餘部鉄橋空の駅(令和元年5月13日) ― 2019/05/24 10:10
山陰の自然は厳しい
明治45年(1912)餘部鉄橋が完成したことで山陰本線は全線で開通した
明治45年(1912)餘部鉄橋が完成したことで山陰本線は全線で開通した
その後餘部鉄橋は約100年間の風雪を耐えぬいた
鉄の橋梁を蝕んだ生々しい傷痕が痛々しい
平成22年(2010年)餘部鉄橋は防風壁を備えたコンクリート製の橋梁に架け替えられた
コンクリートの橋梁は日本海からの強風を孕むように曲がっている
かっての線路は空に向かって切り取られている
明治45年この鉄橋ができ列車が走ってからも餘部には駅がなかった。念願の駅が出来たのは昭和32年のことで、45年もの長い間、土地の人はこの橋を渡りトンネルをくぐっての鎧駅まで歩いたそうだ。
山陰の厳しい自然や土地の人々の苦労の記憶がこの切り取られた先の空を漂っている
かっての線路に沿って画面を引いていく
これが余部「空の駅」だ
鉄の橋脚は空の駅の支え役として3本が残された
そして平成27年11月にエレベーターが設置された
鉄の橋脚は3番目までは完全な形をとどめているが
4番目、5番目は忘れられていく人々の空を失われたアームが支えている
私は遠い土地に住む人間で山陰線の列車に乗ったこともなく、渡ったこともない。しかし映画やドラマに映る幾度も見た映像がこころに残っている。その映像のこころに残る印象は吹きすさぶ風雪に耐える鉄の橋梁とそれと重ね合わせのひとの人生の厳しさであった。
餘部駅12時43分発鳥取行きの列車から一人の乗客がホームに降りた。その人は空の駅のエレベーターに進むことなく空の駅手前の曲がりくねった坂道を下って行った。そのとき私はその乗客はきっとこの土地の人だと確信する気持ちが沸騰していた。
厳しいものに耐えていくそのこころを「空の駅」が私に語りかけているように思えた。
兵庫県 加美町 余部 (2019年5月13日)
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