真田伊賀守奉納の石灯籠2024/08/13 16:25

薄根川を渡り曲がりくねった急な寺久保坂を登り上がると観音様を祀る晴雲山三光院があります。その観音堂の前に二基の石灯籠が並んでいます。
沼田市三光院伊賀守奉納の石灯籠
石燈籠の竿の部分に
              献上  石灯籠  両基
                 清雲山
              観音     寶前
三光院真田伊賀守奉納石燈籠
 
          寛文四年甲辰八月十八日
              従五位下〇伊賀守滋野〇真田信澄
三光院真田伊賀守奉納石燈籠

竿に刻まれた銘からこの石燈籠は明暦3年沼田に入部した藩主真田伊賀守が8年後の寛文4年に奉納したものと読めます。
どんな理由で伊賀守が観音様に石燈籠を奉納したのか史料を当れないので明らかにできませんが、なぜか「あやまり燈籠」と呼ばれています。
伝承によるならばその理由は「伊賀守が小川時代に交流のあった常楽院を三光院の向かい側に引き写し三光院の十一面観音を常楽院に譲るように頼んだところ、三光院の住職だった広海和尚が断固として断ったため、家臣に命じて領民が三光院の祭礼にお参りするのを邪魔をした。すると翌年領内ではやり病が起こり伊賀守自身も罹患し苦しんだので、観音様の罰が当たったと評判になり、伊賀守が謝罪の為石燈籠を三光院に寄進した」となります。
 伊賀守が月夜野にあった常楽院を幕岩城址に移転し創建したのが寛文3年、沼田氏創建の三光院の観音様に石灯籠を奉納したのが寛文4年、いったい伊賀守はどのような考えで石灯籠を奉納したのだろうか?疑問が解けない。

令和6年4月26日 撮影