ベネルクス②ルクセンブルクにて ― 2015/12/01 19:54
ベネルクス三国のうちオランダ、ベルギーは王国であるが、ルクセンブルグは大公を元首とする大公国である
大公とは王の下で公の上に位置する称号との解説は王侯貴族社会のことは実像となって浮かんでこない
元首が執務する建物は王宮とは言わず大公宮と呼ばれる
門前に衛兵が待機する大公宮
大公とは王の下で公の上に位置する称号との解説は王侯貴族社会のことは実像となって浮かんでこない
元首が執務する建物は王宮とは言わず大公宮と呼ばれる
門前に衛兵が待機する大公宮
大公宮とノートルダム寺院の中間にあるクレール・フォンテーヌ広場には20世紀初頭から中期にかけて大公に付いたシャルロット女大公の銅像がある
オランダとの同君連合下オランダ国王ギョーム1世~3世がルクセンブルグ大公を兼務した その国王の名をとったギョーム広場にはギョーム2世の騎馬像がノートルダム寺院に向いて建っている
ノートルダム大聖堂は17世紀にイエズス会の教会として創設され18世紀に教区教会の大聖堂として聖母マリアが祀られている
八角形のテラスを備えたノートルダム寺院の尖塔
大聖堂の内部に入ると梁や柱の装飾にスペイン支配時代の痕跡が残る
大柱のイスラムの装飾はムデハル様式を思わせる
ヒンズーのシバ神を思わせる神坐像
重厚な要塞で守られたルクセンブルグ旧市街
憲法広場に建つ第一次世界大戦戦没者慰霊碑
ベネルクス3国は隣接する大国(フランス、ドイツ、イギリス)に肩を並べるべく固く結束している 3国のなかで最も小国であるルクセンブルグは3国間の結束を最も重視していると思われる 重厚な要塞や戦没者慰霊碑などを見るとこの国の過酷な歴史を思わずにはいられない
ベネルクス ルクセンブルグ市 (2015年11月)
ベネルクス③ベルギーにて ― 2015/12/08 14:21
ベルギーといえばナポレオンの最後の戦いの地ワーテルロー,一次大戦ではじめて毒ガス兵器が使われた地イーペル,二次大戦における撤退作戦の地ダンケルクなど戦争にからむ地名が記憶として留めている。
ほかにはフランダースの犬や名探偵ポアロ位しか思い浮かばない
アントワープは15世紀後半毛織物の交易で栄えた街であるとの説明があった
また1300年代はヘント、1400年代はブルージュ、1500年代はアントワープと貿易の拡大に伴い繁栄の女神は移っていった
ほかにはフランダースの犬や名探偵ポアロ位しか思い浮かばない
アントワープは15世紀後半毛織物の交易で栄えた街であるとの説明があった
また1300年代はヘント、1400年代はブルージュ、1500年代はアントワープと貿易の拡大に伴い繁栄の女神は移っていった
1.アントワープにて
英作家ウィーダはベルギーに1カ月滞在している間に4つの短編を書いた。そのうちの1つクリスマスのはなしとして書かれたのが「フランダースの犬」である。1908年ウィーダはイタリアで死去したことをきっかけにして日本語版が刊行された 日本語版ではネロはキヨシ、パトラッシュはブチと訳されたそうである。
ノートルダム大聖堂の広場にあるネロとパトラッシュの像
英作家ウィーダはベルギーに1カ月滞在している間に4つの短編を書いた。そのうちの1つクリスマスのはなしとして書かれたのが「フランダースの犬」である。1908年ウィーダはイタリアで死去したことをきっかけにして日本語版が刊行された 日本語版ではネロはキヨシ、パトラッシュはブチと訳されたそうである。
ノートルダム大聖堂の広場にあるネロとパトラッシュの像
フランダースの犬は日本では大変有名であるが、現地のひとびとにはほとんど関心がない。その理由のひとつには原作を読んでみれば理解できる。以下原作の訳文より
「フランダースはあまり目をたのしませる風景がありません。とくにアントワープのまわりは、ばっとしないといえるでしょう。麦畑に菜の花畑、牧場や耕作地が、だだっぴろい平地にならんでいるだけです。せいぜい絵になるとするば、かなしげな鐘の音をひびかせるやせっぽっちの灰色の塔とか、落ち穂の束をかついだ人や薪の束をはこぶ木こりが野原を横切る姿ぐらいのものでした。どこを見てもあまり変化がなくたいくつで美しいものではありません」このように書かれたら地元のひとびとは好い思いはしなかっただろう
アントワープの語源とは
古代ひとびとを苦しめたスヘルデ川に住む巨人アンティゴーンをローマの戦士ブラボーが退治したとの伝説に由来すると言われている 英雄ブラボーがアンティゴーンの手首を切り落としスヘルデ川に放り投げる像がマルクト広場の市庁舎の真ん前にある アント(手)ワーペン(投げる)ということだ 西洋では手首を切り落とす罰の風習があるようだ
「フランダースはあまり目をたのしませる風景がありません。とくにアントワープのまわりは、ばっとしないといえるでしょう。麦畑に菜の花畑、牧場や耕作地が、だだっぴろい平地にならんでいるだけです。せいぜい絵になるとするば、かなしげな鐘の音をひびかせるやせっぽっちの灰色の塔とか、落ち穂の束をかついだ人や薪の束をはこぶ木こりが野原を横切る姿ぐらいのものでした。どこを見てもあまり変化がなくたいくつで美しいものではありません」このように書かれたら地元のひとびとは好い思いはしなかっただろう
アントワープの語源とは
古代ひとびとを苦しめたスヘルデ川に住む巨人アンティゴーンをローマの戦士ブラボーが退治したとの伝説に由来すると言われている 英雄ブラボーがアンティゴーンの手首を切り落としスヘルデ川に放り投げる像がマルクト広場の市庁舎の真ん前にある アント(手)ワーペン(投げる)ということだ 西洋では手首を切り落とす罰の風習があるようだ
アントワープはルーベンスの故郷である 塔がかたびっこのノートルダム寺院には「フランダースの犬」でネロとパトラッシュが悲劇的な最期を遂げたルーベンスの傑作が掲げられている
有名な画家を夢見たネロは祭壇が「天にのぼる聖母マリア」のまえでひざまずいた
聖歌隊席の両側に置かれているカーテンのかかった二枚の絵を見たいとの願いをけっして諦めずに心に抱いていた
ネロがその願いをかなえられたのはクリスマスイブの晩、コンテストに優勝できなかった失意のネロは雪の中深夜のミサを終えた大聖堂へようやく辿り着き暗闇の中で二枚の絵のカーテンを外しておいた
ネロとパトラッシュが二枚の絵を最後に見られたのは雲間から顔を出した月の光が窓から射し込み二枚の絵を照らしたからです
十字架にのぼるキリスト
ネロとパトラッシュが二枚の絵を最後に見られたのは雲間から顔を出した月の光が窓から射し込み二枚の絵を照らしたからです
十字架にのぼるキリスト
十字架からおろされるキリスト
クリスマスの朝が明けてやってきた司祭は石の床につめたく横たわったふたりを見つけました
なぜこの物語は視聴者の涙をさそい悲劇でおしまいになっちゃうのかよく意味がわからない
ハッピーエンドがよかったが・・・
アントワープの街角で遭ったアロワとパトラッシュ
その結末の意味を解く鍵は作者の以下の言葉にあるのではなかろうか
「死はふたりにとって、ながくいきるよりも情け深いものでした 死は愛に忠実だったパトラッシュを 愛がむくわれないこの世から連れ去り 疑うことなく神を信じたネロを 信じても実現しないこの世から連れ去りました」
2.ブルージュにて
ベルギー屈指の美しい水の都と言われるブルージュの写真です
聖母教会が見える水鳥たちが群れる水辺
鐘楼が見えるボート乗り場
礼儀正しく白鳥が泳ぐ美術館脇の運河
レリーフが商売を現すギルドハウス
レリーフは乳の出なくなった雌牛が革製品に加工されるまでを現しています
年号を記した17世紀の建物
年号を記した17世紀の建物
年号を記した心棒の金具は壁を貫き内部の梁に固定されレンガの壁を支えています
3.ゲントにて
今回の旅行で最も未知の街ゲント ブルージュから車で約1時間の距離にありその名は川の合流点を意味するガンダ(ケルト語)に由来しているという
路地裏でペイントの女性が出迎えてくれた
街にはあたりまえの広場がある
観光客目当ての出店が立つ
通りにはちょっと古めかしい路面電車が走り
その通りの突き当たりには伯爵の古城がある
ブリュッセルだけではないぞといきむ軒先の小便小僧
河岸に立つ巨大な建物は生ハムの製造・販売で活躍している
レイエ川の東岸にギルドハウスが軒をつらねその先で聖なる橋が架かっている
その名は聖ミカエル橋 守護聖人ミカエルが悪魔を退治している
毛織物で繁栄した当時を偲ぶる教会、鐘楼、大聖堂が一堂にのぞむ
4.ブリュッセルにて
ベルギーが生まれたのは1830年で185歳の若い国である 土地は平地と丘陵であり特徴があまりあるものではない 北のフランドルと南のワロンでは人種や言語が異なっていても一つの国として成り立っている理屈が分からない 人種は北がゲルマン系南はラテン系に分かれ名探偵「ポアロ」は南のラテン系の人物として描かれているとのことである
北のフランドル地方は油絵の具が創られた当時ヨーロッパの芸術の中心地として発信していたそうである
その首都ブリュッセルで最初に見たものは
店先に並んだワッフル
それと観光客が集まっていた小便小僧の像
マグリッド美術館へ行く
混沌とした世の中による不安むしゃくしゃをマグリッドの作品にぶっつけたいと思った
シュールレアリズムこそ混沌世界によって蝕まれたこころの癒しだとの個人的こじつけ
エリザベス王女の像から見下ろしたブリュッセルの街並み
左右対称的な景観をつくる芸術の丘
その続き
ここでも階高の違うビルが並ぶ
ここでも階高の違うビルが並ぶ
マグリッド美術館を出たら突然の雷雨
雨に濡れた中央駅
グランプラス世界一美しいと評判の景観を楽しむ
ギルドハウス
異なる階の高さがギルド間の対抗心が窺える
ブラバン公爵の胸像が並ぶブラバン公の館
ライトアップされた市庁舎と石畳の広場
この2時間後パリは同時多発テロに見舞われた
この2時間後パリは同時多発テロに見舞われた
ぶちのベルギーが国として成り立つそのひとつは個々の自由を尊重するということなのかな?? 景観の統一ということより建物の高さや階の高さがまちまちであっても個々を尊重するそういうことなのではないかと考えた
ベネルクス ベルギー (2015年11月)
アーヘンにて ― 2015/12/25 22:00
ドイツ連邦共和国ノルトライン・ヴェストファーレン州
アーヘンへ皇帝の大聖堂を訪ねる
アーヘンの広場には裸馬の銅像があった
80人もの神聖ローマ皇帝の戴冠式を行った町としてはひとりの皇帝を乗せることはできまい この街では裸馬がふさわしいのだ
アーヘンへ皇帝の大聖堂を訪ねる
アーヘンの広場には裸馬の銅像があった
80人もの神聖ローマ皇帝の戴冠式を行った町としてはひとりの皇帝を乗せることはできまい この街では裸馬がふさわしいのだ
もうひとつの特徴は温泉が湧き出ていることだ
広場の円形のホールに温泉がひかれていた
パイプから流れ落ちる湯を手でさわると風呂にするには適温であった
アーヘン大聖堂を訪ねる
786年カール大帝が建築を開始 北部ヨーロッパで最古の大聖堂
936年~1531年にかけて神聖ローマ帝国の80人の皇帝たちの戴冠式が行われた
年代を重ねるごとに古典主義、ビザンチン、ゲルマン、フランク王様式と建築様式を取り込む どの部分がなになに様式だと指摘するだけの知識は持っていない
大聖堂の屋根の形や大きなアーチ型のステンドグラスの窓やフウセンカズラの折り目のようなドームの屋根の形とてっぺんに乗せられた小堂が印象的だ
大聖堂の屋根の形や大きなアーチ型のステンドグラスの窓やフウセンカズラの折り目のようなドームの屋根の形とてっぺんに乗せられた小堂が印象的だ
黄金のドームから吊るされた黄金の光を放つシャンデリア なんだかモスクを感じさせる
奥の青を基調としたガラスの大礼拝堂
装飾を極めたステンドグラスの窓枠
青の空間に信仰のまと光輝く聖母子像のペンダント
神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われた歴史的意義のあるアーヘン大聖堂に立てたことは喜ばしい
ドイツ連邦共和国 ノルトライン=ヴェストファーレン州 (2015年11月)
ケルンにて ― 2015/12/29 17:01
ノルトライン=ヴェストファーレン州 ケルン
ケルンの目的はケルン大聖堂とライン川であった
スケジュールでは11月11日の午前中にケルン大聖堂を見ることになっていたが、その日はお祭りがあり入館できるか分からないということで急遽10日の予定を早めてその日の夕刻に繰り上げて見物することになった
大聖堂に着いたのは午後4時をまわっていた
黒く変化した建物はドイツでよく見受ける 年代の古さを感じさせるがあまり美しいとは思えない
ケルンの目的はケルン大聖堂とライン川であった
スケジュールでは11月11日の午前中にケルン大聖堂を見ることになっていたが、その日はお祭りがあり入館できるか分からないということで急遽10日の予定を早めてその日の夕刻に繰り上げて見物することになった
大聖堂に着いたのは午後4時をまわっていた
黒く変化した建物はドイツでよく見受ける 年代の古さを感じさせるがあまり美しいとは思えない
夕暮れが迫っていたがそれでも観光客は広場に集っていた
またここで中国の法輪功に対する虐待を非難するビラが配られていた
この光景は9月にワシントンD.Cにおいても遭遇した
尖塔アーチの入口は私たちを内陣へと誘う
王冠を頭に載せた聖母子像が対称の中心に立つ ここはマリア大聖堂なのだ
暗い聖堂は私の進入を拒んだ
暗い聖堂を出て南側に回る もう店の照明が赤く目立つほどあたりは暗くなった
十字架の片翼を担う南側の翼廊部分が突き出す 切妻屋根が十字に交差する点に立つクーポラがいちばん美しく見えるポイントだ
広場の端からから南側の真横の景観を見る 近くに寄ってからでは建物全体を把握することはむずかしいのだ
日が暮れた WiFiの街灯が灯る
明日朝の自由時間になんとか明るい内陣を見たいと念じて大聖堂を去る
翌朝ライン川沿いにすずかけの道を歩いて大聖堂へ向った
初めて見るライン川の景観はとても新鮮に写った
ライン河岸を北に折れつづら折りの坂を登って大聖堂の東側からアプローチした
ここでようやく主祭壇の建物の外観を見ることができた
西の広場は昨日と違ったひとびとが群れていた
それは思い思いの衣装で着飾ってお祭りに集まりおおいに楽しもうとするひとびとだった
例年11月11日11時11分11秒から祭は開始されるとのことだ おもしろい!!
再び門をくぐり内陣に入る
身廊奥の主祭壇 天井までとどくほどの細長い窓から神の光が射し込んでいた
身廊の柱は他の聖堂に比べいくぶん細いように感じた
朝日を受け南の側廊の窓枠にはめられたステンドグラスは耀を増していた
東方三博士の礼拝、精霊降臨、聖ステファノの殉教などの場面が描かれる
これはその一つのビエタ
羊飼いのキリストの祈りという場面であるのか?他の絵画とタッチの違った不思議な天井画も気を引いた
世界最大のゴシック建築とのちょっぴりのふれあいでした
ドイツ連邦共和国 ノルトライン=ヴェストファーレン州 ケルン
(2015年11月)
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