てくてく中之条町蟻川岳853メートル ― 2019/07/12 16:39
毎日うっとうしい日がつづいているなか、今日は昼時に晴れるとの予報が出たので、急遽近場の蟻川岳に登ることにした。駐車場まで車で約20分ほど私共の他に登山者はいなかった。
10時18分 駐車場出発 登山開始
登山口
10時18分 駐車場出発 登山開始
登山口

最初は杉林のなかを登る

すぐに電気柵が山と里を分ける
電気柵の紐を解いて入口を開けて山に踏み入る

柵の中の景色はけものの世界に入り込んだように一変する
杉林は竹林に侵略されている
若竹を何物かが掘り起こした跡が不気味に残る

10時39分 一つ目の岩宮に到着
巨岩が前方を塞ぎ岩を背にして岩宮が鎮座する
右壁に天保三壬辰年と彫られている
1832年に祀られたものか
右壁に天保三壬辰年と彫られている
1832年に祀られたものか

急登の岩道を足を滑らせないようによじ登る

尾根道になる

11時11分 相棒尾根道の急登でギブアップ
小休止、むすびを食べて力を補充する

11時24分 二つ目の石宮に到着
山の神様に手を合わせ頂上を目指す
やせ尾根はなだらかになったが藪が深くなり朝露を浴び苦戦
左壁に嘉永三庚戊と刻まれている
1852年に蟻川の村民によって祀られたものだろう
やせ尾根はなだらかになったが藪が深くなり朝露を浴び苦戦
左壁に嘉永三庚戊と刻まれている
1852年に蟻川の村民によって祀られたものだろう

11時30分 頂上到着(標高832メートル)
真新しい立派な山頂標識が立つ
霧が晴れず山頂からの展望はまったく開けない

山頂標識の先に道が続いていた
霧と濡れた岩が私を先に進むことを断念させた
この決定が誤りであったことに後程気が付いた

11時35分 下山開始
二つ目の石宮を通過
12時10分 一つ目の石宮まで下る
霧の中松の木の下に記念碑を発見
12時10分 一つ目の石宮まで下る
霧の中松の木の下に記念碑を発見

蟻川岳の植林事業を記した記念碑
碑文は群馬県立中之条農業学校に大正7年から17年間勤めた恩師石井廣虎氏の薫陶と植林(15町総計七〇七六五本)事業を称えたもので昭和11年6月に群馬県立中之条農業学校大18回以降卒業生有志より建立されたことが刻まれている

12時29分 電気柵通過して里へ戻る
V字形のところが出入口
上の部分の紐を解いてV字を開いて出入する
出入したら紐を結んでV字を閉じる

12時34分 駐車場到着
ごくろうさん

今回悔いののこる登山となってしまった。それは急遽登山を決めたことで下調べが甘かったため、山頂標識の先にあっただろう三角点と三つ目の石宮を見落としてしまったことだ。
中之条町の旧蟻川村は明治18年綿貫哲雄を輩出した。明治36年群馬師範学校に入学、明治40年東京高等師範学校に入学した。大河ドラマ「いだてん」の金栗四三と同じ徒歩部に所属、4年生のとき徒歩遠距離競争で優勝、その時金栗四三は3位だったそうです。その後東京帝国大学哲学科を卒業、嘉納治五郎長女範子と結婚、東京大学、中央大学、東京高等師範学校などの教授を長年務めた。
「花依清香愛人以真実不孤」
「花依清香愛人以真実不孤」
現在「中之条町歴史と民族の博物館Musee(ミュゼ)」で綿貫哲雄の企画展(令和元年7月12日~9月1日)を行っております。
ふるさとの山奥にこんな賢人を輩出したなんて気づくことがありませんでした。「幸福は僅かなものに満足し、人を愛し人より愛されることにある」との遺訓は小人の小生にはぴったり当てはまる言葉です。
群馬県 吾妻郡 (2019年7月10日)
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