へ分け入るためにはこの障壁を壊す儀式が必要と考えていた
ダーダネルス海峡を渡ることすなわち西洋への障壁を突き抜けることなのである
ダーダネルス海峡はエーゲ海とマルマラ海を結ぶ羊の腸のように狭い海峡だ
一見しただけで古今この海峡は軍事委的重要なポイントであることが想定できる
西洋へ攻め込むため絶好のポイントである
アジア側のラプセキ(Lapseki)港でフェリー(艦艇)に乗り込む
いざ出航!!
右回りに約3000キロの旅程は心身を消耗させていた
披露回復に甘い紅茶がよい
お茶を飲んで油断しているうちに艦艇はどんどん海峡を横切る
アジア側の景色は小さくなり
あの未知なるヨーロッパが近づいてくる
30分が過ぎアジア側はずっと遠のき
上陸地点のゲリボル(Gelibolu)港はもうすぐだ
ゲリボルへ上陸!!
障壁消滅
西洋へ進攻開始!!
しばらくしてバスはエデルネに向けて走っている
トルコ共和国 ダーダネルス海峡 (2013年6月15日)
トルコの10日間(3)アナトリア①カッパドキア ― 2013/07/03 22:13
トルコ10日間をまずトルコの中央部をアナトリアと題してまとめて行く
アナトリアでは①カッパドキア②ヒッタイトの遺跡③コンヤ と3つに区切ることにした
①カッパドキア(Cappadocia)
カッパドキアの奇岩地帯には夕刻到着
到着して最初に目に入っ風景である
遠くに中央アナトリアの最高峰(3916メートル)が
エルジャス(Erciyes)山が見えた
アナトリアでは①カッパドキア②ヒッタイトの遺跡③コンヤ と3つに区切ることにした
①カッパドキア(Cappadocia)
カッパドキアの奇岩地帯には夕刻到着
到着して最初に目に入っ風景である
遠くに中央アナトリアの最高峰(3916メートル)が
エルジャス(Erciyes)山が見えた
ギョレメ谷の背後に夕日が沈んだ
ウチヒサールにある洞窟ホテル(アルゴスインケイブ)に到着
通路が迷路になっていて部屋に辿り着くまで大変だ
洞窟の部屋は窓が少なくやや湿気が多いようだ
カッパドキアにも朝が再来します
近くのモスクの拝礼の呼びかけアザーンの音でで目を覚ます
ウチヒサールに朝日がさし始める
猫が音もなく通りを横切り
民家の壁も光を受けて甦った
遠くからモータの音が耳に届いてくる
気球一基が頭上を通過した
暫くするとたくさんの気球が集まった
カッパドキアには
キリストの洞窟教会があり
暗闇の教会内部のフレスコ画が素晴らしい
こんにちは!! いらっしゃい!!
地下都市がある
頭を岩にぶっつけてしまう
帽子着用が必須(ヘルメットが欲しいところだ)
キノコのような岩が眼下に見え
三姉妹と呼ばれている
ラクダの形をした岩を見上げる
ラクダのほかネコやカエルなどもありました
あたり一面キノコが生えたゼルベの谷
そして翌朝
ウチヒサールの広場に停車したバスでカッパドキアを去った
奇岩の並ぶ景色の鑑賞のほか特にギョレメ野外博物館の教会に興味があった
教会内部に描かれたキリストやマリアのフレスコ画は素朴すぎる
どうして記号のような素朴さでよいのか!?
聖書の文言によって覚りに導かれることが重要なのだとフレスコ画は語っているようだった
トルコ共和国 中央アナトリア カッパドキア (2013年6月11日~13日)
25ふるさと夏①シジュウカラの巣立ち ― 2013/07/08 21:20
梅雨が明け本格的な夏が到来した
今日はこの夏一番の暑い日だった
柿の木の巣箱はシジュウカラに巣立ちの日を迎えた
巣立ちのほのぼのとした時が過ぎ日は西に傾いて行った
ふいに偶然とは思えない不思議なことが起きた
一度も近くに寄らなかった親鳥が目前の朝顔の鉢まで飛んできて
支柱に停まって一瞬私の顔を窺ってから横を向き尾を向けて飛び去って行ったのである
それはシジューカラが巣箱のお礼を私に言いに来たのだと
確信できるほどの出来事だった
(巣箱を作って子育てを見守っていることで人間と野生の小鳥と通じるものが
できるのかな!?)
群馬県 吾妻郡 シジューカラの巣立ち (2013年7月8日)
今日はこの夏一番の暑い日だった
柿の木の巣箱はシジュウカラに巣立ちの日を迎えた
巣立ちのほのぼのとした時が過ぎ日は西に傾いて行った
ふいに偶然とは思えない不思議なことが起きた
一度も近くに寄らなかった親鳥が目前の朝顔の鉢まで飛んできて
支柱に停まって一瞬私の顔を窺ってから横を向き尾を向けて飛び去って行ったのである
それはシジューカラが巣箱のお礼を私に言いに来たのだと
確信できるほどの出来事だった
(巣箱を作って子育てを見守っていることで人間と野生の小鳥と通じるものが
できるのかな!?)
群馬県 吾妻郡 シジューカラの巣立ち (2013年7月8日)
トルコの10日間(4)アナトリア②ヒッタイトの都ハットゥシャ ― 2013/07/13 02:30
アナトリア
②ヒッタイトの都ハットゥシャ
ヒッタイト人が初めてアナトリヤに現われたのは紀元前2200年頃と考えられている
アッシリアの商人が文字をもたらしたことから早くからヒッタイトの歴史は文字で
記された
ヒッタイトは歴史学的には
・ヒッタイト古王国時代(紀元前1660年~1460年)
・ヒッタイト帝国時代(紀元前1460年~1190年)
に分けて考えている
ボアズカレの街
ヒッタイトの遺跡ハットウシャはボアズカレという村の高台にある
②ヒッタイトの都ハットゥシャ
ヒッタイト人が初めてアナトリヤに現われたのは紀元前2200年頃と考えられている
アッシリアの商人が文字をもたらしたことから早くからヒッタイトの歴史は文字で
記された
ヒッタイトは歴史学的には
・ヒッタイト古王国時代(紀元前1660年~1460年)
・ヒッタイト帝国時代(紀元前1460年~1190年)
に分けて考えている
ボアズカレの街
ヒッタイトの遺跡ハットウシャはボアズカレという村の高台にある
ヒッタイトの都
ハットウシャの大地の上から眺めたアナトリアの景色は実に美しい
ハットウシャ
ハットウシャは神を祀った神殿、王の住む王宮、民衆の住宅が集まる街などの
建物が立ち並びそれは堅牢な石の城壁で囲まれていた
(1)大神殿
ハットウシャで最も大きな神殿で大神殿と呼ばれている
ライオンの水槽
正門の手前に水槽の残骸がころがる
正門
巨大な神殿の入口
ここから大きな石を敷き詰めた通りが伸びている
巨大な神殿の入口
ここから大きな石を敷き詰めた通りが伸びている
柱廊
中央に神殿の中枢がある
5本の柱が並ぶ柱廊を抜けると祭祀の間があり
ヒッタイトの神の中の神の天候神や太陽の女神の像が安置されていた
貯蔵庫と敷居石
食糧や交易品の貯蔵のため巨大な貯蔵庫が必要であったのだろう
本殿を取り巻いて貯蔵庫があり入口の大きな敷居石や
穀物を保管したと思われる大甕が目に入る
(2)城門
観光コースに組み込まれるものとして南側の城壁に穿たれた次の門がある
西側からライオンの門、スフィンクスの門、王の門などがそれである
門の構造は内側にカーブした一枚岩の柱がアーチを作るものである
観光コースに組み込まれるものとして南側の城壁に穿たれた次の門がある
西側からライオンの門、スフィンクスの門、王の門などがそれである
門の構造は内側にカーブした一枚岩の柱がアーチを作るものである
ライオンの門
西側に位置する門
城門の外側に口を開けたライオンを配し悪霊の侵入を防いでいる
ライオンのどうどうとした体躯や線彫された繊細な毛なみが目を奪う
スフィンクスの門
南側に位置する門
頭部はひと身体はライオンというスフィンクスの像が
城門の内外に配置されていた
エジプトとの関わりを今に記すもののひとつであろうが
ここのスフィンクスは女性的なのである
地中の門(イェルカブ)
南城壁の防御機能を高めるためにスフィンクスの門の下の斜面に
濠を設け土手を築いた
この土手を貫く坂の地下道がイエルカブである
巨大な石を組み合わせてアーチを形どった様子が内部から見て取れる
王の門
東側に位置する門
内側の門に刻まれた兵士の姿は王を現したものと信じられ
王の門と名付けられた
実際は王でなく守門神なのだそうだ
東側に位置する門
内側の門に刻まれた兵士の姿は王を現したものと信じられ
王の門と名付けられた
実際は王でなく守門神なのだそうだ
守門神の顔の表情
口が正面を向きかけている
(3)ヒッタイトの神々
千の神々の国を言われるほどヒッタイトは多神教国家だった
それはヒッタイトは様々な民族を率いる連合国家であり
それぞれの民族の宗教には寛大であったためである
ヤズルカヤ屋外神殿の岩壁にはヒッタイトの神々の姿が浮き彫りされている
山の神の肩の上に立つ天候神テシュブ
テシュブに向き合うヒョウに乗った太陽の女神ヘパト
(テシュブやヘパトはフルリ人の呼び名)
(ヘパトをハッティ人はベェルシェム、ヒッタイト人はアンリナと呼んだ)
次にテシュブとヘパトの息子神シャルマが豹の背に乗って立ち
右端は双頭の鷲の翼の上に二体の女神が乗る
シャルマ神に守り導かれるトゥタリヤ四世
トゥタリヤ四世(紀元前1250年~1220年)
シャルマ神の背後に紋章はトゥタリヤ四世の王名紋章
トゥタリヤ四世(紀元前1250年~1220年)
シャルマ神の背後に紋章はトゥタリヤ四世の王名紋章
黄泉の国の十二神
ハットウシャに残る遺跡はヒッタイトが古王国から帝国へと繁栄して行った
紀元前14世紀ごろに建てられた
大地の広がる遺跡の上物の形は失われているが巨大な石の基礎を見るだけでも
ヒッタイトの繁栄の様子が想像できた
トルコ共和国 中央アナトリア ハットゥシャ (2013年6月11日)
紀元前14世紀ごろに建てられた
大地の広がる遺跡の上物の形は失われているが巨大な石の基礎を見るだけでも
ヒッタイトの繁栄の様子が想像できた
トルコ共和国 中央アナトリア ハットゥシャ (2013年6月11日)
日本点描 (1)忍野八海 ― 2013/07/13 17:53
25ふるさと夏②ケロちゃん夏の棲み処 ― 2013/07/14 22:08
トルコの10日間(5)アナトリア③セルジューク・トルコの首都コンヤ ― 2013/07/15 17:20
コンヤは人口100万人の都市である
この街に11世紀セルジューク・トルコの首都が置かれた
セルジューク・トルコの発祥地は遥かアラル海の東沿岸地域だ
そこから勢力を増して西侵し一大帝国を築いたのは紀元後11世紀のことだ
アクサライ(Aksaray)にあった隊商宿(サライ)
古来からコンヤはシルクロード交易の要衝であった
その道筋には多くの隊商宿が築かれた
この街に11世紀セルジューク・トルコの首都が置かれた
セルジューク・トルコの発祥地は遥かアラル海の東沿岸地域だ
そこから勢力を増して西侵し一大帝国を築いたのは紀元後11世紀のことだ
アクサライ(Aksaray)にあった隊商宿(サライ)
古来からコンヤはシルクロード交易の要衝であった
その道筋には多くの隊商宿が築かれた
サライは頑丈な城壁で囲まれている
コンヤにあるメブラーナ博物館
旋舞教団で知られるメブラーナ教の始祖メブラーナなど聖者が祀られている
コンヤにあるメブラーナ博物館
旋舞教団で知られるメブラーナ教の始祖メブラーナなど聖者が祀られている
青緑のタイルを敷き詰めた塔がくっきりと青空に光っていた
また庭園のバラが有り余る太陽の光を受けていた
メブラーナの博物館(霊廟)の入口
スカーフを頭に被った女性たち
霊廟に中に入ると立派なターバンが目につくのだ
この立派なターバンは棺の上に乗せられている
またムハンマドの髭を納めた小箱や手書きのコーランなどの展示もある
また庭園のバラが有り余る太陽の光を受けていた
メブラーナの博物館(霊廟)の入口
スカーフを頭に被った女性たち
霊廟に中に入ると立派なターバンが目につくのだ
この立派なターバンは棺の上に乗せられている
またムハンマドの髭を納めた小箱や手書きのコーランなどの展示もある
セマーの部屋
右手を上に、左手を下にして1時間30分ほど旋回して踊りを続けると
信者は誰もが陶酔の境地に入るだそうだ
メブラーナの聖職衣装?
セルジューク・トルコの面影を街に見いだせないままコンヤの街を後にした
コンヤを過ぎるとアナトリアを離れエーゲ海地方へと入っていく
トルコ共和国 コンヤ メブラーナ博物館 (2013年6月13日)
トルコの10日間(6)ヒエラポリス ― 2013/07/18 15:46
車はアナトリア地方からエーゲ海地方へと移動していく
アナトリアは麦畑の模様が綺麗であったがエーゲ海地方は
オリーブやイチジクなどの果樹園が多いい
ヒエラポリス(聖なる街)
紀元前190年頃にベルガモンの王によって建造された都市で
ローマ時代は温泉療養地として栄えた
街は城壁で囲まれ北門から南門へ広いアルカディア通りが貫いている
北門からアルカディア道理を歩いてみよう
北大浴場とドミティアヌス帝の門
3つのアーチはローマ時代に造られたドミティアヌス帝の門である
その左側奥の建物が北大浴場と思われる
アナトリアは麦畑の模様が綺麗であったがエーゲ海地方は
オリーブやイチジクなどの果樹園が多いい
ヒエラポリス(聖なる街)
紀元前190年頃にベルガモンの王によって建造された都市で
ローマ時代は温泉療養地として栄えた
街は城壁で囲まれ北門から南門へ広いアルカディア通りが貫いている
北門からアルカディア道理を歩いてみよう
北大浴場とドミティアヌス帝の門
3つのアーチはローマ時代に造られたドミティアヌス帝の門である
その左側奥の建物が北大浴場と思われる
アルカディア通り
その通りに立ちドミティアヌス帝の門を見る
時間の関係でこれ以上北側へ行けなかったのが残念だ
大石を敷き詰めたアルカディア通りは北から南へ延びている
ビザンツ時代の北門
南側に振り向くと通りの先に城壁と門が見える
ビザンツ時代の北門である
北門が近づいた
北門をくぐって振り返る
なるほどアルカディア通りは一直線に伸びている
南門に向けてさらに歩く
しかしこの先で通りは途切れてしまう
ハドリアヌスの劇場など
左手の東側を見ると遺跡らしきものが見える
それはハドリアヌスの劇場や神殿などがある方向だ
時間がないので左に曲がって行きたいが諦めるしかないのだ
ローマ浴場
すこし進み通りから右側方面にそれて行くとローマ浴場の跡がある
大勢の市民が集まったのだろう規模の大きさに驚かされる
パムッカレ(綿の城)
さらに進むと石灰棚の奇観が楽しめる
話をアルカディア通りに戻そう
パムッカレ温泉
遺跡の中にある現役の温泉場
いままで歩いてきた通りはこの温泉の中を通過しているのではなかろうか
と想像!?
水路だろうか!?
南門に近いところで
北側から一直線の通り
アルカディア通りのでは?
アポロン神殿
説明はなかったが多分神殿跡だ
南 門
アルカディア通りもここが終点
ヒエラポリス遺跡は
ここに残るものはローマ時代のものだ
最盛期には人口10万人を数えたという
近くにはネクロポリス(死者の街)という墓場がある
初めて見るローマ時代の遺跡でした
ここで見られなかった神殿や劇場などの遺跡は次のエフェスの遺跡で
補うしかなかった
トルコ共和国 エーゲ海地方 ヒエラポリス (2013年6月14日)
トルコの10日間(7)エフェスの遺跡 ― 2013/07/19 17:17
ヒエラポリスで見られなかった分ここではゆっくり見ようと心掛けた
南入口から入場する
ヴァリウスの浴場
ローマ風呂の遺跡
ヒエラポリスのそれより規模が大きいか小さいかは見た目わからない
両方ともここが社交場であったことは確かなことだ
南入口から入場する
ヴァリウスの浴場
ローマ風呂の遺跡
ヒエラポリスのそれより規模が大きいか小さいかは見た目わからない
両方ともここが社交場であったことは確かなことだ
オデオン
アゴラの北側に小劇場がある
頭上の十字架
入口の梁石に十字架が刻まれている
オデオン全景
今でもコンサートを開演できそうだ
ドミティアヌス神殿
オデオンを過ぎ進むと左手に神殿の遺跡がある
ローマ帝国11代皇帝ドミティアヌスを祀る神殿
ここの角の広場にはポリオの泉や勝利の女神ニケの像がある
勝利の女神ニケ
平山画伯の古代ローマの遺跡にも描かれている石像だ
どの構造物に載せられていたのだろうか
こんなレリーフもあったが
クレティス通り
勝利の女神を見て三叉路を下ると石門がありクレティス通りへと続く
ヘラクレスの門
通りの両側に獅子の毛皮をまとっとヘラクレスが立つ
トラヤヌスの泉
通りの右手にある
ローマ帝国五賢帝時代の皇帝トラヤヌスに奉げられたい泉
ハドリアヌス神殿
ローマ帝国五賢帝時代の皇帝ハドリアヌスを祀る神殿
奥の破風の中央にメドゥーサが刻まれている
ここに入ろうとする人はすべて石にされてしまうのか
メドゥーサは魔除けとしてのはたらきがあるようだ
前面の4つ並んだ台は皇帝の彫像をのせるためのもの
アーチの天にあるこの都市の守護神運命の神様テュケ
掲示板
通りの左手にある石の掲示板
三つの言語で刻まれている
掲示板というより石碑である
ケルスス図書館とマゼウスとミトリダテスの門
クレティス通りを下ったところに聳える図書館(正面)と
マゼウスとミトリダテスの門(左手)がある
ケルスス図書館の蔵書の数はアレクサンドリアのそれと競いあった
物語が語り継げられている
女神像
図書館の入口に4体の女体像が立つ
大理石通り
ケルスス図書館を過ぎると大劇場に向けて真っ直ぐな通りがある
大理石通りと呼ばれているが工事のため進入禁止でした
アゴラ
そのためケルスス図書館からマゼウスとミトリダテスの門を抜けて
アゴラ跡を右手に見て進んだ
大劇場
大理石通りとアルカディアン通り(浜通り)が交差する角に
巨大な劇場跡がある
階段を登り最上階から見た劇場舞台
こんな遠くだと演者も豆粒のようだ
きっとローマ時代でもオベラグラスがあったのではないかと想像した
アルカディアン通り
エーゲ海の港へと続く大通り
過ってここをアントニウスとクレオパトラが歩いたと語られている
北側出入口から退場しアルテミス神殿へ向う
アルテミス神殿
エフェスではアルテミスが神として敬われた
この神殿はそのアルテミスを祀るため建てられたもので
その大きさは旅行者の目を奪うほどの巨大であったようだ
いまではその姿はない
ハットウシャ
ヒエラポリス
エフェス
と3つの古代遺跡を見た
今後これらの遺跡から発掘された神々の像などを見て
東洋の遺跡や神々の像と比較していきたい
トルコ共和国 エーゲ海地方 エフェスの遺跡 (2013年6月14日)
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