城址を訪ねる①白井城 ― 2014/11/02 21:30
10月28日は群馬県民の日である 天気が良かったので
旧子持村にある白井城址に行ってみた
この歳になるまで関心をいだくこともなく
ここへ行くこともなかった
白井城は白井長尾氏の居城であった 戦国の時代を経て
寛永元年(1624年)に廃城になった
利根川と吾妻川の合流点に突き出した台地の先端にあり自然の要害を利用
地形は三角形である
旧子持村にある白井城址に行ってみた
この歳になるまで関心をいだくこともなく
ここへ行くこともなかった
白井城は白井長尾氏の居城であった 戦国の時代を経て
寛永元年(1624年)に廃城になった
利根川と吾妻川の合流点に突き出した台地の先端にあり自然の要害を利用
地形は三角形である
本丸の西側は吾妻川の断崖で守られ
それ以外の方向は土塁で囲み防いでいる
本丸の北側には枡形門があり石垣が今でも残る
本丸を出ると北側に堀がありこれを渡ると
二の丸、三の丸と続きその間にも堀が残っている
廃城以後400年もの時が行き過ぎたが当時の地形が変更されず今に形跡を留めている
不便な土地でもなさそうなのに城の地形が残されている理由はなんなのか?
なにかここに残ったひとびとの意志が働いたものではないかと考えさせられた
群馬県 旧子持村 白井城址 (2014年10月28日)
26ふるさと秋⑥身近な秋景色 ― 2014/11/05 08:46
てくてく戸神山(三角山)771.6メートル ― 2014/11/05 09:20
沼田市に三角山と呼ばれる眺望が素晴らしい山があるということで
連休をさけて出かけてみました
道路地図を頼りに車を進めて行くと三角形の山容が見えてきました
戸神山登山口という看板から200メートル入ったところに駐車場がありました
連休をさけて出かけてみました
道路地図を頼りに車を進めて行くと三角形の山容が見えてきました
戸神山登山口という看板から200メートル入ったところに駐車場がありました
9時40分 駐車場 出発
虚空蔵神社の階段が正面にあり登山道の標識に沿って林道を進みます
9時43分 水道施設 通過
9時54分 林道カーブ地点 通過
西に向っていた林道が東にカーブする
9時57分 南面コース(鉱山跡コース)入口
林道を離れ南面コースの登山道に入ります
南面コースはほぼ真っ直ぐです
間もなく左手に馬が出迎える
10時07分 戸神金山跡の岩場に続き難所を登る
10時34分 南面コースと林道の分岐点
10時43分 不動尊を過ぎる
さらに登ると2体の不動明王が出迎える
頂上はもうすぐだ
10時50分 頂上到着
無事山頂到着
4等三角点が打たれている
三基の石灯籠と石祠が鎮座する信仰の山
ここにもリスが置かれている
豊かな眺望を右回りに観賞する
正面は沼田市街
右にふると子持山、小野子山、十二ガ岳の山並み
遠くに富士山も見える
さらに西は三峰山
谷川岳は隠れて見えない
さらに北は武尊山が鎮座する
東方面の山々
そして一周して赤城山
11時25分 頂上出発
弁当を食べて休憩して北面コースを下る
下り始めて間もなくフクロウが見送ってくれる
11時37分 下発知の分岐
左は高王山山頂へ 右は下発知集落へ下ります
12時03分 観音寺 到着
日が差し込まない森林を下って行く
下発知集落の観音寺ではぐんまちゃんが待ち受けてくれました
ぐんまちゃん「ゆるキャラグランプリ2014」では第一位
優勝おめでとう!!
12時25分 県道266号 峠
県道から山裾を回り込んで駐車場へ向う
りんご畑ではリンゴ狩りを楽しむ家族の姿が
13時00分 登山口駐車場 到着
戸神山の頂上では気さくな地元の登山客にお会いできました
標高は771.6メートルとそう高い山ではありませんが頂上の眺望が豊かです
小一時間で登れ素晴らしい眺望が楽しめるということで
地元のひとに愛されている山なのです
岩場の苦手の方は下発知から北面コースから登ると良いと思います
群馬県 沼田市 戸神町 (2014年11月4日)
城址を訪ねる②名胡桃城 ― 2014/11/07 21:29
利根川に架かる月夜野大橋を渡り国道17号線を走ると
名胡桃城址前交差点に名胡桃(なぐるみ)城址がある
名胡桃城址前交差点に名胡桃(なぐるみ)城址がある
天正7年武田勝頼の命を受けて利根に進攻した真田昌幸が築いたもので
後に天正17年北条方が秀吉の領土裁定を破り名胡桃城を攻略したことで
秀吉の怒りをかい小田原攻めの発端となった城である
名胡桃城址現況図
名胡桃城は舌のように突き出した段丘面に築かれた山城で
三の郭、二の郭、本郭、ささ郭と堀切で区切られた郭(くるわ)が直線的に配置されている
天守のような建物はなく兵士が詰める建物が並んでいた
馬出郭、三の郭、二の郭
郭の間に堀切を設け土橋や木橋を架けた
三の郭と二の郭間の堀切
本 郭
二の郭から土橋を渡り本郭へ
巨大な石碑が建ちその前で六文銭の旗がはためく
ささ郭
本郭より堀切を渡りると笹のような形をしたささ郭がある
その先端に立つと目の前に月夜野の町並み三峰山が眺望が開く
またこの先を下ると袖郭と物見郭が設けられている
段丘に郭を列ねるこの城の形を初めて見たとき真田町で見た真田氏の城を思い起こさせた
なお、この名胡桃城址は群馬県指定史跡に指定されている
群馬県 利根郡 名胡桃城址 (2014年10月4日)
私のイラン①栄光のアケメネス朝ペルシャ ― 2014/11/18 09:27
未知の世界へ踏み込むような気持ちでイランへ飛んだ
アケメネス朝ペルシャの遺跡に触れたり都市ごとのモスクを見ることなど短い時間であるがなんとかイランイスラム共和国の感じを掴みたい考えていた
アケメネス朝ペルシャの遺跡はテヘランの考古学博物館、ペルセポリス、パサルガダエ、ナクシュ・ロスタム、ヤズドで触れることができた
シラーズからヤズドへ向う街道の途中のパサルガダエにはアケメネス朝創成期の遺跡がある
アケメネス朝の故郷パサルガダエの風景
アケメネス朝ペルシャの遺跡に触れたり都市ごとのモスクを見ることなど短い時間であるがなんとかイランイスラム共和国の感じを掴みたい考えていた
アケメネス朝ペルシャの遺跡はテヘランの考古学博物館、ペルセポリス、パサルガダエ、ナクシュ・ロスタム、ヤズドで触れることができた
シラーズからヤズドへ向う街道の途中のパサルガダエにはアケメネス朝創成期の遺跡がある
アケメネス朝の故郷パサルガダエの風景
オリエントを支配するアケメネス朝を築きあげたのはキュロス2世(大王)だ
パサルガダエにはその遺跡が残る
キュロス大王の宮殿
水路の跡
堀は浅く水量は少なかったようだ
有翼精霊のレリーフ
どのような神が祀ったのか
キュロス大王墓
もっとも興味深いのはキュロス大王の墓である
この墓の形と他のものとを比較する楽しみが増えた
ペルセポリス
アケメネス朝ペルシャの主要都市はバビロン(王の冬宮)、エクバタナ(王の夏宮)
スーサ(行政府所在地)とペルセポリス(新年の祭典(ノールーズ))である
ペルセポリスはダリウス大王が建設を開始したものだ
ペルセポリスの遠景
祭典の舞台は配下の国家を圧倒するものでなければならない
ダリウス大王の像(イラン考古学博物館)
ペルセポリスの建設を開始したダリウス大王の像(エジブト製造)
多分に東洋的な衣装に驚く
アケメネス朝ペルシャの勢力範囲が土台に記してある
アバダーナ(謁見の間)
36本の柱が支えた謁見の間では各国の使節団を迎えて新年の儀式を執り行った
ダリウス大王謁見の図(イラン考古学博物館)
アバダーナではこのように使節団と謁見したのであろうか
ダリウス大王が謁見する姿がレリーフとして残されている
ダリウス大王の椅子の後ろ同じレベルに立つ王はクセルクセス1世?
アパダーナ階段のレリーフ
アパダーナは30段ほどの土台の上に建っている
階段の土台の壁には民族衣装を身に付け特産物を貢物として献上に訪れた使節の様子が
描かれている
使節団の数は23カ国にもおよぶ
メディア人から始まり最後は23番目のエチオピア人である
壷と馬車を献ずるアルメニア人
3段あるうち2段目の最初に(最初から8番目)アルメニアの使節が描かれた
ダリウス大王の宮殿(タチャラ)
儀式のため滞在する王の宮殿もある
クセルクセス1世の宮殿(ハディシュ)
クセルクセス門
クセルクス1世が築いたクセルクセス門は各国の使節団を迎えたことだろう
ナクシュ・ロスタム
ペルセポリスから北東6キロの断崖ナクシュ・ロスタムに王たちの墓所がある
この墓所はクセルクセス1世、ダリウス大王、アルタクセルクセス1世、ダリウス2世
とされている
このうち銘文で確認されている墓はクセルクス1世の墓のみと説明があった
クセルクセス1世墓
十字架の形をした全体像、2段の王座担ぎ
王座の上では中央にアフラ・マズダを配した王の礼拝
4本の柱のホマ柱頭の部分は柱と梁との組み合わせが見て取れる
ゾロアスター教
王墓や神殿などに刻まれたアフラ・マズダはアケメネス朝ペルシャの時には
ゾロアスター教が王朝の精神面で支えてとなっていたと思われる
アフラ・マズダ神(ヤズド)
ゾロアスター教は拝火教ではない
新年祭ノールーズの習慣と仏教のそれは似ていると言う
ヤズドの神殿では今も聖なる火が燃え続けている
未完成の門
ダリウス3世の時アレクサンダー大王との戦いに破れアケメネス朝は滅亡した
この時建設中の門は未完成のままペルセポリスに残されている
キュロス大王が築いた古代王国アケメネス朝ペルシャ
イランの人々が人気ナンバーワンのあげる意味が納得できた
イランイスラム共和国 アケメネス朝ペルシャ遺跡 (2014年10月)
私のイラン②バラの耀きローズモスク ― 2014/11/26 10:58
シラースの花は「バラ」であるという
その市内にあるナシル・アル・モルク・モスクは別名ローズモスクと呼ばれている
ステンドグラスが礼拝堂の空間の色つけに使われており
バラをモチーフにしたモスクは宮殿の雰囲気を漂わせる
午前中だけステンドグラスの耀きが見られるので
朝早くから観光客がつめかける
その市内にあるナシル・アル・モルク・モスクは別名ローズモスクと呼ばれている
ステンドグラスが礼拝堂の空間の色つけに使われており
バラをモチーフにしたモスクは宮殿の雰囲気を漂わせる
午前中だけステンドグラスの耀きが見られるので
朝早くから観光客がつめかける
中庭の中心に四角形の池があり
その先に六角形のミナレットとイワーンがある
右側の建物は礼拝の間があり朝の光を取り入れるべく
すでに窓の白いカーテンは開けられていた
礼拝の間に靴を脱いで入る
朝の光はステンドグラスを通して部屋をうすく桃色に彩る
イスラムの模様であるならばステンドグラスや光のその空間的効果も許される
ということをあらためて理解できた
ステンドグラスはキリスト教の教会だけのものではなかったのだ
中央の間はミヒラーブに突き当る
孔雀の羽根のように広がりバラの花を織り込んだドーム天井
バラで彩られるミヒラーブ
ミヒラーブのムカルナスもバラだ
中庭に出てピュアーな光を身体いっぱい取り入れる
2基のミナレットを載せたイワーンの半ドーム天井を見上げて深呼吸
イワーンのムカルナス
蜂の巣のような鍾乳石のような
バラの壁
バラの天使たち
左端のうつむく老女は天使の将来を見通しているのか
教会のように空間をにじませるようなステンドグラスの光の効果は見られなかったが
初めて朝のモスクのステンドグラスを体験できました
イラン・イスラム共和国 シラーズ (2014年10月28日)
私のイラン③詩人のふるさとシラーズ ― 2014/11/27 15:48
シラーズは詩人の故郷であると言う
イランの人々詩を愛する そして詩人を尊敬する
だから詩人を祀る立派な廟がある
イランの人々詩を愛する そして詩人を尊敬する
だから詩人を祀る立派な廟がある
宮廷詩人のハーフェズは
恋と酒と自然美をテーマに詩を詠んだという
現地ガイドはハーフェズの棺に刻まれた詩を詠んだ
1そなたと結ばれる吉報はいずこ、私は生命を捧げよう
私は天国の鳥、この世の罠から抜け出そう
(シラーズ エラム庭園)
2そなたへの愛に誓って、私を自分の奴隷と呼んでくれるなら
私は時間と空間の支配から抜け出そう
3神よ、私が埃のように消え去る前に
お導きの雲から慈雨を降らせ給え
2そなたへの愛に誓って、私を自分の奴隷と呼んでくれるなら
私は時間と空間の支配から抜け出そう
3神よ、私が埃のように消え去る前に
お導きの雲から慈雨を降らせ給え
(ハーフェズ廟のドーム天井)
4わが墓の傍に酒を持ち楽師を連れて坐れ
そなたの芳香で私は墓から踊りながら起き上ろう
4わが墓の傍に酒を持ち楽師を連れて坐れ
そなたの芳香で私は墓から踊りながら起き上ろう
(イスファハン 四十柱宮殿)
5麗しい歩みの恋人よ、立って姿を見せよ
私は踊りながら生命とこの世に別れを告げよう
5麗しい歩みの恋人よ、立って姿を見せよ
私は踊りながら生命とこの世に別れを告げよう
(カシャーン フィン庭園)
6老いたりとも一夜私をしっかり抱いてくれ
翌朝私は若返ってそなたの傍から起き上がろう
7死ぬ日、そなたに会う一瞬の猶予をくれ
ハーフィズのように、私は生命とこの世を捧げよう
6老いたりとも一夜私をしっかり抱いてくれ
翌朝私は若返ってそなたの傍から起き上がろう
7死ぬ日、そなたに会う一瞬の猶予をくれ
ハーフィズのように、私は生命とこの世を捧げよう
詩はすばらしい
異文化から昨日来た私が時を越えて解りあえる
異文化から昨日来た私が時を越えて解りあえる
イラン・イスラム共和国 シラーズ (2014年10月18日)
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