貴婦人と呼ばれるシラカンバ2012/05/01 09:50

小田代が原は三度目であった。この時期連休とはいえここを訪れるひとは少ない。このころの芽吹きが始まる頃のぼーっとした色の景色や枝をむき出しにした樹林の静寂さが好きだ。

 

小田代ガ原の貴婦人

このシラカンバは「あのシラカンバの木」はとは言わない。ただ「貴婦人」と呼ぶ。この写真では冬を耐え抜いた婦人の力強さが感じられる。しかし飾りのない貴婦人の写真は載せないでとしかられそうである。

小田代ガ原平成24年4月30日

 

ここに湖ができることがあるなって想像すらしなかった。この次は湖の出現時に再来したい。

 

           日光小田代が原 平成24年4月30日




新疆ウイグル(16)黒いハットとブーツ2012/05/02 16:11

(ホータンのポプラ並木)

ホータンのポプラ並木

黒い革のハットを被りブーツを履いたウイグルの男が目に留まる。真夏でも黒い暑そうなハットを被るそうである。理由を訊くと暑さ除けになるためと聞く。ほんとうかなぁ・・

 

            中国 新疆ウイグル (201110月)




新疆ウイグル(17) キジル石窟2012/05/03 09:42

亀茲石窟のなかで中心的な石窟がキジル石窟です。キジルとはウイグル語のクズル赤いという言葉に由来する。確認されている石窟の数は235窟とも言われるが実際はもっと多かったと考えられている。

 

(キジル石窟)一番大きな窟は第47窟の大仏窟です。

 

クチャ キジル石窟

 <今までこのようなキジル石窟の写真は現地に行くまで見たことがなかった>

 

38窟は
中心柱窟で主室は天井に天相図・海中図、菱形枠に描かれた本生図、側壁に
28体の演奏演舞している男女伎楽天(この窟が音楽洞と呼ばれる由縁)、前壁(入口上部)に交脚の弥勒説法図が描かれている。後室の正壁には弟子や供養者に囲まれた釈迦の涅槃像の壁画がある。

 

34窟は
中心柱窟で主室の天井に天相図が描かれている。後室は涅槃台が残り仏舎利や経典をしまった穴が残る。

 

32窟は
中心柱窟で指のような形でかたどった菱形格子に描かれた因縁図などが残る。手の指の形は須弥山を現わしたものである。

 

8窟は
中心窟で主室は天井に天相図(蛇を口に加えたガルダ、鉄腕アトムの髪形をした風神)、入り口右上に五絃琵琶を奏でる伎楽天、
4人×4か所=16人の剣を持った供養者(亀茲王侯貴族)の像が並んでいる(この窟が十六帯剣者窟と呼ばれる由縁)。後室は涅槃台のみ残っているが、ここには舎利争奪の壁画があったようだ。

 

10窟は
方形窟の僧坊窟である。キジル石窟の発掘に貢献した黒龍江省朝鮮族の韓楽然先生の写真、資料などが展示されている。

 

27窟は
中心柱窟で多龕窟と呼ばれる。主室の天井は碁盤の目の格子天井、前壁に弥勒説法図、正面には天蓋の絵が残り釈迦像が安置されていた。また壁に
60もの小仏龕が残っている。後室には鮮明ではないが火葬図、舎利争奪などが描かれている。

 

このキジル石窟で印象に残ったのは

①第38窟の天相図と海中の図(白鳥が舞う太陽神と月神は特に印象的だ)及び伎楽天

②第8窟の十六帯剣者と5絃琵琶を鳴らし舞う飛天

③菱形格子に描かれた本生図や因縁図

④弥勒説法図

少々残念であったのはここで亀茲人をイメージできる壁画が少なかったことである。敦煌莫高窟に描かれた回鶻王供養図のようなものが見られれば亀茲人のイメージが掴めたと思われる。

 

今回行ったクズルガハ石窟も、キジル石窟も見た石窟は亀茲国時代のものであった。亀茲国は西暦645年唐により滅ぼされ姿を消した。その後石窟の形は唐風色(例えばアエ石窟のような)へと変化していくのである。

 

            中国 新疆ウイグル (201110月)




新疆ウイグル(18) 売る2012/05/05 16:17

①朝の街頭ミルク売り(昌吉市内)

昌吉のミルク売り

 

②飛行場のお土産売り場(ウルムチ) 

飛行場の土産売り場(ウルムチ)


③果物など街頭販売(ウパール村)

果物の街頭販売(ウパール村)

④ナンの製造販売(塔河鎮)

ナンの製造販売(塔河鎮)

⑤ナンの街頭販売(ウパール村)
             

ナンの街頭販売(ウパール村)

⑥シルク工場の製品販売(ホータン) 

シルク工場の製品売り場(ホータン)

⑦民族楽器の販売(カシュガル)

楽器店(カシュガル)


⑧職人街の製造販売(ヤルカンド)
 

職人街の製造販売(ヤルカンド)

⑨帽子の製造販売(カシュガル)

帽子の製造販売(カシュガル)

                 中国 新疆ウイグル (2011年10月)

新疆ウイグル(19) 水2012/05/08 23:51

天山や崑崙山脈が供給する氷や水は新疆ウイグルの源だ!!。
(天山山脈)
天山

山から供給された水はたまたま生活の争いの基となった。河の両側に建てられた東西の寺院は争いを沈めるため建立されたと言われている。

(枯れたクチャ河の両岸に立てられた寺院(スバシ古城))
クチャ河の守護神

やがて流れ下った恵みは砂漠のなかの大河となる。

(タリム河)
タリム河

ひとの手によって水は分けられる渇いた大地に生命を宿す。

(水路)

水路
                      


                     中国 新疆ウイグル(2012年10)

新疆ウイグル(20)スバシ古城2012/05/10 21:41

クチャ川を挟んで東西に寺院跡が残る。過って昭怙厘大寺と称された寺院跡である。この寺院は紀元3世紀に創建され唐安西都護府がクチャに西侵した7世紀中葉ごろ最盛を極めていたという。

(西寺中塔跡から眺めたクチャ河と東寺跡)
 

スバシ古城



東寺は仏堂、僧堂、北中南配置された三塔で組成され、西寺は東寺より建物が多く、北中南の三塔に加え南部に寺院が建てられていたという。

スバシ古城(西寺)

 


20世紀初頭日本の大谷探検隊が仏舎利容器を発見したのは西寺である。西寺の北塔には仏洞が分布し内に壁画と亀茲文題記が残存している。1978年中塔基礎部から一体の女の骨組みと嬰児の骸骨が発見され亀茲博物館に収容されている。

(西寺中塔跡)
 

スバシ古城(西寺)


貞観2年(628年)唐の高僧玄奘がインドに向う途中2カ月余り滞在した仏事興隆、晨鐘暮鼓、燔火不絶を誇った昭怙厘大寺も9世紀戦火に見舞われ、やがて13~14世紀ごろ廃棄された。

 

スバシ古城(西寺)

            
             中国 新疆ウイグル (
201110月)




新疆ウイグル(最終)粟散辺土の国より2012/05/11 16:23


ウイグル


                   中国 新疆ウイグル (201110月)



てくてく 式根島2012/05/18 09:46

式根島 カンビキ展望台


伊豆の島嶼へ行ったのは36年前結婚1周年の旅行ということで大島へ渡りました。連絡船を降りた元町港の観光協会で波浮の民宿を予約してから波浮までの道程を拾ったでんでん虫を手のひらに乗せて歩いたのを今のように思い出します。


あれから36年も時が過ぎ相変わらずの二人ですが今回(二度目)は大島よりもっと先の式根島に渡りました。
大島の時と同じように島に下船してから観光協会に立ち寄り民宿を予約してから島を廻る遊歩道を歩き始めました。
当日は偶然にも天気に恵まれ美しい島の景色を満喫することが出来ました。また、温泉や民宿でゆったり過ごすことができて大変満足できました。


二人が健康なうちに歩きのある小旅行を続けて行きたいと思います。

 

             式根島   (2012514日)




てくてく 飯盛山1643メートル2012/05/26 03:51


長野県 南牧村 飯盛山 山頂

(長野 南牧村 飯盛山(めしもりやま)

 815分   平沢峠(獅子岩)駐車場 出発

 

 850分   分岐

 

 915分  飯盛山(めしもりやま)山頂 到着

 

 930分  飯盛山 山頂 下山 開始

      (ガレ場→平沢方面下山)

1045分   ロッジ牧詩

       (道を尋ねる)

11時20分   平賀源心胴塚

 

1130分   平沢峠駐車場 到着

 

 (合 計 11,400歩)

              長野県 南牧村 (2012522日)


てくてく 入笠山 1955メートル2012/05/27 14:22

(長野県 入笠山(にゅうがさやま))

730分  御所平峠駐車場  出発

 

800分  入笠山(にゅうがさやま) 山頂 到着

       (360度展望良好)

835分  入笠山(にゅうがさやま) 山頂 出発

 

905分  御所平峠駐車場  到着

 

930分  入笠湿原

 

955分  ゴンドラ山頂駅

       (カタクリ花咲く)

1155分  大阿原湿原

       (コナシ花まだ咲かず)

1255分  大阿原湿原  出発(下山)

 

 (合計 8,550歩)

 

   長野県 高遠町、富士見町、長谷村  (2012523日)