九州北部の旅③邪馬台国を想像する ― 2018/03/06 16:51
○邪馬台国の王は
倭在韓東南大海中依山島為居凡百余
国自武帝滅朝鮮使駅通於漢者三十許
国国皆称王世世伝統其大倭王居邪馬
台国
「後漢書」倭伝
邪馬台国に居た大倭王の勢力は自国のムラ長をまとめるだけだったのか
倭在韓東南大海中依山島為居凡百余
国自武帝滅朝鮮使駅通於漢者三十許
国国皆称王世世伝統其大倭王居邪馬
台国
「後漢書」倭伝
邪馬台国に居た大倭王の勢力は自国のムラ長をまとめるだけだったのか
○大倭王の座の争奪戦は
桓霊間倭国
大乱更相攻伐歴年無主有一女子名曰
卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆
於是共立為王
「後漢書」倭伝
其国本亦以男子為王住七八十年倭国乱相攻
伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼事鬼道
能惑衆
「魏志」倭人伝
倭国は争いが治まらず一女子(卑彌呼を)共に立てて王としたとあるが争いは一国内の争いではなく九州北部の諸王間の大倭王の座の争奪戦であったと言えないだろうか

○邪馬台国の景観
居処宮室楼観
城柵皆持兵守衛法俗厳峻
「後漢書」倭伝
居処宮室楼観城柵厳設常有人
持兵守衛
「魏志」倭人伝
大倭王卑弥呼が住む邪馬台国とははどんな景観であったのか
城柵と濠で集落を取り囲みさらに内郭で囲み厳重な大倭王の警備
楼観 兵士が常時警備にあたった物見のやぐらか

大型建物 諸王を威嚇することもできたろう壮大な建物
これだけ大きな建物が建つのに王は竪穴住居なのか・・・
大規模な墳丘墓や甕棺墓はこの集落の人口の多さを示すものだろう
吉野ヶ里遺跡を邪馬台国にイメージして見ました この遺跡は大倭王が居住した都であると想像してもおかしくはないと思いました 倭国大乱と後漢書に記すということは単に一国の騒乱を言うのではなく倭国の大倭王の座を九州北部の諸王が争奪し合ったものでこの諸国連合を邪馬台国と言ったものではないかとも感じました
佐賀県 吉野ヶ里遺跡 (2018年2月)




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