私のベルリン⑤ノイエ・ヴァッヘ(新衛兵所)2014/09/06 10:49

ベーベル広場を出てウンター・デン・リンデンの通りを越えたところに
1818年に建てられたノイエ・ヴァッヘがある
やがて衛兵所は世界大戦戦没者慰霊館として改築され
戦後「ファシズムと軍国主義の犠牲者慰霊館」して使用され
現在では「ドイツ連邦共和国中央慰霊館」として
ファシズムと暴力支配の犠牲者に対する記憶と追悼の場となっている
ベルリン ノイエ・ヴァッヘ

壁に掲げた碑文を訳文のまま以下に記す

ノイエ・ヴァッヘは
戦争と暴力支配の犠牲者に対する
記憶と追悼の場である

我々は
戦争で苦しんだ各民族に思いをいたす
我々は、そうした民族の一員で
迫害され命を失った人々に思いをいたす
我々は、世界大戦の戦没者たちに思いをいたす
我々は、戦争と戦争の結果により
故郷で、捕われの身で、また追放の身で
それぞれの命を落とした罪なき人々に思いをいたす

我々は殺害された何百万ものユダヤの人々に思いをいたす
我々は殺害されたシンテイ・ロマの人々に思いをいたす
我々は、その出自、その同性愛、その病や弱さゆえに
それぞれ殺されていった全ての人々に思いをいたす
我々は生きる権利を否定され殺害された全ての人々に思いをいたす

我々は、宗教や政治的信念ゆえに
命を落とさなければならなかった人々に思いをいたす
我々は暴力支配に抵抗し命を犠牲にした
女性たちや男性たちに思いをいたす
我々は自らの良心を曲げるより死を受け入れた全ての人々の栄誉を讃える

我々は、1945年以降の全体主義独裁に逆らったために
迫害され殺害された女性たちや男性たちに思いをいたす


広間の中央で「死んだ息子を抱く母」が深い悲しみの行方に呆然としている
ベルリン ノイエ・ヴァッヘ 死んだ息子を抱く母
私は私の心のなかで止まることのない碑文のマニグルマを回しつづけていた

    ドイツ連邦共和国 ベルリン (2014年8月24日)