トルコの10日間(10)イスタンブールへの航海 ― 2013/08/01 19:30
エーゲ海からダーダネルス海峡をくぐり抜け帆船はトルコの内海マルマラ海へ入った
(と書きたいところだが実はプリンス諸島に行った帰りである)
マルマラ海の海面は長い航海の疲れを癒すように
午後の光を受けて耀いていた
(と書きたいところだが実はプリンス諸島に行った帰りである)
マルマラ海の海面は長い航海の疲れを癒すように
午後の光を受けて耀いていた
この航海の目的地オスマンの都イスタンブールはもうすぐ先だ
← ヨーロッパサイト
← ブルーモスクやアヤソフィアが見えてくる
オスマンはイスラムの国であることをまず航海者に教える
← ヨーロッパサイト
← ブルーモスクやアヤソフィアが見えてくる
オスマンはイスラムの国であることをまず航海者に教える
⇒ アジアサイト
⇒ アジア側の始発駅ハイダルパシャ駅と桟橋が目の先だ
私が陸路でイスタンブールを目ざしたならきっとこの
駅で列車を降り立ったであろう
⇒ アジア側の始発駅ハイダルパシャ駅と桟橋が目の先だ
私が陸路でイスタンブールを目ざしたならきっとこの
駅で列車を降り立ったであろう
← ヨーロッパサイト
← やがて巨大な白い宮殿が迫りスルタンの力を誇示する
←旧市街が見えてきた
そして航海者にオスマンの都の繁栄ぶりを見せつける
そして航海者にオスマンの都の繁栄ぶりを見せつける
←旧市街の始発駅シルケシ駅
20世紀オリエント急行殺人事件の舞台となった

←金角湾にかかるガラタ橋が旧市街と新市街をむすぶ
木で造られていたガラタ橋は今ではトラムが走る
釣り人が数珠連なりになって欄干から釣り糸を垂れる
橋桁にレストラン街がありサバサンドの店もある
←新市街でひときわ目立つのがガラタ塔だ
ガラタ塔はなんて長い間我々航海者を眺めていたことだろう
⇒ アジアサイド
⇒ ウスキュダル沖の乙女の塔
ウスキュダルは芸術家が好む街とか
← ヨーロッパサイト
← 新市街と宮殿
ボスポラス海峡の潮は流れがきつい
← 新市街と宮殿
ボスポラス海峡の潮は流れがきつい
← 近代的な高層ビルは景観を壊すとのイスタンブール人の意見あり
↑風が顔面に突き当ってくる
ヨーロッパの風だろうか それとも
アジアの風であるのであうか
このまま直進してボスポラス海峡をぬけたかった
↑今ではポスポラス海峡にふたつの大橋が架かっている
ヨーロッパの風だろうか それとも
アジアの風であるのであうか
このまま直進してボスポラス海峡をぬけたかった
↑今ではポスポラス海峡にふたつの大橋が架かっている
イスタンブールこの街は海から見た景観を十分意識して造られたのではないかと思う
それくらい海から見た景観は見ごたえがある
遠くからシルクロードのオアシスと辿ってここまで来たかいがあったというものだ
トルコ共和国 マルマラ海からボスポラス海峡へ(2013年6月)
それくらい海から見た景観は見ごたえがある
遠くからシルクロードのオアシスと辿ってここまで来たかいがあったというものだ
トルコ共和国 マルマラ海からボスポラス海峡へ(2013年6月)
25ふるさと夏④フウセンカズラの花と果実 ― 2013/08/02 16:36
25ふるさと夏⑤夏祭り(祇園祭)おわる ― 2013/08/05 16:50
8月3~4日夏祭り風景
田圃の稲がすくすくと育つころ恒例の夏祭が行われます
田圃の稲がすくすくと育つころ恒例の夏祭が行われます
どの町内もは1カ月以上かけて準備します
太鼓の稽古でこどもたちは学校の先生方からではない
身近な町内の先輩から初めて指導を受けるのです
お祭り当日8基の山車を8町内を曳きまわします
わいい手古舞に導かれて山車が後に続きます

甘いミツバチに導かれた山車
鐘や太鼓笛でミツバチのご機嫌をとる
夏祭りはこどものお祭
こどもが疫病にかからないようにと
稲穂のようにすくすく育だてとの祈りが込められているのです

長も子供を守る決意が見える

夜8基の山車が十字路に集合闘牛のように頭を突き合わせて
太鼓を競い合います
8台の山車の笛鐘太鼓の響きがひとつになって轟きます
この祭の誇りだと考えます
こどものお祭は
おじんもおっとうもあんちゃんも意気投合します
また写真には出てきませんがたくさんの裏方さんが活躍します
夏祭りはこども中心
だが年代年齢性別を超えて
町がひとつになれる貴重な行事なのです
群馬県 中之条町 (2013年8月3~4日)
25ふるさと夏⑥トオルくん逝く ― 2013/08/11 23:18
長年に亘り町内の祇園祭実行を支えてきたトオルくんが
深夜入院先の病院で急逝した
50歳とまだまだ先がありとても悔しい気持ちだ
祇園囃子の指導を受けた子供たちの悲しみも悲しい
トオルくんのご冥福をこころからお祈りしたい
(合掌)
群馬県 吾妻郡 中之条 (2013年8月11日)
深夜入院先の病院で急逝した
50歳とまだまだ先がありとても悔しい気持ちだ
祇園囃子の指導を受けた子供たちの悲しみも悲しい
トオルくんのご冥福をこころからお祈りしたい
(合掌)
群馬県 吾妻郡 中之条 (2013年8月11日)
25ふるさと秋①残暑つづく ― 2013/08/14 10:20
町内の仲間やこどもたちの工夫と協力により
トオルちゃんの葬儀は仲間のこころのこもったものになった
トオルちゃんも満足して冥途へ旅立つことができるだろう
私はブライダルに人気の花カサブランカの花束をもらって
斎場を後にした
カサブランカの花言葉は「純潔」「愛、威厳、高貴」であるという
私がここで付け加えるならば「誠」である
暦の上では秋だちゅうのに猛暑が続く
畑ではキュウリやスイカは育って実をつけたがかぼちゃは全滅だ
トオルちゃんの葬儀は仲間のこころのこもったものになった
トオルちゃんも満足して冥途へ旅立つことができるだろう
私はブライダルに人気の花カサブランカの花束をもらって
斎場を後にした
カサブランカの花言葉は「純潔」「愛、威厳、高貴」であるという
私がここで付け加えるならば「誠」である
暦の上では秋だちゅうのに猛暑が続く
畑ではキュウリやスイカは育って実をつけたがかぼちゃは全滅だ

こころで
うちのケロちゃんは元の場所にもどって無事に生活しています
皮膚の白い部分が増えてきったないが
パイプの色に変身して身を守っているのかか
熱波を浴びて皮膚が焼けただれてしまったのか
それとも老年になって白皮膚化したのかな!?
暑さに負けるなケロちゃん
群馬県 吾妻郡 ケロちゃん (2013年8月14日)
赤道の国へ(インドネシア)プランバナン寺院 ― 2013/08/18 10:10
プランバナン寺院
建物のスケールの大きさに圧倒される
建物のスケールの大きさに圧倒される
祠堂の外回りにも神像が彫られている
基壇の欄干に廻らされたストゥーパのようなもの

欄干の内側に回廊が廻る
見学者は腰巻を付けて頭にはヘルメットを載せる
(ヘルメットはシヴァ堂のみ着用)

①シヴァ堂
シヴァ堂にはシヴァ、ドゥルーガ、ガネーシャ、アガスティアなどを安置
シヴァを祀る祠は入場禁止
シヴァ像はここにはない

ドゥルーガ女神像
アガスティア像
回廊
ラーマヤナの絵物語が展開する(ブラフマ堂まで続く)
ラーマヤナの絵物語が展開する(ブラフマ堂まで続く)
②ブラフマ堂(ブラフマ神を祀る)
ブラフマ立像
像がヨニの上に直に立っている

③ヴィシュヌ堂(ヴィシュヌ神を祀る)
ヴィシュヌ立像
ブラフマ神と同じく直にヨニの上に立つ

回廊
クリシュナ神話の絵物語が展開する
④ヴァハナ堂(神様の乗り物を納めた3基の祠堂)
・ガルダ堂(ガルダ:ヴィシュヌ神の乗り物)
祠内なにもなし
・ナンディ堂(ナンディ:シヴァ神の乗り物)
ナンディ像
・ガルダ堂(ガルダ:ヴィシュヌ神の乗り物)
祠内なにもなし
・ナンディ堂(ナンディ:シヴァ神の乗り物)
ナンディ像

ナンディの両側に立つ神像
七頭の獅子が曳く乗り物が珍しい
左側
右側

・ハンサ堂(ハンサ(白鳥):ヴラフマ神の乗り物)
堂内なにもなし
⑤シヴァ堂基壇
階段の手すりなどに彫られたマカラやカーラは珍しいものではないが
シヴァ堂基壇のこの像はおもしろい

お伽の国のような彫物
聖樹を称えるように舞う小鳥と守る人面鳥
ヴィシュヌ神像やブラフマ神像が神の姿でヨニの上に立つ例は今まで見られなかった
ように思う
今までに見た三大神像とヨニの組み合わせはリンガとヨニの組み合わせであったと思う
インドネシア ジャワ島 プランバナン寺院 (2013年5月11日)
てくてく三国山1636メートル ― 2013/08/21 23:30
三国山登山に出かけました
朝3時に家を出て4時過ぎに上越橋の手前あるトンネル管理事務所の駐車場に到着
明るくなるのを待ちました
朝3時に家を出て4時過ぎに上越橋の手前あるトンネル管理事務所の駐車場に到着
明るくなるのを待ちました

4時50分 駐車場を出発
群馬側登り口 (実際はまだ暗かった)
この写真は帰りに撮影

5時25分 三国峠下分岐
三国峠ー大般若塚のルートが旧三国街道です

5時30分 三国峠
ここが三国峠

峠に御坂三社神社があります
神社の右側にある登山道を登ります

登山道にまだ可憐な花が咲いていました

6時15分 お花畑
30分も登るとお花畑に出ます
頂上まであと30分
道端で見つけた花2つ
咲き始めたリンドウ

黄色が鮮やかだ

お花畑を過ぎるといよいよ山頂へアタック
木の階段を一直線に登ります

6時42分 三国山 山頂 到着 標高1636メートル
平評山分岐を過ぎる山頂に無事到着
山頂に鐘が設置してありました
山頂を極めしあわせ!!
幸福の鐘を10回撞いて喜びを表現しました
山頂から西方面の眺め
苗場山へ行きたい思ったが体力的に無理という結論で
登山を断念
7時10分 三国山 山頂 出発
木の階段を下ると眼下にお花畑が見えたくる
木の階段を下ると眼下にお花畑が見えたくる
傍らのナナカマドが色付き始めていた

7時40分 お花畑
お花畑は秋の装いを深める
8時15分 三国峠(御坂三社神社)
神社境内の右側に石碑が一枚建っている
三国峠を越えた人々の人名碑だ
神社境内の右側に石碑が一枚建っている
三国峠を越えた人々の人名碑だ
8時25分 三国峠下分岐 大般若方面へ直進
旧三国街道を1キロほど歩く
8時55分 大般若方面1キロ地点引き返し
この先に晶子清水分岐があるはずですが下調べした時間が
過ぎても到着しないのでここで引き返しました
旧三国街道を1キロほど歩く
8時55分 大般若方面1キロ地点引き返し
この先に晶子清水分岐があるはずですが下調べした時間が
過ぎても到着しないのでここで引き返しました

街道筋を偲ぶ道祖神(馬頭観音)
安政11年5月吉日を銘打ってある
9時30分 三国峠下分岐
10時00分 三国トンネル群馬側登り口 到着
三国トンネルにかかる上越橋より谷底を見ると
橡の木がたくさん実を付けていた
10時00分 三国トンネル群馬側登り口 到着
三国トンネルにかかる上越橋より谷底を見ると
橡の木がたくさん実を付けていた

中山道を高崎で分かれ北上して上越国境の三国峠を越え六日町、長岡などを経て
佐渡への渡海場寺泊へ至る道が三国街道である
宿場は群馬側で高崎から金古・渋川・金井・北牧・横堀・中山・塚原・布施・
須川・相俣・永井と11カ宿が置かれていた
群馬に住んでいるが三国山の登山は初めででした!!jjj!!
群馬県 三国山・三国峠 (2013年8月20日)
佐渡への渡海場寺泊へ至る道が三国街道である
宿場は群馬側で高崎から金古・渋川・金井・北牧・横堀・中山・塚原・布施・
須川・相俣・永井と11カ宿が置かれていた
群馬に住んでいるが三国山の登山は初めででした!!jjj!!
群馬県 三国山・三国峠 (2013年8月20日)
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