ミヤンマーと仏教③托鉢2014/04/19 10:10

出家した若者がどのような修行生活をしているのかはつぶさに見えなかった

見えたのは鉢を首から提げ街へ托鉢に出かけた姿である
  街のひとびとは毎日僧に食事を施すことに躊躇することはない
  (我家で仏壇に毎日お茶をお供えする気持ちと同じものだと思う)
  食べ物を僧へ施すことで仏へ功徳を積み恩恵を授かるということなのだ
アマラプラの托鉢僧
                  (午前9時アマラプラの街角)

僧院では午前10時過ぎに鉢を提げた修行僧たちが行列をなす
  寄進者から寄進された飯を頂くために並んでいる
  修行僧たちの利発そうな表情に関心した
アマラプラ マハーガンダーヨン僧院の修行僧
                    (マハーガンダーヨン僧院)

しかし優秀な若者のパワーがこんなにも宗教に吸収されてしまっているのは惜しい
チベットでも感じたような同じ気持ちになった

余った飯は犬やネコなどへも分け与えられるそうだ
しかしミヤンマーで見た犬はどれもやせ細っていた

         ミヤンマー アマラプラ   (2014年3月25日)