後閑城址散策記 ― 2023/01/10 14:52
2022年10月27日後閑城址に出掛けた
後閑城は後閑川と九十九川の合流点に突き出した南北に続く丘陵の末端部分に築城された山城である。本丸の説明文によると嘉吉、文安の頃(15世紀中葉)信州の依田忠政が築城したと解説されている。
後閑城址縄張り図
本丸の東に階段状に東郭と東郭群が、西に階段状に三つの大郭(西第一~第三郭)が、南に尾根を堀切で分断した尾根端に南郭と二の丸が、さらに北に堀切の先に北郭がある
散策開始
西第三郭にある公園駐車場に車を停める。
南郭
駐車場から南郭へ向かう
南堀切で分断された尾根の端に南郭がある
南郭の奥の東屋
南郭からの展望
妙義山の頂が見える
➁二の丸
南郭をさらに東へ進むと次の尾根を分断する大堀切がある
その尾根の端に細長くくの字状の二の丸がある
大堀切側の高台に櫓が建てられていたという
二の丸の東屋
東郭群
大堀切から細道を下り北方向に尾根を登ると東郭群がある
東郭から小郭が階段状に下る東郭群
東郭
大堀切までもどり堀切を登り上げると東郭に出る
東郭の先の通りは北堀切に続く
本丸
東郭からさらに登ると最高地点の本丸に着く
東屋と掲示石板があり周囲には百庚申石像が並ぶ
広さは南北60メートル、幅40メートルと解説がある
周囲に並ぶ百庚申の石像
西第一~第三郭
本丸から西に階段状に三つの大郭がならぶ
西第一郭
西第二郭
西第三郭
北郭群
堀切で仕切られて北郭に続いて小郭群が階段状に並ぶ
北第一堀切
本丸北側の堀切
北第二堀切
さらに二つ目の北第二堀切が走りその先に階段状に連なる小郭
北郭
二つの堀切による分断の先に小郭の最上段に北郭がある
北第三堀切
北郭より階段状小郭の北側の北第三堀切が走る
城址を一巡して駐車場へ戻る
吾妻記では「松井田合戦の事」に於て、天正18年小田原攻めの際の上野の合戦が記されている。碓氷峠から前田利家大将として真田安房守昌幸等都合5万余騎が攻め入り大道寺駿河守政繁が守る松井田城を始め、箕輪城、安中城、白井城など北条方の城は落城した。「上野下野内にて三十日の内に城郭三十八ケ所落城す」とあり大道寺駿河守の指揮下にあったというこの後閑城も松井田城と同じ運命を辿ったのであろう。
令和4年10月27日撮影
群馬県 安中市 (令和5年1月12日)
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