私のイラン①栄光のアケメネス朝ペルシャ ― 2014/11/18 09:27
未知の世界へ踏み込むような気持ちでイランへ飛んだ
アケメネス朝ペルシャの遺跡に触れたり都市ごとのモスクを見ることなど短い時間であるがなんとかイランイスラム共和国の感じを掴みたい考えていた
アケメネス朝ペルシャの遺跡はテヘランの考古学博物館、ペルセポリス、パサルガダエ、ナクシュ・ロスタム、ヤズドで触れることができた
シラーズからヤズドへ向う街道の途中のパサルガダエにはアケメネス朝創成期の遺跡がある
アケメネス朝の故郷パサルガダエの風景
アケメネス朝ペルシャの遺跡に触れたり都市ごとのモスクを見ることなど短い時間であるがなんとかイランイスラム共和国の感じを掴みたい考えていた
アケメネス朝ペルシャの遺跡はテヘランの考古学博物館、ペルセポリス、パサルガダエ、ナクシュ・ロスタム、ヤズドで触れることができた
シラーズからヤズドへ向う街道の途中のパサルガダエにはアケメネス朝創成期の遺跡がある
アケメネス朝の故郷パサルガダエの風景
オリエントを支配するアケメネス朝を築きあげたのはキュロス2世(大王)だ
パサルガダエにはその遺跡が残る
キュロス大王の宮殿
水路の跡
堀は浅く水量は少なかったようだ
有翼精霊のレリーフ
どのような神が祀ったのか
キュロス大王墓
もっとも興味深いのはキュロス大王の墓である
この墓の形と他のものとを比較する楽しみが増えた
ペルセポリス
アケメネス朝ペルシャの主要都市はバビロン(王の冬宮)、エクバタナ(王の夏宮)
スーサ(行政府所在地)とペルセポリス(新年の祭典(ノールーズ))である
ペルセポリスはダリウス大王が建設を開始したものだ
ペルセポリスの遠景
祭典の舞台は配下の国家を圧倒するものでなければならない
ダリウス大王の像(イラン考古学博物館)
ペルセポリスの建設を開始したダリウス大王の像(エジブト製造)
多分に東洋的な衣装に驚く
アケメネス朝ペルシャの勢力範囲が土台に記してある
アバダーナ(謁見の間)
36本の柱が支えた謁見の間では各国の使節団を迎えて新年の儀式を執り行った
ダリウス大王謁見の図(イラン考古学博物館)
アバダーナではこのように使節団と謁見したのであろうか
ダリウス大王が謁見する姿がレリーフとして残されている
ダリウス大王の椅子の後ろ同じレベルに立つ王はクセルクセス1世?
アパダーナ階段のレリーフ
アパダーナは30段ほどの土台の上に建っている
階段の土台の壁には民族衣装を身に付け特産物を貢物として献上に訪れた使節の様子が
描かれている
使節団の数は23カ国にもおよぶ
メディア人から始まり最後は23番目のエチオピア人である
壷と馬車を献ずるアルメニア人
3段あるうち2段目の最初に(最初から8番目)アルメニアの使節が描かれた
ダリウス大王の宮殿(タチャラ)
儀式のため滞在する王の宮殿もある
クセルクセス1世の宮殿(ハディシュ)
クセルクセス門
クセルクス1世が築いたクセルクセス門は各国の使節団を迎えたことだろう
ナクシュ・ロスタム
ペルセポリスから北東6キロの断崖ナクシュ・ロスタムに王たちの墓所がある
この墓所はクセルクセス1世、ダリウス大王、アルタクセルクセス1世、ダリウス2世
とされている
このうち銘文で確認されている墓はクセルクス1世の墓のみと説明があった
クセルクセス1世墓
十字架の形をした全体像、2段の王座担ぎ
王座の上では中央にアフラ・マズダを配した王の礼拝
4本の柱のホマ柱頭の部分は柱と梁との組み合わせが見て取れる
ゾロアスター教
王墓や神殿などに刻まれたアフラ・マズダはアケメネス朝ペルシャの時には
ゾロアスター教が王朝の精神面で支えてとなっていたと思われる
アフラ・マズダ神(ヤズド)
ゾロアスター教は拝火教ではない
新年祭ノールーズの習慣と仏教のそれは似ていると言う
ヤズドの神殿では今も聖なる火が燃え続けている
未完成の門
ダリウス3世の時アレクサンダー大王との戦いに破れアケメネス朝は滅亡した
この時建設中の門は未完成のままペルセポリスに残されている
キュロス大王が築いた古代王国アケメネス朝ペルシャ
イランの人々が人気ナンバーワンのあげる意味が納得できた
イランイスラム共和国 アケメネス朝ペルシャ遺跡 (2014年10月)
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