朝霧2012/09/01 22:13


利根川朝霧
秋近し利根の朝霧

        群馬 水上 利根川  (2012年8月23日)

大足宝頂山石窟2012/09/04 01:53

大足宝頂山石窟

円覚洞
円覚洞 

                        (毗盧舎那仏)

円覚洞菩薩像

                         (円覚菩薩像)

護法神龕

護法神


六道輪回図

六道輪回図

                      (生死輪回・十二因縁)

華厳三聖龕

華厳三聖龕

                         (華厳三聖)

舎利宝塔

舎利宝塔


千手観音龕

千手千眼観音

                                 (工事中)

釈迦仏涅槃図

涅槃


九龍浴太子

九龍浴太子


孔雀明王経変図

孔雀明王経変図


父母恩重経変相

父母恩重経

                       (上層七仏半身像)

父母恩重経乳哺養育恩

                         (乳哺養育恩)

雷音図

雷音図

                                                            (雷公電母神像)

大方便佛報恩経変相

割肉供母造像

                       (割肉供父母造像)

観無量寿沸経変相

観経変図


地獄変相

地獄変相

                        (地蔵菩薩像)

地獄変相

                       (養鶏女・鉄輪地獄)

柳本尊行化図

柳本尊行化図

                       (主像柳本尊像)

十大明王

大穢跡金剛

                         (大穢跡金剛)

牧牛図

牧牛図

 

            中国 重慶市 大足   (2012714日)



長江風景2012/09/09 17:30


三峡下り出航直前の客船
重慶出航

晩重慶出航
重慶出航

翌朝靄を下る
小船は航路を示す標識船
ブイ
                    (右舷の小舟の帆は赤い)
追い越していく客船を見る
客船

石宝にて停泊
下船上陸
石宝賽を登る
石宝賽
                  (堤防で守られている石宝賽)
                     
門に書かれた175の数字
標高175メートルの表示
                   
         175は長江ダムの満水時の水位(標高)を意味する
         堤防がないとここから下は水没してしまうのだ

石宝出発
夕刻武陵通過
武陵
             客船は巨大な池を進んでいるかのようである
             停船しないと流れの速さが実感できない

夜万州の夜景を見る
万州
         
             
                   万州というネオンで地名を確認
                   花火もあがり綺麗な夜景

翌朝
奉節にて下船
彩雲白帝城へ登る
奉節

白帝城
                      (三国志演義の場面)

白帝城過ぎ
船は夔門(瞿塘峡)をぬける
瞿塘峡

                         朝辞白帝彩雲間
                         千里江陵一日還
                         両岸猿声啼不住
                         軽舟已過万重山           

航行する船に注目する
小型貨物船
小型貨物船
                   (エンジンの音が懐かしい)
石炭運搬
貨物船

コンテナ船
コンテナ船

カバーをかけた貨物船
貨物船

砂利の運搬
貨物船

機関故障で横向きになった貨物船
トラブル船
                   

高速客船も行く
高速船


昼巫峡に入る
巫峡

両岸に聳える巫山十二峰
女神峰
巫峡
                           巴水挟青天
                           巴水流若茲
巫峡去りがたし
巫峡
                     後ろ髪をひかれる巫峡の景色

恩施土族苗族自治州
巴東にて
停泊
巴東

客船に横着けする観光船
観光船
                 観光船に乗り換えて神農峡へ入る
        (長江に沈み土地を失った少数民族は生活の糧を観光業へ)

神農峡の手漕ぎ舟(土地の人は豌豆舟と呼ぶ)
水は澄んできれいだ
観光船
 
            
 
            
                        (土族の船頭さん)
              身体で稼ぐたくましさ・男の背中の美しさ

夜秭歸(シキ)港に停泊
翌朝下船
下船
         長江増水のため三峡ダムは放流中であった
         ダムの下流は危険が増しているので客船はここが終点
         緑色の箱はケーブルカーである
         秭歸の地名は「屈原の姉が帰る」との意味合いで呼ばれたのか?

三峡ダムの五段式シップロック
シップロック
        ここを船で通過して西稜峡を下る予定であったのに・・・
        ・・・不運
三峡ダムの婦人
三峡ダム
                         (中国のご婦人)


三峡ダムサイトを眺めてお仕舞い
三峡ダム
       
                         (船旅紀終り)

①多雨の時期の長江は水量が豊富であるが流れ込む土砂で壁土色に濁り多量のごみが漂っていた。
②山の斜面に建てられた高層ビルの街並みは色に乏しく虚しそうに霞んで見えた。
③大型客船就航により船内は過ごしやすくなったが船外の風景は昔の良さが失われてしまったようだ。
④三峡ダム建設後の長江沿岸を見て中国の指導部はここまでやるのかと思うとともに土地を離れ生活を変えた大勢の人々に敬愛の念を起こさせた。

       中国 重慶~湖北省宣昌市    (2012年7月14日~17日)

白花のリンドウ 芳ケ平2012/09/10 21:58


白いエゾリンドウ
        (芳ケ平で見つけた白花のリンドウ)
(草津白根駐車場から芳ケ平まで周囲はリンドウがたくさん咲いていた)

リンドウの花を見たくて芳ケ平に出かけました
オヤマリンドウ(御山竜胆)にエゾリンドウ(蝦夷竜胆)こんなに
リンドウが咲いているとは思いませんでした

          群馬 中之条 六合  (2012年9月9日)

なかよしカエル2012/09/13 09:21


なかよしカエル
   (日暮れが近付いてほっとするなかよしカエル)

9月に入っても日差しが強いし暑いね!!
今年の庭は鳥が多く飛来して僕たちにとって危険がいっぱいなんだ
やれやれようやく日暮れが近付いてひと安心

               (2012年9月12日)

月に吠える2012/09/15 22:46


あきれガエル空を見る
          (もう我慢できないぞカエル)
     

9月15日中国各地で反日デモ日系企業で放火や略奪が・・・
  

                    (2012年9月15日)

両性をもつ神アルダナリスヴァラ2012/09/17 23:19


男女合体像の神
(男性と女性の両性を持つ神、アルダナリスヴァラ)

ここはエレファンタ島の石窟です
この像は牛のナンディに寄りかかっているシヴァ神です
手に持った鏡、豊かな胸と丸い腰などから一見女性像だと思うけれど
よくみると左側は豊かな胸も腰の丸身もなく男性像なのです。
実はこの神様は男性と女性の合体像なんです
万物の根源はひとつという観念を表現したものだそうです

  インド エレファンタ島         (2011年11月20日)

入社式2012/09/19 05:09

高崎市にある音楽センターは今も健在である
群馬高崎音楽センター

この直線的な造り姿が気に入ったことは今でも変わらない
群馬高崎音楽センター

46年前ここで入社式が行われた
団塊の世代であって仲間が多かった
群馬高崎音楽センター
                  (階段の造りも特色のひとつ)
その後ここで音楽を鑑賞することもなく時が過ぎ去った
同期の消息も途絶え今では会うこともないが
ここに佇み仲間を思い浮かべながら皆のご多幸を願った

               群馬 高崎市    (2011年11月)

シヴァ神とパルヴァティの結婚2012/09/21 06:07


エレファンタ島シヴァとパルヴァティ

東のヴェランダから石段を登り石窟寺院に入ると
正面にリンガを祀る祠堂がある
祠堂の前を右に折れ北側の石壁に
シヴァ神とパルヴァティの結婚のシーンが彫られている
パルヴァティがシヴァ神の右側に立つということは
結婚式前の二人を現わしているのだそうである
二人の表情・ポーズが優しさを壁面全体に醸し出し
見る人の心を穏やかに洗い清めている

     インド エレファンタ島   (2011年11月)

おろかもの之碑2012/09/22 08:59

林昌寺山門の外左側にアジサイの藪に隠れるように
石碑が建っている  その名は「おろかもの之碑」
当時郡内の指導者であったひとたちによって昭和
36年12月8日に建立されたものである
おろかもの之碑
(裏面の書付)
昭和十二年七月七日ノ支那事変ハツイ
ニ昭和十六年十二月八日大東亜戦争ト
ナル日本ノ運命ヲ決スル危機ニ際シ我
々ハ当時ノ職務上或イハ一方的委嘱状
ニヨッテ一律ニソレゾレ大政翼賛会翼
賛壮年団在郷軍人分会ノ郡町村責任者
トナッタガ敗戦後占領政策ニヨリ其ノ
職ニ在ツタモノハスベテ戦争犯罪人ト
シテ昭和二十二年二月ヨリ一切ノ公職
カラ追放サレタ本意ナキ罪人ハ互イニ
ソノ愚直ヲ笑い合ツタ昭和二十六年八
月全員解除サレルヤあづま会ヲ設立シ
テ今日モナオ旧交ヲ持シ郷土吾妻ノタ
メニ聊ノ報恩ヲ期シテイル創立十周年
ニ際シおろかものノ実在ヲ後世ニ伝エ
再ビコノ過チヲ犯スコトナキヲ願イ卑
名ヲ下記ニ列ネテ碑ヲ建テル
 昭和三十六年十二月八日
           あづま会建之

この碑が建てられて50年が過ぎ今まさに時代が変わろうと
している 

     群馬県 中之条町   (2012年9月21日)