私のベルリン⑫ベルリン ― 2014/10/06 16:15
音楽が欲しくなった
リバプールの街角で聞いたような街にしみこむような音楽だ
アレキダンダー広場に行けばなにか聴けるだろうか
リバプールの街角で聞いたような街にしみこむような音楽だ
アレキダンダー広場に行けばなにか聴けるだろうか
広場までそう遠くではなかった
近づくと雑踏の中から演奏が聞こえてきた
彼の音楽は爽やかだ
僕は石段に腰掛けて演奏が終わるまで聞き入った
通りすがりの人は行きすぎていく
石段に腰掛けて考えた
ベルリンで見た数多くの戦争と暴力支配の犠牲者に対する記憶と追悼の場のことを
ベルリンに新たな戦勝記念碑は建たないだろう
1873年プロイセン王の戦勝記念塔建設
ベルリンで暴力支配の犠牲者は発生しないだろう
1953年6月17日東ドイツ各地で市民が一斉蜂起
ソ連軍戦車により鎮圧多数の犠牲者を出した
そのことを記憶する6月17日通り
ベルリン市民が暴力により自由を奪われることはないだろう
1961年8月13日~1989年11月9日の間ベルリンは壁で封鎖分断
封鎖の痕が残る
ブランデンブルグ門
ポツダム広場
チェックポイント・チャーリー
ベルリンの空を平和の鳩は飛び続けるだろうか
鳩は壁に描かれたハトだ
集まるのは雀だけか
アレクサンダー広場の雀たち
アレクサンダー広場の雀たち
教会の広場にはカラスが集まるだけか
大聖堂のカラス
大聖堂のカラス
まだ演奏は続いている
平和の音楽を奏で歌い続けよ
戦いがやまないユーラシアの国々に広がれ
アレクサンダー広場で音楽を聴いて心を静めてからホテルに帰る
地下鉄ホームに入るとここはベルリンの人だけの世界だった
観光客が占領する100番や200番のバスの中では味わえなかった
重苦しさがあった
ナチやナチズムを直接の加害者として糾弾し続けること
新たな世代に警告を発信し続けること
共和国のコマの軸となっている
ドイツ連邦共和国 ベルリン 完 (2014年10月6日)
てくてく三壁山1974メートル ― 2014/10/10 10:03
ふるさとのみずうみ 野反湖の西側の山塊にある三壁山に街の仲間と登りました
三つの急坂があることから三壁山(みつかべやま)と呼ばれています
三つの急坂があることから三壁山(みつかべやま)と呼ばれています
10時00分 野反湖ビジターセンター出発
標高差は約450メートル
山頂までジグザクの無い直登の道が続きます
山は頂上までクマザサで覆われていた
道端でクマザサが実をつけているのを見つけて
これが野麦というのだど仲間のひとりが解説
そうかクマザサで覆われている峠だから野麦峠かと納得いたす
10時35分 宮次郎清水
最初の急登を登りきると水場あり
水量も多く冷たくておいしい名を宮次郎清水という
稜線を見てちょこっと出た尖った峰が白砂山だ
8~10時間はかかるという白砂山は私には無理だと諦めている
六合から流れ出る白砂川の源流だ
天気が良ければ遠くに富士も見えるとかや
雲がわき上がり流れ動く生憎の天気
眼下の野反湖も霞んで見える
登山道の真ん中で咲く可憐な花をめっけしょ
ササリンドウと言うのかや
11時30分 山頂到着
三角点標識の左右に標識が立つ
右が六合村で建てた標識 左は合併後の標柱だ
昼食
クマザサを尻に敷いておむすびを頬張る
越後方面は雲が晴れて空がきれいだ
むすびがよけい美味い
出発しようと腰をあげたときに足元にあずき色の実を発見
先ほど見つけたササリンドウの実だそうだ
12時18分 山頂出発
12時53分 宮次郎清水
13時25分 野反湖ビジターセンター到着
野反湖の紅葉はこれからが見ごろとなります
自然は我が町の資源だ
早めに下山できたので帰路は世立八滝の中のひとつ大仙の滝や
ダム建設の関係でJR吾妻線の新たに開設された原湯温泉駅などを
見て帰った
群馬県 吾妻郡 (2014年10月9日)
早めに下山できたので帰路は世立八滝の中のひとつ大仙の滝や
ダム建設の関係でJR吾妻線の新たに開設された原湯温泉駅などを
見て帰った
群馬県 吾妻郡 (2014年10月9日)
再統一25周年のドレスデン①聖母教会 ― 2014/10/13 22:10
ドイツが再統一して25周年を迎える
東ドイツのエリアであったドレスデンの復興はそれから本格化した
1993年に再建工事が開始され2005年再建が完了した聖母教会(フランウェン教会)を
中心にしてドレスデンの街を見てみよう
ドレスデンの中央をUの字に流れるエルベ川
これは新市街側の河川敷見た旧市街
いちばん左のドームが2005年に再建された聖母教会
東ドイツのエリアであったドレスデンの復興はそれから本格化した
1993年に再建工事が開始され2005年再建が完了した聖母教会(フランウェン教会)を
中心にしてドレスデンの街を見てみよう
ドレスデンの中央をUの字に流れるエルベ川
これは新市街側の河川敷見た旧市街
いちばん左のドームが2005年に再建された聖母教会
エルベにかかるアーチ橋アウグストウス橋を渡って行くと
ブリュールのテラスの背後に見える聖母教会のドームは
エルベの川面に映るともその大きさは先程とあまり変わらない
エルベを渡り左に折れブリュールのテラスを歩いて行くと小さな公園に突き当る
このブリュール・シエンガーデンの真ん中からも聖母教会のドームが見えて
まるでドレスデンの主人のようだ
壁の弾痕のような痕は元々の石材を利用して再建したためだ
ドームのてっぺんに展望台があり観光客に大変な人気だ
ここから360度ドレスデンの街を眺望できる
河畔に立ち並ぶ復活したバロック建築
蛇行するエルベ川の様も見事に美しい
君主の行列の壁画が並ぶアウグストウス通りが眼下に見える
反対にアウグストウス通りから見上げた聖母教会ドーム
聖母教会はルター派の教会だ
広場にマルチン・ルター像が立ち人々が集まる
教会内部に入ると正面の祭壇にエルサレムを背景にした
祈るキリストの像が祀られている
窓からは何物をもくまなく照らすピュアーな光線を内陣へ差し込む
1945年2月の英米連合軍による空爆により街の中心部は瓦礫と化し
3万5千人もの犠牲者を出した
ドレスデンの街はいまだにその傷跡も残している
復元された聖母教会と対照が際立つ空爆の傷跡
ザクセンの誇りを取り戻すことが悲惨な戦争の傷跡を残すことで組み立てられている
とその対照を考えた
ドイツ連邦共和国 ドレスデン (2014年8月)
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