トルコの10日間(10)イスタンブールへの航海 ― 2013/08/01 19:30
エーゲ海からダーダネルス海峡をくぐり抜け帆船はトルコの内海マルマラ海へ入った
(と書きたいところだが実はプリンス諸島に行った帰りである)
マルマラ海の海面は長い航海の疲れを癒すように
午後の光を受けて耀いていた
(と書きたいところだが実はプリンス諸島に行った帰りである)
マルマラ海の海面は長い航海の疲れを癒すように
午後の光を受けて耀いていた
この航海の目的地オスマンの都イスタンブールはもうすぐ先だ
← ヨーロッパサイト
← ブルーモスクやアヤソフィアが見えてくる
オスマンはイスラムの国であることをまず航海者に教える
← ヨーロッパサイト
← ブルーモスクやアヤソフィアが見えてくる
オスマンはイスラムの国であることをまず航海者に教える
⇒ アジアサイト
⇒ アジア側の始発駅ハイダルパシャ駅と桟橋が目の先だ
私が陸路でイスタンブールを目ざしたならきっとこの
駅で列車を降り立ったであろう
⇒ アジア側の始発駅ハイダルパシャ駅と桟橋が目の先だ
私が陸路でイスタンブールを目ざしたならきっとこの
駅で列車を降り立ったであろう
← ヨーロッパサイト
← やがて巨大な白い宮殿が迫りスルタンの力を誇示する
←旧市街が見えてきた
そして航海者にオスマンの都の繁栄ぶりを見せつける
そして航海者にオスマンの都の繁栄ぶりを見せつける
←旧市街の始発駅シルケシ駅
20世紀オリエント急行殺人事件の舞台となった
←金角湾にかかるガラタ橋が旧市街と新市街をむすぶ
木で造られていたガラタ橋は今ではトラムが走る
釣り人が数珠連なりになって欄干から釣り糸を垂れる
橋桁にレストラン街がありサバサンドの店もある
←新市街でひときわ目立つのがガラタ塔だ
ガラタ塔はなんて長い間我々航海者を眺めていたことだろう
⇒ アジアサイド
⇒ ウスキュダル沖の乙女の塔
ウスキュダルは芸術家が好む街とか
← ヨーロッパサイト
← 新市街と宮殿
ボスポラス海峡の潮は流れがきつい
← 新市街と宮殿
ボスポラス海峡の潮は流れがきつい
← 近代的な高層ビルは景観を壊すとのイスタンブール人の意見あり
↑風が顔面に突き当ってくる
ヨーロッパの風だろうか それとも
アジアの風であるのであうか
このまま直進してボスポラス海峡をぬけたかった
↑今ではポスポラス海峡にふたつの大橋が架かっている
ヨーロッパの風だろうか それとも
アジアの風であるのであうか
このまま直進してボスポラス海峡をぬけたかった
↑今ではポスポラス海峡にふたつの大橋が架かっている
イスタンブールこの街は海から見た景観を十分意識して造られたのではないかと思う
それくらい海から見た景観は見ごたえがある
遠くからシルクロードのオアシスと辿ってここまで来たかいがあったというものだ
トルコ共和国 マルマラ海からボスポラス海峡へ(2013年6月)
それくらい海から見た景観は見ごたえがある
遠くからシルクロードのオアシスと辿ってここまで来たかいがあったというものだ
トルコ共和国 マルマラ海からボスポラス海峡へ(2013年6月)
トルコの10日間(9)オスマン装飾のパーツ ― 2013/07/25 21:31
トルコの10日間(8)寺院 ― 2013/07/21 10:59
トルコの寺院はイスラム教のお寺でモスクと言う
ビザンチン帝国時代
アヤソフィア
キリスト教の聖堂としてローマ皇帝コンスタンティヌスが建立したが焼失
後にビザンチン帝国ユスティニアヌス皇帝により再建された
そしてオスマン帝国によってイスラム寺院になった
アヤソフィア
キリスト教の聖堂としてローマ皇帝コンスタンティヌスが建立したが焼失
後にビザンチン帝国ユスティニアヌス皇帝により再建された
そしてオスマン帝国によってイスラム寺院になった
4本の形の違うミナレットはオスマン時代に建てられた
前 室
礼拝堂の前に前室がある
天井はヴォールト天井である
礼拝堂への入口は大きな観音開きの扉がある
正面入口の欄間にモザイク画
礼拝堂内部
大ドームは次のドームによって支えられている
天井からの紐によりいくつもの照明の輪が輝いている
ミフラーブとミンバル
ミフラーブは建物の中心線からやや外して取り付けられている
円盤はアッラーの文字
ドームの天井にはイエスを膝に抱くマリアや大天使ガブリエルの像が残る
ミフラーブは建物の中心線からやや外して取り付けられている
円盤はアッラーの文字
ドームの天井にはイエスを膝に抱くマリアや大天使ガブリエルの像が残る
スルタンの席
左側の東屋はスルタン専用の礼拝席
右手の円盤はムハンマドの文字
オスマン帝国時代
ローマ帝国時代よりエディルネはアドリアノーブルと呼ばれていた
オスマン帝国時代エディネルは100年もの間首都の座を占めた
セリミエ・ジャーミイ
力をみなぎらせた建物だ
4本のミナレットに3つのバルコニーが付く
ミナレットの中にパルコにー毎に一基螺旋階段が設けられている
オスマン帝国の威圧感を感じる
中央ドーム
周囲の窓からドームの頂上の模様を照らす
照明を吊るす紐が滴り落ちてくる
礼拝室
ステンドグラスや天井から紐で吊るされた照明の輪が堂内を照らす
ステンドグラスや天井から紐で吊るされた照明の輪が堂内を照らす
アッラーやムハンマドなどと書かれた円盤はここにはない
ミンバルは柱に取り付けられている
ミンバルは柱に取り付けられている
足元に目を落とすと花柄の模様のあるカーペットが敷き詰められている
礼拝の席は合理的な方法で決められている
目を上に写すとパルコにーにひとりの女性信者が佇む
階上のバルコニーは女性専用の礼拝場になっている
同じカーペットが敷かれミフラーブも壁に埋められている
同じカーペットが敷かれミフラーブも壁に埋められている
リュステム・パシャ・ジャーミイ
タイルの博物館という異名を持つこの寺院は1561年~63年に建設された
設計はレリミエ寺院と同じくオスマン建築の巨匠ミマール・シナンのものだ
ミナレットは1基だけである
ドームの天井の模様は少ない
照明の吊線が目立って見える
ミフラーブとミンバル
二重の照明の輪が礼拝殿を照らす
ミフラーブ
イズニックタイルの花柄で飾られたミフラーブ
イズニックタイルの花柄で飾られたミフラーブ
礼拝の指定席カーペット
ブルー・モスク
17世紀オスマン帝国全盛時代に建てられたイスラム寺院
世界で最も美しいと称される
ミナレットが6基あるのも特徴的
エディルネのセリミエ寺院と同じ風格がある
タイルで装飾された礼拝堂内部
窓もすべてステンドグラスが嵌め込まれている
見上げると全てが模様で飾り付けられて目を奪われる
青が基調のタイル装飾
青が基調のタイル装飾
象の足と呼ばれる太い柱もここの特徴だ
天井から吊るされた照明が眩しく照らす
目の上の美しさに圧倒されて祭壇のミフラーブやミンバルを写すのを
忘れた
足元に座る枠がない花柄のカーペットがひいてある
忘れた
足元に座る枠がない花柄のカーペットがひいてある
ウズベキスタンでイスラム寺院を見たがどこも荒廃していた
それに比べてトルコの寺院は美しく保たれている
これはティムール帝国は16世紀初頭滅んだが
オスマンは20世紀まで存続したのだから当り前であるかも知れない
しかしいかなる体制下でも壮大な遺産を長く維持するのは
容易なことではないだろうと思う
トルコ共和国 エデルネとイスタンブール (2013年6月)
トルコの10日間(7)エフェスの遺跡 ― 2013/07/19 17:17
ヒエラポリスで見られなかった分ここではゆっくり見ようと心掛けた
南入口から入場する
ヴァリウスの浴場
ローマ風呂の遺跡
ヒエラポリスのそれより規模が大きいか小さいかは見た目わからない
両方ともここが社交場であったことは確かなことだ
南入口から入場する
ヴァリウスの浴場
ローマ風呂の遺跡
ヒエラポリスのそれより規模が大きいか小さいかは見た目わからない
両方ともここが社交場であったことは確かなことだ
オデオン
アゴラの北側に小劇場がある
頭上の十字架
入口の梁石に十字架が刻まれている
オデオン全景
今でもコンサートを開演できそうだ
ドミティアヌス神殿
オデオンを過ぎ進むと左手に神殿の遺跡がある
ローマ帝国11代皇帝ドミティアヌスを祀る神殿
ここの角の広場にはポリオの泉や勝利の女神ニケの像がある
勝利の女神ニケ
平山画伯の古代ローマの遺跡にも描かれている石像だ
どの構造物に載せられていたのだろうか
こんなレリーフもあったが
クレティス通り
勝利の女神を見て三叉路を下ると石門がありクレティス通りへと続く
ヘラクレスの門
通りの両側に獅子の毛皮をまとっとヘラクレスが立つ
トラヤヌスの泉
通りの右手にある
ローマ帝国五賢帝時代の皇帝トラヤヌスに奉げられたい泉
ハドリアヌス神殿
ローマ帝国五賢帝時代の皇帝ハドリアヌスを祀る神殿
奥の破風の中央にメドゥーサが刻まれている
ここに入ろうとする人はすべて石にされてしまうのか
メドゥーサは魔除けとしてのはたらきがあるようだ
前面の4つ並んだ台は皇帝の彫像をのせるためのもの
アーチの天にあるこの都市の守護神運命の神様テュケ
掲示板
通りの左手にある石の掲示板
三つの言語で刻まれている
掲示板というより石碑である
ケルスス図書館とマゼウスとミトリダテスの門
クレティス通りを下ったところに聳える図書館(正面)と
マゼウスとミトリダテスの門(左手)がある
ケルスス図書館の蔵書の数はアレクサンドリアのそれと競いあった
物語が語り継げられている
女神像
図書館の入口に4体の女体像が立つ
大理石通り
ケルスス図書館を過ぎると大劇場に向けて真っ直ぐな通りがある
大理石通りと呼ばれているが工事のため進入禁止でした
アゴラ
そのためケルスス図書館からマゼウスとミトリダテスの門を抜けて
アゴラ跡を右手に見て進んだ
大劇場
大理石通りとアルカディアン通り(浜通り)が交差する角に
巨大な劇場跡がある
階段を登り最上階から見た劇場舞台
こんな遠くだと演者も豆粒のようだ
きっとローマ時代でもオベラグラスがあったのではないかと想像した
アルカディアン通り
エーゲ海の港へと続く大通り
過ってここをアントニウスとクレオパトラが歩いたと語られている
北側出入口から退場しアルテミス神殿へ向う
アルテミス神殿
エフェスではアルテミスが神として敬われた
この神殿はそのアルテミスを祀るため建てられたもので
その大きさは旅行者の目を奪うほどの巨大であったようだ
いまではその姿はない
ハットウシャ
ヒエラポリス
エフェス
と3つの古代遺跡を見た
今後これらの遺跡から発掘された神々の像などを見て
東洋の遺跡や神々の像と比較していきたい
トルコ共和国 エーゲ海地方 エフェスの遺跡 (2013年6月14日)
トルコの10日間(6)ヒエラポリス ― 2013/07/18 15:46
車はアナトリア地方からエーゲ海地方へと移動していく
アナトリアは麦畑の模様が綺麗であったがエーゲ海地方は
オリーブやイチジクなどの果樹園が多いい
ヒエラポリス(聖なる街)
紀元前190年頃にベルガモンの王によって建造された都市で
ローマ時代は温泉療養地として栄えた
街は城壁で囲まれ北門から南門へ広いアルカディア通りが貫いている
北門からアルカディア道理を歩いてみよう
北大浴場とドミティアヌス帝の門
3つのアーチはローマ時代に造られたドミティアヌス帝の門である
その左側奥の建物が北大浴場と思われる
アナトリアは麦畑の模様が綺麗であったがエーゲ海地方は
オリーブやイチジクなどの果樹園が多いい
ヒエラポリス(聖なる街)
紀元前190年頃にベルガモンの王によって建造された都市で
ローマ時代は温泉療養地として栄えた
街は城壁で囲まれ北門から南門へ広いアルカディア通りが貫いている
北門からアルカディア道理を歩いてみよう
北大浴場とドミティアヌス帝の門
3つのアーチはローマ時代に造られたドミティアヌス帝の門である
その左側奥の建物が北大浴場と思われる
アルカディア通り
その通りに立ちドミティアヌス帝の門を見る
時間の関係でこれ以上北側へ行けなかったのが残念だ
大石を敷き詰めたアルカディア通りは北から南へ延びている
ビザンツ時代の北門
南側に振り向くと通りの先に城壁と門が見える
ビザンツ時代の北門である
北門が近づいた
北門をくぐって振り返る
なるほどアルカディア通りは一直線に伸びている
南門に向けてさらに歩く
しかしこの先で通りは途切れてしまう
ハドリアヌスの劇場など
左手の東側を見ると遺跡らしきものが見える
それはハドリアヌスの劇場や神殿などがある方向だ
時間がないので左に曲がって行きたいが諦めるしかないのだ
ローマ浴場
すこし進み通りから右側方面にそれて行くとローマ浴場の跡がある
大勢の市民が集まったのだろう規模の大きさに驚かされる
パムッカレ(綿の城)
さらに進むと石灰棚の奇観が楽しめる
話をアルカディア通りに戻そう
パムッカレ温泉
遺跡の中にある現役の温泉場
いままで歩いてきた通りはこの温泉の中を通過しているのではなかろうか
と想像!?
水路だろうか!?
南門に近いところで
北側から一直線の通り
アルカディア通りのでは?
アポロン神殿
説明はなかったが多分神殿跡だ
南 門
アルカディア通りもここが終点
ヒエラポリス遺跡は
ここに残るものはローマ時代のものだ
最盛期には人口10万人を数えたという
近くにはネクロポリス(死者の街)という墓場がある
初めて見るローマ時代の遺跡でした
ここで見られなかった神殿や劇場などの遺跡は次のエフェスの遺跡で
補うしかなかった
トルコ共和国 エーゲ海地方 ヒエラポリス (2013年6月14日)
トルコの10日間(5)アナトリア③セルジューク・トルコの首都コンヤ ― 2013/07/15 17:20
コンヤは人口100万人の都市である
この街に11世紀セルジューク・トルコの首都が置かれた
セルジューク・トルコの発祥地は遥かアラル海の東沿岸地域だ
そこから勢力を増して西侵し一大帝国を築いたのは紀元後11世紀のことだ
アクサライ(Aksaray)にあった隊商宿(サライ)
古来からコンヤはシルクロード交易の要衝であった
その道筋には多くの隊商宿が築かれた
この街に11世紀セルジューク・トルコの首都が置かれた
セルジューク・トルコの発祥地は遥かアラル海の東沿岸地域だ
そこから勢力を増して西侵し一大帝国を築いたのは紀元後11世紀のことだ
アクサライ(Aksaray)にあった隊商宿(サライ)
古来からコンヤはシルクロード交易の要衝であった
その道筋には多くの隊商宿が築かれた
サライは頑丈な城壁で囲まれている
コンヤにあるメブラーナ博物館
旋舞教団で知られるメブラーナ教の始祖メブラーナなど聖者が祀られている
コンヤにあるメブラーナ博物館
旋舞教団で知られるメブラーナ教の始祖メブラーナなど聖者が祀られている
青緑のタイルを敷き詰めた塔がくっきりと青空に光っていた
また庭園のバラが有り余る太陽の光を受けていた
メブラーナの博物館(霊廟)の入口
スカーフを頭に被った女性たち
霊廟に中に入ると立派なターバンが目につくのだ
この立派なターバンは棺の上に乗せられている
またムハンマドの髭を納めた小箱や手書きのコーランなどの展示もある
また庭園のバラが有り余る太陽の光を受けていた
メブラーナの博物館(霊廟)の入口
スカーフを頭に被った女性たち
霊廟に中に入ると立派なターバンが目につくのだ
この立派なターバンは棺の上に乗せられている
またムハンマドの髭を納めた小箱や手書きのコーランなどの展示もある
セマーの部屋
右手を上に、左手を下にして1時間30分ほど旋回して踊りを続けると
信者は誰もが陶酔の境地に入るだそうだ
メブラーナの聖職衣装?
セルジューク・トルコの面影を街に見いだせないままコンヤの街を後にした
コンヤを過ぎるとアナトリアを離れエーゲ海地方へと入っていく
トルコ共和国 コンヤ メブラーナ博物館 (2013年6月13日)
トルコの10日間(4)アナトリア②ヒッタイトの都ハットゥシャ ― 2013/07/13 02:30
アナトリア
②ヒッタイトの都ハットゥシャ
ヒッタイト人が初めてアナトリヤに現われたのは紀元前2200年頃と考えられている
アッシリアの商人が文字をもたらしたことから早くからヒッタイトの歴史は文字で
記された
ヒッタイトは歴史学的には
・ヒッタイト古王国時代(紀元前1660年~1460年)
・ヒッタイト帝国時代(紀元前1460年~1190年)
に分けて考えている
ボアズカレの街
ヒッタイトの遺跡ハットウシャはボアズカレという村の高台にある
②ヒッタイトの都ハットゥシャ
ヒッタイト人が初めてアナトリヤに現われたのは紀元前2200年頃と考えられている
アッシリアの商人が文字をもたらしたことから早くからヒッタイトの歴史は文字で
記された
ヒッタイトは歴史学的には
・ヒッタイト古王国時代(紀元前1660年~1460年)
・ヒッタイト帝国時代(紀元前1460年~1190年)
に分けて考えている
ボアズカレの街
ヒッタイトの遺跡ハットウシャはボアズカレという村の高台にある
ヒッタイトの都
ハットウシャの大地の上から眺めたアナトリアの景色は実に美しい
ハットウシャ
ハットウシャは神を祀った神殿、王の住む王宮、民衆の住宅が集まる街などの
建物が立ち並びそれは堅牢な石の城壁で囲まれていた
(1)大神殿
ハットウシャで最も大きな神殿で大神殿と呼ばれている
ライオンの水槽
正門の手前に水槽の残骸がころがる
正門
巨大な神殿の入口
ここから大きな石を敷き詰めた通りが伸びている
巨大な神殿の入口
ここから大きな石を敷き詰めた通りが伸びている
柱廊
中央に神殿の中枢がある
5本の柱が並ぶ柱廊を抜けると祭祀の間があり
ヒッタイトの神の中の神の天候神や太陽の女神の像が安置されていた
貯蔵庫と敷居石
食糧や交易品の貯蔵のため巨大な貯蔵庫が必要であったのだろう
本殿を取り巻いて貯蔵庫があり入口の大きな敷居石や
穀物を保管したと思われる大甕が目に入る
(2)城門
観光コースに組み込まれるものとして南側の城壁に穿たれた次の門がある
西側からライオンの門、スフィンクスの門、王の門などがそれである
門の構造は内側にカーブした一枚岩の柱がアーチを作るものである
観光コースに組み込まれるものとして南側の城壁に穿たれた次の門がある
西側からライオンの門、スフィンクスの門、王の門などがそれである
門の構造は内側にカーブした一枚岩の柱がアーチを作るものである
ライオンの門
西側に位置する門
城門の外側に口を開けたライオンを配し悪霊の侵入を防いでいる
ライオンのどうどうとした体躯や線彫された繊細な毛なみが目を奪う
スフィンクスの門
南側に位置する門
頭部はひと身体はライオンというスフィンクスの像が
城門の内外に配置されていた
エジプトとの関わりを今に記すもののひとつであろうが
ここのスフィンクスは女性的なのである
地中の門(イェルカブ)
南城壁の防御機能を高めるためにスフィンクスの門の下の斜面に
濠を設け土手を築いた
この土手を貫く坂の地下道がイエルカブである
巨大な石を組み合わせてアーチを形どった様子が内部から見て取れる
王の門
東側に位置する門
内側の門に刻まれた兵士の姿は王を現したものと信じられ
王の門と名付けられた
実際は王でなく守門神なのだそうだ
東側に位置する門
内側の門に刻まれた兵士の姿は王を現したものと信じられ
王の門と名付けられた
実際は王でなく守門神なのだそうだ
守門神の顔の表情
口が正面を向きかけている
(3)ヒッタイトの神々
千の神々の国を言われるほどヒッタイトは多神教国家だった
それはヒッタイトは様々な民族を率いる連合国家であり
それぞれの民族の宗教には寛大であったためである
ヤズルカヤ屋外神殿の岩壁にはヒッタイトの神々の姿が浮き彫りされている
山の神の肩の上に立つ天候神テシュブ
テシュブに向き合うヒョウに乗った太陽の女神ヘパト
(テシュブやヘパトはフルリ人の呼び名)
(ヘパトをハッティ人はベェルシェム、ヒッタイト人はアンリナと呼んだ)
次にテシュブとヘパトの息子神シャルマが豹の背に乗って立ち
右端は双頭の鷲の翼の上に二体の女神が乗る
シャルマ神に守り導かれるトゥタリヤ四世
トゥタリヤ四世(紀元前1250年~1220年)
シャルマ神の背後に紋章はトゥタリヤ四世の王名紋章
トゥタリヤ四世(紀元前1250年~1220年)
シャルマ神の背後に紋章はトゥタリヤ四世の王名紋章
黄泉の国の十二神
ハットウシャに残る遺跡はヒッタイトが古王国から帝国へと繁栄して行った
紀元前14世紀ごろに建てられた
大地の広がる遺跡の上物の形は失われているが巨大な石の基礎を見るだけでも
ヒッタイトの繁栄の様子が想像できた
トルコ共和国 中央アナトリア ハットゥシャ (2013年6月11日)
紀元前14世紀ごろに建てられた
大地の広がる遺跡の上物の形は失われているが巨大な石の基礎を見るだけでも
ヒッタイトの繁栄の様子が想像できた
トルコ共和国 中央アナトリア ハットゥシャ (2013年6月11日)
トルコの10日間(3)アナトリア①カッパドキア ― 2013/07/03 22:13
トルコ10日間をまずトルコの中央部をアナトリアと題してまとめて行く
アナトリアでは①カッパドキア②ヒッタイトの遺跡③コンヤ と3つに区切ることにした
①カッパドキア(Cappadocia)
カッパドキアの奇岩地帯には夕刻到着
到着して最初に目に入っ風景である
遠くに中央アナトリアの最高峰(3916メートル)が
エルジャス(Erciyes)山が見えた
アナトリアでは①カッパドキア②ヒッタイトの遺跡③コンヤ と3つに区切ることにした
①カッパドキア(Cappadocia)
カッパドキアの奇岩地帯には夕刻到着
到着して最初に目に入っ風景である
遠くに中央アナトリアの最高峰(3916メートル)が
エルジャス(Erciyes)山が見えた
ギョレメ谷の背後に夕日が沈んだ
ウチヒサールにある洞窟ホテル(アルゴスインケイブ)に到着
通路が迷路になっていて部屋に辿り着くまで大変だ
洞窟の部屋は窓が少なくやや湿気が多いようだ
カッパドキアにも朝が再来します
近くのモスクの拝礼の呼びかけアザーンの音でで目を覚ます
ウチヒサールに朝日がさし始める
猫が音もなく通りを横切り
民家の壁も光を受けて甦った
遠くからモータの音が耳に届いてくる
気球一基が頭上を通過した
暫くするとたくさんの気球が集まった
カッパドキアには
キリストの洞窟教会があり
暗闇の教会内部のフレスコ画が素晴らしい
こんにちは!! いらっしゃい!!
地下都市がある
頭を岩にぶっつけてしまう
帽子着用が必須(ヘルメットが欲しいところだ)
キノコのような岩が眼下に見え
三姉妹と呼ばれている
ラクダの形をした岩を見上げる
ラクダのほかネコやカエルなどもありました
あたり一面キノコが生えたゼルベの谷
そして翌朝
ウチヒサールの広場に停車したバスでカッパドキアを去った
奇岩の並ぶ景色の鑑賞のほか特にギョレメ野外博物館の教会に興味があった
教会内部に描かれたキリストやマリアのフレスコ画は素朴すぎる
どうして記号のような素朴さでよいのか!?
聖書の文言によって覚りに導かれることが重要なのだとフレスコ画は語っているようだった
トルコ共和国 中央アナトリア カッパドキア (2013年6月11日~13日)
トルコの10日間(2)ダーダネルス海峡を渡る ― 2013/07/01 23:25
トルコへ行く目的の一つにダーダネルス海峡を渡りたいと考えていたからだ
自分の意識に西洋と対面するにあたり障壁がありこの年齢になっても依然西洋は未知の世界に佇んでいる
その未知なる西洋へ分け入るためにはこの障壁を壊す儀式が必要と考えていた
ダーダネルス海峡を渡ることすなわち西洋への障壁を突き抜けることなのである
ダーダネルス海峡はエーゲ海とマルマラ海を結ぶ羊の腸のように狭い海峡だ
一見しただけで古今この海峡は軍事委的重要なポイントであることが想定できる
自分の意識に西洋と対面するにあたり障壁がありこの年齢になっても依然西洋は未知の世界に佇んでいる
その未知なる西洋へ分け入るためにはこの障壁を壊す儀式が必要と考えていた
ダーダネルス海峡を渡ることすなわち西洋への障壁を突き抜けることなのである
ダーダネルス海峡はエーゲ海とマルマラ海を結ぶ羊の腸のように狭い海峡だ
一見しただけで古今この海峡は軍事委的重要なポイントであることが想定できる
西洋へ攻め込むため絶好のポイントである
アジア側のラプセキ(Lapseki)港でフェリー(艦艇)に乗り込む
いざ出航!!
右回りに約3000キロの旅程は心身を消耗させていた
披露回復に甘い紅茶がよい
お茶を飲んで油断しているうちに艦艇はどんどん海峡を横切る
アジア側の景色は小さくなり
あの未知なるヨーロッパが近づいてくる
30分が過ぎアジア側はずっと遠のき
上陸地点のゲリボル(Gelibolu)港はもうすぐだ
ゲリボルへ上陸!!
障壁消滅
西洋へ進攻開始!!
しばらくしてバスはエデルネに向けて走っている
トルコ共和国 ダーダネルス海峡 (2013年6月15日)
トルコの10日間(1)ネコちゃん ― 2013/06/29 22:35
トルコ10日間の旅を点描します。
まずはネコちゃんの写真集です。
イスタンブールから空路首都アンカラへ
アンカラからブルーの空の下アナトリアの大地をバスで走る
ヒッタイトのパットウシャシュ遺跡を見てから
カッパドキアへ
1.カッパドキア
日本でもトルコと言えばカッパドキアと答えが戻るくらい有名な景勝地
ここでは奇岩さておいてギョレメ野外博物館の洞窟教会のフレスコ画に注目
ウチヒサールの洞窟ホテルに宿泊
早朝近くのモスクのアザーンの声で眼を覚ました
<朝の散歩>
ウチヒサールの谷を伝わり降りるネコちゃん
まずはネコちゃんの写真集です。
イスタンブールから空路首都アンカラへ
アンカラからブルーの空の下アナトリアの大地をバスで走る
ヒッタイトのパットウシャシュ遺跡を見てから
カッパドキアへ
1.カッパドキア
日本でもトルコと言えばカッパドキアと答えが戻るくらい有名な景勝地
ここでは奇岩さておいてギョレメ野外博物館の洞窟教会のフレスコ画に注目
ウチヒサールの洞窟ホテルに宿泊
早朝近くのモスクのアザーンの声で眼を覚ました
<朝の散歩>
ウチヒサールの谷を伝わり降りるネコちゃん
<昼食のレストラン>
昼食のメニューは鱒のグリルでした
にわか雨を浴びて震えるレストランのネコちゃん
ちょっと不気味だ
2.コンヤからパムッカレへ
カッパドキアからコンヤへアナトリアの大地を220キロバスで3時間
コンヤではメブラーナ博物館を見た
石棺の上に置かれた立派なターバンや
ムハンマドのあごひげの入った小箱など注目
そしてパムッカレへ出発
コンヤからパムッカレまでは430キロバスで6時間の長丁場だ
ドライブインのトイレと水分補給は必須だ
トライブインの水槽の水を飲むネコちゃんたち
なかよく並んで水を飲んでいました
3.エフェス遺跡
エフェスはエーゲ海に面するトルコ最大の古代都市遺跡群がある
ここはヒッタイトのハットウシャシュや
パムッカレのヒエラポリス遺跡と同様に
最大級の緊張感を持って見て回った
エフェス遺跡のおとなしいネコちゃん
胸が大理石のように白いね!!
4.トロイの遺跡
エフェスから美人の街イズミールを経てエーゲ海地方を北上
マルマラ地方のチャナッカレへ
チャナッカレの近くにトロイの遺跡がある
この旅の前に映画トロイを見た
そのトロイ戦争伝説のシンボルの木馬が立っている
おなかを空かしたネコちゃんに相棒がパンくずを与えた
パンくずを食べるネコちゃん
5.エデルネ
ダーダネス海峡を渡りヨーロッパサイドへ
古都エデルネは国境の街でもある
最大級のドームを持つセリミエ・モスクでネコちゃんを捉えた
<セリミエ・モスク>
突然足元からネコちゃんの鳴き声が
足元を見ると側溝の蓋の穴からネコちゃんの足が見える
やがてネコちゃんの顔が見え
出たいと両手でもがいたが
どうしようもない
しばらくして同じ所へ行ってみると
子ネコはのんびり日向ぼっことしていたよ(安心!?)
(ちょっと待てお手手の毛の色が異なるようだが?)
6.プリンス諸島
スルタンは数えきれないほど王子をかかえた
跡目を継ぐのは一人であり王子間の熾烈な競争が繰り広げられた
マルマラ海に浮かぶ小島群はプリンス諸島と呼ばれ
生き延びた王子の幽閉の地であったそうな
この島のネコちゃんはよく眠る
眠りネコ(その1)
カフェの床でごろんちょ ぐーぐー
眠りネコ(その2)
自転車の車輪のスポークに手をかけて ぐーぐー
眠りネコ(その3)
土産物の店先で 招きネコ役も グーグー
起きてるネコ(その1)
カシャ カシャ シャッターの音がうるせぇーぜ
起きてるネコ(その2)
私はお行儀よく立っているがもしかしたら眠ってるのかしら!?
7.イスタンブール
人口1300万のイスタンブールはトルコ最大の都市だ
住んでいるひともネコもこれまでのところと異なる
ゆとりがなくのどかさはない
<リュステム・パシャ・モスク>
ぶちのネコちゃんを見たのはここが最初
しっぽの形に緊張感が現われている
もうおしまい
<カッパドキアの雌ウシ君>
別れが名残り惜しそうな雌ウシくん
耳と角がかわいいね
バスは全長3000キロを走りました
トルコ共和国 (2013年6月10日~19日)
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