チャンパのかたち(9)ガネーシャ像2013/03/01 15:49

ミソン出土のガネーシャ像です

ミソン出土のガネーシャ神像

こんなに大きくて力強い立派なガネーシャ神にお目にかかったのは初めてでした


    ベトナム  中部  チャム博物館   (2013年1月)

チャンパのかたち(10)おしゃれなスクータ2013/03/03 15:55

ベトナムの庶民の足はスクータやバイクである
ホイアンの日本橋の路上に駐車していたスクータ
おしゃれなスクータ

赤く塗った派手なボディー
若い女性のスクータはとてもおしゃれだ


   ベトナム  中部  ホイアン   (2013年1月)

チャンパのかたち(11)踊り子と笛を持つ楽士2013/03/04 15:47

ミソンより海岸に近いチャキュウ遺跡で出土した
基壇の装飾のアプサラの踊り子と笛を持つ楽士です
チャキュウ遺跡踊り子と笛を持つ楽士
しなやかに舞う踊り子は軽やかで明るく美しい
この軽やかさ明るさは当時チャンパと交流のあったインドネシアの影響があると言う
踊り子の素肌を見せた腰には特徴のある飾りをつけている
この飾りはあまり見かけていないものである
笛を持つ楽士は膝をついてじっと大人しく自分の出番を待っているようだ

    ベトナム 中部  チャム博物館   (2013年1月)

チャンパのかたち(12)蛇を食べるガルーダ2013/03/06 16:47

12世紀~14世紀の遺跡タップ・マムから出土したガルーダ像
大蛇の尾を左足で踏みしめ左手で腹を掴み頭から飲み込んでいる
タップ・マム出土蛇を食べるガルーダ

動物像が一番すぐれているのはこの時代の彫刻だと言う
巨大なガジャシンハ(象頭獅子)像もタップ・マムのものである
タップ・マムのガジャシンハ像

       
         ベトナム  中部  チャム博物館  (2013年1月)

チャンパのかたち(13)シヴァ神胸像2013/03/07 10:46

シヴァ神の胸像
シヴァ神胸像

どこから出土したものか?
顔は当時のチャンパの王のものであろう
力強さがみなぎっている

      ベトナム  中部  チャム博物館   (2013年1月)

チャンパのかたち(14)フクティック村のかまど2013/03/08 09:57

フエの近郊にフクティックという村がある
Uの字に曲がった河に囲まれたフエの伝統的な村だ
その村の家屋は特徴がある
フクティク村の家屋
                       (伝統的は住居)
真中に先祖を祀る祭壇があり
その右側が男の部屋 そしてその右側が女の部屋である
女は中央の祭壇の前を通り抜けて男の部屋には行かない仕来りがあるそうだ
家屋の中央にある先祖を祀る祭壇
               (中央に設けられた祖先を祀る祭壇)
右側の女のエリアにあるキッチンに造られたかまど
洪水になっても使えるようにと地面から離れて造られている
フクティク村のかまど
かまどのまえに花だけの祭壇があった
日本で言うかま神さまなのであろう


    ベトナム  中部  フクティック村  (2013年1月)

チャンパのかたち(15)あの時2013/03/10 20:42

フクティクウ村でお会いした老婆です
彼女は自分の家(伝統)をひとり守ることで息子たちを守っています
あクティック村の老婆

彼女の姿を見てベトナム反戦の過っての自分の気持ちを甦らせました

3月10日今日は東京大空襲・・・10万人の都民が犠牲になりました


    ベトナム   中部  フクティック村  (2013年1月)

チベット(1)ヤルルンの谷2013/03/17 16:21

チベットの最初の王朝は山南地区に興った
ヤルルンの谷に興ったのでヤルルン王朝とも呼ばれているが
やがて吐蕃王朝へと発展していく
ヤルルンの谷
            (ヤルルンの谷:ユムブ・ラガンからの眺め)
初代王はニャティ・ツェンポと言い彼が氏族社会のトップに立てたのは土着の宗教
ポンが関与していると考えられている
ニャティ・ツェンポ王が建てたという伝説の宮殿が山上に残っている
ユムブ・ラガン
                   (ユムブ・ラガン)
瓦礫の坂道を登って辿り着くと宮殿は仏塔を携えたタルチョがはためく寺院だった
大殿一階には三世仏、ソンツェン・ガンポ王とティソン・デツェン王、文成公主、
ティソン王女の像が祀られている。

       チベット 山南地区  ツェタン  (2010年10月)


チベット(2)ラサへ2013/03/20 22:27

山南地方に興った吐蕃王朝は7世紀中頃
ソンツェン・ガンポ王によってラサへ遷都した
10月のラサ
                         (10月のラサ)
ソンツェン王の時代から以後2世紀に渡り吐蕃王朝は繁栄を極めた
その原動力のひとつにサンスクリット語からチベット文字が作成されたことと
インドからの仏教導入がある
この頃吐蕃という新興国家は唐をしても侮れない勢力になっていた

ソンツェン王と文成公主像
                 (ソンツェン王と文成公主)

          チベット ラサ    (2010年10月)

チベット(3)勃興の説話2013/03/21 15:35

チベットの上に羅殺女という魔物が寝そべっていた
それは勃興する吐蕃王朝にとって凶相であった
羅殺女仰臥図
                       (羅殺女仰臥図)
羅殺女の心臓のあたりがラサで当時は沼地や湖の地であった
ソンツェン王と王妃は湖沼を埋め寺を建立した
羅殺女仰臥図

また、両手、両足、両肩に寺院を建立することで魔物を封じこめた
沼を山羊に背負わせた土で埋めたことを起源として
ひとびとは新たな都をラサ(山羊の地)と名付けたのだそうだ

ラサの中心にジョカン寺が完成したのが646年のことである
ラサのジョカン寺(大昭寺)
              (唐蕃会盟碑とジョカン寺(大昭寺))

大寺院の建立により吐蕃の都ラサは仏教の聖地としてさらに繁栄を極めた


      チベット ラサ ジョカン寺   (2010年10月)