九州北部の旅②水稲耕作の遺跡を見る2018/03/03 11:21

      土宜禾稲麻紵蠶桑知織
績為縑布
                「後漢書」倭伝

弥生文化は九州北部で成立したという
弥生時代前期の板付遺跡を見た

集落(ムラ)を中心に水路をめぐらして水田を開いた
集落には住居や稲穂の貯蔵施設があり濠で取り囲んでいた
板付遺跡全景

住居は松菊里型という竪穴式住居 韓国にこれと同じ造りものがあると云う
土器は弥生時代初期の板付式土器
板付遺跡 竪穴住居

木製農具 農具は稲作技術と同時に伝わったようだ
ということは、先に水稲をやっていた人々が移り住んで開拓したということかも
板付遺跡 木製農具

後漢書に記すようにここでも蚕桑の知識があったというのか
板付遺跡 蚕

この後(弥生中期)に福岡平野には奴国が成立していく
            福岡県 福岡市   (2018年2月)

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