私のポーランド5(侵略と抵抗)2018/07/17 15:40

侵略と抵抗

1025年  ポーランド王国誕生
        ポレスワフ1世
ポーランド ポレスワフ1世

         旧王宮と大聖堂(クラクフ)
クラクフ 旧王宮と大聖堂


1241年  蒙古来襲  
      バトウ率いるモンゴル軍が進攻、3次にわたるモンゴルの侵攻によりポーラン
      ドは壊滅状態に

      クラクフにある聖マリア教会のヘイナウ・マリアッキと呼ばれるトランペット
      の時報の演奏が中断されるのはラッパ兵がモンゴル兵により喉を射抜かれたこ
      とに由来しているという
         聖マリア教会(クラクフ)
クラクフ 聖マリア教会
 
               街を守る城塞もしっかりしたものに
         ババルカン(クラクフ)
クラクフ ババルカン
         

      ヤスナグラ修道院のヤスナ・グラの聖母の頬の傷はモンゴル兵の仕業である
      との説もあるが?
         ヤスナ・グラの聖母(チェンストホーヴァ)
チェンストホヴァ ヤスナ・グラの聖母

1569年~1795年
     ポーランド・リトアニア共和国
     選挙王制へ

1596年  首都をクラクフからワルシャワへ遷都(ジグムント3世)
         ジグムント3世像と王宮(ワルシャワ)
ワルシャワ ジグムント3世像と旧王宮広場


1772年  周辺諸国による侵略
      ロシア、プロイセン、オーストリアによるポーランドの分割

1795年~1815年
      国家消滅
      第3次分割によりポーランド消滅

1807年~1815年
      傀儡国家ワルシャワ公国
      ナポレオンによる傀儡国家ワルシャワ公国の建国
      ナポレオン没落しワルシャワ公国解体
1815年~
      ロシア皇帝が国王を兼ねたポーランド立憲王国

 ロシア支配からの独立を目指し大規模な蜂起 (1830年、1863年)  
 ポーランド人の連帯意識を強めカトリック信仰がより堅固に

        「革命のエチュード」フレデリック・ショパン(1831年?)
ショパン生家 ショパン像


        叙事詩「パン・タデウシュ」(1834年)アダム・ミツキエヴィッチ
        (クラクフ中央市場広場)
クラクフ アダム・ミツキエヴィチ像


1918年  ポーランド共和国樹立
      第一次大戦ドイツの敗北、ポーランド共和国独立

1939年  ドイツとソ連による侵略
      ナチス・ドイツとソビエトの進攻によりポーランド消滅
      ホロコースト(大量虐殺)

ワルシャワゲットー蜂起(1943年)
         ワルシャワゲットーの英雄記念碑(ワルシャワ)
ワルシャワ ワルシャワゲットー英雄記念碑

ワルシャワ蜂起(1944年)
         ワルシャワ蜂起記念碑(ワルシャワ)
ワルシャワ ワルシャワ蜂起記念碑


1952年~1898年
      ソ連の衛星国家、ポーランド人民共和国樹立
      スターリンより贈与された悪魔の宮殿のような不気味な建物
      元はヨシフ・スターリン記念文化科学宮殿という名称
         ワルシャワの文化科学宮殿(ワルシャワ)
ワルシャワ 文化科学宮殿

反社会主義運動、民主化運動(1980年~)
      

1989年~  
      国名をポーランド共和国に変更
1999年  NATO加盟
2004年  EU加盟

ワルシャワの人々の復興のシンボル
         王宮広場、旧王宮、聖アンナ教会(ワルシャワ)
ワルシャワ 旧王宮広場

         ショッピングセンター(ワルシャワ)
ワルシャワ ショッピングセンター

ポーランドの壮絶な歴史をどうコメントしたらいいのだろうか?
ヨーロッパでは弱いものは強いものに潰される。これがあたりまえなのか?
選挙王制が国を弱めてしまったのか?
神のお告げに忠実でありすぎたのか?(隣人を信じすぎてしまったのか?)

「アンネの日記」の記述の中にその回答のひとつがあるように思います。
「多くの時代を超えてユダヤ人は生きのびてきました。このあいだずっと苦しんでこなくてはなりませんでしたが、同時にそれによって強くなることを覚えました。弱い物は狙われます。けれども強い物は生き残り、けっして負けることはないのです。」(深町眞理子訳)





            ポーランド (2018年5月14日~21日)