総社古墳群 宝塔山古墳 ― 2023/02/17 14:32
総社古墳群 宝塔山古墳
この古墳は次の蛇穴山古墳と隣接して造築されている
形状
形状は隣接する次の蛇穴山古墳と同様の方墳で7世紀中半に造られたと考えられている
全景
推定復原図
墳丘は全長66mの方墳で三段築成で斜面は葺石が葺かれていたと考えられるている。
石室
石室は南側に向けて開かれ、羨道、前室、玄室の構造である
入口の石組
羨道
切石がきちっと積み上げた羨道
羨道と前室と前室と玄室の境に門柱のような造りがある
玄室
門柱のような仕切の奥に玄室があり家形石棺が置かれている
石棺の脚部は掘り込まれている(格狭間こうざま)のが珍しい
なお、石棺の左下に残る穴は手水鉢として利用した時に開けられた穴であると聞く
墳頂の墓所
墳丘の頂上には総社藩主秋元家の墓所がある
慶長6年(1601)秋元長朝が総社へ1万石で入封、この古墳に隣接する光厳寺は菩提所として慶長12年(1607)長朝により建立された
恥ずかしいながら群馬住人でありながら今回の古墳の散策で総社藩が存在したことを初めて知るに至った
令和5年2月4日撮影
群馬県 前橋市 総社町 (令和5年2月17日)
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