春日山城址(令和元年5月12日) ― 2019/06/07 20:29
上杉謙信の居城跡春日山
春日山神社より杉林の坂道を登って行くと

平らな千貫門跡に着く 左手には空掘りと塹壕跡とある二本の切り通しが残る

上杉少弼入道宅跡を過ぎると空掘の上部に出る 千貫門跡を見下ろす

その先に虎口があり登りきると直江屋敷跡がある

直江屋敷跡を登るとお花畑跡があり

さらに頚城平野が展望できる見通しの良い坂道を行くと
謙信が出陣の前に籠ったという毘沙門堂がある

お堂の中に祀られているのは毘沙門天
続いて戦勝や息災を祈祷した護摩堂や諏訪堂の跡を通り抜けて行くと

春日山の頂上にある本丸と天守台に辿り着く

本丸の裏側に油流しがあり

今でも水を湛えている大井戸がある井戸丸がある

井戸丸を下って登ると鐘楼跡があり

鐘楼跡の麓を回って行くと景勝屋敷跡である


ここから道は二の丸、三郎景虎屋敷跡がある三の丸へと下り、謙信像が立つ馬場跡へと続いている
加沢平次左衛門が書き残した「加沢記」の巻の二に春日山に関して「春日山」との記述があり御館の乱を記した部分がある。
「天正六戊寅年三月十三日謙信入道逝去有ければ、甥の長尾喜平次景勝と北条氏政の末男三郎と申を関東より呼越参らせ景虎と名付け両人なから養子と約束有けれども、譲なく風と逝去成ければ、本丸、二丸の間にて合戦有、此由三郎景虎の臣遠山左衛門、山中民部右衛門小田原に告げければ氏政聞給いて、景勝退治あらんとて舎弟美濃守氏明、氏邦大将にて先陣松田尾張守、相随人々には千葉、中山、宇都宮、由良、本庄、高山、倉賀野、太田☐☐川村、小幡、長尾、大胡、石野、佐野、清水太郎左衛門、塀賀伯耆守都合三万余騎、先陣氏邦沼田に着ければ後陣は武州川越にさゝえたり、三郎景虎生涯の由告来りければ如何思召たるか、皆々小田原へ引帰れける」
利根川と吾妻川の合流点に突き出した台地の先端に白井長尾氏の居城白井城があり、越州上杉勢力の上州の拠点が吾妻谷の入口にあったのである。
新潟県上越市春日山城跡 (2019年5月12日)







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