新庄駅のゆめちゃんとりあちゃん ― 2019/07/05 21:02
カンウォンドスナップ七「カンヌン烏竹軒」 ― 2019/07/09 16:38
韓国の民族の母、民族の師匠の生まれた聖地
烏竹軒は朝鮮時代初期に江陵のソンビ(学識者)崔致雲によって建てられたと伝えられている。韓国の家屋のなかでも最も古い建物の一つで、当時の建築様式がよく残されている。この烏竹軒にて、5万ウォン札に描かれている申師任堂(シンサイムダン)、5千ウォン札に描かれた李珥(イイ)が生れた。
烏竹軒は朝鮮時代初期に江陵のソンビ(学識者)崔致雲によって建てられたと伝えられている。韓国の家屋のなかでも最も古い建物の一つで、当時の建築様式がよく残されている。この烏竹軒にて、5万ウォン札に描かれている申師任堂(シンサイムダン)、5千ウォン札に描かれた李珥(イイ)が生れた。
名の由来とされる黒い竹

烏竹軒

母屋

外棟

民族の母 シンサイムダン(申師任堂)
シンサイムダンは、朝鮮時代の芸術家である。刺繍、詩文、絵画など様々な才能を持っていたが、中でも絵画に長け、「草蟲図」、「山水図」、「墨葡萄図」などの絵を残した。
(1504~1551)

、
民族の師匠 ユルコッ・イイ(栗谷李珥)
イイはシンサイムダンの息子で、著明な哲学者、政治家、教育者である。さまざまな官職を経ながら国政運営に努め、自らの哲学と政治的信念を反映させた著述を数多く残した。
(1536~1584)
韓国 江原道 江陵 (2019年6月11日)
てくてく中之条町蟻川岳853メートル ― 2019/07/12 16:39
毎日うっとうしい日がつづいているなか、今日は昼時に晴れるとの予報が出たので、急遽近場の蟻川岳に登ることにした。駐車場まで車で約20分ほど私共の他に登山者はいなかった。
10時18分 駐車場出発 登山開始
登山口
10時18分 駐車場出発 登山開始
登山口

最初は杉林のなかを登る

すぐに電気柵が山と里を分ける
電気柵の紐を解いて入口を開けて山に踏み入る

柵の中の景色はけものの世界に入り込んだように一変する
杉林は竹林に侵略されている
若竹を何物かが掘り起こした跡が不気味に残る

10時39分 一つ目の岩宮に到着
巨岩が前方を塞ぎ岩を背にして岩宮が鎮座する
右壁に天保三壬辰年と彫られている
1832年に祀られたものか
右壁に天保三壬辰年と彫られている
1832年に祀られたものか

急登の岩道を足を滑らせないようによじ登る

尾根道になる

11時11分 相棒尾根道の急登でギブアップ
小休止、むすびを食べて力を補充する

11時24分 二つ目の石宮に到着
山の神様に手を合わせ頂上を目指す
やせ尾根はなだらかになったが藪が深くなり朝露を浴び苦戦
左壁に嘉永三庚戊と刻まれている
1852年に蟻川の村民によって祀られたものだろう
やせ尾根はなだらかになったが藪が深くなり朝露を浴び苦戦
左壁に嘉永三庚戊と刻まれている
1852年に蟻川の村民によって祀られたものだろう

11時30分 頂上到着(標高832メートル)
真新しい立派な山頂標識が立つ
霧が晴れず山頂からの展望はまったく開けない

山頂標識の先に道が続いていた
霧と濡れた岩が私を先に進むことを断念させた
この決定が誤りであったことに後程気が付いた

11時35分 下山開始
二つ目の石宮を通過
12時10分 一つ目の石宮まで下る
霧の中松の木の下に記念碑を発見
12時10分 一つ目の石宮まで下る
霧の中松の木の下に記念碑を発見

蟻川岳の植林事業を記した記念碑
碑文は群馬県立中之条農業学校に大正7年から17年間勤めた恩師石井廣虎氏の薫陶と植林(15町総計七〇七六五本)事業を称えたもので昭和11年6月に群馬県立中之条農業学校大18回以降卒業生有志より建立されたことが刻まれている

12時29分 電気柵通過して里へ戻る
V字形のところが出入口
上の部分の紐を解いてV字を開いて出入する
出入したら紐を結んでV字を閉じる

12時34分 駐車場到着
ごくろうさん

今回悔いののこる登山となってしまった。それは急遽登山を決めたことで下調べが甘かったため、山頂標識の先にあっただろう三角点と三つ目の石宮を見落としてしまったことだ。
中之条町の旧蟻川村は明治18年綿貫哲雄を輩出した。明治36年群馬師範学校に入学、明治40年東京高等師範学校に入学した。大河ドラマ「いだてん」の金栗四三と同じ徒歩部に所属、4年生のとき徒歩遠距離競争で優勝、その時金栗四三は3位だったそうです。その後東京帝国大学哲学科を卒業、嘉納治五郎長女範子と結婚、東京大学、中央大学、東京高等師範学校などの教授を長年務めた。
「花依清香愛人以真実不孤」
「花依清香愛人以真実不孤」
現在「中之条町歴史と民族の博物館Musee(ミュゼ)」で綿貫哲雄の企画展(令和元年7月12日~9月1日)を行っております。
ふるさとの山奥にこんな賢人を輩出したなんて気づくことがありませんでした。「幸福は僅かなものに満足し、人を愛し人より愛されることにある」との遺訓は小人の小生にはぴったり当てはまる言葉です。
群馬県 吾妻郡 (2019年7月10日)
肘折十景 ― 2019/07/16 20:29
肘折のお地蔵さまたち ― 2019/07/20 11:15
肘折温泉とお地蔵さま
地蔵権現さまが崖から落ちて肘を折った際に岩から湧き出る温泉を発見しその湯に肘をつけたところ傷がたちまち治ったという言い伝えが肘折温泉の由来となっている
地蔵権現さまが崖から落ちて肘を折った際に岩から湧き出る温泉を発見しその湯に肘をつけたところ傷がたちまち治ったという言い伝えが肘折温泉の由来となっている
地蔵権現さまとは地蔵菩薩のことなのかそれとは別物なのか分からないのでここではお地蔵さま又は地蔵と記すこととします。
私の六道輪廻の苦しみをやわらげすくい取ってもらうため、上の湯~薬師神社~遊歩道~茂吉歌碑~一本松~地蔵倉~一本松~茂吉歌碑~遊歩道~源泉公園と肘折を右回りで一周しました。
上の湯からタート
数珠を架け合掌しているお地蔵さま
湯で身を清めてから回って来なさい
数珠を架け合掌しているお地蔵さま
湯で身を清めてから回って来なさい
薬師神社の参道が遊歩道の入口
数珠を輪にしてシッカと握るお地蔵さま
何事にも円満にあたる心掛けが大切なのじゃ
杉林のなかの急な遊歩道
金剛杵を持つお地蔵さま
このさき魔物が出ても守ってさしあげよう
ひしゃくを持つお地蔵さま
のどが渇いたであろう、さあ一口どうじゃ
遊歩道
ブナ林です

水瓶を抱くお地蔵さま
あなたの穢れを清めましょう
茂吉歌碑のまえ
お経?を掌にのせるお地蔵さま
しずかに念仏を唱えてあげよう
宝珠と錫杖を持つお地蔵さま(標準の地蔵菩薩の姿)
あなたのあらゆる願いをかなえてあげよう
子育て地蔵
蓮華の花を携えるお地蔵さま
きよらかなこころで甦りが全ての喜びの根源であることを悟りなさい
地蔵倉
腹かけをかけて並ぶお地蔵さまたち
六道輪廻の苦しみを私たちが吸い取りましょう
遊歩道(源泉公園へと下る)

子どもを抱くお地蔵さま
子どもはなにものにも代えられない宝だと大切にしなさい
笠を被り艪をこぐ?船頭姿のお地蔵さま
行き手をふさぐ銅山川をお船を漕いで船で渡してあげましょう
宝珠と錫杖をつくお地蔵さま
願いはかなえられましたか?最後の願いをかなえてあげます
王冠を被り合掌するお地蔵さま
いつでもあなたの頭上に希望の光が輝くように祈ります
遊歩道最後の地蔵
数珠を挟み合掌するお地蔵さま
あなたの穢れは消えました
あなたの行く末を見守ってまいります
遊歩道の終点
源泉公園 肘折ダム

お地蔵さまに守られてひとまわり出来ました。このまあるい道筋の中心には誰が出現するのか?いつか弥勒菩薩が出現するのであろうか?
お地蔵さまはお堂にも入らず、野ざらしに立って我々を見守ってくれる身近な有り難いほとけさまだなと、あらためて感心しました。
山形県 最上郡 大蔵村 肘折 (2019年6月30日~7月3日)
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