私のポーランド6(ゲットー)2018/07/31 14:31

UNDER NAZI OCCUPATION 1939-1945

ゲットー
16世紀以降ユダヤ教徒をギリスト教徒から隔離するため都市に造られたという
ここで記すゲットーは20世紀ナチス・ドイツによってユダヤ人を強制的に収容した居住区域である。

ワルシャワ・ゲットー(1940年11月~1943年5月)

11万人のポーランド人住民が強制退去させられた区域に44万人ものユダヤ人が強制収容されたという
ワルシャワ ゲットー

ゲットーを囲んだ高さ3メートルを超える壁の一部は今も残っている
         ゲットーウォールの案内板(ズウォタ通り)
ワルシャワゲットーウォール案内

         それは集合住宅の中に点在していた
ワルシャワゲットーウオール

                         A part of the Ghetto wall
A part of the Getto wall


         掲示が読めないのが残念
A part of the Ghetto wall

A part of the Ghetto wall


A part of the Ghetto wall
 

1942年7月ゲットー住民トレブリンカ収容所へ移送開始 9月30万人を移送、7万人が残る
1942年7月ユダヤ人戦闘組織発足
1943年4月19日住民移送のドイツ軍と警察に対し武装蜂起(ワルシャワ・ゲットー蜂起)
   ゲットー地区破壊 5月蜂起鎮圧 ゲットー解体

                         ポーランド・ユダヤ人の歴史博物館に展示してある
         ワルシャワ・ゲットー蜂起の写真
ワルシャワ・ゲットー蜂起

ワルシャワ・ゲットー蜂起

                        博物館の前庭に建てられたワルシャワ・ゲットーの英雄記念碑
ワルシャワ ワルシャワゲットー英雄記念碑



クラクフ・ゲットー(1941年3月~1943年12月)
        

カジミエシュ地区のビスワ川を挟んだポドグジェ地区に塀で囲んで造られたゲットーに当初1万5千人のユダヤ人が強制収容されたという
クラクフ・ゲットー

         両地区を分け隔て流れるビスワ川
クラクフのビスワ側

         クラクフ・ゲットーの全体図
クラクフ・ゲットー

1942年6月、10月に3度にわたりユダヤ人住民を強制収容所へ移送
1943年3月4度目の移送によりゲットー解体

         ユダヤ人を雇って操業したオスカー・シンドラーのエナメル工場
オスカー・シンドラー・エナメル工場

Oskar Factory

ナチス支配時代のゲットーは単なる民族と民族を隔離することを目的としたものではなく、民族絶滅を目的のための手段であった ゲットーに収容された住民のほとんどは絶滅収容所へ移送されていってゲットーから姿を消した
住民が移送されカラになったゲットーは残忍極まるプロセスの役割を終え解体された


世界では壁は消えることなく今でも役割を得て存在し続けている

イテオロギーによる分断
冷戦時代ベルリン市民を東西に分けた「ベルリンの壁」
宗教の派閥による分断
北アイルランドベルファストにあるカトリックとプロテスタント地区を分ける「平和の壁」
土地を分捕るための包囲
イスラエルのパレスチナ地区を囲む「鉄の壁」

現代でも生きているアンネの日記の一説を思い出す

「弱いものは狙われます。けれども強いものは生き残り、けっして負けることはないのです。」


            ポーランド  (2018年5月14日~21日)