2020年謹賀新年 ― 2020/01/01 00:01
久米島のおばけ坂 ― 2020/01/04 14:10
瓜州 楡林窟 ― 2020/01/09 21:35
2019年11月25日(月)快晴
楡林窟の石窟10窟を見る
楡林窟は甘粛省瓜州県の南山山谷中の楡林河東西両岸に開鑿された仏教石窟であります
楡林窟の石窟10窟を見る
楡林窟は甘粛省瓜州県の南山山谷中の楡林河東西両岸に開鑿された仏教石窟であります
外景
東崖は上下二層に分かれる
東崖は上下二層に分かれる
上層に20窟
下層に10窟

西崖は一層のみ11窟
仏塔が入口に立つ第38窟
開鑿時代は唐代~清代であるという
見学できたのは東崖のみで合計10窟に入ることができました
現地説明員は若い女性で日本語がとても堪能でした
見学窟一覧
第5窟、第2窟、第25窟、第26窟、第21窟、第17窟、第16窟、第14窟
第13窟、第12窟
記憶に残る塑像、壁画など
涅槃仏像(第5窟)
とても穏やかな美しい顔立ち
三世佛像(第17窟)
中心柱の三方の龕に鎮座した過去、現在、未来の三世佛像の造形と頭光、背光に描かれた
模様と緑の色彩
曹議金と曹議金夫人の供養像(第16窟)
ほぼ実寸大の供養像、香炉を持ち立つ曹議金の供養像、帽子や装束、宝刀や弓矢を持ち控
える侍従たち。同じく香炉を持ち立つ夫人の供養像、桃型の冠や装束、頬に貼る花鈿、鏡
や扇を持つ侍女たち。
弥勒経変図(第25窟)
人間社会を描いた部分、農民一種七収図、老人入墓図、婚嫁図など
(第25窟)
観無量寿経変(第25窟)
浄土世界の壮麗な宮殿、楼閣
伎楽 人頭鳥身の共命鳥
具体的な修行方法を描いた十六観図
水月観音(第2窟)
シャボン玉のような透明な大輪の身光のなかで岩上に悠然自在に座る観音様
一体は足元の水辺を見つめ、一体は欠けた月を仰ぎ見る
各各下に並んだ供養人、一方は七人の男、一方は四人の女
弥勒菩薩と普賢菩薩(第25窟)
青獅子の背に座る文殊菩薩、六牙の白象の背に座る普賢菩薩
薬王像など九体の塑像(第12窟)
仏床上に並ぶ薬王を中心とした道教の塑像
壁画は仏教画のままで塑像だけ道教に変えて使われたようだ
莫高窟よりは小ぶりな石窟でしたが見るべきものはすべてそろっていたような気がしました
莫高窟よりは小ぶりな石窟でしたが見るべきものはすべてそろっていたような気がしました
特に第17窟の仏塑像と第25窟、第16窟の壁画が素晴らしかった
(現地説明)
説明員 CHENさん
(参考図書)
楡林窟芸術(江蘇鳳凰美術出版社)
中国 甘粛省 瓜州県 (2019年11月25日)
説明員 CHENさん
(参考図書)
楡林窟芸術(江蘇鳳凰美術出版社)
中国 甘粛省 瓜州県 (2019年11月25日)
敦煌 西千仏洞 ― 2020/01/10 23:18
敦煌 西千仏洞
敦煌市街より西方35キロ、西方に涅槃仏の形をした山容が見えてくる
昔々西に赴く人々や、また西からやって来た人々であれば立ち止ってこの姿に手を合わせたに違いない
昔々西に赴く人々や、また西からやって来た人々であれば立ち止ってこの姿に手を合わせたに違いない
真っ直ぐ進むと陽関、北に進むと漢代の玉門関、そんな場所にシルクロードを行き交う人々の安寧を祈るためこの石窟が開削されたようである
日が西に傾く頃にここに到着
党河の北岸170メートルの幅に19の石窟が残る
このように砂利を積み重ねたようなもろい土砂の崖なのによく穴を穿って石窟を作ったものだと思う
石窟入口
石窟は階段を上った高さに並ぶ
党河の流れと断崖が見える

石窟内部の説明は現地説明員が中国語で、日本語通訳は現地ツアーガイドの許さん
窟内を観賞できたのは第4-5窟、第9窟、第11窟、第18窟の5窟のみでした
第4-5窟 (入口が同じ)

開削:第4窟隋時代、第5窟盛唐時代
第4窟 南に向かって開いた伏斗形天井前室有する方窟
前室北壁の主室へ通じる門口上部:説法図(盛唐時代)
前室天井:豊満な飛天が舞う
主室奥壁二重龕内:仏坐塑像(民国)背後に虎の壁画
主室天井:回鶻の牡丹(団花)模様
第5窟 入口が第4窟東側に開いた方形窟(人字披頂)
東壁:龕を開く
南壁:仏立像(盛唐時代)左右に蓮華座に化生の菩薩を描く
東壁:龕を開く
南壁:仏立像(盛唐時代)左右に蓮華座に化生の菩薩を描く
第9窟

開削:西魏時代
塔頂窟、人字披の天井を持つ
方柱南面:龕中1仏2弟子の塑像(清重修)
龕上部仏三尊と飛天
方柱西面北周の千仏、その中に説法図
東壁:説法図 隋時代の未完の壁画
西壁:上部に北周の千仏
北壁:涅槃変、涅槃仏
北壁:涅槃変、涅槃仏
南壁:左側白地に描かれた説法図
壁画に如意元年(692年)と題記が残る
(唐が武周と国号を改めた時代)
第11窟

開削:北周時代
横長の長方形、船底形天井
奥壁龕:民国修復の仏坐像 龕頂部 北周の飛天
西壁:上部に千仏図、その中に説法図、下部に女子供養者
東壁:上部に千仏図、その中に説法図、下部に男子供養者
第18窟

開削:中唐・吐蕃占領時代
伏斗形天井の方形窟
龕内:七尊仏の八角の台座のみ残る
壁画は法華経の普門品変相、観音の三十三現身、八十救難
西壁:観無量寿経変(唐代の建物、観音菩薩、勢至菩薩)
東壁:薬師経変
窟門の西側:不空羂索観音 一面六臂の姿
上方の両手に三叉戟を持ち、胸の前で両手を拈じる
垂下する左手に羂索を右手に宝瓶を持つ
西千仏洞を見た中で一番素晴らしかったと感じたのは第18窟の壁画でした
中国 甘粛省 敦煌市 (2019年11月24日)
久米島 具志川城跡 ― 2020/01/12 11:12
沖縄方面の城は?
沖縄の歴史はよくわからない
沖縄の歴史はよくわからない
久米島は黒潮あらう中国本土航海の要衝ということで城を築く必要があったのだろうか
久米島には4つもの城址が残されている
15世紀初頭に伊敷索(いなのは)一族という武装集団が島を支配したとき築城したという
その一つがこの具志川城である
15世紀初頭に伊敷索(いなのは)一族という武装集団が島を支配したとき築城したという
その一つがこの具志川城である
具志川城は島の北に位置し過って海に囲まれていたというが今は南側は陸続きである
城門は南側の南側にある
積石の城壁に囲まれた場内は4つの郭に区切られている
三の郭に位置する城壁
久米島には具志堅三兄弟という石垣職人がおったという
この海を渡ってどのような人々がやってきたのだろうか
この城の生活はどのようなものであっただろうか
1507年琉球王朝の尚真王によって伊敷索は討伐されたと聞くがこの島でどのような争いがあったのか
この城ではどんな物語が文書として残されていたのだろうか
どんな古文書があるのか見てみたい
どんな古文書があるのか見てみたい

14世紀頃、神と交信できる数人の根神(女:ニーガン)とニ三十人の根人(男)が村落をつくっていたという
君南風(チンベー)と呼ばれる根神の最高神(祭司)である
城の南側の斜面に祭祀のときにこのチンベーが座る石坐(トートー石)がある
いったいここではどんな歴史が展開していたのだろうか興味を起させる城址でありました
沖縄県 久米島町 具志川城跡 (2019年12月14日)
久米島 君南風殿内(チンベードゥンチ) ― 2020/01/13 16:32
君南風(チンベー)がウマチー(6月25日)の祭祀を行うときに座ったトートー石は具志川城址で書いたが、この建物は殿内(どぅんち)と呼ぶチンベーが祭祀を行う社殿である
琉球王朝は各島へ女性神職(ノロ(巫女))を派遣して神事を執り行わせていたそうだ
琉球王朝にとってこの島が航海上要衝の島であったためか、久米島のノロはその中でも位が高かったようである
神社風の社殿
神社のような飾りつけ
殿内は1937年神社風に建てられ、1977年現在の新社殿が完成したそうである
1937年以前、琉球王朝時代の君南風殿内がどのようなものであったのか旅行中における手掛りはなかった
余談であるが、久米島ではハブを退治すると1匹2,000円、烏を退治すると1羽1,000円お金がお上から頂けるそうである
沖縄県 久米島町 君南風殿内 (2019年12月14日)
久米島 五枝の松 土帝君 ― 2020/01/14 22:08
久米島の名前からして久米島では過って稲作が営まれていたそうだ
観光地の五枝の松は大きなため池の畔にあり稲作と関係があるらしい
稲の豊作を祈願するためにこの琉球松は植えられたものなのであろうか
五枝の松の姿は根元から枝が分岐して地をはうように広がっている
五枝の松の姿は根元から枝が分岐して地をはうように広がっている
手入れは害虫駆除の散布をするだけで剪定などは行わないとのことであるが
豊穣を感じさせる雄大な姿を保っている
しかし外からだと見えにくいけど分岐枝の中心に石の祠がある
尋ねると「農業の神様」だとトライバー兼ガイドのOさんの返事
五枝の松は農業の神を祀るにあたり琉球松を植樹したのが始まりのようだ
五枝の松は農業の神を祀るにあたり琉球松を植樹したのが始まりのようだ
松は強海風を遮り祠を守るように働き神木としての役割を得て観光的な主役と成長した
Oさんガイドさんが「農業の神様」と説明したが「土帝君(トーティークン)」という中国から持ち込まれた豊穣の神様で、島の人々が稲作の豊作を祈願するため祀ったもののようだ
祠のなかを見ると石板が置かれているだけで土帝君を現す文字や神像は掘られていないようだ
花瓶に花が生けられていて人々の信仰は今でも生きている
祠の庇に「勒□□」と文字が刻まれていて「土帝君」とは記されていない
□□部分は私には読めないが弥勒信仰との関係もあるようである
弥勒信仰といっても豊穣の神として祀るミルク神である
豊年祭りなどで登場するミルク神は仮面を被った女性の姿(韓国の官奴仮面劇に登場するソメカクシのような豊満な仮面と色彩が同じような衣装)であるそうだ
弥勒信仰といっても豊穣の神として祀るミルク神である
豊年祭りなどで登場するミルク神は仮面を被った女性の姿(韓国の官奴仮面劇に登場するソメカクシのような豊満な仮面と色彩が同じような衣装)であるそうだ
(ところで文字は「譲位勒」と読むのか?ヘルプ)

久米島の稲作は国の減反政策により止めてしまったようで水田は稀にしか見られない
稲作地はサトウキビ、ドラゴンフルーツ、ビニイモ、ラッキョウなどの畑に変えられていったが、ため池の水辺に祀った豊穣の神様の役割は無くなっていない
沖縄県 久米島町 五枝の松 (2019年12月14日)
最近のコメント