吾妻郡パラオ諸島戦歿者慰霊碑2012/10/17 20:08

当郡よりパラオ諸島に従軍したひと205名のうち
昭和十九年九月からの戦闘で実に144名の方々が帰らぬひとになってしまいました
この石碑は生還したひとたちが戦歿者慰霊のため建碑したものである

吾妻郡パラオ諸島戦歿者慰霊碑
 

碑文
満洲事変日中戦争と続き昭和十六年
(一九四一)十二月米英両国に対し宣戦を
布告第二次世界大戦となった当時郷
土部隊第十四師団は関東軍の精鋭
として満洲に駐屯していた戦線の拡
大に伴ない本土防衛のため部隊を再
編成して船団を組み移動途中米軍艦
隊に遭遇など難関を切りぬけ昭和十九
年四月無事にパラオ諸島に到着した
その後島にいた守備隊の包含と移住者
の召集等により部隊の強化をはかり
「太平洋の防波堤」となることを合言葉
に守備に万全を期していた同年九月
突如ペリリュウ島に米軍が大挙来襲し
た戦闘は激烈を極めた然し衆寡敵せ
ず玉砕となったまた食糧難と病摩は多
くの若い命を奪った同二十年終戦、生
存者は戦歿者の遺志を胸に国家の再建
を誓い復員した戦後の混乱を経て漸く
経済的に立ち直った昭和四十三年郡内生還
者が集まり吾妻パラオ会を組織墓参等
慰霊を行ってきた会の結成二十周年を記
念し関係者協力のもと建碑を企画した
現在の日本の発展は戦歿者の犠牲の上に
実現されたことを肝に銘じ慰霊の誠を
捧げると共に戦争の悲惨な事実を世
に訴えここに永遠の平和を祈念して碑文
とする
  平成元年四月吉日
         吾妻パラオ会

平成24年10月14日関係者が石碑の前に集まり戦歿者慰霊祭が行われた
パラオの戦いからすでに68年が過ぎる
生還された61名のうち現在生存者は6名になってしまった

同町内には先の戦争に関して「おろかもの之碑」の石碑がある
碑文を対比すると感じることうんぬんである
「慰霊の誠を捧げる」との文章がこころに響いた

     群馬県 吾妻郡   (2012年10月14日)

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