松井田城址 ― 2022/05/04 21:47
「天正18年、秀吉の北条攻めに於て加賀の前田利家、奥州の上杉並びに真田父子は碓氷峠より関東へ働に、松井田に籠りし松田大道寺と磐根石と言うところにて迫合、その後志とミ原と申すところ、松井田向に陣をすへ仕寄を付けて攻められたり、松井田扱いに成城を渡して助命す、その後方々落城成」
と古文書に残された松井田と志とミ原(人見のことか)に興味を持ち2022年4月30日松井田城址と人見城址を実地に見ることとした。
松井田城址
地蔵峠を下り高梨子より松井田城址に踏み入った
松井田城案内図
松井田城址見学路
松井田城址保存会作成の見学路の沿って回りました
①高梨子駐車場
駐車場へ到着 左手に榛名、正面に赤城の峰々が展望できる。

②大手道登城口
小屋があり引き戸を開けるとパンフレットが備えてあった

➂大手道堀切
尾根道を登って行くと何条かの堀切跡が行く手を遮っている
④帯曲輪
さらに登ると右手一段低い所に細長い帯曲輪跡がある
さらに進むと一番目の分岐点に突き当たる
左は水の手、右は大手道とあり右の大手道を進む
すると次の尾根筋に二番目の分岐点がある
左は尾根を登って本丸・二の丸へ、右は尾根を下って連続竪堀へと続く
ここで右に折れて連続竪堀へ尾根を下る
⑤武者だまり
武者だまりと記された狭い曲輪がある

⑥堀切
この次の尾根も何条もの堀切が行く手を遮っている
⑦連続竪堀
堀切を越えて行くと尾根の東側斜面に竪堀跡が認めらる
尾根から沢に向かって掘られた6本の連続した竪堀が確認されている
⑧大手門
二番目の分岐点まで戻り大手道を進むと大手門跡がある
僅かに土台の石組が残っている
大手門跡を登って行くと三番目の分岐点(左本丸、右二の丸)がある
右二の丸方面へ登る
⑨馬出
二の丸の手前に馬出がある

➉二の丸
さらに進むと松井田城の西側に位置する二の丸に到着する
南側は崖、西側は急斜面と連続空堀で防御を固めている
⑪本丸
三番目の分岐点まで戻り登り上げると標高約410メートルの本丸だ
虚空蔵堂
本丸に虚空蔵菩薩が祀られていた

⑫櫓台
本丸を通り抜けて安中郭方面へ進むと櫓台跡がある
物見台や指揮所の建物が建てられていたと考えられている

さらに進むと四番目の分岐がある
⑬桝形虎口
分岐を下ると桝形虎口跡がある
⑭安中郭
分岐を登ると安中郭に到着
長享元年~永禄九年安中氏が支配した小屋城の跡である
高梨子は当時の城下町であったという
大道寺駿河守政繁碑
安中郭の高台に大道寺駿河守の碑が建てられていた
大道寺駿河守は松井田城の拡張工事を行った後北条氏の宿老で、冒頭の古文書の
記述のとおり北国勢(前田利家・上杉景勝・真田昌幸等)に降伏し開城した
一番目の分岐点まで戻り水の手方面へ進む
⑮水の手
本丸直下の谷筋に大きな石組があり水の手跡と考えられている
小田原攻めの時真田軍がこの水の手を落したとの記録が残っているようだ

⑯S字状空堀
水の手の先にS字状の空堀跡がある
この先を登ると安中郭に続いている
これら本丸・二の丸・堀切・竪堀・空堀などは天正10年入城した大道寺駿河守政繫が北条流の大規模な拡張工事を行ったものである。
松井田城の縄彫り図(松井田城址保存会作成)
松井田城址散策 6時05分~8時20分
写真:令和4年4月30日撮影
参考資料 松井田城址保存会 「松井田城址」戦国の山城 真田信繁初陣の戦地
続いて人見城址へ移動
群馬県安中市松井田町 (令和4年4月30日)
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