アジャンタ第26窟の開削が6世紀前半で5世紀後半より再開されたアジャンタの活動は終焉を向える。その後の活動はエローラに引き継がれ8世紀まで続いた。エローラの仏教活動が盛んであった7世紀、その頃は、中央アジアでは麴氏高昌国が滅び唐が進出し土蕃のソンツェンガンポ王のもとへ文成公主が降嫁した。唐の長安では玄奘インドへ出発、大慈恩寺が建立された。朝鮮では新羅文武王仏国寺無説殿建立。日本では法隆寺金堂釈迦三尊像建立。といった時代であるのだ。
アジャンタでは結跏趺坐した仏陀像が多かったがエローラでは倚坐像が圧倒している。
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