英霊殿の桜樹齢の推測 ― 2015/05/30 09:45
英霊殿の桜の大木の樹齢について検討した
北西方向に二本の桜の古木が残っていた
北西方向に二本の桜の古木が残っていた

最後の雄姿
切り株はこのような形となった
年輪を数えようとしたがなかなか難しかった
大胆に年輪を数えると樹齢は多くて約150年位ではないかと考えた
町史から神社についての記述を拾ってみた
当町は市場の街として発展した
天正の頃、市場の神である天王様を祀った
当町が長岡にあった文禄4年(1595年)ごろ
天王様は長岡宿の中央に天王塚に祀られていた
この頃真田昌幸が社殿を寄進したとのことである
その後、寛永2年(1625年)街が長岡から現在の場所王子原に移転
天王様は上ノ町に安置された
市が立つ町の街道には天王石が置かれている
上ノ町にはこの天王石が今でも祀り残されている
寛永年間、真田家最後となった殿様真田信澄によって神殿を再建した
弘化元年(1844年)4月火災により社殿、古記録焼失
嘉永4年(1851年)4月再建
社殿は覆殿により守られている
2年に一度の大国魂神社の例大祭のときに戸が開かれ
社殿を直接拝むことができる
社殿の造りは19世紀の様式である
再建の時にこの社殿は造られた可能性がある
(町の重要文化財に指定されている)
檜造りの社殿には細密な彫刻が施されている
闘鶏の場面であろうか社殿の側面も隙間なく彫刻されている
明治時代は須賀神社、八坂社、中条明神となされ
明治42年(1909年)4月15日 須賀神社は村社伊勢宮に合併した
現在市場の神天王様は伊勢宮に祀られ町では毎年祇園祭が挙行され
祇園信仰が引き継がれている
明治42年以降この祠は大国魂神社となり英霊殿とも呼ばれている
現在の鳥居から見た神社境内
時間の経過
嘉永4年(社殿が再建)より165年が経過
明治元年(明治維新)より150年が経過
明治42年(伊勢宮に合併)より106年が経過
年輪が150年分認められるとすると桜は嘉永4年の再建時に植樹されたと推測することもできないことはない
その頃、幕末期にソメイヨシノなる苗木を植えることが可能であったのか??
また、神社の境内に桜を植えることはどういう意味があるのであるか??
須賀神社やその後の大国魂神社の古文書などに桜植樹に関する記録があるのか??
または、大国魂神社奉る時106年前に植樹したものなのか??
ここでは嘉永4年4月再建時の植樹したとして想定して置きたい
群馬県 中之条町 英霊殿の桜樹齢 (2015年5月30日)








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