エレファンタ島のドヴァラパーラ ― 2012/12/14 22:34
三面半身像 ― 2012/09/29 23:27
シヴァ神とパルヴァティの結婚 ― 2012/09/21 06:07
両性をもつ神アルダナリスヴァラ ― 2012/09/17 23:19
守護神(サンチー第1ストゥーパ) ― 2012/02/25 13:50
守護神(サンチー第1ストゥーパ)
サンチーにストゥーパを最初に祀ったのはマウリア朝(前324~187年)のアショカ王であったと言われている。ストゥーパの材料は土であったが、土から煉瓦へ煉瓦から石材へと変わっていった。そして古いストゥーパは新しい材料で包み込まれ大きくなっていった。
トラーナと呼ばれる塔門が東西南北に建てられたのは紀元前35年ごろであるという。塔門は三本の梁を掲げ神社の鳥居のようである。ここでは塔門に見える守護神について焦点をあてた。
西門のヤクシャ
4人の太鼓腹のヤクシャが梁を支えている。ヤクシャは毘沙門天の前身であるという。ちょっと体形が私に似ている。
北門の象
4頭の象が力強く門を支えている。鼻をよじり今にも暴れ出しそうである。
東門の象とヤクシー
この象は鼻を垂らして歩いている。力んで門を支えている場景ではない。その隣のヤクシーは私代の言葉で表現すると「とてもグラマーでした」ということになります。
南門の獅子
インドの国章となっているライオン(獅子)が4頭背中合わせて門を支えている。口を開いた表情がどちらかと言うとかわいい。
東門門柱のヤクシャ
左右の門柱の内側の最下部に守門神ヤクシャが掘り出されています。
北柱
蓮の花束を持っている守門神。これがアジャンタ第1窟で言うならばテンペラ画のパドマパーニ(蓮華手)ということだろう。
南柱
払子のようなものを持つ守門神。門の内側に顔を向けている。
守護神(アジャンタ第1窟) ― 2012/02/20 23:48
守護神(アジャンタ第1窟)
アジャンタ第1窟が造営されたのは6世紀前半と言われている。仏殿の前室の左右の壁すなわち後廊の左右後壁にテンペラ画がある。仏殿に向って左がパドマパーニ(蓮華手)、右がヴァジェラパーニ(金剛手)と言われている。これを蓮華手菩薩、金剛手菩薩とするには壁画の像には頭光が描かれていないのが気になる。従ってここでは仏殿の門に描く花を持った守門神(天部)であるとの位置づけでまとめることにした。
パドマパーニ(蓮華手)仏殿に向かって左側
ヴァジェラパーニ(金剛手)仏殿に向かって右側
638年建立された法隆寺金堂の阿弥陀浄土図の菩薩像はこの金剛手の影響を受けていると言われている。実際に壁画の前に立ってみると暗くて老眼乱視の目では両者を対比できるようなあんばいではなかった。ざっと捉えると相違点は法隆寺金堂の菩薩像は足元から頭上まで伸びた蓮華を持っていること、また図光が描かれていること。類似点はグプタ調と言われる顔形や体型、顔の眉の引き方などが指摘できる。
守護神(アジャンタ第16窟) ― 2012/02/17 11:39
守護神(ピタルコーラー第4窟) ― 2012/02/13 22:43
ピタルコーラー石窟を見に谷に下っていくとナイフでえぐり取られたような岩壁に石窟寺院の遺跡が並んでいる。黄色いシートがあるところがヴィハーラ窟の第4窟にあたりその右隣がチャイトヤ窟の第3窟である。ここで取り上げる守護神は黄色のシートのところにある。
現在、我々が各石窟へ往来する窟前の道は過っては無かった。道は川伝いにあって各々設けられた石段を登り出入りしたようである。途中に石門がありここから上が聖域でこの境に守護神が立っているのが普通である。
ここの守護神、すなわち正面の守門神は以前写真で見たものとかなり傷みが進んでいて非常に残念である。また、手前の横壁にナーガらしきものが見えるが蛇の頭部分しか残っていない。シートで隠れて見えないが守門神の右横には象が並んでいるようである。ちゃんと残っているのであればちょうとスリランカのアヌラーダプラのルワンウェリ・セーヤ仏塔の基壇を守る象のように整然と並んでいるのであろう。
僧院の入口はアーチと柱で仕切られ、柱の最上部には馬や牛、虎や獅子などの動物が彫りこまれている。
僧院のなかに配置された僧坊は今でも形を留め当時の修行僧の姿が浮かんでくるようである。
仏教国のスリランカは仏教国なので遺跡はきちっと管理されていたが、ヒンズーの国インドにあっては仏教遺跡の保護・管理は十分とは言えないようである。
仏陀涅槃像(アジャンタ第26窟) ― 2012/02/12 16:48
アジャンタ第26窟においてインドで最も大な涅槃仏に遇うことができた。全長7.1メートルの涅槃仏は左側廊で頭を入口に向けて横たわり頭上から射し込む光が全身を照らしていた。
上空には飛天が舞い、寝台下では弟子たちが跪いている。
寝台下の後ろ姿の弟子は誰であるのか、弟子は念仏を唱えているように見える。また三脚に吊るされた水筒のようなものは何なのか、釈迦の死に水であるのか?
沙羅双樹の下、釈迦の足下で蹲る弟子はアーナンダであろうか。釈迦の入滅の深い悲しみが伝わってくるようだ。
中国などで見た石窟寺院の入口は南に開けられ涅槃物は仏殿の一番奥(中心柱窟では正面の裏側)の北壁を背にして頭を西に向けて横になっている。ここでは位置が仏殿の奥(ストゥーパの裏側)ではなく入口のすぐの左側廊である。しかし、入口が西に開けられたアジャンタ第26窟では左側廊が北壁にあたり仏陀の頭は西を向き横たわる方向は同じ律に基づいている。
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