朝霧 ― 2012/09/01 22:13
大足宝頂山石窟 ― 2012/09/04 01:53
長江風景 ― 2012/09/09 17:30
三峡下り出航直前の客船

晩重慶出航

翌朝靄を下る
小船は航路を示す標識船

(右舷の小舟の帆は赤い)
追い越していく客船を見る
追い越していく客船を見る

石宝にて停泊
下船上陸
石宝賽を登る

(堤防で守られている石宝賽)
門に書かれた175の数字
門に書かれた175の数字
175は長江ダムの満水時の水位(標高)を意味する
堤防がないとここから下は水没してしまうのだ
石宝出発
夕刻武陵通過

客船は巨大な池を進んでいるかのようである
停船しないと流れの速さが実感できない
夜万州の夜景を見る
停船しないと流れの速さが実感できない
夜万州の夜景を見る
万州というネオンで地名を確認
花火もあがり綺麗な夜景
翌朝
奉節にて下船
彩雲白帝城へ登る
(三国志演義の場面)
白帝城過ぎ
船は夔門(瞿塘峡)をぬける
白帝城過ぎ
船は夔門(瞿塘峡)をぬける
朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山
航行する船に注目する
小型貨物船

(エンジンの音が懐かしい)
石炭運搬
石炭運搬

コンテナ船

カバーをかけた貨物船

砂利の運搬

機関故障で横向きになった貨物船

高速客船も行く

昼巫峡に入る
両岸に聳える巫山十二峰
女神峰
巴水挟青天
巴水流若茲
巫峡去りがたし
巴水流若茲
巫峡去りがたし
後ろ髪をひかれる巫峡の景色
恩施土族苗族自治州
巴東にて
停泊
恩施土族苗族自治州
巴東にて
停泊

客船に横着けする観光船

観光船に乗り換えて神農峡へ入る
(長江に沈み土地を失った少数民族は生活の糧を観光業へ)
(長江に沈み土地を失った少数民族は生活の糧を観光業へ)
神農峡の手漕ぎ舟(土地の人は豌豆舟と呼ぶ)
水は澄んできれいだ

(土族の船頭さん)
身体で稼ぐたくましさ・男の背中の美しさ
夜秭歸(シキ)港に停泊
翌朝下船

長江増水のため三峡ダムは放流中であった
ダムの下流は危険が増しているので客船はここが終点
緑色の箱はケーブルカーである
秭歸の地名は「屈原の姉が帰る」との意味合いで呼ばれたのか?
三峡ダムの五段式シップロック
ダムの下流は危険が増しているので客船はここが終点
緑色の箱はケーブルカーである
秭歸の地名は「屈原の姉が帰る」との意味合いで呼ばれたのか?
三峡ダムの五段式シップロック

ここを船で通過して西稜峡を下る予定であったのに・・・
・・・不運
三峡ダムの婦人
・・・不運
三峡ダムの婦人

(中国のご婦人)
三峡ダムサイトを眺めてお仕舞い
三峡ダムサイトを眺めてお仕舞い
(船旅紀終り)
①多雨の時期の長江は水量が豊富であるが流れ込む土砂で壁土色に濁り多量のごみが漂っていた。
②山の斜面に建てられた高層ビルの街並みは色に乏しく虚しそうに霞んで見えた。
③大型客船就航により船内は過ごしやすくなったが船外の風景は昔の良さが失われてしまったようだ。
④三峡ダム建設後の長江沿岸を見て中国の指導部はここまでやるのかと思うとともに土地を離れ生活を変えた大勢の人々に敬愛の念を起こさせた。
中国 重慶~湖北省宣昌市 (2012年7月14日~17日)
白花のリンドウ 芳ケ平 ― 2012/09/10 21:58
なかよしカエル ― 2012/09/13 09:21
月に吠える ― 2012/09/15 22:46

(もう我慢できないぞカエル)
9月15日中国各地で反日デモ日系企業で放火や略奪が・・・
(2012年9月15日)
9月15日中国各地で反日デモ日系企業で放火や略奪が・・・
(2012年9月15日)
両性をもつ神アルダナリスヴァラ ― 2012/09/17 23:19
入社式 ― 2012/09/19 05:09
シヴァ神とパルヴァティの結婚 ― 2012/09/21 06:07
おろかもの之碑 ― 2012/09/22 08:59
林昌寺山門の外左側にアジサイの藪に隠れるように
石碑が建っている その名は「おろかもの之碑」
当時郡内の指導者であったひとたちによって昭和
36年12月8日に建立されたものである
石碑が建っている その名は「おろかもの之碑」
当時郡内の指導者であったひとたちによって昭和
36年12月8日に建立されたものである
(裏面の書付)
昭和十二年七月七日ノ支那事変ハツイ
ニ昭和十六年十二月八日大東亜戦争ト
ナル日本ノ運命ヲ決スル危機ニ際シ我
々ハ当時ノ職務上或イハ一方的委嘱状
ニヨッテ一律ニソレゾレ大政翼賛会翼
賛壮年団在郷軍人分会ノ郡町村責任者
トナッタガ敗戦後占領政策ニヨリ其ノ
職ニ在ツタモノハスベテ戦争犯罪人ト
シテ昭和二十二年二月ヨリ一切ノ公職
カラ追放サレタ本意ナキ罪人ハ互イニ
ソノ愚直ヲ笑い合ツタ昭和二十六年八
月全員解除サレルヤあづま会ヲ設立シ
テ今日モナオ旧交ヲ持シ郷土吾妻ノタ
メニ聊ノ報恩ヲ期シテイル創立十周年
ニ際シおろかものノ実在ヲ後世ニ伝エ
再ビコノ過チヲ犯スコトナキヲ願イ卑
名ヲ下記ニ列ネテ碑ヲ建テル
昭和三十六年十二月八日
あづま会建之
この碑が建てられて50年が過ぎ今まさに時代が変わろうと
している
群馬県 中之条町 (2012年9月21日)
昭和十二年七月七日ノ支那事変ハツイ
ニ昭和十六年十二月八日大東亜戦争ト
ナル日本ノ運命ヲ決スル危機ニ際シ我
々ハ当時ノ職務上或イハ一方的委嘱状
ニヨッテ一律ニソレゾレ大政翼賛会翼
賛壮年団在郷軍人分会ノ郡町村責任者
トナッタガ敗戦後占領政策ニヨリ其ノ
職ニ在ツタモノハスベテ戦争犯罪人ト
シテ昭和二十二年二月ヨリ一切ノ公職
カラ追放サレタ本意ナキ罪人ハ互イニ
ソノ愚直ヲ笑い合ツタ昭和二十六年八
月全員解除サレルヤあづま会ヲ設立シ
テ今日モナオ旧交ヲ持シ郷土吾妻ノタ
メニ聊ノ報恩ヲ期シテイル創立十周年
ニ際シおろかものノ実在ヲ後世ニ伝エ
再ビコノ過チヲ犯スコトナキヲ願イ卑
名ヲ下記ニ列ネテ碑ヲ建テル
昭和三十六年十二月八日
あづま会建之
この碑が建てられて50年が過ぎ今まさに時代が変わろうと
している
群馬県 中之条町 (2012年9月21日)







































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